第2話 リピート

 同じ時間を繰り返している「リピート」という発想。そこには、若い頃から感じるようになった躁鬱症が絡んできていた。しかし、繰り返していることを忘れることのなかった躁鬱症は、今となっては昔のこととなってしまった。それは、忘れることが日常茶飯事のようになってしまい、覚えていることができなくなったことで、

――自分の人生が夢ではないか?

 という発想に至ったからだった。

 この発想は、そんなに昔からあったものではなく、つい最近になって感じるようになったものだ。小説を書いていて、ふと頭に浮かんできたことだが、小説としては面白いが、自分の人生としては笑えるものではない。それでもせっかく浮かんできた発想なので、忘れないようにメモしていた。ただ、そのことを思い出そうとすると、いくらメモしておいたこととはいえ、そう簡単に思え出せない。性格に言えば、

「思い出したことが、時系列で繋がってこない」

 ということだったのだ。

 夢は怖い夢だけ覚えているというのもおかしなものである。楽しかった夢を見たという意識はあるのだが、記憶としては残っていない。記憶が曖昧なのだ。まったく忘れてしまったわけではないと思っていたが、最近はメモを見ても思い出せないことが多い。

「覚えていなければいけないことだ」

 と、その時は思っていても、

「どうして覚えておかなければいけないと思ったのか?」

 ということを忘れてしまっているのだから、

「忘れないようにしよう」

 と自分に言い聞かせても、覚えていないのはある意味当然のことなのかも知れない。

 怖い夢だけは鮮明に記憶に残っている。

 本当は忘れてしまいたいことであるはずなのに、忘れられないのだ。

 覚えられないという感覚と、忘れられないという感覚。若い頃は、忘れられないという方が強かったのに、今では覚えられないという感覚の方が強い。

 今の方が辛いように感じるが、考えてみれば、忘れてしまいたいことを忘れられない方が、よほど辛いのではないかと思う。だが、覚えられないということが実質的な自分の身体の衰えとなるので、本当は切実な問題である。それを問題としない感覚は、自分が生きていることを繰り返している。つまり「リピート」していることで、マヒしてしまった感覚があるということになるのではないだろうか。

――同じ日を繰り返している人がいる――

 藤崎は、最近そんな夢を見た。それこそ、

「忘れてしまいたい夢」

 であるはずなのに、覚えている。自分の中でも最近見た覚えている夢の中でも、一番怖い夢だったような気がする。

 同じ日を繰り返している人がいるのではないかという感覚は、実は昔からあった。

 自分の小説の題材にしたこともあったが、最後のところでどのように閉めていいのか分からずに、中途半端になってしまった記憶がある。

 藤崎は今まで自分が書いて発表した作品を読み返したことはない。新しい作品を作り出す妨げになると思ったからだ。

 それに、自分の発想が貧困だと思っている部分もあってか、前の作品を読み返すことで、同じような作品が出来上がってしまうのではないかという危惧が、頭をよぎるからだった。

 藤崎は次第に、今までの自分が、

――自己満足で小説を書いていたのではないか?

 と思うようになっていた。

 確かに、小説を書いている時は、自分の世界に入り込み、他の人には到底思い浮かぶはずもないような発想を思い浮かべていることが、まわりの人に対しての優越感となっていることに気づいていた。

 しかし、

「自己満足というのも、自分が満足できないのに、他の人に認めさせることなどできるはずがない」

 という考えからだった。

 そういう意味で自己満足を悪いことだとは決して思わない。むしろ、自分が向上していく上で不可欠なものだとさえ思っている。世の中には、本当は悪いことではないのに、悪いイメージで誰の頭にも悪いことだとして思い込ませるようなことがいくつも存在している。これは、目に見えない何かの力が働いていると考えてもおかしくはないと藤崎は思っていた。

「同じ日を繰り返している」

 という発想も、同じ意味で目に見えない何かの力が働いていると思ってもいいのではないだろうか。もちろん、ただそれだけでは成立しないのだろうが、そこに自分の中にある普段の自分ではないもう一人の自分の意志が働いているとすると、一足す一は二ではなく、三だったり四だったりする世界の発想が生まれてきてもおかしくないだろう。

