第12話 ヰタ・セクスアリス(森林迷彩仕様)
朝になっても、頭の芯に酒が残っているのを感じました。
昨夜は、町民達に勧められのもあって、いささか飲み過ぎたようです。
味わうためでなく、楽しませるための酒でした。
確かに私は呑兵衛ですけれども、いくら何でも限度というものがあって、昨晩はその限度を超えつつあったのですが、もっと飲めるでしょうと言われると、例の受け身の奉仕の精神が働き、断り切れなかったのでした。
「途中から気持ち悪そうだったのに、なんで無茶しちゃいますかね」
「僕は断るのが苦手なんだ」
酒宴の席で、もう飲めない、これ以上は駄目だ、なんて言葉は、口が裂けても言えないのです。
私のせいで、陽気な雰囲気が途切れる。気まずい沈黙が流れる。それを思うと、もはや死ぬよりも恐ろしく、からだ具合などどうでもよくなってしまうのでした。
他人をくつろがせるための、お道化で命を縮める。それが私という人間でした。
「大丈夫ですか? お酒が抜けるまで、出発を後らせた方がいいんじゃ」
「いや、出る」
ここに居れば、堕落し続けてしまう。何より、この町のひとたちが、私を好きになってしまったのです。
生まれつき、愛するという気持に欠陥を持っている人間からすると、好意とは重荷のことであり、受け取った以上は数倍にして返さねばならないように思われ、いずれ辛くなるのがわかっておりました。
こうなると、さっさと立ち去ってしまう他ないのです。
それをトミエに告げると、
「難儀な性格ですねえ」
と呆れられたのでした。
「僕もそう思う。おかげで、人間社会に居場所が無いのだ」
「亜人社会になら有るかもしれませんよ」
「どうだろうね」
トミエを見る限り、亜人の精神は、人間とまったく変わらないように感じます。
となれば、我々と同じ苦しみ、同じ哀しみが待っているに違いありません。
私に安寧の地があるとすれば、それは死後の、天国と呼ばれる世界に違いないのですが、こうして死に損なっている以上、よほど神様にきらわれているのでしょう。
「もっとも、バッカスには好かれているようだが」
「誰ですかそれ」
「酒の神様さ」
私とトミエは、誰にも告げず、逃げるように町を去りました。
生まれつきの追放者である私にとって、それは実にしっくりとくる旅立ちでした。
当然、後を追って来る者などいない……と思っていたのですが、
「おい。へんなものがついてきたよ」
「おや、可愛い」
「可愛いもんか。首が三つもあるじゃないか」
あのケルベロスが、とことこと後をつけてくるのでした。
「ワーオ。この子ったらメスですよ。やっぱり勇者様は、女たらしデース」
「餌を欲しがってるだけだろう。まったく。お菓子でもやって」
軟弱外交を発揮し、ポチ、などと呼びかけてみるのですが、一向に返事を寄こしません。
やむを得ず、
「ハツコ」
と呼びかけてみたところ、嬉しそうに尻尾を振ってくるではありませんか。
「僕はこれから、元妻の名前を呼び続けなければならないのか」
「わん!」
死にたくなってきました。
無性に死にたくなってきました。
それなのに、私のからだは頑丈になる一方で、今では入水自殺はおろか、首吊り自殺にさえ耐性ができているのです。薬物も効きませんし、残る希望はガス中毒くらいなのですが、これはもはや川端に相談するしかないのでした。
「今度会ったら、毒ガスを使ってくれるんだろうね、あいつは」
毒ガスといえば、トミエも引っかかっていたようですが、川端はいっさいそれを用いませんでした。
聞くところによれば、勇者を名乗っていた頃は存分にガス魔法を用い、容赦なく魔物を屠っていたらしいのですが、私にはまだ一度も使っておりません。
相手が人間だから、加減しているのだろう。そんな風に考えたりもしたのですが、トミエによると、川端のガスはとても便利な代物で、ただ眠らせるとか、痺れさせるとか、そういう調整もできるそうなのです。
その気になれば、私の動きを封じて、生きたまま攫うこともできたはずでした。
なのにあの男は、あえて単身で乗り込み、まるで見せびらかすように決闘を申し込んできたのです。
