第3話 走れ水魔法
旅を始めて、五日が経ちました。
順調な旅路とは言えません。
途中で二日酔いになったり、立ち寄った村々でカルモチンをねだるなどしたものですから(どこにも売っていませんでした)、ちんたら歩きの、蝸牛の歩みなのです。
山道に入ってからは、さらに足が遅くなりました。
走れ勇者様。と、トミエが私の著作のような言い回しで急かしてくるのですが、竹馬の友が囚われているわけでもないので、やる気など出るはずがありません。
「昨日から何も食べてないじゃないか。このままではのたれ死んでしまう」
湯豆腐が喰いたい。たまらず腹をさすっていると、トミエが銛を片手に林へ進み、巨大な鳥を仕留めて戻ってきました。
「やぁ、でかした。次はこいつを捌いてくれ」
「……ええ。でも、ちょっと待って」
狩りに手こずったのか、トミエはひどく疲れているようでした。やむを得ず、調理は私が引き受ける事にします。
「勇者様、料理できるんデスか?」
「こう見えて僕は、鶏肉料理が得意でね」
皮を剥ぎ、塩を振ってまんべんなく火を通すと、いかにも酒に合いそうな香りが漂ってきました。飲まずにはいられない匂いです。
私はトミエの口に肉片を運びながら、ウイスキイを飲み干しました。続けて、先ほどの村で農家におすそ分けしてもらった、ビイルに手を付けました。それも飲み切ってしまうと、やはり別の村で修道女が分けてくれた、葡萄酒の瓶を開けました。
私が打倒魔王を掲げる、左翼活動家だとわかると、どの村も気前よく酒を分けてくれるのです。どうやら地獄はマルクス主義が優勢と見え、どこに行っても同志が見つかるのでした。
「美味い。マルキシストに乾杯!」
「ねえ、もうそのへんにしときましょうよ」
トミエは私の肩を揺すり、非難めいた目で見てきます。視線で、深酒を咎めているのです。
「いいのかい? 僕は酒をやめたら、クスリを飲む事になるが」
「飲めばいいじゃない。どうせ薬物耐性のスキルがあるんだし。しかもLVは99……」
レベル九十九、というのは地獄弁なので、何を意味するのかよくわかりません。しかし、私の体が薬に強くなった、と言っているのは伝わってきます。
どれ、そんなに言うなら試してみようじゃないか。私は袖をまくると、麓の村でゆずってもらった、麻酔薬を注射してみました。
まったく効きませんでした。
「なんだねこれは」
「召喚勇者は皆、死因に由来する耐性を持ちますからネー」
「そ、それじゃあ僕は、溺死とも薬物とも無縁になったっていうのかい」
「素晴らしい事では」
薬が効かない体。それは出口のない牢獄と、何が違うのでしょうか?
私の魂は、今や二度と釈放されない虜囚となり果てたのです。
永遠の罪人。
「それが僕の、デステネイなのだね……」
私はめそめそと泣きながら肉にかぶりつき、食べられる箇所がなくなると、トミエの膝に頭を乗せて眠りました。
次に目を覚ますと、日が傾きかけていました。
首を上げると、トミエが小鬼の側頭部に銛を撃ち込んでいるのが見えます。
返り血が私の腰にかかり、レインコオトが赤く染まりました。
恐ろしい事に、小鬼はまだ、十匹近くも残っています。
きっと悪い夢を見ているに違いない。すぐにでも夢の内容を切り替えなければ。慌てて二度寝を試みたところ、
「敵襲ですよ!」
と、トミエに怒鳴られてしまいました。
敵? しかも、小鬼だって?
そうだった。ここは地獄なのだ。得体の知れない怪物が現れたって、何も不思議ではない。
しかし私は、肺病で徴兵を免除された男なのです。戦場で役に立つ技能は、いっさい持ち合わせておりません。
どうすればトミエに加勢できるだろう。考え抜いた末、自分の強みを見つけました。
私は、死ぬのがまったく怖くないのです。
むしろ常に死にたがっています。
だったら、その衝動に従って動けばいい。女を庇って死んだら、これまでの罪滅ぼしになる気がする。そうだ、トミエのためにここでくたばってやろう。
私は手足を振り回しながら、
「僕を盾に使ってくれ!」
と叫びました。トミエの手で矢避けに使われるなら、この体も本望だと思うのです。
トミエは一瞬だけこちらに視線を寄こすと、
「馬鹿なひと」
と笑っていました。呆れと愛情が入り混じった顔でした。私と恋仲になった女性は、最終的にこの表情しか見せなくなります。私より手のかかる男はいないので、皆、悟りの境地に達してしまうのです。
「僕を使ってくれ。トミエのために使ってくれ。こんな体、穴だらけになっちまえばいいんだ」
「勇者様……」
トミエは潤んだ目で言います。
「身を挺してくれるのは嬉しいんですけど、貴方、魔法を使えばめちゃくちゃ強いと思います。戦力的にはこっちが圧倒的に上です」
「えっ、そうなのかい」
てっきり絶体絶命の危機なのかと思っていました。
「なんでもいいから、水っぽい呪文を唱えてみてください」
「そんな事を言われても困るよ」
「できれば攻撃的なイメージを加えるとグッドです。死や破壊を連想させるものがいいです」
水っぽさ。死。破壊。
咄嗟に浮かんだのは、地名でした。
「
一連の単語を叫び終えると、地面から次々に水柱が噴出し、小鬼どもを吹き飛ばしました。なかにはバラバラに砕けてしまったものまでいます。
最後に残った一匹は、斜面をメロスの如く駆け降りる濁流に飲み込まれ、水死体となりました。
「凄い……ここまで破滅的なイメージのこもった呪文は、めったにないですよ! 勇者様、さっき唱えた単語は、どんな意味を持ってるんですか?」
「僕が生前、心中事件を起こした土地の名さ。どこも水辺でね。水の呪文、それも死の想念がこもったものとなると、これ以上の単語は思いつかない」
「三ヵ所もあったようなのですが」
「三回、やったからね」
「……」
沈黙。
凍り付くような、無音。
「僕をきらいになったかい。ねえ、きらいになったんだろう」
「勇者様は何も悪くありません。貴方をそんな風に作った、神様が悪いんだわ……」
トミエは私を抱きしめ、幼子をあやすように背中をさすってきます。
しかし、その過剰とも言える思いやりは母性を連想させ、それがまず妻の記憶を呼び起こし、次いで子供達の顔まで浮かんできたものですから、私の気持はどんどん目の前の女から遠ざかっていき、日本に残した家族へと向かっていくのでした。
肉体を密着させておきながら、心と心の間には隙間が生じている。ひょっとしたら、男と女の関係は、どう足掻いてもそこに行きつくのかもしれません。男女は、抱き合っている時が一番寂しいのです。そして、離れ離れになっている時は、隙間を想像が埋めてくれるので、かえってすれ違いが起きないのです。そのどうしようもない理不尽、やるせなさに打ちひしがれていると、トミエがへんに明るい声で言いました。
「あら。見て勇者様。あのゴブリン達、
「なんだいそれは」
「魔力を閉じ込めた書物です。解読すればさらに強力な魔法を使えるようになりますネー」
「あの小鬼どもが書いたのかね」
「まさか。きっとどこかの魔法使いが書いたものを、強奪したのでしょう」
「それって、出版社を通して書かれた本なのかい」
「しゅっぱんしゃ? そんなもの無いですよ。この世界の書物は、作者が書いたらそれで終わりですし」
つまり、あそこに落ちている本は、同人誌なのでした。
「地獄の同人誌とやらを読んでみたい。拾ってきてくれないか」
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