 藤崎が小説を書きたいと思った最初は、中学生の頃に遡る。

 その頃の友達に、SF小説が好きなやつがいたのだが、その頃の藤崎には、本を読むという趣味はなかった。漫画は見るが、本を読むことはなかった。そんな藤崎に小説の面白さを教えてくれたのが、その友達だった。

 ちょうどその頃流行っていた小説の中に、SFでありながら、ホラーの要素も含んだ「奇妙なお話」を主題にしたものがあった。

 その小説家は、元々歴史小説などを書いていたのだが、ある時急にSF小説を書いてみると、それが話題になり、彼特有のジャンルが生まれた。ラストの数行で、それまで読んできた内容の不思議な部分がすべて解決される作品だったが、それだけに一度読んだだけではなかなか理解できるものではない。何度も読み返すことで、やっと理解できるのだ。

 最初は、そんな面倒なことはできないと思っていたが、納得できないことをそのままにしてはおけない性格だった子供の頃、藤崎は何度も読み直してみた。

 今の藤崎が自分の性格で忘れてしまっているのは、子供の頃に感じていた、

「納得できないことをそのままにはしておけない性格」

 というものだった。

 忘れてしまっているからなのか、今ではすっかり淡泊になってしまい、面倒なことは絶対しないというそんな性格になってしまっていた。

 ものぐさだという人もいるが、まさしくその通りだ。最近までは、ものぐさと言われても、他人事のように思っていたが、今ではものぐさだということを今まで考えたこともなかったことに、自分でも不思議に感じていた。

 ただ、納得のできないことをそのままにしておけない性格が、ものぐさではないとは言い切れない。もし、そう感じるのであれば、大人になってから子供の頃を思い出して、自分自身で、

「子供の頃の方が、もっと積極的だった」

 ということを、自覚している証拠だった。

 それだけ年を取ったということなのだろう。少なくともものぐさだということに関しては、

「年を重ねた」

 とはいいがたいものだと、藤崎は思っていた。

 子供の頃に友達から進められて読んだ小説の中に、今ではハッキリと覚えていないが、

「リピート」

 という言葉がキーになっていた小説を読んだことがあった。内容がハッキリとしないのは、

「中学生には難しい小説だ」

 と、友達に言われたからだった。

 自分では、

「よし、意地でも理解してやるぞ」

 と思ったのだが、その裏で頭の中では、

「友達が言うんだから、理解できるはずはない」

 と思っていた。

 その頃から自分のことを、

「裏表のある人間だ」

 と思っていたが、別にそれが悪いことではないと思っていた。確かに内面と外面では正反対なのは気になるが、逆に正反対だということは、

「逆も真なり」

 とは言えないだろうか。

 友達の話していた小説を読んで、「リピート」という言葉が頭に残ったのだが、その後すぐに、「リピート」という言葉がきっかけでSF小説を読み始めたという意識が薄れてきたのを感じた。

 SF小説を読み始めて一年くらいが経ってからだろうか。藤崎が読んだ小説で大きな印象に残ったものとして、

「同じ日を繰り返している」

 というものがあった。

 確かその小説では、主人公は同じ日を繰り返しているということにすぐに気づいたわけではない。

「どうもおかしい」

 と思いながらも、同じ日を三回繰り返して、やっと事の次第に気が付いたのだ。

 まわりの人にそんなことを言えるわけはない。毎日同じパターンが繰り返されるだけで、同じ時間に学校に出かけ、朝最初に出会う相手も毎日同じ、何か小さな出来事が起こっても、知っていたのは自分だけなのである。

 さすがに何度も同じ日を繰り返していると、パターンが分かってくる。最初は流れに身を任せて様子を見るしかないと覚悟を決めるしかなかったが、すべてが分かってくるようになると、

――何とか悪いことだけでも変えられないか――

 と考えるようになる。

 結局、どうしようもないのだが、主人公は次第にその状況に慣れていき、気が付けば自分だけが年を取っている。同じ日を繰り返しているのだから、まわりの人は年を取らない。まるで浦島太郎の逆ではないか。

