第9話 竹馬の友(急造品)
魔王が攻めてくる。
そう触れ回ったところ、町はたった数日で迎撃態勢に切り替わりました。
はじめこそ、酔っ払いの戯言として誰も相手にしてくれなかったのですが、例の「ステヱタス・オープン」で私が勇者であることが証明されると、身の上が急転しました。
この方は真実を言っているに違いない。もてなせ。と大騒ぎになり、たちどころに正義の警報者として祭り上げられたのです。
今では、誰もがかしこまった態度を取ってきます。また、次の戦の総大将を任せる、という話まで出始めていました。
ここに来て私は、尊敬されかけていたのです。
尊敬されるという観念は、私を甚だしく怯えさせました。
必死にお道化のサーヴィスを繰り返して、人間の生活を何もわかっちゃいない、薄馬鹿の本性を隠している身で、どうやって敬意に応えろというのでしょうか。
私を慕う者は、誰もが告発者に見えました。
私に、戦場を指揮する器などなく、ただ威勢を張っているだけの臆病者だと暴かれ、見放されるに決まっているのです。
「顔色が悪いデース?」
バアで突っ伏していると、トミエが心配そうにのぞき込んできました。手には、果実酒のボトルが握られています。
「ここまで担ぎ上げられるとは思わなかった。僕はただ、町の端っこで川端を撃退するつもりだったのに、へんに責任のある立場になってしまった」
「大出世じゃないですか」
「緊張して気分が悪いや」
トミエの酌を受けていると、顔なじみの酔っ払いが話しかけてきました。
「よう! 色魔。おや? いくらか勇者くさい顔になりやがった」
この男はホリキンティウスといって、浅黒く日焼けした、端正な顔をしています。
仕事は石工だと聞いていますが、いつもバアで芸術論をふかしているのを見ると、真面目に働いているかどうかは怪しいと睨んでいます。
つまり彼は、ほんものの、都会の与太者なのでした。
ホリキンティウスからすると、私は救世主というより、常連客の一人でしかないようで、以前と変わらない態度で接してきます。
「それにしても、トミちゃんがお前の女だったとはね。街が悔し涙に溺れてらあ」
「言うな。道を歩いていると、時々視線を感じるのだ。男達の、恨みの目だ」
「へっ、最強の勇者様に、誰が勝てるってんだ。大体、その視線ってのは女達が送ってるんじゃねえか。お前はどういうわけか、女に人気があるからな」
ホリキンティウスは、私より六つ上なためか、時々先輩風を吹かせてきます。それは嫉妬と紙一重の、いやな臭気のする風でした。
「とはいえ、トミちゃんがいるんだ。女道楽はこのへんでやめとくんだな。これ以上は世間が許さねえ」
世間とは、貴方の事でしょう。
世間が許さないのではなく、貴方が許さないのでしょう。
そんな言葉が出かけましたが、酒の席で雰囲気を悪くするのもどうかと思い、力なく微笑んでいました。
この私の、病的なまでに他者の怒りを恐れる性質が、お道化を磨き上げたのは言うまでもありません。
私は、人間が怒った姿に、動物の本性を見出すのです。
たとえば、自分が芥川賞の件で怒った時は、川端康成に殺害予告のような文章を書き、しかもそれを雑誌で公開する、という暴挙に及びました。
ですから、ひとを怒らせる厄介さは誰よりも知っているつもりです。というよりこれは、単に私が厄介なのかもしれませんが、あの時はパヴィナアル切れでイライラしていた、で大目に見てほしいと思っています。
そして実際に大目に見てくれた川端は、どこをどう考えても人格者なのですが、あの時はありがとう、なんて口が裂けても言えないのでした。勘違いしないでよね、あんたの作品は「雪国」以外論外なんだからね、な態度を崩せずにいる私の気持を、カタカナ四文字くらいで表せたらとても便利なのでしょうが、後世、そんな単語が発明されないものでしょうか?
とにもかくも、誰かの機嫌を損ねても、何もいいことがないのは確かである。私が言いたいのは、そういうことなのです。
「で、どうやって魔王を追い返すつもりなんだい、勇者様はよ」
「川端は、古美術に目がない」
「へえ。初めて聞いたな」
「だから、町中の骨董品を集めて、砦の周りにずらりと並べさせておいた。きっと攻撃を躊躇うはずさ」
「俺だったら、酒と女を並べてほしいもんだがね」
「僕だってそうだ。あとは味の素があれば、何も言うことはない」
「アジノモトってのは何だ」
万能調味料さ、と答えます。
「旨味の塊でね。僕はあれがたまらなく好きなんだ」
「そんなもんが世の中にあるとはなぁ。俺もまだまだ遊び足りないってわけか」
「見た目は白い粉末なんだが、何にでも合う。スプーン一杯、口に放り込むだけで、天にも昇る心地さ」
「え、それやべえ粉なんじゃねえか……」
やばくなどないよ、と教えてやります。
「本当にやばい物質は、パヴィナアルとかカルモチンとか、もっと物騒な名前がついてるからね」
それから私は、薬物の使用感を詳細に語ってみたのですが、ホリキンティウスは真っ青な顔となって、
「何もんだよお前は……」
と震え出したのでした。
「勇者様」
ほろ酔い気分でクスリの味を語っていると、トミエが肩を叩いてきました。
何事かと思って振り返れば、
「飲み過ぎです。持ち合わせが足りなくなっちゃいましたよ」
と、耳元で囁いてきます。
「どれくらい足りないのかね」
「これ以上ニンジンでツケを払うのはやめろ、通報するぞ。とマスターが凄んでくるくらいには足りません」
「野菜払いは駄目だったか。戦時下だと大いに喜ばれたのだが」
私は、ホリキンティウスに目を向けました。やたらと威張り散らしてくる、好感の持てない男でしたが、今この瞬間、竹馬の友に格上げされました。
「友よ」
「何だよ勇者」
「あいにく、僕は所持金以上に飲み倒してしまったようだ」
「お前、やっぱカタギの人間じゃないだろ。さっきから言動がヤクザすぎる」
私達が金を用意するまでの間、どうか店の人間を引き留めてはくれまいか、と頼み込みます。
「いやだよ、なんで俺がそんなこと」
などと冷血漢ぶるホリキンティウスでしたが、最終的には誠意が通じたらしく(もしかしたらトミエが上目遣いでおねだりしたおかげかもしれませんが)、快く応じてくれました。
「友よ、必ず戻る」
「俺はお前を友達だなんて思ってねえからな」
店を出ると、私とトミエは、がむしゃらになってニンジン販売に精を出しました。
あんまり儲かったものですから、景気づけでシャンパンを開け、浮かれすぎて正気を失い、宿に戻ってチェスを打つに至りました。
「勇者様、筋がいいデース! さっきルールを覚えたばかりとは思えませんよー! コングラッチュレーション!」
「君の教え方が良かったのだ。それに僕は、将棋の経験があるからね。あ、そこのポーン貰うよ」
パチ、パチ、と軽快に駒を動かしているうちに、すっかり日が暮れておりました。
気が付くと、二人そろって大切な何かを忘れてしまい、このまま寝ようかという流れになったのですが、やがて泣き腫らした目のホリキンティウスと、バアのマスターが訪ねて来たため、自分達が何を忘れているのかを悟りました。
「俺に言うことがあるよな?」
「……待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
その時、にわかに外が騒がしくなりました。
「敵襲ー! 敵襲ー! 魔王だ!」
都合の悪い出来事を全てうやむやにしてくれる、絶好の機会に感謝しながら、宿を出ました。
川端を迎え撃つのは、私の役目なのです。
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