第4章「14:20」

 傷の手当てを受けた後、俺はトウジから俺の過去に関係のあるかもしれないという資料を見せてもらう事になった。資料を取りに行ったトウジを待ちながら、食器の片付けられた居間で一人、胸のざわめきを抑えられない。

 これは運命なのか、それとも仕組まれたことだったのか。俺はあの死んだ科学者が零した「カミシロ」という人物と接点のある人々と偶然にも関わることになった。悪戯に自分の人生を弄ばれているようで、妙に腹立たしい気持ちになる。

 俺が苛立たし気に机の木目を睨みつけていると、居間のドアが控えめに開いた。

「ミツカイ兄ちゃん……」

 ドアの向こう側から、ミナトが顔をのぞかせ、ゆっくりと部屋に入ってきた。俺の元に歩いてきたミナトの顔色は少し悪く、俺はすぐに席を立った。

「……部屋で寝ていろと言われていただろ」

 ミナトはついさっき、俺を助けるべくしてメギツネに襲われた。あんな異形の者に襲われて、平気でいられるはずがないだろう。

 それに……ミナトは怪物になった俺の姿も見てしまったはずだ。きっと俺が恐ろしいに違いない。なのにミナトは俺を気遣って、様子を見に来た。俺はといえば、そんな心優しいミナトに何もしてやれないでいる。自分が情けなかった。

「僕は平気だよ」

「……平気なわけない。あんな化け物に襲われて、平気なはずが……」

 ミナトを襲ったメギツネだけじゃない。今、目の前にいる俺だって化け物なんだ。こんな状況、普通の人間では耐えられないだろう。ましてや、ミナトはまだ幼い子供だ。きっと、俺が思っているよりも心に深い傷を負っているかもしれない。俺という存在が、ミナトに恐怖を植え付けている事が心苦しかった。

「ミツカイ兄ちゃん、泣かないで」

 俺が俯いていると、ミナトが俺の服の裾を引っ張る。別に泣いていたわけではない。ただ己の存在を今まで過ごしてきた中で一番に疎ましく感じていたのだ。どうして俺はこんな化け物になってしまったんだろうか。こんな、人の血と涙で汚れた身体に。

「僕、ミツカイ兄ちゃんが助けてくれた時……すっごくかっこいいと思ったよ。ミツカイ兄ちゃん、ヒーローみたいだった」

 俺が黙り込んでいると、ミナトが口を開く。俺はぼんやりと、「……ヒーロー?」とミナトに聞き返した。

「うん! 悪い奴を倒す、すっごくかっこいい正義の味方。ミツカイ兄ちゃんは、僕のヒーローなんだ!」

 俺は俯いていた視線を上げて、ミナトの顔を見る。顔色こそまだ悪いが、ミナトはきらきらと眩しく笑っていた。ミナトの笑顔を見た途端、胸の奥が得も言われぬ疼きに襲われる。

 ミナトのヒーローに、俺がなるなんて思いもしなかった。組織の理念に無感情に従い戦っていた頃とは違う、この温かくて深い感動はなんだろうか。

「……本当に俺がお前のヒーローでいいのか? 俺は、今までに沢山の人を悲しませてきたんだ。そんな俺が……ヒーロー、なんて……」

 俺は静かに膝を屈め、ミナトと視線を合わせる。不安だった。俺が、正義を名乗って良いと、そう断言することが出来なかったのだ。

「ミツカイ兄ちゃんは僕を守ってくれたんだもの。兄ちゃんはもう立派なヒーローだよ。もし、誰かをいっぱい悲しませちゃったなら……その分だけ、これからいっぱい色んな人を笑顔にしていこうよ。僕も手伝うから!」

 俺は言葉を失って、ただミナトの顔を見つめた。俺は、こんな風に誰かに許されて良いのだろうか。人を悲しませた分、誰かを幸せにすることが出来るのだろうか……いや、きっとしなくてはならないのだ。俺は、この力を使って誰かを幸せにしなければならない。それが俺の新しい使命であり、せめてもの償いだ。

 俺が何も言えずにミナトの顔をじっと覗き込んでいると、ふいにズズと鼻をすする音が聞こえてきた。音のした方を振り向くと、居間のドアの方にトウジの姿があった。

「ミナト、ミツカイ君……」

 トウジは目に涙を浮かべていた。俺とミナトが「一体どうしたんだろう」と顔を見合わせる。それからすぐ、大股で歩いてきたトウジが俺達の前に立ち、俺とミナトの頭を交互に撫でた。