 藤崎は、この小説を何度も読み返すのと同時に、もう一度浦島太郎の話を図書館で読んでみた。この世界の浦島太郎は、少しストーリーが違っていたのだ。

 というのは、玉手箱を開けてもおじいさんになることはなかった。戻ってきた世界で、同じ日を繰り返すことで時代が浦島太郎においつくのだ。その時代の浦島太郎を自分に置き換えてみた。

――これは夢なんだ――

 そう思うと、気が付けば、布団の中で目を覚ました自分がいた。

――ホッとした――

 まず最初にそう感じた。怖い夢ほど忘れずに覚えているという感覚は、その時からだったのかも知れない。藤崎がそれまでに感じた怖いという感覚が、

――まるで子供だ――

 と感じてしまうほど、同じ日を繰り返している自分が怖かった。

 何といっても、一晩で何年、いや、何十年も年を取った気がしたからだ。同じ日を繰り返していて、まわりの人は一切年を取らないのに、自分だけが同じ日を繰り返しているという感覚とともに、年だけ取っていく。夢から覚めて、次第に意識が元の世界に戻ってくるにともなって、恐ろしさが倍増してくるのだ。

「夢というのは、目が覚める寸前の数秒に見るものらしいぞ」

 という話を聞いたことがあった。

 確かに、目が覚めるにしたがって、それまで長かったと思っていた夢の世界が、一瞬だったように思えてくる。それは夢を覚えている、覚えていないにかかわらずである。その時、夢の世界と現実の世界の間に、明らかな差があることを知る気がした。

 目が覚めてから、夢のことを思い出そうとするのは、楽しかった夢だという意識がある時である。そんな時に限って、さっきまで覚えていたはずの夢を思い出すことができなくなってしまっていた。だから、

――楽しかった夢は、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ――

 という思いに駆られた。

 逆に、怖かった夢に関しては覚えているものである。実に皮肉なことなのだが、そのうちに、

――夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ――

 と、楽しかった夢であっても、怖い夢であっても、夢はすべて忘れてしまうものだという意識を持つようになっていた。

 つまり、怖い夢は、一度忘れてしまってから、その後で改めて、思い出すということなのだろうか。これも、何か「リピート」も関係があるのではないかと思ってしまうのは、それだけリピートが夢と密接な関係にあるということを意識しているからに違いない。

 夢というのは、思い出すことのできる怖い夢をいつ見たのかということは、時間が経つと、まず覚えていない。昨日のことだったのか、それとも、子供の頃のことだったのか、過去に遡る意識は、感覚をマヒさせてしまっているのではないだろうか。

 だが、同じ日を繰り返しているという夢を見たのは、中学の頃だったという意識は、信憑性のあるものではないが、自分の中ではわりとハッキリとしたものであった。やはりその時に読んだ小説の印象が深かったことで、そんな夢を見たのであろう。そう思うと、その時に読んだ小説の内容を再度思い出そうと試みるのだった。

 残念ながら、何度か引っ越しを重ねるうちに、子供の頃に読んだ本は、処分していた。まさか大人になって、しかも、五十代の今頃、もう一度読みたくなるなど、想像もしていなかった。

 誰が書いた、何という小説なのかということも頭の中から消えていた。何かのきっかけがあれば思い出せそうな気がするが、そのきっかけを見つけるすべはまったくない。本屋に行って何度か探してみたが、本の背を眺めていても、その頃の記憶がよみがえってくるわけではない。

――そんなに俺って記憶力がないものなのか?

 と感じたが、それよりも、中学の時に、内容には興味があったが、タイトルや作家について、漠然としてしか考えていなかった証拠だろう。本来なら面白い小説を読んだのなら、同じ作家の他の小説も読んでみたいと思ってしかるべきなのに、

――それをしなかったのはなぜだろう?

