第2話 ほぼ富栄

「勇者殿はいつになったら出発するのかね」

 あれから私は、ひたすらお酒を飲んで過ごしていました。

 川端を退治するなどと言ったものの、いざあの男を討つ場面を想像すると、果たして自分にそんな資格があるのか、そもそも本心から引き受けた事なのか、と自問自答してしまい、気が付くと村長の家でウイスキイを貰って、うずくまっているという有様でした。

 私は、とても暗示にかかりやすいたちですから、時折どこからか自分の心で、どこからか他人に操作された心なのか、わからなくなることがあるのです。お前は浪費家だもんな、と言われれば、なんとなく金を使なければならないような気がしてくるし、お前は吝嗇家だもんな、と言われれば、自分ほどのけちはいないように思えてきます。そして、そんな風に期待されているからには、何としても応えなければならない、裏切ってはならないという、へんな重みを感じるのでした。

「そんなに我が家の酒は美味いですか」

 いいえ、ちっとも美味しくなんかありません。ただ、酔うために飲んでいる酒なのです。

 けれど村長の目は、自家製の酒を褒められたがっているように見えました。なので私は、もはや習慣と化した愛想笑いを浮かべて、

「極上の美酒です」

 と言ってやりました。

「それは良かった。だが、いつまでも酒蔵に入り浸りでは困ります。酒以外に何か欲しいものはお有りかな。そいつを手配してやったら、旅に出てくれますね?」

「富栄と会いたい。あのひとが傍にいてくれたら、どこにだって行けると思う」

「トミエとは何者ですか」

「情死の相手さ。きちんと女学校を出た、気立てのいい女だった」

「つまり勇者殿は、女が欲しいと」

「女なら誰でもいいというわけではないよ。優しくて、おおらかで、朝から酒を飲むのを許してくれて、心中に理解のあるひとでなければ駄目だ」

「それは暗に、トミエを探して来いと主張しているように聞こえるのですが」

 村長は困ったように眉をしかめました。

 わかっているのです。

 きっと地獄の川辺に打ち上げられたのは、私一人だったのでしょう。富栄はおそらく、極楽浄土に向かったのです。

 私はもう、あのひとには会えないんだ。そう思うと涙が出てきて、死んだ方がいい、そればかり考えるようになりました。

「泣くほどトミエが恋しいのですか。わかりました、少し待っていてくだされ。必ずその女を見つけ出します」

 しばらくすると、村長は一人の女中を連れてきました。

「どうですか勇者殿。これが貴方の求めるトミエでしょう」

 金髪で青い目をした、肉付きのいい娘でした。

「ヘーイ勇者様ー! これからよろしくネー!」

 絶対に富栄ではありませんでした。どこからどう見ても西洋人で、人種からして別人でした。

 富栄の口から、ヘーイなどという陽気な洋語が出てきたことは、一度もなかったと記憶しています。

「マイネームイズ、キャサリ……トミエでーす!」

「今、キャサリンと言いかけなかったかい」

「トミエでーす」

「キャサ」

「トミエでーす」

 明らかにキャサリンなのですが、四捨五入すると富栄なのかもしれません。自分でも、無茶を言っているのは承知でした。

 もう、一緒に死んでくれるなら、何でもいいのです。名前や人種の違いなど、些細な問題なのでした。

 私が首肯うなずいたのを見ると、村長は気を利かせて、

「あとは若いもの同士で」

 と酒蔵を出ていきました。

 二人きりになると、トミエはいやに馴れ馴れしい様子で近付いてきて、あれこれと尋ねてきました。好奇心の名を借りた、一種の尋問でした。しかしそこに悪意はなく、あるのはただ、若い娘特有の、瑞々しさなのです。

「勇者様の故郷って、どんなところ?」

「雪深い田舎町さ」

「まあ。私もですわ」 

 私は、人間というものがさっぱりわかりません。特にそれが女性ならば、男性以上に難解だと思っています。

 ですが女という生き物は、どういうわけか私をかまいたがるのです。彼女達は私の孤独を嗅ぎつけ、そこに自分自身を注ぎ込むことで、私の欠落を埋め合わせてやろうともがき、やがては破滅してしまうのです。

