第3話 同じ歩幅で、同じ距離で



「に、二宮?」

「う、嘘……。ここ、藤崎の家だったんだ……」


 赤い制服ははびっしょりと濡れ、髪も肌に張り付き艶っぽさを見せる二宮。

 ぽたりぽたりと細い顎から雨水が滴り、ピザの箱も心なしか少し湿っていた。

 

 いかにも、外は凄まじいことになってますよを体で表現していた。

 忘れていた罪悪感が蘇る。俺は、なんてことを……

 そもそも、台風の日にデリバリーとか。アホじゃん。それをやる二宮も二宮だけど……

 

 そうして、玄関で固まること数十秒。


 ピロンピロン!!


 お互いのスマホが勢いよく鳴る。

 慌てて確認すると、液晶の画面に普段は見ることのない緊急っぽさ溢れるメッセージ。


 【台風警報! 不用意な外出は控えてください。該当地域の方は避難を】


 視線を前に向けると二宮もスマホを見ていたようで、やがて視線がぶつかり合った。


「……とりあえず、中入る?」



 * * *



 藤崎 さきは努力家である。

 学校終わりの金曜日にも関わらず、机の上に教科書とノート広げペンを走らせていた。


 母譲りの整った顔に、長いまつげの乗った切れ長の瞳。

 長く伸ばした黒髪を頭の上で束ね、ポニーテールのように腰まで垂らしている。

 

 来週からはテスト期間。クラスで成績一位を保ち続けている咲は、それに向けてかれこれ四時間は机に向かっているのだ。

 それは、幼い頃から完璧主義であった兄の影響あってのこと。

 咲はずっと兄の背中を追い続けていた。だからこそ、今の兄の体たらくが少し許せないでいた。


 ぱきり。シャーペンの芯が弾け折れる音が響く。

 

「はあ……少し休憩しよ」


 ベッドに横になり、そういえばお腹減ったなと思いつつスマホをいじっていると……


「咲。ちょっといいか?」

「ん、お兄ちゃん?」


私に用があるなんて珍しい、そう思いながらノックされたドアの方を開ける。


「ん、どうしたの?」

「あー。えっと、そのな……。服、貸してくれないか?」

「は、服?」


 聞き間違いだろうか。いや、そうに違いない。

 普通に考えて、妹に服を借りることがマストの用事が発生するだろうか? いやない。

 多分、私は何か勘違いをしているのだろう。

 そう思い、聞き直したのだが


「んと……適当な上下と。それと下着もできれば……」


 へ、の言葉が口から出かけた。変態だ。

 思わず両手で自分の身を抱き、ドアを思い切り閉めてやりたい衝動に襲われる。

 お兄。ここまで落ちたか……。失望の色が顔に分かりやすく漏れていたと思う。


「おい、誤解すんなよ! そのな、友達がきてるんだ。……女子の」

「え、え〜!? うっそだあ! そんな口実で妹の下着を奪おうなんて、変態! ナニに使う気だ!」

「嘘じゃないから! おい、扉閉めんな! ほんと、マジだから! ピザやるから貸してくれーーー!!」


 両手でドアを閉めようとする妹と、その隙間に足を入れ抵抗する兄。

 あまりにも酔狂なその状態が数分程度続いた、

 

* * *



「はい、はい。ありがとうございます。では、状況を見て戻ります」


 スマホに向かって話す二宮は、やがて電話先に向かってぺこりと一礼すると、通話を切った。


「……バイト先の店長、優しくてよかったあ〜。台風が収まるまで帰ってこなくてもいいって」

「お、おう。よかったな」


 

 二宮は妹の学校指定の体操服に身を包み、風呂上がりで蒸気した肌でリビングにいた。

 着ていた制服は洗濯中だ。ゴウンゴウンと洗濯機が回る音が微かに聞こえる。 

 中二の妹と体型が似ているせいか、服のサイズにほぼ違和感なく着れているようだ。

 

 リビングの机には頼んでいたLサイズのピザが三枚並び、ちょっとしたピザパーティーの状態だ。

 その一角に恐縮したように二宮が座り、俺と妹と二宮の三角形が出来上がった。


「へー。じゃあお兄ちゃんとは昔からの幼馴染なんですね」

「あはは。中学校で離れ離れになっちゃって、高校で久しぶりに会ったんです」

「お兄ちゃん、無駄に頭の良い時期があったからね。こーんな可愛い幼馴染がいたのに中学受験なんてしちゃってさぁ」 


 多感な女の子が二人以上集まれば女子会が始まる。

 そんな噂はどうやら本当らしく、俺は一言も発することなく二人の会話に身を任せていた。

 妹も察しが良いのか、あまりからかうような発言はせず、靴やシャンプーの話に話を膨らませている。


 台風の日が産んだハプニング。

 可愛い女の子二人が楽しそうに会話する光景。普段は味わえない刺激に、俺も内心は心が躍っていた。


 時節、二宮がチラチラとこちらを向いて目が合う。

 その度、恥ずかしそうにまた妹の方を向き直すと誤魔化すように会話を続ける。


 咲が笑いを含めたような顔で俺のことを見る。

 あとで絶対からかわれるだろうなあと思いつつ、この楽しい時間が少しでも長く続いて欲しいと

 内心思うのだった。



 