手を抜いている? 私を試している? どれも当てはまるようで、同時に少しずつ間違っているようで、川端の考えていることは、さっぱりわからないのでした。
単に古美術に目がくらんで、おかしくなっただけかもしれない。
あるいは……。
「いや、よそう」
「?」
陰鬱な気分で、歩き続けます。
東に向かって、だらだらと足を動かしているうちに、あたりは樹海の様相を呈してきました。
「魔法の森に入ったみたいですね」
トミエが言うには、ここを抜ければ隣国に辿り着くらしいのですが、穏やかな道のりではないそうです。
「森のモンスターは強力なんです。森林の生活に適応した、凶暴な亜種が多いんですよね。ゴブリンの亜種の、森ゴブリン。オークの亜種の、森オーク。それから……」
言いながら、トミエは折れ曲がった枝を拾い上げました。
その折れ方には、どこか人為的な印象がありました。
トミエは、うんざりとした顔で言います。
「参りましたね。これ、魔物が使う目印ですよ。気を付けてください。ここから先は、森オーガの巣です」
「えっ。
少し発音に訛りがあるようでしたが、森鴎外と聞こえました。
「はい、森オーガ。もしかしてご存知でした?」
「日本人なら誰だって知っている名だよ」
耳を疑いました。
次に、正気を疑いました。
森鴎外。高級官僚で、軍医も務めた偉大な先輩作家が、異世界で巣作りをしているというのです。
これはただ事ではありません。
「まさか、森鴎外も転生していたとは……」
「いやいや、あんなのが転生勇者なものですか。あれはこの世界で暮らす、野生動物みたいなものです」
「森鴎外に怨みでもあるのかい」
「まあ、裸で棍棒を振り回す野人ですし、女の子を攫ったりもしますから。いいイメージはまったく無いですね」
「彼はそこまで堕ちたのか」
ドイツに留学中、女を作り、捨てるように帰国した人物ですから、女癖が悪いところはあったのかもしれませんが、ここまで悲惨だとは思いませんでした。
おまけに、たいへんな潔癖症だと聞いていたのに、裸族と化しているのです。
いや、もしかすると中途半端な衣類を身にまとうより、いっそ全裸になった方が衛生的なのかもしれませんが、それは文明国の人間として如何なものか、と目を覆いたくなります。
同じ日本人作家が、人の道を外れているのは見過ごせませんでした。
魔王活動に明け暮れる川端が、可愛く見えてくるほどの外道です。森家の名誉のためにも、いっそ死なせてやるのが人情ではないでしょうか。
「殺人はきらいだが、この場合、介錯みたいなものだ」
ヘトヘトのからだに、ウムと気合を入れます。
「森鴎外と遭遇したら、僕に処理させてくれないか。狂気に苛まれた同胞を、この手で楽にしてやりたいのだ」
「はあ。あれに仲間意識があるんですか?」
「面識はないのだが、いくらなんでも、これはあんまりだよ」
「無茶しないでくださいね。多分、群れを作ってると思うので。一人で突っ込んで行ったら、包囲される恐れがあります」
「群れ?」
「ええ。森オーガは群れ単位で行動しますけど、それが何か……」
「待ってくれ。森鴎外はたくさんいるのかね」
「ウジャウジャいますよ」
「……」
カイゼル髭の集団が、すっぱだかに棍棒を持って、「米食と脚気は無関係である!」と力説する光景が思い浮かびます。
作家は、ドイツに留学すると、分身の術ができるようになるのでしょうか。
まさか、向こうの学校で教わったとでも言うのでしょうか。
ゲルマン民族が忍法を使えるなんて噂は、聞いたことがありませんでした。
第一、そこまで強烈な民族と同盟関係にあったなら、あの大戦はもっと違う結果になっていた気がするのです。
「……まだ、民間には忍法が普及していないのかもしれないな。それで知名度が低いのだろう」
「なんのお話です?」
「ドイツの教育水準について、考察していたのだ。軍事や工業に熱心だと聞いていたが、実は忍者育成に励んでいたとはね」
「はあ……?」
忍術繋がりもあって、あんな同盟が締結されたのだろうか。
イデオロギイの不思議に思いを馳せつつも、森の奥へと進みます。
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