 そんな恋愛が何度も続いたものですから、私は表面上、女性を喜ばすのが上手くなりました。

 何一つ女性の本質を理解していないのに、好かれるのは得意なのです。

 女は、お道化を際限なく求めます。彼女達は、笑いに対してはどこまでも貪欲です。

 私は村長のもったいぶった口調を真似たり、あの船頭の表情を真似たりして、大いにトミエを楽しませてやりました。

 そうやって二時間ほど飲み交わしているうちに、トミエはまるで古女房のような振る舞いをし始めて、私の世話を焼いたり、叱りつけたりしてくるようになり、すっかり打ち解けていました。

「この野郎。キスしてやろうか」

「いいわ。してよ」

 夜が更けてきたところで、このまま生きていても仕方がないし、一緒に川に飛び込もうかと誘ってみました。

「僕はもう小説を書くのが嫌になった。川端を殺すのも気が引ける」

「私もそろそろ水浴びがしたいデース」

 静まりかえった酒蔵を二人で抜け出すと、例の洞窟を抜け、凍てつく川に身を投げました。

 朝になると、私だけが岸に流れ着いていました。

 また、自分だけが生き残ってしまった。

 声を上げて泣いていると、水中からトミエが顔を出すのが見えました。

 トミエはジャブジャブと水をかきわけながら、こちらに近付いてきます。

 私は寒さに打ち震えているのに、トミエの肌は湯上りのように赤らんでいました。

「やっと目が覚めましたネー? ここまで勇者様を連れてくるのは大変でしたヨ」

「どうしてピンピンしているのかね……」

 トミエはスカートをまくり上げました。するとそこにあったのは、二本の足ではなく、魚の尾びれだったのです。

「私、人魚族マーメイドです。息継ぎなしで八時間は潜水できマース」

「どうして人魚なんか連れてきたんだ、あの男は」

「村長が言ってましたネー。勇者様は川に身投げする悪癖があるので、絶対に溺死しない女をあてがってやらねば、と。それで私が選ばれたネー。ドゥーユーアンダスタン?」

「……」


【太宰治は水中呼吸のスキルを習得した!】


 とどめとばかりに、頭の中で声が鳴り響きました。

 私はもう、水で死ぬのは不可能な体になりました。

 入水自殺できない太宰治など、出汁の効いていない味噌汁みたいなものです。美意識のない川端康成みたいなものです。直毛になった芥川先生みたいなものです。

 これからいったい、どうやって心中すればいいのでしょうか。途方に暮れながら雪を握っていると、トミエが言いました。

「勇者様、どうして生き延びたのに暗い顔してる?」

「僕は死にたいんです。もう生きていたくないのです」

「んー」

 顎に指をあてて、トミエは言います。

「そういえば魔王カワバタは、毒ガスの使い手らしいデース」

「毒……」

「そんなに死にたいなら、魔王と戦えばいいデース」

 その通りかもしれない。

 おかげで決意が固まりました。

 私は村へ戻ると、村長に会い、トミエと一緒に旅へ出ると告げました。

「ようやく心が決まりましたか。それでこそ召喚勇者です。ところで服が濡れているようですが、さてはまた川に飛び込みましたな? そのうち風邪をひいてしまいますぞ。お言葉ですが、入水自殺は週一回程度に抑えた方がよいのでは」

 村長はもはや、私の自殺未遂をただの寒中水泳とみなすようになっていました。これだから男は苦手なんだ。女のひとなら、親身になって心配してくれるのに。

 村の百姓達に見送られながら、私とトミエは東に向かって歩き始めました。

 なんでも、この世界の東半分は既に魔王の手に落ちているそうなのです。

 東に進み続ければ、いつかは川端康成の領地に辿り着くはずです。

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