 三時間ほど経っただろうか。

 ようやく台風警報が解除された頃には、時計は九時を回っていた。


 送ろうか?と二宮に提案したが、デリバリー用の原付を店に返さないといけないらしい。

 綺麗に乾燥した制服に身を包んだ二宮を玄関先で見送る。


「今日はお邪魔してごめんね!藤崎くん」

「いや全然。俺もこんな日にピザなんか頼んで悪かった。……二宮は、ずっとアルバイトをしてるのか?」 

「うん。新しいバッシュ欲しくてさ。お金貯めてるんだ」

「うおぉ、偉いな」

 

 ヘルメットを被り、「お邪魔しました」と玄関を開ける二宮。


 言え。言え。


 俺も好きだよ。付き合いたいよ。そう言え。


 口をもぞもぞと動かすが、勇気も言葉も出なかった。


 そんな俺の苦悩も知らず、背中を向ける二宮。

 だが出ていく寸前に、何か思い出したかのように振り返る。


「……藤崎くんは、高校生活楽しい? 」

「ん? ……楽しい、かもな」

「私も……楽しいよ。好きだったバスケもできるし、藤崎とも……こうやってまた会えた。私は今がとても楽しい!……でも」


 二宮は息が詰まったように、その先の言葉が出ないようだった。暫く、口をぱくぱくと震わせたあと一息ついて言う。


「私は、一度しかないこの青春の時期を。もっと楽しく過ごせるようにしたいんだ」

「…………」

「だからさ、藤崎……私は……」


 何か言いかけていた二宮は、その先の言葉を紡ぐことはできなかった。

 伏せていた目を上げ、俺の顔を見る……がやがてその頬をみるみるうちに紅潮させた。言いかけた言葉は、きっと茹でられて溶けてしまったんだろう。


「お、お邪魔しました!!」とバイクの方まで飛んで行くと、すぐにテールランプの赤い筋となって消えていった。



 ……………………


 …………間違いない。

 二宮はまだ、俺のことを好きなんだ。


 男は勘違いしやすい生き物、そう本で読んだことがある。

 でもこれは勘違いなんかじゃない。断言できる。

 もしこれが勘違いなら、俺はもう一生童貞のままでいい。


 だから。


「はあー……。流石に、頭下げないといけないかな」


 目に掛かる前髪を指先で持ち上げてみる。 

 変わる時が、来たのかもしれない。




 * * *


 

ダムダム……


ピィィ――!

  

『ナイッシュー!』


今や聞き慣れた環境音を背景に、練習着を着た生徒がゴールの間を行ったり来たり。


二宮ひまりはその光景を眺めながら、水筒に入ったスポーツドリンクを白い喉を上下させながら嚥下していた。 

バスケとは体力の消耗の激しいスポーツだ。それに加え練習は熱の篭りやすい屋内、梅雨に差し掛かった今の季節、まるで蒸し風呂だ。

全身に張り付く汗をタオルで拭き、次の練習に備えるように息を整える。


 学校の体育館は二つのコートに分けられ、それぞれ男子と女子で練習している。

 間を分つネットの奥を見ると、男子らしく汗の飛ぶような勢いのある練習が広げられていた。


「ひーまーりっ!」

「あうっ!」


 コートに座って休んでいると突然、背後から何者かに抱きしめられた。 

背中に当たる豊満な何か、二宮のそれとはあまりにもギャップに感じる柔らかなそれに戦慄を覚えながらも振り返る。


「ちょっと! 脅かさないでよ、ゆうか〜!」

「ふふん。なーに男子のコート見て黄昏たそがれてるんだよー! 好きな人でもいるのかー?」

「い、いないってー!」


 朝野あさの 夕華ゆうか


 モデル顔負けな小さな顔にスタイルの良い長い手足。アシメに切り揃えたショートヘアは汗でびっとりと張り付いていた。

 女子バスケット部の期待のエースであり、二年ながらスタメンに就くバスケの才能。

 その大きな胸でなぜそこまで動けるのか、今でも疑問に思っている。


そんな夕華に「白状しろーい!」と、脇をくすぐられながら笑いを堪えていると、視線の先の男子バスケ部が何やら集合し始めた。



 どうやら、新しい部員の紹介らしい、キャプテンが一人の生徒を連れて体育館に入って来た。

 遠目でよく分からないが、どこかで見たことのあるような……

 

 う、嘘……あれって


 先日まで伸びていた髪を綺麗に切り揃え、額を出した爽やかな髪形。

 高い背から伸びるスラリとした手足。少し年期の入ったバスケットシューズを持つ筋張った手。


 二宮にはすごく見覚えのあるシルエットだった。

 まさかと思い、ネットのすぐ側までよって確かめる。


 そう、それは間違いなく。

 登校の日に一度、台風の日に一度。

 再開したばかりの気になる男子――――


 私の、初恋の相手――


 

「二年B組の藤崎です。一度辞めたんですが、どうしても諦めきれずまた入部しました。よろしくお願いします」


 藤崎真が、バスケットボールを。

 私の隣に、やってきたんだ。


 

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恋愛ドシローター 〜可愛く垢抜けた幼馴染はずっと俺のことを好きでした〜 愛媛みかん @masa120888

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