第36話 ハツコ。お前だったのか。

「それで、成果はあったんですか?」

「ビイルを奢ってもらえた」

「……」

「無言で睨むのはやめたまえ、僕は沈黙が苦手なのだ。わかった、真面目に答えるよ。ヒラメンティウスのやつがね、仲間にかけあって、聞き込みを手伝ってくれるそうだ。あいつもいいところがあるじゃないか」

 ひょっとしたら、今まで出会ってきた人間の中で、五本の指に入る人格者かもしれません。あとは、金を貸してくれるなら何も言う事はないのですが。

「やっぱり持つべきは友ですね」

「うむ」

「じゃ、人手も増えた事ですし、私達も聞き込みに戻りましょう」

 実は、トミエの言う聞き込みとは、相手の喉元に槍を突き付ける行為を指すのですが、これは普通に話を聞くより遥かに効果があって、誰もが両手を上げ、洗いざらい話してくれるのです。

 ただ、やり方が完全に特高ですから、元左翼運動家としては、何だか複雑な感情を抱いてしまうものの、他に妙案も浮かばないため、黙認するしかないのでした。

 そうして、二十軒ほどの家を脅……調べ回ったところで、腹時計が鳴り始めたため、早めの昼休憩に入りました。

 魔法でニンジンとすき焼きを生み出し、皆で食べようと提案してみたのですが、トミエは浮かない顔をしています。

「すき焼きは飽きました」

「言うと思ったよ。なんたって僕も飽きているからね」

「移動中は、そればっか食べてますからネー。どこかで安く外食できるといいんですけど」

「物価が物価だからねえ」

 おまけに、犬も連れているのです。場合によっては門前払いもありうる組み合わせでしたが、勇気を出して近場の飲食店に顔を出してみると、店主は快く歓迎してくれました。

「どんなワンちゃんか知らねえが、うちなら大歓迎だぜ。べっぴんさんもいるみたいだしな」

「そう言ってくれると助かる。おいでハツコ、入店許可が下りたよ」

「わん!」

 ライオン並みの体格を誇るハツコが、のしのしと店内に上がり込みます。

「え、でかっ……首三つあるし……いや、確かに犬だけどよ、ケルベロスなんて聞いてねえぞ」

 その威容を目の当たりにした団体客が、気まずそうに店を立ち去っていきます。商売あがったりとしか言いようがありませんでした。

 背後では、ゲイボルグを担いだトミエが、「親切な店主さんで良かったデース!」などとウィンクをしています。

 店主は、初めこそ何か言いたそうにしていたのですが、トミエの槍に目をやると、静かに俯き、声を殺して泣き始めました。穂先に付着した血痕が決め手でした。私が自殺未遂をした時の血ですが、店主は何か、物騒な解釈をしたようでした。

「こういうのを、色仕掛けって言うんですかネー」

「この場合、武力制圧と言うのだよ」

 話し込んでいるうちに、次々に料理が運ばれてきました。

 ネオマイヅル風ブラッドソーセージに、ザワークラウト、ライ麦パン、アイントプフ。どこからどう見てもドイツ料理なのですが、店主はキョウト料理と言い張っています。ぶぶ漬け感覚で「ザワークラウトでもどうどす?」と勧めてくる京都など、聞いたこともありませんが、川端がいろいろうるさいのだろうな、と事情を察し、何も言うまいと決めました。

「うん、美味い。ヒラメンティウスにも食わせてやりたいな」

「ですねえ」

 明らかに迷惑客なのに、いっさい妥協しない味付けなのです。

 このまま店を出たのでは、いくらなんでも店主に申し訳なかったので、食後の支払いは、ニンジンで行うことにしました。戦時下の、やたら物価が上がっている環境ならば、お金よりも物で払う方が喜ばれると思ったのです。

「野菜ですか。本当にいいのかい? 豪気だなあ。これなら毎日でも顔を出してほしいよ」

 読みが当たったらしく、顔をほころばせた店主は、浮足立った様子でニンジンを奥に仕舞いました。

「そうか。ここは食料を生産できるなら、いくらでも飲める町なのだ。つまり、僕はニンジンがある限り」

「駄目ですからね」

 トミエにたしなめられ、しゅんとしていると、店主が身を乗り出し、声をかけてきました。

「お客さん、ヒラメンティウスの知り合いなのかい?」

「竹馬の友さ。知り合ってまだ二日目だが」

「友の基準、ガバガバだなあ……。気を付けた方がいいよ」

「何がだね」

「あいつは、魔王シンパだって噂があるからね。おっと、俺が言ったってのは内緒で頼むよ。あいつも一応、常連客の一人だからさ」

 たまらず、手元のコップを滑り落しました。

 そういえば私は、飲み屋でヒラメンティウスと肩を組んでいたのです。

 そしてハツコは、川端の残り香を見つけ出せと命じられると、私のからだを嗅いできたのでした。

 また、ハツコが牙をむいて唸った場所は、まさにヒラメンティウスがいたバアなのです。

「ハツコ。おまえだったのか。いつも正しい警告をしてくれていたのは」

「わん!」

 ごんを撃ち殺した兵十ひょうじゅうのような心境で、ご褒美の牛肉をくれてやりました。このケルベロスは、馬鹿犬ではなかったのです。少しずつですが、私達の言葉がわかるようになってきたのです。

「解せないね。ヒラメンティウスも人間族だろうに、どうして川端に手を貸すのだろう」

「小説を書いてもらったのかもしれませんよ。人として問題だらけの勇者様でさえ、文章で私を魅了しているんです。ましてや、人間的にはそこまで問題のない魔王から美文を見せられたら、虜になってしまうのも無理はありません」

「良くない本音が漏れているね」

 失言に関しては、あとでじっくりと話し合うとして、小説で誘惑、というのはありえるように思えました。

 私だって、芥川先生にそそのかされたら、何をしでかすかわからないのです。それに、世の中には小説をきっかけに縁談話を受け入れる女や(私の妻です)、小説をきっかけに惚れてくる女や(私の愛人です)、小説をきっかけに人力車に乗って伊勢海老を貢いでくる女性(私のファンです)もいるくらいなのです。

 芸術の力とは、それほどまでに強力なのです。

「あの男なら、文学で他人を支配するくらい、造作もなくやってのけるだろう。まったく、いやになるね」

 勇者様って、何気に魔王の実力を誰よりも認めてますよねえ、とトミエがぶつぶつ言ってくるのですが、聞こえないふりをしました。

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