第8話 ステヱタス・オープン

 私の中で、時間が止まったのを感じました。凍り付いた世界で、ただ、意識だけが流れていきます。

 芥川賞? なんだって? 

 この男は馬鹿じゃないのか。異国の地で、どうやって賞を与えるというのだ。

 いや、しかし、魔王の権力を以てすれば、それくらいやってのけるのかもしれない。

 芥川先生の名を冠した賞が、私に与えられる。

 鏡の前で何度も練習した、芥川龍之介ポーズを思い出します。顎に手を当てているあれです。当時は多感な年頃だったので、よりによって写真に収めてしまったのですが、兄が気を利かせて、処分してくれたと信じています。あれが世間の皆さんに見つかったら、私は毎晩、布団の中で足をジタバタさせなければなりません。

 いえ、そんなことはどうでもいいのです。写真はどうせ残ってないでしょうし。信じてますし。

 とにかく私は、芥川先生に憧れていた。文章も髪型も好きだった。あのひとのようになりたかった。ずっと恋焦がれていた。

 きっと、芥川賞を受賞していたら、もっと真っ当に生きていた。

「……本当に貰えるのですか」

 喉から手が出る思いで、尋ねました。

「もちろん。私は自分の領地で、異世界芥川賞を設立したのです。貴方は、もっと評価されるべき作家だと思っている」

 胸が、焼け付くように痛みます。

 どうしてその優しさを、ふさわしい時に見せてくれなかったのですか。

 貴方は私に、ひとを憎む辛さを教えた。貴方を敬愛する一方で、同じ強さで呪った。憎しみで眠れない夜は、この世の地獄であった。

 もう、苦しまなくてもよいのですか?

「見なさい、ここに推薦状がある」

 川端が紙を出すのと、トミエが現れたのは、ほとんど同時でした。

「勇者様! 早まっちゃいけません! 生きていれば、絶対いいことがありますから!」

 私の足元にしゃがみ込み、おいおいと泣き出す少女を見て、川端は眉をしかめました。

「……ここに来て日が浅いと言っていたのに、もう女を引っかけたのですか。やはり貴方の生活は、厭な雲があるようだ。それも入道雲サイズの」

「まさか、今度も私生活を理由に、賞を取り上げるつもりですか」

「今度も何も、私は一度として、生活態度で判断したことはないが。あれは純粋に、貴方の作品がつまらなかったのだ」

「刺す!」

 足をバタつかせ、振り子のように揺れながら、威嚇をします。

「ああ、良かった。勇者様ったらすっかり元気になってる。お友達のおかげですかね? ありがとうございます、知らないおじさま」

「友達なものか! こいつはね、魔王なんだ。川端康成なんだ」

「え……っ」

 トミエは、私と川端の顔を見比べます。

「勇者様、魔王と仲がいいんですね」

「断じて良くない。……だが、迷っている」

「迷う?」

「魔王の軍門に下るか否かだ」

「何をおっしゃってるんデス?」

 ブラブラと揺れたまま、トミエに問いかけます。

「魔王は、亜人のために戦っているそうだ。君はどう思う?」

「えっと、普通に迷惑かなって。私達の地位が低いのは確かですけど、わざわざ亜人解放! みたいな形で戦争起こされると、余計に立場が悪くなるんで、やめてほしいデース。私は穏健派なので、人間社会で地道に出世を重ねて、内部から変えていくべきだと思ってるんですよね」

「だ、そうだが」

 川端は視線をそらし、夜の底が白くなってきたな、とすっとぼけています。

「……そこの娘が言うように、争いを望まない亜人もいる。だが、私の配下は違うのだ」

 横殴りの雪が、頬を打ちます。

「来てはくれないのかね」

「あいにく、トミエもこう言っていることですから。僕は、内側から変えていく方を選ぼうと思います」

「そうか」

 交渉が決裂した瞬間でした。

「今日のところは引き下がるが、次に相まみえる時は敵同士だ」

「そのようですね」

「今のうちに忠告しておきます。私に勝とうなどと思わない方がいい。戦場で私を見つけたら、逃げなさい。――ステヱタス・オープン」

 川端が呪文を唱えると、村長が見せたものと同じ、淡く発光する文字列が浮かび上がりました。


【名 前】 川端康成

【性 別】 男

【年 齢】 43

【職 業】 魔王 小説家

【体 力】 1972

【魔 力】 416

【筋 力】 1972

【耐 久】 416

【敏 捷】 416

【魔 攻】 416

【魔 耐】 416

【スキル】 毒属性魔法LV99 ガス耐性LV99 薬物耐性LV70 太宰治特攻LV99


 あまりの衝撃に、言葉も出ませんでした。

「驚きましたか。この枯れ枝のような腕に、異世界最強の筋力が宿っている。私の手にかかれば、何もかも紙細工だ」

 違うのです。能力などどうでもいいのです。

 そもそもこの数字を見ても、何を意味しているのかさっぱりわかりません。

 私が気にしているのは、

「太宰治特攻……!」

 あんまりな文字列に、ぐらぐらと眩暈がしてきました。

 私とこの男は、互いの文才を認め、互いの人格を憎み、違う時代で死に、同じ世界で巡り合った。

 天にまします神の、なんと悪趣味なことか!

「理解したかね。私とやりあえば、まず満足な体では帰れまい。くれぐれもよからぬ考えを抱かぬように」

 雪が一層激しさを増す中、川端はなおも語ります。

「それと、今度の戦は、ケルベロスを投入するつもりでいる。太宰君、貴方の姿を見てから、急遽用意した戦力だ。わかるかね? 頭が三つもある、地獄の番犬だ。貴方が犬に苦手意識を抱いているのは、畜犬談ちくけんだんを読んだから知っている」

 川端の言う通り、私は犬がきらいでした。

 自信があるのです。いつの日か、犬に喰いつかれるという自信が。

「しかもそのケルベロスには、ハツコと名付けた。そう、これは貴方の元妻の名前だ」

「それが人間のやることですか。貴方こそ、人間失格じゃないですか」

「想像してみてほしい。戦場で、離婚した妻の名が飛び交う様を。いけ、ハツコ! かえんほうしゃだ! などと指示を飛ばす予定だ。ただでさえ嫌いな犬と、苦い思い出の組み合わせである。私なら一時間で自殺願望が湧いてくる。貴方なら五秒で死にたくなるだろう」

「カハッ」

 たまらず喀血しました。 

「勇者様! 血ぃ!」

 トミエが泣き叫ぶ中、川端は淡々と告げます。

「これはいけない。どこかのサナトリアムで療養するといい。やはり貴方は、戦場に立ってはいけない人間なようだ。ところで、話は変わるが、五ゴールド貸してくれませんか。欲しい壺があるのです。……なに、飲み代に使ってしまった? あ、そう。無いなら仕方ない。では、体に気を付けて」

 言うだけ言うと、川端はカラコロと下駄を響かせて、立ち去ったのでした。

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