第3話 邪神ちゃん、住民となる
翌朝、フェリスは誰よりも早く目覚める。邪神の睡眠時間は人間のそれよりはるかに短いからだ。よく見れば空は白んでもいなかった。
「んおー? ここは……どこだ?」
フェリスは思い切り寝ぼけている。眠たい目を擦りながら、くるくると周りの状況を確認してみる。そして、周りの景色まで見て、ようやく思い出したようである。
「おーそうだそうだ。暇つぶしに近くの村にやって来たんだったわ。忘れていたわ」
けらけらと笑うフェリス。邪神らしい無邪気さである。
「おーおー、これはさすがに見てられないわね」
再び目の前を見下ろすフェリス。そこには酔いつぶれた村人たちがいびきを立てながら眠っていた。フェリスが邪神とはいえど、さすがにこれは放ってはおけない。
「あたしがここまでするのは、本当に運がいい奴らだと思うよ」
フェリスは酔い覚ましと回復の魔法をしれっと使っておく。屋外なんぞで下手に寝たら風邪を引く。宴のお礼といったところだろうか。
フェリスは寝ている連中が起き出さないうちに、ひょいと台から降りて村の中を見て回る。畑や牧場が見えるので広さはそこそこありそうだが、居住地域はそれほど広くはない感じだ。村の囲いはそれほど高さのない木の柵であり、昨日のボア程度ならやすやすと壊して飛び込んできそうな代物だった。
「おや、天使様。おはようございます」
不意に声を掛けられて、フェリスは驚く。どうやら牧場を営んでいる男性のようである。こんな時間にちゃんと起きているあたり、昨夜の酒の席には参加しなかったのだろう。なかなか弁えているようだ。
「やあ、おはよう。しかし、その”天使様”というのはくすぐったいわね。これでも数100年前までは、邪神としてそれなりに名の知れた存在だったのだけど……」
「そうでございますか? いやはや、確かに背中の羽は怖い感じは致しますが、そのような可愛らしいお姿で、昨日のような事をされては皆さんそう思ってしまうと思いますよ」
複雑そうな顔をしてジト目を向けるフェリスに、男性はさらりとそんな事を言ってのけてくれた。可愛らしいなんて言われて、フェリスはちょっと照れてしまった。
「そうだ、天使様」
「ん、なに?」
天使様と呼ばれた声に、つい反応してしまうフェリス。いやいや違うぞと首を横に振るが、なぜ反応してしまったのかは分からなかった。
「よろしければ、少々うちの子たちを見ていきませんか?」
男性は明るい笑顔でフェリスにそう勧めてくる。柵の向こうを見ると、そこにはたくさんの牛が群がっていた。
「あら、ずいぶんと自由にさせているのね」
「小屋もいいんですが、ここらはたまに襲ってくる魔物くらいしか外敵が居ないので、こうやって放し飼いにしてるんですよ」
「ふーん、そうなのね」
フェリスが牛の方を見ていると、モーモーと鳴きながらつぶらな瞳でフェリスを見ている。その様子に、
「おー、可愛いねえ。よしよし」
とフェリスは近付いて牛の頭を撫でていた。ふかふかの肉球の感触に、牛はとても気持ちよさそうにしている。そのあまりの可愛さに、フェリスは集まっている牛一頭一頭の頭を撫でていった。撫でられた牛はとてもリラックスしている。
「おお……、牛たちのこんな表情、見た事がない。ああ、やはり天使様は天使様だった……」
男性は片膝をついて手を組んでフェリスの事を崇めている。だが、フェリスは邪神だ。男性の行動に気が付いたフェリスは、本気で引いていた。
「あの……、何度も言うけど、あたしは邪神だからね? ね?」
フェリスが諭すように声を掛けても、男性の崇めるポーズは一向に解かれる事はなかった。
「なんだかねえ……」
フェリスはさすがに諦めた。
「はあ、好きなだけそうしてるといいよ。あたしは牛と戯れてくるわ」
フェリスはそう言って柵の中に入ると、牛を引き連れて柵の中をぐるぐると歩き始めた。
こんな朝早くのお散歩だが、牛たちはとてもおとなしくフェリスについて回る。こんな光景を見た事ない男性は、涙を流しながらその実に神々しい光景を眺めていた。
実のところ、フェリスは確かに邪神なのだが、動物たちからはとにかく好かれていた。今回ボアが寄ってきた原因にもそういう影響はあるのかも知れない。だが、あの時はさすがに少々殺気立っていたようにも思われたので、本当は嫌々だったが苦しめないように一瞬で葬り去ったのである。好かれているだけなので、一気に駈け寄られれば怖いと思う事だってあるのである。
「そういえば、天使様はこれからどうされるのですか?」
牛を連れて戻ってきたフェリスに男性が尋ねてくる。そういえばフェリスは何も考えていなかったのだ。なので、尋ねられたところで首を傾げるしかなかった。
「それでしたら、この村の皆はあなた様の事を天使様と慕っていますので、厚かましいと思われるでしょうが、この村にしばらくでもよろしいので滞在頂けると嬉しいのでございます」
男性はどういうわけか土下座をして頼み込んできた。いや、どういう事なのだろうか。
困惑気味のフェリスだったが、男性の本気度や夕べの宴の事を思うとかなり悩み始めていた。邪神と言われた自分が人間と一緒に住んでいいものだろうかと。
悩んだ挙句、フェリスが出した結論は、
「まあ、今はすっかり平和みたいだからね、そこまで言うのなら住んであげましょうか」
「おおおっ! これは素晴らしい事です。早速みんなに知らせてこねば!」
男性は勢いよく走り出した。呆気に取られたフェリスだったが、牛が寄って来てはつぶらな瞳を向けてくるので、再び一頭一頭頭を撫でて回った。
こうしてまた村は大騒ぎとなり、歓迎の宴が始まった。
これでいいのかと思いつつも再び接待を受けたフェリス。こうして、かつての邪神だったフェリスは村に腰を落ち着ける事となったのだった。
これが再び、いろいろな波乱を巻き起こす第一歩になるとは、この時誰も思っていなかった。
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