第26話 駆け込んで訴えて吠え散らかして
「そんなこと言って。開けた途端、がぶりとやる気だろう」
「信じてくだせえ、旦那。私ほどの律儀者はおりません。人を騙すとか、裏切るなんてことは、考えたこともないのです」
「信用を得たいなら、まずは名乗ったらどうかね」
「アケチ・ユダヒデと申します」
「いかにも裏切りそうな名前じゃないか」
「はあ。そうなんですか。このあたりの男子なら、ありふれた名前なんですがね」
ユダヒデを名乗るコボルトは、どうか窓をお開けください、決して噛みついたりしませんから、と繰り返し訴え、しまいには、きゃんきゃん泣き出す始末でした。
わあ、いやだ。みっともないったらありゃしない。この情けなさ、媚びるような態度、まるでパヴィナアル欲しさに出版社に泣きついていた時の私みたいだ。
「……」
他人事とは思えなかったので、窓を開けてやりました。
するとユダヒデは、身を乗り出し、その長い鼻面を突っ込んでくると、猛烈な勢いで語り始めました。
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は酷い。いやな奴です。ああ。我慢ならない。生かしちゃおけねえ。はい、落ち着いて申し上げます。私は、ジャチ王の居所を知っています。すぐに御案内申します。市民どもが、王に懸賞金をかけているのです。一万ゴールドだそうです。見ての通り、私はしがない獣人ですから、金を受け取ることができません。そこで、私の代わりに旦那が受け取って、折半して頂きたいのです。私と旦那で、五千ゴールドずつ。悪くない取引だと思います」
「何が律義者だ。さっそく王を裏切ったではないか」
やはり、名は体を表すのです。
「それにしても、どこかで見た顔だね。ははあ。さては昨日、王の左側に立っていた近衛兵だろう」
「へっ、人間族なのに、私どもの見分けがつくのですか。旦那もしかして、犬好きなんじゃありませんか」
「そんなことあるものか」
確かに私は、甲府に住んでいた頃、気の迷いを見せたことがありました。散歩帰りに、みすぼらしい子犬がついてきたものですから、卵を与えてやったのですが、あれはあくまで、齧られるのが怖かったから媚びていただけで、決して、情が湧いたわけではないのです。狡猾な買収行為だったのです。
「僕は犬がきらいなんだ。吠えるし、噛むし、死んだら悲しい。こんな気分にさせられるなら、最初から知り合わなければ良かった、と考えている」
「やっぱり犬好きじゃないですか」
「きらいなのだ」
「はあ。そんなに言うなら、そういうことにしておきます。私が思うに、それは犬が苦手なだけで、きらいなわけではない気もしますが。あっ、ちょっと、やめて、痛い! 申し訳ありません、とんだ失言でした。窓を閉めないでください。鼻が挟まってしまいます」
「それで、王はどこにいるのだね」
「ついて来てください」
くるりと振り向き、ユダヒデは歩き出します。
私は、ついて来てくださいと言われると、ついて来い、と命じられているように感じるのです。逆らうなど、許されない。どんな仕返しが待っているか、わからない。何より、金も欲しかったので、後を追ってみることにしました。
窓枠に足をかけ、転げ落ちるようにして外へ出ます。懐には、トミエの日記とペンがしまってありました。道中、新しい話を思いついたら、すぐに書き留めるためです。
戦闘? いや、そういうのはどうでもいいで、備える意義を感じないのです。というわけで、グリモワールはベッドに置いてきました。いいえ、実は言うと、置き忘れてきました。取りに戻るのも面倒なので、このまま出発することにします。
「旦那、魔導書は枕元に放置ですか。まさかの丸腰。いやはや、素晴らしい度胸だ。それとも私を信頼してくださったのですか。ありがとうございます。やっぱり貴方は、まことの勇者です。ジャチ王とは大違いです」
どういうわけか、忘れ物がいい方向に働いたのでした。
私は「うむ。全て君の言う通りだ」とでっちあげると、ユダヒデの隣に並びました。こうして近付いてみると、案外小柄な男だとわかりました。
噛まれるのはいやなので、まずはお道化の冗談を口にして、馴れ馴れしい空気が出てきたところで、本題に入ります。
「どうして王を売るのだ」
「あの人は、恩知らずなのです。私が今まで、どれほどあの人を庇ってあげたか、すっかり忘れているのです。王は、一人では何もできない。もしも私がいなかったら、野垂れ死んでいたに違いない。王の、くだらない思いつきを、政策に練り上げるのが私の仕事でした。それから、王の政敵を、こっそり葬るのも私の仕事でした」
その話が本当なら、忠臣と言っていい働きぶりでした。
「それなのに王ときたら、酷い仕打ちをしたのです。あれは、本当に惨い。八つ裂きにしてやりたくなる。あの人は、臣下の忠誠など、受け取って当然だと思っているのです。私に言わせれば、近衛兵の中で、忠義の者は私一人でございます。まったく、王の周りにいるのは、馬鹿者ばかり。王の傍にいれば、何か良いことがあるに違いない、そんな考えで仕えている、俗人揃いなのです。けれども、私は違います。私だけが、あの人を心から慕っている。いや、違う。私も金目当てだったんだ。あんな男、好きでも何でもないんです」
かなり混乱しているようで、中々話が進みません。
「いったい、王は何をしたのだ」
「私を壊したのです」
「どんな風に」
「私は、子犬の頃に、両親を亡くしました。痩せこけて、尻の毛も抜け落ち、浮浪児みたいになっているところを、王に拾われたのです。あの頃、王はまだ青年でした。私は、あんな美しい男は見た事がありません。王は、私を撫でながら言いました。『名前は何というのかね』と。私は、ユダヒデと答えました。『ものすごく謀反を起こしそうだから、ポチに改名しないか』と提案されました。さすがに噛みました。最初で最後の反抗です。以来、私は誰よりも忠実な家来として仕えてきました。優しい言葉など、一つもかけてくれませんでした。けれども、それでよかったのです。父親のように思っていたのです。ところがあの王ときたら、若い王妃を娶った途端、人が変わったみたいになって、甘ったるい声で話しかけては、花を贈ったりして。忌々しい。馬鹿みたいだ。女が相手だと、こうなるのか。このひともヤキが回ったもんだ。貴方を親のように慕っている犬に、なぜそのお慈悲を分けてくださらない。許せねえ」
ユダヒデは、毛を逆立てながら歩き続けます。どうやら裏通りに向かっているようでした。
「王妃が、若い男と過ちを起こした時は、小躍りして喜びました。あの女は、ギロチンにかけられるに違いない。これで邪魔者はいなくなった。ところが王は、コカトリスを使って、王妃を石に変えると、毎日それを眺めるようになりました。ああ、何てことだ。王はまだ、王妃を愛しておられる。石像になった妻を、死ぬまで保管し続けるつもりなのだ。こうとなっては、前よりも悪い。あのひとの関心は、もはやこちらの世界にはないのだ。思い出の世界を生きているのだ。どう足掻いだって、私はあのひとの息子にはなれないのです。それを悟った時、何もかもどうでもよくなりました。もう結構。だったら、殺してあげる。私が貴方を売ってあげる。さあ、こちらです。近衛兵達が、王を匿っています。涙? いえ、これは嬉し涙です。へっへ。楽しいったらありゃしない。あの男は、五千ゴールドで売られるのです。ざまあみろ」
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