「まったく、泣かせてくれるなよ! 二人共」

「何でおじさんが泣くのさ?」

「年取るとな、涙もろくなるんだよ。子供のお前にゃあ、まだわからんだろうがな」

「あ! また子ども扱いしたなー!」

 言い合いを始めたトウジとミナトを見て、俺は気づけば笑っていた。

「え、ミツカイ兄ちゃん今笑った⁉」

 ミナトがびっくりした顔で俺を指さす。かくいう俺自身も不思議な気持ちになって、「笑ったのか……俺は」と自分の頬に触れた。……そうか。俺も、笑えるんだな。ずっと、笑う事なんて出来ないと思っていた。胸の内が静かに満たされていく感覚を味わっていると、トウジが「ミツカイ君」と俺を呼ぶ。

「こんな時に悪いが……例の資料があった。詳しくは上で話そう。ミナト、お前は自分の部屋で休んでなさい」

「……うん、わかった」

 ミナトは何か言いたげな顔をしたが、トウジの真剣な顔で何かを察したのか、すぐに頷いて部屋を出て行った。ミナトが部屋を出て行ったのを確認すると、俺とトウジは二階へと向かった。

 トウジが向かったのは、俺が初めに目覚めた部屋だった。部屋に入ると、トウジは自身の穿くズボンのポケットを漁り、そこから小さなカギを取り出した。そして、部屋に置いてあった机の引き出しの鍵穴にそのカギを差し込んで、引き出しを手早く開けた。

「これだ」

 トウジは引き出しから大きめの茶封筒を取り出し、俺の方に差し出した。俺は何も言わずにそれを受け取ると、茶封筒の中を見る。中には紙の束が入っており、俺はその紙の束を引っ張り出した。俺は茶封筒を床に落とし、紙の束に目をやった。紙の束の最初には、「異種混入型構成員第一号開発記録」とタイトルらしきものが書かれている。次のページには、人体図と細々とした文字が並んでいた。読んでいくと、タイトル通り異種混入型の構成員の研究記録のようだ。日付は今から六年ほど前。記録者の名前は……カミシロと書かれている。

 資料の文字を目で追っているうちに、ある一文に辿り着いて俺の思考がストップする。

「これ、は……」

「何かわかったか?」

 トウジが俺の手元にある資料を覗き込んでくる。俺の表情を見て、トウジが「どうかしたのか?」と眉根を寄せた。俺はぐっと息を呑みこんで言った。

「……この資料の……異種混入型構成員第一号は、俺だ」

 資料によると、異種混入型構成員第一号は「鴉と人間の混合種」であると書かれていた。そして……その実験体第一号に授けられた名は「ミツカイ」。まさに、俺の事だ。俺は更に資料を読み進めていく。もしかしたら、俺の本当の名前や素性が書いてあるかもしれない。俺は食い入るように資料の文字の羅列に目をやるが、遺伝子組み換えの理論や手術の方法などの方が重点的に書かれているばかり。しかも、肝心な被験体の本名や詳細な情報はほとんど黒いマーカーのようなもので塗りつぶされている。

「くそ、どうして……ッ!」

 俺は奥歯を噛みしめて資料を睨みつけた。あともう少しなのに、どうして手が届かない?苛立ちに任せてその場に資料を投げ捨てたくなった。だが、怒りで震える俺の手をトウジが掴んだことで我に返る。

「ミツカイ君、落ち着け。もう少し資料を読んでみよう。きっと手がかりはあるはずだ」

「……ああ」

 一度深呼吸して、トウジに資料を渡そうとしたその時だ。資料の隙間からヒラリと何かが落ちた。トウジがすかさず、それを拾い上げる。

「写真みたいだな。カミシロの親父さんが写ってる」

 頬を掻きながら、トウジが俺に写真を渡してくれる。写真を見ると、三人の白衣を着た男が並んで写っていた。トウジが「真ん中がカミシロの親父さん……カミシロ博士だ」と写真の中の白髪の老人を指差す。これがカミシロ博士かと思ったが、案の定俺には見覚えがない。記憶が抜け落ちている証拠だ。俺を構成員にした人間の一人であり、重要なカギを握る人間。なのに、カミシロ博士の消息も今はわからない。少なくとも、組織ではその名前を殆ど聞かなかった。一体、カミシロ博士は何処に行ったのだろうか。