 と考えてみた。

 答えはすぐに思いついたが、考えてみれば、当然のことだった。その作家の本は、その一冊だけが世に出ていて、面白い小説であるにもかかわらず話題に上がらなかったのは、――他の作品が世に出てこなかったからなのかも知れない――

 と、藤崎は感じていた。

 あれから、すでに三十数年が経っている。本屋に置いてあるわけもなく、探すとしても、なかなか難しい。検索してみれば出てくるのかも知れないが、そこまでして手に入れようと思わないのは、やはり夢の怖さをいまだに引きずっているからなのかも知れない。

 今までにも、何度か子供の頃の夢を思い出すことがあった。相当昔に見た夢なのに、結構リアルに意識できている。

「思い出したくもないと思っているのに、皮肉なことだ」

 と、ため息をつきたくなるくらいだった。

 そんな時に限って、躁鬱症の時だったりする。躁鬱症は意識し始めてから、しばらく躁状態と鬱状態を繰り返すが、気が付けば、躁鬱状態から抜けている。そして忘れた頃に、また入り込むのだ。

 そんなことを繰り返していると、同じ躁鬱症でも、以前と違ってきていることに気が付いた。

 最初の頃の躁鬱症は、

「躁状態と鬱状態が交互にやってきて、躁状態から鬱状態に変わる時は意識できるが、逆は意識できない。それでも、躁状態から鬱状態に変わっていく時も、鬱状態から躁状態に移っていく時も、その途中に普段の状態が存在するわけではない」

 と思っていた。

 しかし、最近の躁鬱症では、それまでになかった、

「普段の状態」

 が存在しているのだ。

 普段と違うところは、躁状態、鬱状態のどちらからやってきた時も、まったく変わりがないということだ。ただの中間、言葉は悪いがいわゆる「意識が通過するだけの風化した状態」は、自分が何を考えているのか、自分でも分からない、感覚がマヒしている状態があったのだ。

 躁鬱症がいつの間にかなくなっている時、躁鬱症だった頃のことを思い返すと、躁鬱症の時には意識できていなかった「普段の状態」の存在を、いやが上にも意識してしまうのだった。

――その期間は、どれほどのものだったのだろう?

 どうしてそんなことを感じるかというと、今までの躁鬱症では、鬱状態から躁状態への変換の際に、まるでトンネルを抜けるかのように感じていた。その間に普段のじょうっやいが入るのだとすると、自分の中で普段の状態に対してのハッキリとした意識が存在しているはずだと思ったからだ。

 また、怖い夢というのは、普段であれば、それをいつ見たのかということは曖昧だった。しかし、同じ日を繰り返しているという「リピート」の夢だけは、中学時代に見た夢だということを思い出させたのは、

――同じことを繰り返している――

 という意識が、今もあるからだった。

 同じ日を繰り返しているという意識ではなく、どちらかというと、「デジャブ」のイメージなのかも知れない。

「以前にも同じようなことを感じたような気がする」

「リピート」と「デジャブ」では、同じようなところもあるが、決して交わることのない平行線を描いているところもある、藤崎が最初に感じたのは、同じようなところであったが、意識していくうちに交わることのない平行線の存在を意識するようになっていた。

 なぜなら、デジャブに関しては、自分以外の人も意識している。人に話しても同調してくれる人がいて、話しやすい内容である。しかし、リピートに関しては、そのまま話しても、誰も相手にしてくれないことが多かった。なるべくその話題に触れたくないという意識が強いのであろうか。

 しかし、誰もが意識していないように感じられたが、なるべくその話題に触れないようにしようとしているのは、逆に意識しているからではないかと思うと、本当は誰もが意識していて、自分たちの中で、

「触れてはいけない意識」

 としての暗黙の了解があるのではないかと感じた。

 本当は藤崎にもあるのだろうが、意識しすぎているがゆえに、認めたくないという他の人の意識が、無意識のうちに覆い隠そうとして本人たちの意識の外で暗躍していることに最初は気づかなかった。

――どうして皆意識しているのに、意識していないふりをしているのだろう?

