第4話 人〇失格
「僕はこの文章が好きじゃない」
焚火を囲みながら、私とトミエはグリモワールを読みふけっていました。
ひどい駄文でした。
「作者には悪いが、人間心理というものを何もわかっていない。いや主人公は人間じゃなくてニンジンの妖怪なのだが、それでも様々な葛藤が書けるはずだ。地面から引き抜かれる哀しみ、アブラムシの脅威、隣の苗との恋」
「でも勇者様。ここに書かれてるのは、マンドラゴラを安全に抜くための呪文なんですよ。文学じゃないんですよ」
そんなことはない、全ての文章は文学に通じる。
それにこの同人誌は、ほんの少し手を加えるだけで、素晴らしい作品になりそうな予感がするのです。
幸い、ページを繰ると、たっぷりと余白があるのがわかりました。
私の中で、抑えがたい衝動が湧いてくるのを感じます。それは創作意欲と呼ばれるものでした。
「君、ペンは持ってるかい。それとインク」
「さっき食べた鳥の小骨と、血液で代用できないでしょうか」
「結構。文字が書けるなら何でもよい」
「魔導書に書き込むんですから、むしろ普通のインクより相性がいいと思いますよ」
それから私は、寝る間も惜しんで執筆に取りかかりました。
グリモワールの余白に、びっちりと血文字を書き続ける作業は、大変な負担です。他の作業などいっさい手につかず、魔王討伐が自分の使命である事は、完全に忘れてしまいました。
作家に、紙を与えるのがいけないのです。
私のせいでは、ないのです。
私がてこでも動かないのを知ると、トミエはついに、山小屋を建てました。
飛ぶように時間は流れ、ここでの暮らしが板についてきた頃、それは完成しました。
作品名は、これ以外に考えられません。
『ニンジン失格』
喋るニンジン、マンドラゴラを主人公とした、野菜小説です。
根菜社会に馴染めないまま大人となり、大根との恋に逃避し、やがて自ら土鍋に飛び込み、すき焼きの具となるべく入水自殺を繰り返すようになる。その破滅的な半生を、全力で書き切りました。
傑作でした。
「君の意見が聞きたい。ちょっと目を通してくれないか」
トミエに原稿を渡すと、不思議そうな顔をされました。
「はあ。これは何というか、酔っぱらい特有の奇行なんですかネー」
あまり期待していないのが伝わってきます。
しかしトミエは、読み進めていくうちにどんどん大人しくなり、一時間もすると、肩を震わせて泣いていました。
「ここに書いてあるのは私だ!」
よほど心に響いたらしく、興奮した様子でグリモワールを掴んでいます。
「もう、ニンジンを食べられなくなっちゃいましたよ。こんな……根菜に感情移入させられるなんて、誰が予想できるというの……? 特に、主人公が化学肥料中毒に陥るシーンなんて、描写が凄くて……涙が止まらなくて……」
トミエは目元を拭いながら言います。
「どうなってるんですか、この文才は。ただの頭のおかしい飲んだくれじゃなかったんですね。私、勇者様を見直しました」
「君は僕をそんな目で見てたのかい」
首吊りでもしてやろうかと思いましたが、半分は誉め言葉だったので耐える事にします。
「さて、あとはこれをどうやって出版するかだが。いや、その前に腹ごしらえだな」
「はいはい、今すぐに……あっ」
トミエの動きが止まりました。
「……食料が尽きたみたいです」
「なんだって?」
トミエは空になった鍋を見せ、気まずそうに目を伏せます。
「勇者様って、大食漢なんですもの」
「また鳥を捕まえてこよう」
「もう何日も見かけませんよ。周辺の野生動物は、大方狩り尽くしたんです。しかもここは、冬の雪山です。野菜も木の実もありません。ホーリーシットな状況です……」
「なんとかならないのかい」
餓死。
その言葉が脳裏をよぎりました。
これまで様々な死に方を試してきた私ですら、山奥で飢え死に、というのは最悪の手法だと感じます。
じっくり時間をかけて、衰弱する。誰がそんな最期を望むというのでしょう?
私は、隣に女のひとがいて、苦痛が少なくて、大勢のひとが心配してくれるような死に方でなければ、嫌なのです。
それにここは、いささか標高が高すぎます。仮に私が死ぬとしたら、翌朝には遺体を発見してほしいですし、遺書も見つけてほしいのです。もう少し人里に近い場所でなければ、死んでも死に切れません。こうして考えると、あの時、小鬼に殺されなくて本当に良かったと思います。
「新作が出来上がったんだ。せめてこれを出版するまでは生きたい」
「せめて魔王を倒すまでは生きてください……」
あぐらをかき、さてどうしたものか、と思案します。
「僕の故郷には、折り紙という文化がある。遺書をかいて、それを紙飛行機にするのはどうだろう。そいつをたくさん飛ばせば、誰かが拾ってくれるかもしれない。そのあと心中したら、僕達の死に気付いて、ちょっとした騒ぎになる。きっと色んな人が手を合わせてくれるはずさ」
「ものの数秒で生きるのを諦めないでください」
この場を切り抜けるには、魔法しかない。私とトミエの意見が一致しました。
ですが、私の水魔法で事態が好転するとは思えず、いっそ私が作った濁流に二人で飛び込んで、入水自殺をするのはどうだろう。いや駄目だ、私はもう水では死ねないんだった、などと錯乱していると、トミエに例のグリモワールを渡されました。
「読んでください。音読です」
トミエが言うには、魔導書の類は、魔力の高い人間が読むことで、なんらかの魔法が発動するらしいのです。
元はマンドラゴラを収穫するための呪文でしたが、私が血文字で散々に書き込みを加えたため、元の効果は失われている可能性が高く、場合によっては、より有益な現象が起きるかもしれないとのことでした。
あるいは爆発する可能性もあるそうなのですが、どうせ死にたがってるんだから平気でしょう? と開き直りを見せるトミエに、この娘もようやく私の扱いに慣れてきたな、と頼もしさを覚えるのでした。
「やるだけやってみよう」
一ページ目。書き出しの文章から読み上げていきます。
「カロチンの多い生涯を送って来ました。自分には、ニンジンの生活というものが、見当つかないのです」
変化はすぐに起こりました。床という床から、巨大なニンジンがボコボコと生えてきたのです。
また、すき焼きの汁に身投げする章を読むと、鍋の中が黒い液体で満たされました。見れば肉も浮かんでいます。口に含んでみると、牛肉でした。
紛れもなく、すき焼きでした。
「食料問題は解決したようだね」
トミエは、呆気にとられた様子で室内を見回しています。
「こんなの……勇者どころか、神様だわ……」
この本があれば、もう飢えに悩まされることはありません。
文字通り、私は小説で食べていけるようになったのです。
「どうしたトミエ? 食べないのかい」
「いえ、ついさっきニンジンが主人公の小説で泣かされたのに、それを食べるのは抵抗があって」
作品の出来がいいゆえの、弊害でした。仕方なく私は、一番大きな牛肉をくれてやったのでした。
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