第30話 初恋レモン

 ライム酒を片手に、皆でわいわいと騒ぐためには、死人を出すわけにはいきません。

 喪に服して、しめやかな酒を飲むなど、考えるだけでぞっとしました。そのような雰囲気では、いかなるお道化も通じず、何を言っても空回りで、疎まれるに決まっているのです。

 おいおい、お前ときたら、飲む前から気苦労をしているのか? それならいっそ、一人で飲めばいいじゃないか、と嘲笑する人もあるいはいるかもしれませんが、あいにく、私は生まれついてのさみしがり屋なので、酒は賑やかに飲みたいのでした。

 人間は、怖い。同時に、傍にいてほしくもある。この、一見すると矛盾としか思えない心理状態が、私の人生を決定づけてきた気がします。

「一度、休憩した方がいいね。ヒラメンティウス達を休ませなければ」

 誰も異論はないようで、ダザイさんは気が利くなあ、などと口にし、くつろいだ顔を見せています。

 男相手のサーヴィスは、女とはまた別の感覚が要求されるのですが、今回は上手くいったようです。珍しいほどの大成功でした。

 とはいえ、大人の男を扱う時は、労ってばかりでは駄目なことを知っていました(それは彼らの自尊心を傷つけるのです)。なので、わざと疲れた顔を作って、ヒラメンティウスの隣に腰かけました。

 他の男達が疲弊し切っているのに、自分だけ余裕しゃくしゃくの顔をしていると、反感を買う恐れがあったのです。

 私は、君達を必死で助けたのだ、あれは限界以上の力を使ったのだ、というポーズを取ることで、愛嬌を感じてもらえるに違いない。

 さもしい駆け引きの心を起こし、疲労困憊の演技を続けていると、ヒラメンティウスはちらりとこちらを見て、

「ほんとうかい?」

 穏やかな微笑でした。

 冷汗三斗、内心の動揺は甚だしく、今すぐ川に飛び込んでしまおうかとも思いました。

「あんたひょっとして、まだまだ体力が残ってるんじゃないか」

「僕はもう歩けないよ。本当です。本当なんです」

「急に敬語になったのが怪しいが、そこまで言うならそうなんだろう」

 ヒラメンティウスは、それ以上探ろうとはしませんでした。武士の情けなのは明らかでした。

「ところで、ずっと気になってたんだが。顔立ちといい、服装といい、あんた、こっちの人間じゃないだろう。もしかして、魔王と同郷だったりするのか?」

「確かに僕は、あの男と同じ国の生まれだが……まさか、川端と面識があるのかい」

「あれがまだ勇者を名乗っていた頃、会ったことがある」

 昔を懐かしむような、しみじみとした口調でした。

 それから、ヒラメンティウスは川端の思い出を語り始めました。

「宿屋にね、泊まってたんだよ」

「川端が? あいつ、ちゃんと料金は払ったのだろうか」

「それが、まったく金を出さないまま、四カ月も居座っていたらしい。あんなふてぶてしい客は初めてだと噂になっていた」

「四カ月ならまだいい方だ」

 川端は、「伊豆の踊子」を執筆中、旅館に泊まっていたらしいのですが、宿泊料を全額踏み倒したという噂があります。なんと四年半も泊っておきながら、びた一文払わなかったのです。ここまでくると、生前から魔王の素質があったと言えます。

「魔王の出身地は、ニホンでいいんだっけ? ニホン人ってのは、金を払う習慣が無いのか?」

 風評被害もいいところでした。

 私は、そんなことはない、と懸命に否定します。

 民族の名誉のため、あいつが例外的におかしいのだ、と訂正しておかねばなりません。

「ほとんどの日本人は真面目さ。お金にも時間にも厳しい人々だ」

「なるほど。あいつが変わり種なのか」

「うむ」

「もう一つ聞いていいか」

「何かね」

 ヒラメンティウスは、声を潜めて尋ねます。

「魔王は、何度かガス魔法を使って自殺未遂をしてるんだが……これは、ニホンでは普通のことなんだろうか」

 少し考えてから答えました。

「まあ、普通だね」

「とんでもねえな」

「僕もしょっちゅう死にたくなる。よくあることだ」

 大体、やたら生きたがるひとの方がおかしいのです。私は、生まれてすみませんという謙虚な気持を、皆が持つべきだと考えています。

 やれやれ、川端もようやくそのあたりを理解できたようだ、と頷いていたのですが、途中ではたと気付きました。

「あの男も死にたがっているのか」

 そうなると、へんに焦っていたのは……いや、今の段階で勘繰るのは、よしておきましょう。

「どうした。顔色が悪いな」

 急に会話が途切れたので、私とヒラメンティウスは、ぼうっと水面を眺めていました。

 元来、沈黙を苦手としているものですから、何とかして間を持たせようとしていると、トミエが「おやつにしませんか」と言い出しました。水でずぶ濡れになっていた食材を、平気で頬張れるところはやはり魚類の神経だと言わざるを得ないのですが、ありがたい申し出でした。

「レモンがね、いっぱいあるみたいなんですよ。そのままだと辛いですけど、お砂糖も残ってるので」

 ああ、それはライム酒に入れようと思ってたんだ、とヒラメンティウスが笑います。

「酸っぱいのを食べると、疲れが取れますよ。ささ、勇者様もどうぞ」

「レモン……」

 ハツコを見ると、黄色い果実を咥え、美味そうに目を細めていました。まるでそれは、人妻が若い男をむさぼるかのような、一心不乱のがっつき具合でした。

「わあ。ハツコってばレモンが好きなんですねえ。……勇者様? なんで小刻みに震えてるんですか?」

「この組み合わせは胸が痛むのだ」

 以前、人間の方のハツコは、画学生と不倫したと言いましたが、その画学生が得意としていた題材は、レモンなのです。

 ハツコは、レモン好きの画家と浮気したのです。

「駄目だ、死にたくなってきた」

 発作的に水に飛び込むと、ヒラメンティウス達が慌てて腕を引っ張り上げました。

「ニホン人って、ほんとに死にたがりなんだなあ」

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