 と感じたのだが、そこに「無意識の意識」が働いているということに気づいてしまうと、意識してしまった自分が、まるで悪いことをしてしまったような罪悪感に包まれてしまった。だが、藤崎のように客観的にまわりを見ることができる人間は、案外と多いようだ。ただ、そんな人に限って、同じ日を繰り返しているという意識を、一度は持ったことがあるようだ。そんな彼らがいつの間にか現実に戻っているのは、

――「リピート」が夢だった――

 と感じるからで、そう思わせる目に見えない力が、本人の意識の外で、展開されていたのだった。

「リピート」を意識していないのに、「デジャブ」を感じるのは、何かの辻褄合わせが自分の意識の中に生まれたからではないだろうか?

 以前、何かの本で「デジャブ」のことが書かれていたのを読んだ。

「デジャブとは、本当に見たわけではないが、本や写真集などで見た内容が、自分の頭の中に鮮明に残っていて、『どこかで見たことがあるような』という意識を持つことで、意識の辻褄を合わせようとしているのだ」

 という話を見たことがあった。

――なるほど、これなら説明がつく――

 藤崎は、その本を読んだ時、自分で勝手に納得したような気がした。

「辻褄合わせ」という理屈で考えてみると、怖い夢だけを目が覚めても覚えているという意識は、説明できるような気がしてきた。

 本当は、怖い夢だけを覚えているのは、何か皮肉めいたものを感じさせたが、「デジャブ」のような辻褄合わせの発想であれば、納得もできるというものだ。

 逆に辻褄合わせということは、それはその人それぞれの感じ方が自由であってもいいという意味でもある。誰もが感じていることを、

――話すべきか、話さないべきか――

 という思いを無意識に持っているとすれば、

――話すべきではない――

 という結論しか生まれない。なぜなら、意識していることではないからである。

「誰もが感じていることでも、自分だけが感じていることだと思うのは、暗黙の了解を凌駕していることになるのかも知れない」

 と思うようになっていた。

 誰もが感じているのに、自分だけしか感じていないと思うようなことは、思ったより、多いのかも知れない。

「こんな話をすると、笑われる」

 と思い、話さないことはたくさんあるが、その中のどれほどが、誰もが感じていることなのだろう。藤崎にとって「リピート」と「デジャブ」の関係を考えることは、その答えを導き出すためには、無視することのできないものなのかも知れない。

 まわりのことに気を遣いすぎると、普段から意識していることと、無意識にしてしまっていることが頭の中で混乱し、果ては夢の世界のことなのか、現実のことなのかが分からなくなることがある。躁鬱症の間に、いきなり現れた「普通の状態」というのは、そんな意識を戒めるものなのかも知れないと、藤崎は感じるようになっていた。

 藤崎は、子供の頃に見た「リピート」の夢を、最近になって意識してしまうことが多くなった。ハッキリと思い出されているという意識はないが、最近テレビで見た昔の映画が印象的だったからかも知れない。

 その映画は、死んだ人間がいわゆる「あの世」に旅立つまでに、その進路を決めるという映画だった。

 この世でどのような生き方をしたかで、どの道を進むのかが決まってしまうというのが、この世での死後の世界に対しての考え方である。

 しかし、その映画は少し違っていた。

「あの世に行くまでに滞在しなければいけない場所があり、そこでの行動があの世に行くための進路を決める。つまりは、この世での生き方は、ただの参考でしかない」

 というものだ。

 要するに、この世での「受験」に匹敵するものだとは言えないだろうか。

 確かに、この世の出来事からあの世への道を考えるなら、こっちの方が理屈に合っているような気がする。

 また、あの世とこの世の間の世界での滞在期間というのは、ハッキリとは決まっていない。それは個人差があるからで、その人の過ごし方によって、滞在期間が決まる。

「まるで服役期間のようだ」

 あの世に行くための滞在期間の間があるのであれば、逆に生まれてくる時も、あの世からこの世に生まれる前にも同じような滞在期間があるのかも知れない。その間に、あの世での記憶は完全に消されてしまってから生まれてくるのだが、逆にあの世に行くための滞在期間では、この世の記憶は、その間にすべて消されてしまうのだろうか?

