境界線上のレイクイエム(2)

 四回生になった朝子は『予定表』と同じ研究室に所属していた。ここまではとても順調であった。そして、いよいよ一つの関所に立ち向かっていた。それは就活である。『予定表』で就職した企業へ今回も入り、同じ部署に配属されなければ同じ道をたどる事はできない。過去と同じような就活をしていれば良いはずだが、こればっかりは不確定要素がおおすぎで確実に同じ事が出来るとは限らなかった。

 朝子は毎日の様に大学の就職センターに通い、目的の企業の募集要項が出ていないか確認していた。執行部に入っていた事もあり仲間が増え、前回の大学生活は余り楽しくなかったのだが今回は楽しい学生生活になっており充実していた。このまま何事も無く上手く事が運んでくれたら良いなと朝子は思っていた。学生は各研究室に所属して朝から晩まで論文とにらめっこして研究に忙しい中、幾夜と会う機会も減っていきこのまま自然消滅するのかと思った。朝子は出会った時はそれも仕方が無いと思っていたが、幾夜との距離感が心地よくこのまま会えなくなるのは寂しいと思っていた。しかし、四回生になってからも幾夜は変わらず朝子と一緒にいた。所属している研究室が違っても、昼休憩の時も食堂の隅にいる朝子を見つけて話しかけてきたり一緒に昼食を摂ったりしていた。朝子は幾夜の考えている事がわからなかった、何故自分と一緒にいるのだろうか、朝子も子供では無いのだからそういう雰囲気はわかる。だけど幾夜からは付き合いたいだとか好きという感情は伺う事はできなかった。

 朝子は幾夜の意図がつかめないままだったが、そんな事よりも今は就活の方が重要だった。希望している企業から求人が来ないので、就職センターに来年度の採用予定があるのかどうか調べて貰ったら衝撃の事実がわかった。

「北浜さん、残念だけど今年はF社の新年度採用は無いらしいわよ。でも北浜さんの成績や人柄だったら他にも受けることができる会社はいっぱいあると思うわよ」

 就職センターの職員は励ます様に元気づけてくれたが、朝子は呆然とした。そんなはずは無い。『予定表』ではF社に入社するはずだった。それが無いだって?嘘だろう。

 どこで未来が変わった。今まで順調に行っていた。どこで間違えた?自問自答するが朝子には訳がわからなかった。予定には無い事、これから朝子はどうして行ったら良いのだろうかと思っていた。だが、就職戦線は朝子の困惑を待ってはくれない。どんどん求人が出されて行き、周りも希望の企業に内定を貰い残りの学生生活を楽しんでいる中、朝子だけが就職先が決まらず一人取り残されて行っていた。やり場の無い思いをぶつける様に研究に打ち込んでいた朝子を見て、朝子の所属する研究室の教授はとある企業の研究職の採用試験を受けないかと勧めてきた。半ばどうでもいい、なる様になれと思っていた朝子はその企業を受ける事を決めた。

 いくらなる様になれと思っていても教授のすすめであったので、教授の顔を立てるためにそれなりに準備していった。四年間勉強を頑張ってきたので、一次試験の筆記は問題なく通過できたが問題は面接であった。前世でも朝子は面接が余り得意では無かった。面接当日ある程度予想していた質問であったので答えられた。何とか面接を終え、結果を待つばかりだったが、二日もしないうちに『内定』の通知が来た。これを喜んで良いのか、朝子にはわからなかったが就職先が決まった事に少しホッとした。

 朝子は前世では化粧品メーカーであるF社で営業の仕事をしていた。ドラッグストアやコンビニ、百貨店など様々な土地の店舗に商品の売り込みに行く。初めて訪れる都道府県もあった。そこで色々な人に出会い、多くの経験もした。

 朝子には高校生の時夢があった。それは考古学者になる事だった。朝子は昔の物が好きだった。考古学者は遺跡や遺物など人類が残した過去の痕跡から、その生活様式や変化を研究する人である。朝子は過去の記憶が染み込んでいる物を見るのが好きだった、その遺物を見て過去に思いをはせるのが楽しかった。将来は考古学者になりたいと思っていたが、考古学者での就職は募集人数が少なく、安定した雇用環境で働ける人が限られているため、高校生の時に両親に反対されて進路を変えるしか無かった。諦めが中々つかなかったが趣味で色々な遺跡を回ったりすることで思いを消化していた。また、前世で社会人になった時は社内で考古学好きな人と出会ってその人やその人繋がりで考古学好きな仲間に出会えた。好きな事を好きなだけ話し合える、大切な人達。その人達とも出会える可能性が低くなってしまった。

