第2話

 ――株式会社Airgun――


 前庭の限りなく自然に近い環境が出社してくる社員を包み、違和感なく木造の社屋へと引き入れる。職業柄依頼主とストレスを共有しやすい社員達の為にと、こだわって作られた社長肝入りの前庭だ。


 そんな癒しの空間を堪能しながら、屋内までの数百メートルをゆっくりと歩く人も珍しくない。彼、柊 真九まくもその一人だ。


 都会の一角で田舎と何ら変わらない生態系を形成しつつあるその場が、季節毎に生命で賑わう様を観察する事を、真九は出社する際のルーティンとして取り入れていた。


 遠目に雀が集まっているのを確認すると、彼は足取りを早めて前庭を離れる。野鳥が餌場として訪れている事が、ここの自然の豊かさを象徴している――食物連鎖の雄大さを背に感じて、彼は屋内へ入っていく。


 開放的な間取りとなっている社内には慌ただしさとは無縁の、マイペースな働き方を見せる社員が多い。スーツを着て出社し自分用のデスクに向かって座りながらこの仕事をしている人に対しては、その場所や服装が好きなのかと尋ねる者もいる。


 真九はこれからの季節、決まって浴衣で出社し、仕事をする場所は気分や環境によってまちまち。ただ始めに向かう場所は年中通して決まっている。


「お、来たな真九。お前からも言ってやれ、この新人仕事相手に惚れたんだとよ」


「惚れてないです〜! ただ終わり際に『貴女から聖女の様な温もりを感じました』って言われて照れたって話をしただけです〜」


「――おはよう真九ちゃん。はい、今朝のコーヒー」


 仕事前の一杯にと各々に飲み物を淹れてくれる、坂井 英彦星ひこぼし。彼は自身を蛇と称する為、彼のことをスネークと呼ぶ者も少なくない。彼等六人のチームの中では彼が最も古株の社員となる。


 入社してまだ二週間も経たない十八歳の山田 園恵は、男性客からの依頼のみを引き受けていて、Lovable愛らしい sisterと自称している。曰く、同性から嫌われやすいそう。


 そんな新人を揶揄っているのは情熱と精神論で幅広い層から支持を得る、御手洗みたらい 一青瞳ひととめ 龍五。仕事に対する熱量は並ぶ者がないと評される、自他共に認める熱血漢であり、それが空回る事もしばしば。


 集まりはするが常に寡黙で、壁にもたれ佇んでいる彼女、平手 マリンへは、行動に移せない自身の体たらくを嘆いた客からの指名が殺到する。結果、彼女の評価欄には女王からの鞭を嬉々として受け取る変態のコメントで溢れ、何時しか彼女には鉄仮面というあだ名がつけられていた。


 この場にはいないもう一人、万場 みつるも含めて彼等はチームを結成している。客は必ずしも一人とは限らず、集団を一人で支えるのは無理がある為、社員はチームを作り普段から互いの理解を深め、団体客だった場合に、より密な連携が取れるよう取り組んでいる。


 そして今日、このチームへまた新たにメンバーが加わろうとしているのだが。


真「来ないなぁ新メンバー君」


英「誰かさんみたいに前庭の雰囲気にでも取り憑かれてるんじゃないかしら」


龍「じゃなきゃ色んな部署の男を漁りに行ったのかもな」


英「あら良いじゃない、気が合いそう」



 仕事が入らない限りは毎朝必ず東バルコニーに集まるので、英彦星は新メンバーへの言伝としてこの場所と少しばかりの歓迎の言葉を、事前に担当者へと託していた。


 今回チームに加わる人物は園恵と同期の新入社員。大方の仕事に触れたところで、この部の新入社員はチームに加入し集団の接客をするか選ぶ。自らを配属し、自身が最も力を発揮出来る環境で勤めるのがこの会社の基本方針の一つだ。


 時間面での圧迫感や出社する事への憂鬱さから一線を画す会社としても注目されるだけに、顔出しが遅れている新メンバーを咎める意見は全く飛ばない。そして予約されている仕事は待ってはくれない。


 マリンは他4人が談笑する傍らを横切り、バルコニーから立ち去ろうとする。


真「――会っていかないのか、サボれるぞ?」


マ「歩合制なんだもの、優秀な人材は歓迎されるわ」


 マリンが仕事へ向かう足音が遠ざかっていくのに反比例する様にして、忙しなく駆ける足音がベランダ方面へと近づいてくる。


 無風の朝方に空気を煽って力走するその姿は、早朝ツーリングにハマった若者のよう。しかしそんな爽快感が彼にある訳でもなく。


 勢いそのままにベランダへ入ると辺りを見回し、一目散に真九達の元へ駆け寄って早々、絶え絶えの息で謝罪を始める男。全身スーツに身を固め、汗を滴らせながら頭を下げる勝浦 玄凪げんないは、この会社では珍しいお堅い姿勢を見せる二十七歳だ。


 彼から溢れ出る余りの罪悪感に空いた口が塞がらない真九と、場を和ませる為に動く三人。こういう時、龍五の得意とする根拠の無い自信に少なからず元気付けられる人もいるのだろう。


 玄凪は大卒から昨年まで以前の職場をスーツで出勤していて、その癖が抜けていないと語る。事前に社風は聞いていて、それもありこの会社を選んだというが、スーツで出勤したのには訳があった。


玄「――面接の時に[服装自由]と記載されましたけど、そういう時ってスーツとかじゃないと印象下がるじゃないですか。結局出社するのにもスーツ着ないといけないのかなって――」


龍「そーんな一昔ひとむかし前の会社みたいにしなくてもよ、俺なんか面接はアロハシャツにグラサンで行ったぜ」


 20XX年現在、働き方の改革が叫ばれて久しい昨今に彗星の如く現れた株式会社Airgunは、労働環境や人間関係――様々な理由から疲弊した人々を支える為に立ち上げられた。そんな当社で働き始めた社員が疲弊した状態で、果たして客を支える事など出来るのか。


 玄凪の様に凝り固まった思考で入社してくる者は決して少なくない。特に新卒として有名企業へ就職し、想像していなかったその会社のブラック企業ぶりに滅入ってしまって、二、三年の内に退職する例は後を立たない。


 そんな経験をして当社へ就職してきた者が最優先ですること――それは会社での時間を積み重ねること。他人の幸不幸に寄り添うのは、自身が原液に頭のてっぺんまで浸かり毒素が抜け切ってから。


 共倒れを防ぐ為、そして玄凪が拘る恩返しを果たす為にもこれは重要な事だ。要するに業務への焦りを見せる様では時期尚早ということ。


 彼等のチームではマリンと満がこの工程を踏んでいる。玄凪が経験者からの意見を聞いてその工程への理解を深めるのもまた、時間の積み重ねに繋がるだろう。


 と、真九の懐から社用携帯電話の着信音がなった。二十四時間以上先の予約を取らない彼には、こうして当日中の仕事がよく舞い込む。


 二杯目のコーヒーを一気に流し込むと真九はベランダを立ち去り、仕事内容を事務から聞きつつ気分の赴くままに仕事場を定める。受けた仕事は結婚挨拶への同行。この会社の中でも窮屈な部類に入る、階段下のデッドスペースを活用した社交スペースに鎮座して、真九は今日一つ目の仕事に取り掛かる事にした。

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