 つまりは、あの世に行くために、

――自分ではなくなってしまう――

 という道を通らなければいけないのかということである。

 その意識はあの世でも持っている。そこがあの世からこの世に入る時に、記憶がすべて消されてしまっている場合との違いでもあった。

 ただ、この映画で主人公は、記憶を持ったまま生まれ変わっていた。そのことは他の誰にも話さない。その理由には二つあった。

 一つは言い伝えの中に、

「あの世からの記憶を持って生まれた人は、この世で他言してはいけない」

 というものがあったからだ。

 まさしくおとぎ話の世界に当て嵌まるものではないだろうか。

 もう一つは、あの世の記憶を持って生まれ変わった人の認識として、誰もが自分と同じように過去の記憶を持って生まれ変わってきているという発想である。だから、この世で他言してはいけないという戒めがあるのだと思っていた。いわゆる「暗黙の了解」である。

 この世には、同じような暗黙の了解がいっぱい存在しているものだと思っている。言葉にしてしまうと、余計なことを言ったとして、相手の気分を害することもあれば、集団で話している時であれば、場の雰囲気を壊してしまうこともある。あまり突飛な話はしないようにするのがルールなのだろうが、それも、自分の言葉をまわりの人が理解するからであり、突飛すぎると、

「頭がおかしくなってしまったのではないか」

 と思われてしまう。

 そのうちに、どんなに正しいことを言っても、誰もその人の話を聞こうとしなくなる。まるで「オオカミ少年」のようではないか。

 主人公の少年は、中学生くらいになると、

「生まれ変わる前に記憶は夢だったのではないか?」

 と思うようになった。

 成長するにしたがって、自分の世界だけでは生きていけないことを悟ってきた。それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、少なくとも、まわりの人間に染まってきたことに変わりはなかった。

 慣れとでもいえばいいのか、まわりの目が気になってくる。自分が集団意識の中に取り込まれたことを悟り、納得いかないと思いながらも、いまさら他の人に生まれ変わる前の記憶を話したとしても、誰も信じてはくれないだろう。それは自分がいくつになっても同じことで、

――このことは、棺桶まで持って行こう――

 とさえ、思ったのだ。

 すると次の発想が生まれてきた。

――それでは、自分が今度は他の誰かに生まれ変わった時も、今の自分の記憶を持っていることになるのだろうか?

 もし、そうであれば、一人の人間の中で複数に記憶が膨れ上がってくることになる。次に生まれ変わった時に意識するのは、今の自分が考えていることなのか、それとも、自分が意識している生まれ変わる前のことなのか、果たしてどっちなのだろう? そう思うと今自分が感じていることも、本当に一つ前に生まれ変わる前の相手の記憶なのか、疑問が沸いてくるのだった。

 もちろん、そんなことをずっと考えていても、結論など出るはずはない。出たとしても、それを証明するすべがあるはずもない。

 一人の人間は一度死ぬと、次の誰かに生まれ変わるという発想から来ているものだが、死んだその人はどこかに収容される。一定の期間の間にあの世のどの世界に行くかを決めなければいけないが、なかなか決められない人もいるだろう。

 そんな曖昧な人は、一定期間を過ぎると、今度はさらに一定期間が与えられる。しかし、その時に与えられる収容所は、ワンランク下の世界であった。

 最後まで下がってしまうと、それ以上下がることはないが、その人はそのまま最低ランクのあの世に行くことになる。それがあの世とこの世を結ぶ世界の「掟」なのだ。

 その掟があるために、死んだ時は平凡なこの世を過ごしてきたのに、最終的には地獄へ落ちるという人もいる。要するに、あの世とこの世を結ぶ世界で一番の罪悪というのは、優柔不断な人物だということになるのだった。

 ただ、生まれ変わった後は、前世の記憶も、あの世とこの世の間の記憶もまったくない状態なのだ。もちろん、地獄に落ちてしまった人には生まれ変わる資格はない。生まれ変われるのは、平凡なこの世を生きてきて、そのまま平凡に生まれ変わることを選択することができる立場の人以上である。

