第29話 溺死ちゃれんじ

「ぼうっとしていてもしょうがない。さっさと中に入ってしまおう」

 ハツコから降りて、ダンジョンの入り口に向かうと、一人の男が立ちはだかりました。

 先ほど、こちらを恐々と眺めていた男でした。

 胸板が厚く、首の短い、ずんぐりとした体つきをしていて、見るからに肉体労働者といった風貌なのですが、よく見るとその目元は、どことなくヒラメと似ていました。歳は、私とそう変わらないように見えます。

「僕に何の用だね」

「名前をうかがってもよろしいかな」

「太宰治、……」

 へどもどして答えると、男は満足げに頷きました。

「では、ダザイさんと呼ばせてもらおう。俺の名はヒラメンティウス。盗み聞きするつもりはなかったんだが、あんた達の会話が耳に入ってきてね。どうやら、かなりの修羅場をくぐってきたようだな。その上、ケルベロスを手なずけているとなれば、只者ではない」

 私は、男の話など上の空で(女の話にすら興味が持てないのです。ましてや男の言うことなど、馬耳東風です)煙草をわけてくれませんか、とせがんでみたのですが、そもそも煙草の存在自体知らないようでした。

 また、トミエにも睨まれてしまったので、真面目に耳を傾けることにしました。

「実は、俺もダンジョンを攻略するつもりでいるんだが、パーティーに新人が多くてね。ダザイさんさえ良ければ、ここを抜けるまでの間、臨時メンバーになってくれないか。もちろん、報酬は弾ませて頂く」

 トミエに目を向けると、両手でバッテンを作っていました。引き受けるな、と言いたいようです。

「あいにく、連れの者が難色を示しています」

「そうか。そいつは残念だ。加入してくれるなら、ライム酒を奢ろうと思ったのだが……」

「よかろう。僕が入ったからには、千人力と思うがいい。これからよろしく頼むよ」

「へ、いいのか?」

「勇者様!?」

 トミエが騒ぐのをよそに、続々とヒラメンティウスの仲間が集まってきました。

 一人は、私と同年代の男で、あとの二人は、まだあどけなさの残る少年でした。いや、ひょっとしたら少女かもしれないのですが、自己紹介の途中でトミエが詰め寄ってきたため、確かめることができませんでした。

「いいんですか、安請け合いしちゃって。勇者様は団体行動が苦手なはずでしょう?」

「君は僕を過大評価しているようだね。僕は、団体行動が苦手なのではない。行動全般が苦手なのだ」

 もう、生きるのが下手くそなのです。

 あらゆる行為が苦手なのですから、今さらその中の一つを押し付けられたところで、大して変わらないように思えるのでした。

「土地勘も無いことだし、良い道案内ができたと考えよう」

「お酒につられただけですよね」

 不満そうについてくるトミエを、ヒラメンティウスの仲間達が、痩せ犬のような目で見つめます。

 やはり、この娘は人目を惹く器量良しなのです。けれども、私はそれを誇るどころか、かえって負担に感じる始末で、つい、俯いてしまうのでした。

「どうしたダザイさん。覇気がないね」

 ヒラメンティウスは、地図を片手にのしのしと先を進みます。

 ダンジョンの内部は、じめじめと湿った遺跡でした。私の目には、本の中でしか出くわしたことのない、ロマネスク調の建物に見えました。

「これは、いい。小説の資料になりそうだ」

 落ち込んでいたのも忘れ、ふらふらと歩き回っているうちに、いつの間にかヒラメンティウスを追い越していました。迷子になっちゃいますよー、とトミエが叫んでいるのが聞こえてきますが、既にやや迷っているので、心配するのが少し遅いではないか、と言いたくなります。

 仕方ない。皆が迎えに来るまで、待機するとしよう、と腕を組んでいると、前方から刃物を持った男達がやって来ました。

 風体からして、野盗の類に違いありませんでした。

「おう兄ちゃん。ここいらじゃ見ねえ顔だな……ていうか見ねえ人種だな。マジでどうなってんだおまえ?」

 東洋人を見るのは初めてらしく、警戒しているのが伝わってきます。

 背後からは、トミエ達が駆け寄ってくるのが聞こえました。

「後ろの女は、あんたの連れか? ようし。女と金を置いていきな。こいつが何かわかるだろう?」

 喉元に刃物を突き付けられたので、ゴホゴホとせき込み、血痰をかけてやります。

「うわっ、汚ねえ! ……って、血? おい! てめえまさか、変な病気持ってんじゃねえだろうな!?」

「そのまさかだが。僕は肺結核を患っていてね」

「ふっ、ふざけんな!」

 昭和の日本ですら、治療の難しい病気なのです。中世欧州風のこの世界では、不治の病とみて間違いないでしょう。野盗の群れは、脱兎のごとく走り去っていきました。

「咳一つで撃退とは! やるなぁダザイさん」

「いったいどうやったんだ……? 催眠系の魔法か?」

「はんぱねえなダザイさん。優男に見えるのに」

 後方にいたヒラメンティウス達は、血痰を吐くところが見えなかったようで、私が何か、得体の知れない力で追い払ったと解釈しているらしく、むずがゆい賞賛が飛んできました。

 また、宝箱を見つけた時も、思いがけない活躍を見せることとなりました。

 野盗に腹を立てたトミエは、追跡して追いはぎをしようと提案し、ヒラメンティウスも悪乗りした結果、皆で追いかけることとなったのですが、その先に待っていたのは、無数の宝箱でした。

 美しい、きらびやかな装飾が施された小部屋に、いくつもの箱が並んでいるのです。そして、行き止まりにであるにもかかわらず、野盗の姿はどこにも見当たらないのでした。

「罠かもしれない。ちょっと様子を見てきます」

 と言って、ヒラメンティウスが斥候を名乗り出、手前の箱を開錠しました。

「罠でした」

 直後、ガシャンと音が鳴ったかと思うと、床がぱっくりと裂け、一同、真っ逆さまに転落したのでした。

 いわゆる落とし穴と呼ばれるもので、穴の底に待ち受けていたのは、流れの速い川でした。

「すまないダザイさん! 俺達はここで終わりだ!」

「なあに、慌てるまでもない」

 この程度の濁流、問題のうちにも入らないのです。

 私とトミエは、二手に分かれて泳ぎ回ると、ヒラメンティウス達を救出し、川辺に寝かせてやりました。

 水中呼吸のスキルが、こんな形で役に立つとは思いませんでした。

「あんたら、どうしてそんなに冷静なんだ……」

「溺れるのも助かるのも、一通り経験済みなのでね」

 事前に心中事件でおさらいしてあるため、「あ! ここ入水自殺でやったところだ!」と自分のつまづきに気付くことができるのです。

 新学期によくある悩みも、自殺騒ぎを起こせば何も怖くありません。なにせ、クラスメイトが本気で一目置いてくるので、いじめなんて起こらなくなりますし、教師も気を使って、「あいつを厳しく叱るのはやめておこう」という態度になりますから、学校生活がとても充実するのです。

 経験者は語るというやつなのです。

「安心したまえ。僕がいる限り、誰も死なせはしないよ」

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