砂漠の司書(2)
しとしとと雨が降り注ぐある日のこと。王立図書館では慌ただしく人が動いていた。普段は静けさが支配しておりページをめくる音が時々するのみだった。しかし、その日は図書館の高い天井にバタバタと複数の足音が響いていた。セフェルは普段と違う図書館の様子に眉をひそめた。図書館の雰囲気が好きなセフェルにとってその空気を壊すものは許せない。即刻叩き出したい思いだった。そのとき、図書館に勤める顔なじみであるクニハが通りかかった。
「クニハ、丁度良かった。何事?」
クニハは司書ではないが、図書の貸し出しの手続きや戻ってきた本を番号に従って元に戻したりする仕事をしていた。今年二十歳になるクニハはセフェルと歳が近いこともあって、良く話をしたりしている。
セフェルに呼び止められたクニハは廊下の隅でセフェルに小声で言った。
「なんでも、川に死体が浮いたって話よ。それでね、その人が王立図書館に来ていたらしいのよ。司書を通さずに何か調べていたらしくて。しかも、貸し出し記録もないから何を調べたのか分からずじまい。図書館を訪れて四日後の事らしいから関係は分からないけど、一応話を聞きに来たみたい」
セフェルはふうんと思った。それだけであれば、騒がしさも今日で終わるだろう。そこでその件についてのセフェルの興味は無くなった。自分の周りの静けさを邪魔しないのであればそれで良いとセフェルは思っていたのだ。
その夜、いつも通り図書館が閉館になっても本棚の奥でセフェルは本を広げていた。この王国が続く限りこの図書館も成長していく。日々変化する周辺情勢や研究の報告書。次々と新しい文献が図書館に運び込まれてくる。その全てにセフェルは眼を通していた。
「やっぱりまだいたか。帰るぞ」
ランプの灯りを頼りにセフェルを見つけ出したのは、王立図書館の警備兵であるウォリアであった。本を開けば飲食や休憩を忘れるセフェルを連れ出すのはもはやウォリアの役目になっていた。思い出せば、孤児院にいた時も同じように図書室に籠もりっきりで周囲の子供達と遊ばないセフェルの面倒を見ていたのは一つ年上のウォリアだった。
まだ、と後ろ髪引かれているセフェルの手を取りウォリアは彼女を図書館から連れ出した。所々灯りが付いただけの薄暗い廊下を二人で歩いていると、前から人影が近づいてきた。ウォリアが誰だと身構えた時その人影が口を開いた。
「おや、君は確か・・・・・・」
人影の顔が確認できたウォリアは慌てて姿勢を正して礼をして道をその人物に譲った。それは体格の良い壮年の男性だった。
「閣下!これは失礼致しました!」
セフェルはその人を見たことはあるが、だれか分からなかった。なので取り敢えずウォリアに習って礼をして廊下の隅に寄った。頭を下げたままのセフェルとウォリアに彼は頭を上げるように言った。緊張気味のウォリアと何だかよく分かってない様子のセフェルをみて壮年の男は笑った。
セフェルはざっと閣下と呼ばれた人物を見た。身分は高いのは分かった。着ている服装も顔もどこかで見た気がする、と思っていた。
「この時間まで仕事かね、ご苦労」
「ありがとうございます!宰相閣下」
ウォリアの言葉を聞いて、あ、とセフェルは思い出した。そう、その男は官吏のトップに立つ宰相だった。危ないとんでもない無礼をはたらく所だった、と表情を引き締めたのがその男に分かったのだろう。再びその眼に笑みを浮かべてセフェルを見た。親の歳ほど離れたその人の眼は見つめられると自分の内にあるものを引きずり出されそうだったが、セフェルはなぜか嫌いではないと思った。
「今日は図書館の方が騒がしかったようだが、例の水死体について何か分かったのかな?」
「申し訳ありません!まだ、はっきりとした事は分からずにいます。解決に力を入れていますが情報が少なくて・・・・・・」
「ふむ、君はどう思う? 今回の事件について」
突然話を振られたセフェルはどうしようと思った。正直今回の水死体についてはセフェルは詳しいことは知らないのでどう思うと聞かれても、困ったとしか言いようがなかった。
「閣下、こちらの者は今回の件については・・・・・・」
ウォリアがセフェルを後ろに隠して言葉を濁そうとしたが、宰相はそれを許さないようであった。しかたない、とセフェルは思って口を開いた。
「申し上げた通り、情報が少なすぎます。殺された者が何を調べていたか分かっていないのも解決が遅れている一因と考えます」
「殺された者は経理を担当する者だ。優秀な人物と聞いていたが一体どうしたのか。何かの事件に巻き込まれたのかな。何を調べていたのか分かれば手がかりを掴めたのだが・・・・・・」
どうやら、調査は暗礁に乗り上げているようだった。これ以上は何も分からない。事件は迷宮入りだろう。
「司書の頂点に立つ君にすら分からないとなれば、仕方ないな」
宰相はため息をついて言った。
「お言葉ですが、司書のトップは現司書長のケニスです。私はただの司書に過ぎません。では、宰相閣下もお疲れだと思いますので私達はこれで下がらせて頂きます」
と、セフェルは一礼をし宰相の側を通り過ぎた。ウォリアは慌てて同じように一礼しセフェルの後を追った。