 しかし、実際には、天国に行った人が生まれ変わることはない。

「せっかく天国に行けたのに、いまさらこの世で人生をやり直す気にはならないわ」

 天国というところは、実は天国に行った人のために用意された空間だったのだ。

 生き返ること以外なら、何でも叶ってしまう。

 ただし、悪いことを考えてしまうと、天国にはいられなくなるので、余計なことは考えない。

 天国に来た人というのは、この世でも聖人君子のようなふるまいで、収容所でも、まったく変わらない性格だった人、そして、普通の収容所から昇格してやってきた人の二パターンだけなのだが、そんな人は、いまさらこの世に生を受けようなどと思わないだろう。

 何しろ、この世でできなかったことをやるには最高の場所である。環境は整っているのだ。

 もっとも、この世で自分のやりたいことを目指しているという姿が美しいのであって、目標を達成できるかどうかは二の次だった。しかし。天国では、目標を達成するための障害は何もない。何といっても、その人のためにわざわざ作られた空間なのだから……。

 天国に来るような人は、そんな環境でも胡坐をかくことはない。この世と同じようなふるまいをするだろう。それも、天国を作った神様はすべてお見通しだった。

 しかし、天国に行った人の中には、

「この世に戻りたい」

 と思っている人が稀にいる。

 そんな人は、特例でこの世に生まれ変わることができるのだが、この場合は、過去の記憶を持ったまま生まれ変わることができるのだ。

 これも天国の神様がわざとしたことなのだが、当の本人にとって、それがいいことなのか悪いことなのか、人それぞれで違っているだろう。

「おっと、途中から自分の願望が入ってしまった」

 藤崎は映画を見ながら、気が付けば別の番組になっていたことに初めて気づいた。途中までまるで自分が映画に出演しているような気になって画面を見ていたが、そのうちに本当に妄想が膨れ上がり、いつの間にか、妄想が自分の中からはみ出してしまっていることに気が付いた。

「もし、そのまま気づかなければ、どうなってしまっただろう?」

 夢の世界と現実との間に挟まれて抜けられなくなってしまったかも知れない。ただ、その発想も、あの世とこの世を結んでいる収容所の発想からのものだった。その時の藤崎は何を考えたとしても、最後にはドラマの世界に入り込んでしまっていたように思えてならなかった。

「そうだ、いったんドラマの中に入り込んで、今、現実に引き戻されたのかも知れないな」

 と感じた。

 藤崎は、今までに何度か、

「俺は前世の記憶があるんだ」

 と言っていた人の話を聞いたことがあった。

 ちょうど、ドラマを見た後のことだったので、印書深かった。直後ではなかったように思うが、それだけドラマの印象が深く自分の頭に残っていたからなのかも知れない。

 いや、ドラマの印象が深く残っていたというよりも、その時の前世という言葉に、違和感を感じたからだった。

――前世というのは、ドラマでいうところの収容所のことなのか、それとも、本当に生きていた世界のことなのだろうか?

 という思いだった。収容所の発想はあくまでもドラマの中の発想であり、現実味を帯びているわけではない。そもそも前世の記憶があるという時点で、どこか胡散臭さも含まれていた。

 そんな中で、

「俺は、もう一度生まれ変われるって死んだ時から感じていたような気がする」

 と言っていた人がいた。

「それって、自分が死ぬというのを分かっていたということかい?」

「ハッキリとは言えないんだけど、確かにこのまま死んでしまうということが自分で分かっていた気がするんだ。でも、その時のシチュエーションがどうしても思い出せない。病気で死んだのか、天寿を全うしての死だったのか、それとも事故だったのか……」

 彼はそう言って、考え込んだ。

 その時藤崎は、もう一つ頭に浮かんでいた。しかし、それを敢えて口にすることはなかった。なぜなら、相手の表情を見ていると、そのことを分かっているかのように感じたからだ。

