第15話 走れケルベロス
「わん!」
ケルベロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。ケルベロスには政治がわからぬ。イヌ科なので当然である。火を吹き、川端康成と遊んで暮らして来た。けれども骨付き肉に対しては、人一倍に敏感であった。
ハツコの「わん」は、そう訴えているように感じました。
「わん」の一吠えに、ぎっしりと情報が詰まっていたのです。
この犬そこまで深く考えてないと思いますよ、とトミエの冷たい指摘が聞こえてきますが、ときには聞こえないふりをするのが女性と長くやっていく秘訣でした。
私は、針で突かれたのを棒で殴られたと感じる人間ですから、聴力の使い分けは死活問題なのです。
「僕の言っていることがわかるね? 王様に噛みついて、狂犬病をうつしてくるんだ。上手くできたら、骨付き肉をあげよう」
ハツコの頭を撫でながら、ゆっくりと言い聞かせます。爛々と輝く眼は、わかりましたご主人様、と伝えたがっているように見えました。
私は、ハツコから手を離すと、
「やれ!」
と大声で命じます。
「王は卑怯だ! 思う存分やれ!」
「わんわん!」
ハツコはぶるんと胴震いすると、弾丸のごとく駆け出し、森に突っ込んで行った末、森オーガの骨を拾って帰ってきました。
肉片がこびりついた、大腿骨の一部でした。
「そうじゃない。そうじゃないんだハツコ。森オーガと王様の区別が付かないのは仕方ない。この二つは紛らわしいもんな、仕方ないさ。僕だって森オーガと森鴎外の区別がつかなかったくらいだ。いいかい? この国で一番偉そうにしている、初老の男を狙うんだ。城の奥でふんぞり返っている男だ。そいつの頸動脈を、がぶりとやってくれ。君ならできるはずさ」
「わん!」
二度目の出撃で、ハツコは桃畑に突撃しました。
三つの口に、合計六つもの枝を咥えて、誇らしげに戻ってきます。
ここの桃は品種改良がなされているようで、冬でも満開の花をつけているのでした。
「そうだね。確かに僕は桃の花が好きだ。けれども、今はこれが欲しいわけじゃないんだ。いやいや、そんなキューンキューン鳴いて落ち込まないでくれ。大丈夫、君は僕が好きだよ。ほら、顔を上げて。死ぬ気で狩りをしてみないか。一緒に堕ちよう。堕ちて、王殺しの共犯者になろう。まったく、大した女だな君は。愛人に使った口説き文句を、雌犬に連発するはめになるとはね」
三度目の正直で、ハツコは女性ものの衣類を咥えて帰ってきました。
「これ、私にくれるんですか?」
「なるほど。トミエの服が汚れているのに気付いて、持ってきてくれたんだね。本当に気が利く犬だよおまえは。でも、これは露店から強奪してきた品だろう。見ろ、店主がかんかんになって飛んできたじゃないか」
しかも私は、先ほど老爺に渡した小銭で所持金を使い切っていたので、トミエが買い取ってくれたのでした。
「川端の言う事なら聞いてたじゃないか。いったい、僕の何がいけないというのだね」
この時の私は知る由もなかったのですが、ハツコは、子犬時代から川端に躾けられたせいで、関西訛りの指示でなければ理解できないようでした。しかし、それを知ったのはもっと後になってからなのです。
今の私は、腕を組んだりほどいたりして、うんうん唸る以外に何もできないのでした。
「駄目だ。ハツコは当てにならない。やはりここは、僕が王を倒すしかないようだ」
「……大丈夫でしょうか。王様は町にコカトリスを放ってるみたいですけど」
もぞもぞと着替えながら、トミエは言います。
「勇者様はご存知ですか? コカトリス」
「困ったことに、さっぱりわからないのだ」
「ようは鶏の化け物です。体が雄鶏で、尻尾が蛇。強力な毒を持っている上、目が合った相手を石に変えてしまうとされています」
「物騒な鶏だね」
「討伐難度は、最高ランクのS級。いくら勇者様といえど、今回ばかりが相手が悪いかもです」
トミエは、逃げてもいいんですよ、と後ろ向きな提案をしてきました。その顔は心から私の身を案じているようでしたが、あいにく、無用な心配と言えました。
私はまず、金物屋に行って肉切り包丁を入手しました(やはりお金はトミエが出してくれました)。それから、店主が女性だったのをいいことに、コカトリスが集まる地区を聞き出しました。
「惨いことをするものだ。商店街に放ってるらしいじゃないか」
「あの、本当に包丁だけでいいんですか? 普通、コカトリスを退治する時は、少しでも距離を取れるように、槍や弓を用意するものなんですよ。それから、石化防止の高級防具なんかも……」
「不要さ」
「……まさか、水魔法で一掃するつもりですか? 無理ですよ。建物の密集する商店街では、大規模な水魔法は使えませんし、あと」
「安心したまえ。今回は魔法を唱えるまでもない」
刃物を片手に、商店街へ向かいます。
惨めな町でした。あたりはすっかり活気を失っていて、雄鶏だけが元気に歩き回っているのです。
蛇の尻尾をずるずると引きずり、コッコッコッコ、と鳴く顔は、嘲笑っているようにさえ見えました。
トミエは、すっかり怯えた様子で目を塞ぎ、ほとんど泣きそうになっています。
いつも気丈な娘がこの調子なのですから、コカトリスはよほど恐れられているのでしょう。
ですが、私の目には夕飯の群れとしか映りませんでした。
「君はそこ待っていなさい」
それだけ言うと、私は雄鶏の集団に身を投じました。目を合わせないようにしているため、首から上を見ることは叶わないのですが、爪が一斉にこちらを向いたのは確認できます。
「今どうなってるんですか!? 石になったりしてませんよね!?」
「問題ない。順調に始末しているよ」
「――え?」
白い羽が舞い上がる中、流れ作業でコカトリスを絞め続けます。
三分で一羽。一時間もあれば、周辺の脅威をあますことなく排除できそうでした。
「コァーッ! コッコッコッコ、コァー!」
「えっ? えっ? この一方的な悲鳴……もしかして、コカトリス相手に無双してるんですか?」
無双が何を意味するのかはよくわかりませんが、一方的に蹂躙しているのは確かでした。
「……魔法を使わず、接近戦で圧倒するなんて。いったいどうなってるの……?」
「そうか、トミエにはまだ教えてなかったね」
左右から飛び掛かってきた二羽を、薙ぎ払うように両断しつつ、語ります。
「僕はね、鶏の解体が趣味なんだ」
「嘘でしょう?」
「いや、それが本当なんだよ。鳥料理をごちそうしたのをもう忘れたのかい」
「料理と解体は、ちょっとニュアンスが違うと思います。だってそんな、虫も殺さないような顔して」
妻もそんなことを言ってたな、と懐かしさを覚えながら、最後の一羽を切り捨てました。
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