 卒業後の進路が何とか決まっても朝子はこの先の未来に光が見えなかった。

 一方、幾夜の方はと言うと、早々に内定を勝ち取り残りの学生生活をゆっくりと過ごしている様であった。一時期朝子が就職の事についてどうしようも無いくらいに落ち込んでいた時は無理に励ます様な事はせずに、何も言わず食堂の何時もの場所で座り込んでいる朝子の側に座って一緒にお茶を飲んでいたりした。執行委員会に入ってわかりにくいながらもきらきらと輝いていた朝子の瞳が徐々に暗くなっていくのをただ見守るだけしか出来ない幾夜は歯がゆい思いをしていた。また、朝子にとって幾夜との距離感は安心する物であって、卒業すると会えなくなるかもしれないと思うと胸が苦しくなった。執行委員会に入って多くの仲間が出来たがその仲間達と幾夜はまた違った。朝子の就職が決まった時は幾夜は泣きそうな、ホッとした様な複雑な表情をして一言『よかった』と言った。その一言にはそれだけの想いがこもっているのか、その時の朝子には理解できなかった。

 卒後の進路が決まってから残りの学生生活は短くあっという間に過ぎた。

 そうしてとうとうやってきた卒業式、周囲は新しい門出に興奮と期待と不安に包まれていたが、朝子は希望も何も無かった。これからどう生きていくか不安しか無い状態、拠り所が欲しいと心底思った。そんな沈んでいる表情をした朝子の所に、幾夜が来た。

「北浜、これから執行委員会の仲間達と飲みに行くんだけど行くか?」

 参加する気にもなれず、断ってしまった。そうすると

「じゃあ、俺と一緒にどこかでお茶でもするか?」

 まさか、幾夜とのお茶のお誘いである。幾夜とならと思い一緒にお茶を飲む事になった。

 どこか洒落た喫茶店に行くわけでも無く、いつも通っていた食堂の何時もの位置で、備え付けられたお茶サーバーから出てくるお茶を飲んだ。その日によってぬるかったり熱すぎたり、薄すぎたり濃すぎたりしていつもグチグチ文句を言っていたっけ。二人とも何を話したら良いのかわからず沈黙が続いた。三杯目のお茶に口をつけようとしていた時だった。幾夜がぽつりと言った。

「大丈夫か?」

 朝子は初め何を言われたかわからなかった。何が何だかわからないという表情をしていると、幾夜は補足する様に言った。

「ほら、就職活動をしていた時から段々表情が暗くなってきていたし、内定をもらった時だって嬉しそうじゃ無くて、ずっとなんて言うか不安そうな顔をしているから」

 朝子は泣きそうになった、なんでそんな事を言うのか。放って置いて欲しかった。言われて正直に話せる内容では無いのは朝子も十分わかっている。私は過去からタイムスリップしてきた人間です、なんて言えるか。頭のおかしい人間だと思われるのが関の山だ。

「なんでもない、ほら、第一志望だったF社が今年募集なかったから、それで落ち込んでいたんだよ」

 それなら良いのだけど、と幾夜は訝しげな顔をしていたが、これ以上朝子が語らないと判断するとそれ以上深く追求してくる事はなかった。

「まあ、北浜がこれ以上なにも言いたくないのであればそれでいいよ。でも何かあったら連絡してきてくれ、些細な悩み事でも聞くよ」

 朝子は何だか可笑しくなってきた。

「優しいね、清水君は。こういう事は彼女にしてあげてよ」

 そうだな、でも今は彼女いない、と言った幾夜は微妙な表情をしていた。

 朝子にとって幾夜は大切な存在だ、でも好きという感情とはまた違う。前世では清水幾夜という人間と付き合った事は無い。今こうして幾夜と向き合っているのは、イレギュラーな事、これ以上関係性を深めて道を逸れる様な事はしたくなかった。でも、今の状態も十分『予定表』の道から外れている。『予定表』はもう当てにならない。朝子は完全に人生の道に迷っていた。

「ありがとう、いざという時には頼らせてもらうよ」

 そう言う朝子を幾夜は心配そうに見ていた。その顔を朝子は見ない振りをした、心は少し痛んだけれども。

 お茶を飲み終わり、別れ際に幾夜は朝子に言った。

「仕事落ち着いたら、今度は食事にでも行こうな」

 その言葉に楽しみにしていると返事を返して別れた。


 家に帰った朝子は鍵のかかった箱から『予定表』を出してきた。それに眼を通す。もう当てにならないただの紙切れ。今までは前世と同じ道を歩もうとしていたが、これからは自分でまた道を切り開かなければならない。迷子になっている場合ではないな、と思っている。朝子は『予定表』を細かく破ってゴミ箱に捨てた。そうやって無理にでも前世へのこだわりを捨てないと、これから新たな道を歩いて行く事が出来なかった。

 朝子が就職したのは化学品メーカーの研究職である。研究をしている間は余計な事を考えずに済むので朝子は仕事に没頭していった。朝早くから夜遅くまで仕事づくしの毎日。研究は楽しかったので、仕事の面では充実していた。でも、仕事の合間に行く遺跡巡りの旅は独り、前世では考古学好きの仲間と行っていたその時は語り合う相手がいてとても楽しかったが、今は話す相手がおらずなんだか味気なかった。研究職であるから、前職の営業と違って一つどころに留まっている。色んな土地に行く事も無ければ、新たな仕事仲間に出会う事もない。卒業式の日に決別する思いで『予定表』を破り捨てたのに。ずっと前世の記憶と比較してしまう、ずっと付きまとっていた。大切な人達とも出会えない。そんな寂しい思いを朝子は仕事をすることで考えない様にしてきた。最初の一、二年はそれで良かったけれども、知らない所で蓄積されていった心への負担は徐々に大きな物になっていった。