「そういえば・・・・・・」
セフェル達の背に向けて宰相が思い出したように言った。彼女が足を止めたのを確認して宰相が言葉を続ける。
「なんでも、殺された文官は国の支出に関する記録が集められている書架から数冊の本を持って来ていた様だよ。そこから出てきた所を図書館の利用者が見かけたらしい。いつも自分が眼を通して上に報告している記録なのに、何を確認したかったんだろうね。では、私も帰るとするよ。夜道気をつけるように。彼がいれば心配ないがね」
そう言って。宰相の影は暗闇に溶けていった。
「セフェル」
再び歩き出したセフェルにウォリアは声をかける。
「なあに、ウォリア」
いつも通りのんびりした声の中に何かが混じっているのをウォリアは長年の付き合いなので感じていた。
「首を突っ込むなよ」
そんなウォリアにセフェルは、ふふと笑った。
セフェルは本が好きだ。でも夢物語は苦手だった。なぜならセフェル達孤児は毎日を生きるのに必死だったからだ。確かに読んでいる間は夢を見ることは出来る。でも本を閉じると途端に現実が襲ってくる。十五歳になったら孤児院を出て自分で生活をしなければならない。セフェルみたいに引き取り手が現れるのは本当に幸運な事なのだ。夢を見ている暇など無かった。セフェルは賢かったので、幼い頃から孤児院の手伝いをしていた。特に数字に強かったので、年上の子供に混じって買い出しに行った時の会計やお釣りの計算をよくしていた。結果、生きていくために必要な知識を優先的に得るためには夢物語は後回しになった。
司書長のケニスに引き取られてからも好きに本を読んでいたけれど、セフェルの中では自分にはこれしか無いという思いはあった。ウォリアみたいに体力があって力仕事が出来るわけではない、何かを自分の手で作り出すことが出来るわけでも無い。セフェルには頭の中に詰め込まれた知識しか無かった。それを武器にして生きていくほかに無かったのだ。
図書館が騒がしいのも一日で終わり、後はいつも通りの静けさが戻ってきた。宰相はセフェルに何かして欲しかったのだろうが自分は司書の一人に過ぎない。口封じをしなければならないほど重要な何をあの水死体は知ったのだろうか。闇に埋もれていく記録。誰かが見つけてくれるのを待っている様にセフェルは思った。そして、見つけるためには命と引き換えにしなければならない。セフェルは興味を持ったが、変なことに首を突っ込んで自分の命を危険にさらすつもりは無かった。このままこの一件は忘れ去られていくのだろう。
朝、誰よりも早く図書館に出勤してきたセフェルは、新しく入ってきた文献のリストを見ながら今日はどの本を読もうか考えていた。その時セフェルが使っている部屋のドアがノックされた。こんな朝早くに誰だ? と思いながらドアを開けると、そこには先日の夜に会った宰相閣下が人の良い笑みを浮かべて立っていた。
「おはよう、早いね。いつもこれくらいの時間かい? 勤勉なことだ」
「宰相閣下、おはようございます。何かご用でしょうか?」
「調べて欲しいことがあるのだが」
セフェルは頭を下げたまま言った。
「私たち司書は利用者を本へ導くのが仕事。調べ物は警備隊に依頼した方がよろしいかと」
では、とセフェルは扉を閉じた。後に残された宰相はあっけにとられた表情をした。立場的に断れることが無いはずの依頼。それをあっさりと『これは司書の仕事では無い、他をあたれ』と目の前で扉を閉じた少女。おもわず笑いがこみ上げてきた。図書館の廊下で普段人前で笑うことなど皆無の宰相閣下が肩をふるわせて笑みを浮かべている。通りがかった人は驚き避けて行った。
その日の昼下がり。セフェルは朝に選んでおいた本をいつも通り図書館の隅、人があまり通らない場所で広げていた。そこにクニハが慌てた様子で現れた。
「セフェル、大変よ。司書長が呼んでいるわ」
どうしたんだろうと思いながら司書長のもとへ行った。扉をノックして入ったセフェルは回れ右して開けた扉を閉じたいと思った。
そこには朝会った宰相となぜかウォリアの姿もあった。何事と思っていたら司書長のケニスが口を開いた。
「セフェル。宰相閣下がお前に探して欲しい資料があるということだよ」
「どういった文献でしょうか?」
セフェルが答えると、座っていた宰相が説明を始めた。
「ここ十年の王国の特産品である鉱物について、採掘量と輸出の記録。そして、取引の詳細に関する資料を探して欲しい」
今度は、宰相は調べ物では無く文献の検索で話を持ってきた。セフェルは緊張した面持ちで控えているウォリアに視線を移しながら言った。
「その資料、見つけるのに危険が伴うのですか? 水死体については迷宮入りしたと思っていたのですが。関係があるのですね」
そのとおりだと、宰相は頷いた。
「だから、彼を警護に付けようかと思ってね。彼なら信頼できるだろう?」
正規のルートで依頼されればセフェルに拒否の選択肢は無かった。
「承りました」
セフェルは承諾しウォリアと一緒に司書長室を辞した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます