雨の日、俺の家で彼女と話したこと
秋桜空白
第1話
「わ」
と彼女が言い始めて、この後に続く言葉が「かれよう」だと俺は察した。涙が俺の瞳を濡らし始めていた。とっさに俺は彼女の言葉を遮った。
「そーいえばさ」
俺に言葉を遮られて彼女は不満そうだった。それでも俺はお構いなしに何か話題を探して、窓の外の雨を見ながら言った。
「庭の紫陽花がこの一週間でなんか変色し始めてさ…」
俺の話に彼女は思った以上に食いついて、へえーと言いながら窓の外を眺めた。
「紫陽花の花言葉って知ってる?」
と彼女は言った。俺はその質問にイラっとした。俺は馬鹿だから花言葉なんてわかるわけがなかった。彼女はきっと、俺に知らないって言わせて優位に立ちたいんだろう。
「なんだっていいだろ、そんなの」
と俺は不機嫌な態度を隠しもせずに彼女にそう言った。すると彼女は「そう」と言って悲しそうに下を向いた。その姿を見て、俺は一気に申し訳ない気持ちになった。またやってしまった。俺はすぐ感情的になって彼女を傷つけてしまう。ああ、だめだ。このままだとまたすぐに別れを切り出されてしまう。
「…何か食べたいものあるか?」
と俺は彼女に言った。
「どうしたの?」
と彼女は言った。
「…お前の食べたいもの、コンビニに行って買ってくるよ」
だから別れたいなんて言うなよ、とはもちろん言えない。
「別にいいよ」
と彼女は言った。俺はまたイライラし始めていた。彼女もそれを察したようだった。
「やっぱり買ってもらおうかな」
「何が食べたい?」
と聞くと彼女がまた「わ」と言い始めた。「別れよう」と言う言葉が脳裏に浮かんで息が止まった。
「かめ」
「え?」
「わかめが食べたい」
俺ははあと息を吐いた。
「ねーよ。コンビニにそんなもん」
と俺は言った。
「わかんないじゃん」
と彼女は言った。
「いや、売ってねーから。諦めて他の食べ物にしてくれ」
「じゃあ、やっぱりいらない」
「あ、そ」
と言いあって俺たちの会話は途切れた。しばらく、雨の音と壁掛け時計の針の音だけが部屋に響いていた。
「あのさ」
と彼女がまた口を開いた。
「わ」
とまた彼女が言い始めたのを
「ちょっとトイレ行ってくる」
と言葉を遮って、俺は立ち上がった。トイレに入って便座に座りながら頭を冷やした。考えてみたら、彼女が本当に別れを切り出そうとしているのか、確証はなかった。「わ」から続く言葉なんていくらでもある。けれど、不安で不安で仕方ない。彼女が俺と別れたい理由ならいくらでも想像がついた。俺は短気だし、馬鹿だし、良いところがないのだ。
「俺の勘違いであってくれ」
と俺は呟いた。
トイレから出ると、彼女がドアの前に立っていた。なんだろう、と思っていると彼女は
「あのさ、ずっと言おうと思っていたんだけど、わ…」
と話し始めた。俺はすっかり頭に血がのぼって大声を出した。
「なんだよ!そんなに別れてーのかよ。お前みたいなブス、こっちから願い下げだ!俺の部屋から出てけ!一生顔見せんな」
彼女は口を開けて呆気にとられた表情で俺を見ていた。ああ、またやってしまったと思った。もうなんでもいいや。と俺は下を向いた。すると彼女は言った。
「なんだ。別れたかったのは、私だけじゃなかったのね」
あとで俺は知ったが、紫陽花の花言葉は移り気だ。
雨の日、俺の家で彼女と話したこと 秋桜空白 @utyusaito
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