 俺はカミシロ博士の所在について考えながら、ふいにカミシロ博士の隣に写る人物に目をやった。そこに、見覚えのある顔を見つけて俺は一人目を見開く。

「……ナルサワ?」

「む、知り合いか?」

「……俺が組織にいた時の知り合いだ」

 トウジの問いかけに短く答える。今より髪が短くやや幼い顔をしているが、銀色の髪に特徴的な黒い眼帯をしたその青年はどう見てもナルサワだった。ナルサワは俺が作られた現場に確実にいたのだ。やはりナルサワは過去の俺に接触している。それなのに俺の過去を隠し、あまつさえ過去を探ろうとする俺の自我を消し去ろうとした。ナルサワにとって、過去は「不都合」なのだ。だがその理由がわからない。何故、そこまで過去を封じようとするのか。疑問だけが増えていく。本当はナルサワに直接聞くべきだろうが、KIΧのアジトに単独で乗り込むのは危険すぎる。どうしたものかと考えた時、三人目の男に目が行く。 

「……組織で見た事がない男だ」

 オールバックで黒髪の、四十代くらいの男だ。こんな男は一度も組織で見た事がない。俺がその男をまじまじと見つめていると、写真を覗き込んできたトウジが「あ、こいつ!」と声を上げた。

「まさか……知り合いか」

「いやあ、知り合いじゃあないけどな……思い出したよ。こいつ、オジカ製薬の社長だよ」

「オジカ?」

「なんだ、知らないのか? オジカは結構、有名なんだぜ。特に、悪い意味でな」

 悪い意味……。俺の疑問を感じ取ったように、トウジが意気揚々と話を始めた。

「おう。なんでも治験バイトに来た奴にわざと危険な薬を投与して死なせたとか、浮浪者やら家出した子供に金を払って人体実験まがいの事をしてるってもっぱらの噂だ。今は自分の研究所に籠って怪しい研究してる……ってかなり前に読んだ雑誌に載ってたな」

 やけに詳しいトウジの話を聞きながら、俺はもう一度写真に目を落とす。この男が生きているならば、もしかしたら話を聞けるかもしれない。

「その研究所というのは何処にある?」

「ああ……確か雑誌にそれも載……って、おいおい、まさか乗り込む気か」

「そうだ。こいつなら、カミシロ博士の居場所や俺の過去を知っているかもしれない。だから、教えてくれ……頼む」

 俺が頭を下げると、トウジは「うーむ……」と唸る。俺は更に言葉を続けた。

「俺は、自分が何者なのかを知りたい。いや、知らなくてはいけないんだ。何も知らないままでは……きっと俺は、これからも何者にもなれない」

 何も知らずに生きるよりも、俺は過去を背負いたい。どんなに残酷な真実が待っていたとしても、覚悟している。

 数分、重苦しい空気の中でトウジが一つため息をついたのが聞こえた。

「わかった」

 俺は顔を上げ、トウジを見た。すると、トウジは「でもその代わりに」と付け加える。

「俺も研究所に行く。ここからじゃ割と遠いし、どうせ君は車の一つも持ってないんだろうからな」

「……危険な目に遭うかもしれないぞ」

「そんなのわかりきってるさ。でも、君が全てを知るまでの手助けをしたいんだ」

 俺は「……どうしてそこまで?」と素直な疑問を口にする。トウジは悲しげな顔で「償い、かもな」と呟いた。

「俺な、ミナトの親父からこの研究の話を聞いた時……全然信じてなかったんだ。資料を渡されて読んだ時も……実感がなかった。そんな事があるはずないってな。けど、研究の犠牲になった君が俺の目の前に現れた。きっとアイツから……真実の証明を託されたのかもしれない。アイツを信じ切れなかった俺への、罰としてさ」

「トウジ……」

 俺は俯くトウジに何を言えばいいか分からなかった。そんな俺に、トウジは顔を上げ「何も言わなくたっていいさ。これは、俺のエゴでしかないのかもしれないからな」と悲しげな顔のまま笑った。

「よし、そうと決まればとっとと行こう。オジカに会って、真相を突き止めるんだ」

「……そうだな」

 俺は静かに頷いて、オジカの研究所へ向かう準備を始めた。

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