第51話 『深川南橋、篠や』

「面白い茶屋があるので、ぜひ来てください」

 女中が告げたのはそういう内容であった。

「面白い茶屋、とは色茶屋か何かか」

 多鶴はなるべく平静を保ちながらそう答える。色茶屋、すなわち岡場所である。

 いえね、と女中は続ける。

「そのような悪所ではございません。お武家様のような見目の良い、毛並みの良さそうな方なればこそお楽しみいただけるような場所でして」

 やはり、悪所ではないのかといぶかしがる多鶴。

 そっと女中は多鶴の手に小さな紙片を潜り込ませた。

 そこには小さく『深川南橋、篠や』と書かれていた――


 夜の深川。材木商が軒を連ねる表とその裏側には花街が広がる。

 女中の文に書かれていたその店は花街からやや離れた場所にあった。

「紹介されてきた」

 店の入口で多鶴がそう告げると、無言で女中らしき中年の女性が笑顔で迎えてくれる。

 廊下を行く二人。

 奥まった小さな一室に多鶴は通される。

 部屋を見回す多鶴。

 狭くはあるがなかなかの風格である。色茶屋にも色々あるが、これは上の方らしい。

 何度か若い旗本の付き合いで、女のみであるがこのような場所に足を踏み入れたことのある多鶴であった。当然、ただ同僚の刀を預かり部屋で茶を飲んでいるだけではあったが。そのあたりの経験は皆無ではなかった。

 老中松平定信の改革により、吉原以外の非公認の遊郭はその勢いをなくしていた。ここ深川もその例外ではない。

「なればこそ、新しい試みをする遊郭もあるというものか」

 天井の彫りを見つめながら多鶴はそうもらす。

「失礼いたします」

 すっと障子が開く。

 そこには先程とは違う若い女中がそこに座っていた。

 うなずく多鶴。

 女中はそっと部屋に入る。

 年のころは二十歳そこそこ。造作も整っており、服も艶やかなものであった。

「『川吉』と申します。どうぞよろしゅう」

 女中ではない。どうやら遊女らしい。男性らしい名が、いかにも深川芸者である。

「ここはちと、特殊なお遊び場にて......最初私からお武家様に色々話をさせていただく決まりでございまして。どうかご容赦を」

「特殊とは」

「まあそれは、最近流行りの『狐茶屋』と呼ばれるお遊びで。お武家様は特に見目麗しい方なのでどのような『役どころ』でもお気に召すまま楽しまれましょうこと」

「......」

 なんとも要を得ない説明。『狐茶屋』。初めて聞く言葉である。

「『狐茶屋』なる言葉を初めて聞く。いかなるものか」

 なるべく低い声でそう問う多鶴。

 ほほほ、と軽く川吉は笑みを漏らす。

「狐といえば」

 右手を折り曲げて突き出す川吉。

「化ける、か。人を化かすか」

 多鶴の言葉に、うなずく。

「『狐茶屋』はお互い騙し騙され――その世界を楽しむという趣向にございます」


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蘭癖高家 八島唯 @yui_yashima

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