第17話 ヤスナリ×ヤスナリ×ヤスナリ×ヤスナリ

 あちこちから威勢のいい声が上がって、王様が死んだら役人になるんだ、俺は大臣になるんだ、そんな会話が漏れ聞こえてきます。

 市民の団結力、左翼運動のパアトスというものに、涙がこみ上げてくるのを感じました。それは後悔の涙でした。切り捨てた青春が、化膿した傷口となって、膿の涙を流しているのです。

 私は学生時代、左翼活動を覚えましたが、大人になるにつれて遠ざかっていきました。

 共産主義も、いつの間にか頭から消えてしまいました。いいえ、本当のことを言うと、最初からマルクスを信じていたわけではなかったのです。彼の語る経済学は、そりゃあその通りかもしれないけれど、人間にはもっと、動物的な欲があるのではないかしら。と、かすかな疑いを持っていたように思います。私はそれを、ひそかに恥じておりました。

 共産主義の理論を、一字一句信じ切っている者達に取り囲まれながら、私はただ、彼らの発する非合法の空気を愛でているに過ぎませんでした。運動そのものではなく、グルウプの雰囲気が好きだったのです。世間にこそこそと隠れて、同じ悪さをするのが楽しかったのです。偽マルキシストだったのです。これは恥ずべき冷やかし、背信者と呼ばれても仕方のない存在でした。

 また、私はいわゆる金持ちの家に生まれたので、そのことにも罪悪を覚えておりました。受け取る側の人間であることが、申し訳なかったのです。私は、地主の生家から仕送りを受け、その金で反政府活動を行っていました。ただの、お坊ちゃんの道楽でした。

 そして、最後は兄に言いくるめられる形で活動を辞めたので、まさしくイスカリオテのユダなのでした。

 ところが、ここに来て再び反政府運動を手伝えることになったのですから、ユダにはもったいない、贖罪の機会を得たと言えます。仲間を裏切った申し訳なさ、額に刻まれた謀反人の刻印を、この地で払拭することができるかもしれないのです。

 思想などという、そんな馬鹿なもののためではなく、今度こそ非合法の世界に浸かり、左翼仲間の期待に応えられるという、言わば償いの精神によって、やる気がこみ上げてくるのでした。

 私はさっそく、市民との話し合いを始めました。

 王を討つとなれば、無策で乗り込むわけにはいきません。

 そこで、人々に広く意見を求めたところ、次の案が出てきました。

「街道を真っすぐ進むと、城に辿り着くはずです。武器を持った兵士と、たくさんのコカトリスが警備をしているのですが、ダザイ様なら何とかなると思うので、適当に鈍器のようなもので殴って、王様を殺害してください。後のことは私どもでごまかします。困ったら心神喪失状態を演じてください」

 雑でした。

 残念ながら、ここの住人はまったく使い物にならないと判明しました。

 よくよく考えてみれば、地獄で学校らしきものを見た覚えがないので、未だ文明開化すら起こっていないのかもしれません。無知は罪ではありませんが、よからぬ喜劇を生み出すのです。

 仕方なく、トミエと話し合うことにしました。

「勇者様の魔法で水攻めして、皆殺しにするのはいかがでしょう。どうせ悪人しか住んでない城なんですし、水没させちゃえばいいんですよ」

「君はちょっと過激すぎるね」

 無関係の人間を巻き込みそうですし、城内の酒蔵も台無しにしてしまいそうなので、大がかりな攻城はやめた方がいいと思うのです。

 トミエの顔を立て、いくつものお世辞を並べながら、やんわりと却下しました。

「結局、正々堂々と乗り込むのが一番かもしれない」

「商店街の人達と同じ結論に落ち着くんですね……」

「仕方ないさ。それに、鈍器よりましな武器もある」

 私はトミエを伴って、王城へと赴きました。

 人々の言う通り、門の前には槍を持った兵士と、コカトリスがうろついておりました。

 石になるのを防ぐためでしょうか。兵士達は皆、目隠しをされた犬人間コボルトなのですが、どうもお互いの位置がわかるらしく、器用に動き回っているのです。槍を持ち、早足で巡回する様子からは、まるで視覚の不利を感じさせません。

「あれって、嗅覚が発達してるからできる芸当ですよ。犬系の獣人じゃないと無理でしょうね」

「王の猜疑心が、彼らに職を与えたのだ。本来であれば、社会の下層にいる者達だろうに」

「皮肉なものです」

 しかし、仕えている王が悪すぎました。

 恨みはありませんが、大人しく退場して頂くとします。

 トミエを物陰に隠すと、包丁を片手に、門の前へと足を進めました。隣には、目をつむったハツコがいます。

「止まれ! 何者だ貴様!」

「怪しいものではありません」

「嘘を付け! 血の匂いがするし、刃物の匂いもするし、隣からケルベロス臭も漂ってくるぞ! 便で言うならサナダムシ付きの血便だ! そんなものを屁と間違って通す肛門があるか? ないだろう!?」

 なんて下品な比喩なのでしょう。作家としての感性が悲鳴を上げているのがわかります。

「しかもなんだこの……薬品臭? ええい気味が悪い! さっさと石化してしまえ!」

 コボルトの兵士が手を上げると、その動きに合わせて、コカトリスが躍りかかってきました。

 一、二、三、四。

 全部で四羽いるようなのですが、呼び名がないのはあまりにも不便なので、ヤスナリA、ヤスナリB、ヤスナリC、ヤスナリDと、ふさわしい仮称を付けてみました。

 なんとなく、この方が倒し甲斐があるというか、遠慮なく包丁を叩き込める気がするのです。

 ヤスナリAは、最も勇敢な個体でした。バタバタと羽根を動かしながら、真っ先に突っ込んで来たのですが、その堂々たる様子は、誰かさんが金をせびる時のフットワークを連想させて、むかむかしてくるので、大いに血が騒ぎました。

 昔の怒りが蘇ってくるのを感じます。

「あなたは文藝春秋九月号に私への悪口を書いておられる!」

 叫びながら、ヤスナリAの脳天に刀身を叩きこむと、パァンと水の弾ける音がしました。

 哀れなコカトリスが、血の飛沫と化したのです。原型すら留めぬ、惨い死にざまでした。

 やや遅れて、地面に亀裂が走り始めました。足元ぐらぐらと揺れているので、小さな地震も起こったようです。

「な、何事だ!?」

 私の振り下ろした包丁は、ヤスナリAを破裂させてもなお、勢いが殺しきれなかったらしく、地面に当たってしまったのですが、それが地割れを引き起こしたのです。

 明らかに私の腕力を超えた、未知の威力でした。

「まさか――」

 背後で、トミエが息を呑むのが聞こえます。

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