 ある時休憩室でお昼ご飯を食べていると、テレビのバラエティ番組がとある映画の紹介をしていた。現代から過去にタイムスリップした主人公が歴史上の人物と出会って歴史上の大きな出来事に関わっていくと言うストーリーらしい。それでタイムスリップという物が取り上げられ、街頭でレポーターがタイムスリップ出来たらいつに飛びたいか、飛んだら何をしたいかをインタビューしていた。街ゆく人々は思い思いに答えており、その様子をテレビで見ていた同僚達もタイムスリップについての話しに盛り上がっていた。それを冷めた気分で聞いていた時だった。

「北浜さんはタイムスリップできるとしたらいつに戻って何をしたいですか?」

 と聞かれた。

「私は特に・・・・・・。今の状態が気に入っているので特に過去に戻りたいとは思いませんね。過去に戻ってしまったらどうなるのでしょうか。わかりません」

 とだけ答えて足早に休憩室から出てきた。夢の無い答え方だとはわかっているがこれが朝子の本心なので偽る気は無かった。休憩室から出てきてしまったがまだ休憩時間は残っている、余計な事を考えてしまいそうで仕事場に戻って文献を手に取った。

 自分の心をだましだまししながら過ごしていたのだが段々限界が近づいてきているのを朝子自身も感じていた。ストレス発散をするかの様に行っていた旅行も徐々に楽しくなくなり、引きこもる様になった。旅行をするとどうしても楽しかった前世の記憶がよみがえって辛くなってきたのだ。今をどうしても楽しめない。居場所がなかった。

 朝子は卒業式の日の事を思い出していた。何かあれば連絡をくれ、そう幾夜が言っていた。もう二年ほど経っているけど幾夜は自分が言った事を覚えているだろうか、そもそも朝子のこと自体を覚えているだろうか。トークアプリを起動して『話しがしたい』と何度打って消した事か、通話ボタンも押そうと思って何度も思いとどまった。なんて説明する?わからない、でも声だけでも聞きたい、迷惑では無いだろうか?不安だけが心に降り積もっていった。

 もう朝子は限界をむかえていた。前世が良かった。辛かった事もあったけどそれなりに楽しくて充実していて満足していた。今の私には何も無い。

 その日の朝は晴れていたのに夜は雨が降っていた。朝子は強く思った。前世に還りたい。今までが全て夢で、覚めない夢を見ているのだろうか。もしかしたら、この世界からいなくなればもとの前世に還れるのではないか。雨が降っている道を朝子は傘もささずに歩いていた。何時も通り会社の最寄りにある駅に着く。階段を降り、ホームに立つ。そのままふらふらとホームの端まで歩いて行った。まもなく電車が来ます、とアナウンスが聞こえた気がした。


「還りたい、あの時に」


 ともう一歩踏み出そうとした時だった。ズボンのポケットにいれたままだったスマホが着信を告げた。足が止まった。着信はまだ続いている、早く出ろと朝子に言っている様だった。ぼーっとした頭のまま朝子は相手も見ずにスマホの着信に出た。

「北浜」

 聞こえた声は懐かしい優しい耳あたりの良い声。落ち着いた声だけど少し息切れしている、どこか走り回ったのだろう。なんでと思った、なぜこのタイミングなのか。

「北浜」

 もう一度朝子を呼ぶ声がした。スマホを持つ朝子の手は冷え切って白くなっていた。

「清水君?」

「そうだよ、俺だよ。今どこにいるんだ?」

「駅のホーム」

「そうか、どこの駅だ?今からそこに行くから。それまで電話切らずに何か話そうか。」

「うん、清水君・・・・・・清水君」

 もう独りで抱え込むのは限界だった。涙が出てきた、次から次へと溢れてくる涙。顔が雨で濡れているのか、涙でボロボロになっているのかわからなくなった。ホームを行く人々は朝子をどうしたのかと見ながら避けていくのを、朝子には気にする余裕が無かった。

「北浜、ベンチがあったらそこに座って落ち着こうか」

「あたたかい物を買ってくる。何が良い?」

「あと五分ほどで着くよ」

 幾夜は移動中も朝子がどこかへ行ってしまわないよう、そこに留めるように話を続けた。そうして電話が鳴ってから十五分程経ち、三年ぶりに顔を合わせた二人はずぶ濡れで一人は涙と雨で顔はぐちゃぐちゃ、もう一人は急いで来たのだろう何時も綺麗にセットされている髪は雨でくしゃくしゃになっていた。

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