 その人は自分の両の掌を眺めながら、しみじみ何かを考えていた。

――彼にも分かっているのかも知れないな。もう一つの死ぬ方法、つまりは自殺だということを――

 藤崎は、子供の頃から教えられたこととして、

「自殺は自分を自分で殺すことになるので、殺人と同じ。人を殺せば、その人は地獄に落ちるものなのよ」

 というものだった。

 子供心に、

――もっともなことだ――

 と思い、信じて疑わなかった。

 しかし、前に見た映画の内容として、

――あの世とこの世の間に収容所があって、そこで再度裁かれる――

 という話だった。

 確かに、収容所も、自殺者の置かれているところに送られるに違いなく、自分を殺したということで、そのままであれば、地獄に行ってしまうだろう。しかし、そこで、

「もう一度生まれ変わりたい」

 という強力な意思を持つことができさえすれば、生まれ変わることができるのではないかと藤崎は感じた。

 生まれ変わるということは、人生をやり直すという発想ではなく、

「新しい人生を、他の身体を使って生きることだ」

 と言えるだろう。

 そういう意味では生まれ変わるという発想とでは矛盾が生じてくる。しかし、その間の記憶が抹消されてしまえば、もはや生まれ変わりではなく、新しい人生を生きていくということになるのであろう。

 それなのに、稀に過去の記憶を持ったまま生まれてくる人がいるという。そんな人は、何か見えない力に導かれて生まれてきたのかも知れない。それとも、何か使命を帯びているのであろうか。本人にもちろんそんな意識があるはずもなく、使命が何なのか、

「神のみぞ知る」

 と言ったところであろうか。

 藤崎も、前世の記憶が残っていると話していた人の顔をまじまじと眺めると、

――前にどこかで会ったことがあるような気がする――

 と感じた。

 すぐに気のせいだと思い直したが、納得がいかなかった。その時、藤崎は初めて、

「俺は、永遠の命を繋いでいる人がいるという話を信じられるんだ」

 というところに繋がってきた。

 自分の記憶のようで、どこか違う記憶が混じっているような思いは、実は今よりも子供の頃の方が強かった。

 子供の考えなので、あてになるはずもなく、

――そんなバカなことはないよな――

 と自分に言い聞かせてきたが、やはり納得できない自分がいて、いつも意識の奥の記憶の、さらにその奥の片隅に収納されていたようだ。

 ただ、永遠の命を繋いでいるという話を聞いたのは、かなり前だったということだけは言えるようだ。今から思えば、子供の頃だったような気がする。

――子供なので、難しいことは分からなくて当然だ――

 という意識から、記憶だけしておいて、言葉の意味を考えようとはしなかった。今までであれば、分からないことがあれば、納得いくまで考えようとしたが、それはなかった。よほど自分の中で、

――子供が分かる必要のないことだ――

 と思ったからだろう。

 しかし、その時にそれ以上考えようとしなかったのは、我ながら後悔に値する。子供だからと言って納得できないことを放っておくようなことをしたことがなかったのに、その時、一度だけとは言え、自分の中で許してしまったことで、子供と大人の間に、否定したいはずの結界を、自分の中で作りあげたのかも知れない。

 ただ、

「永遠の命を繋いでいる」

 という言葉は曖昧で、特に子供の頃は、勘違いをしていたような気がした。もし、勘違いしたまま考えようとすれば、そのうちに頭が混乱してきて、辻褄を合わせようとすることで、

――何か、大きなことを自分の中で否定しようとしている――

 という考えに陥ってしまったのではないだろうか。

 子供の頃はそのまま理解しようとしていたので、永遠の命を繋いでいるのは、一人の人間だと思っていた。

 いや、一人の人間としてしか発想が思い浮かんでこない。そのまま想像を巡らせてしまうと、落ち着く場所が見つからず、宙に浮いたまま彷徨っているのを感じてしまう。ちょっと見方を変えて、

――命を繋いでいるのは複数だ――

 と思うことで、他の誰かではなく、自分が複数いると考えると、そこにパラレルワールドの発想が浮かんでくることを、子供の頃は分からなかった。

 ただ、大人になると、今度は、

――もしかすると、自分と同じような考えを持っている人が他にもいるかも知れない――

 と感じるようになった。

 同じ時代を生きている人の数を考えれば、中には一人くらい同じ考えの人がいてもいいはずだ。もちろん、なかなか出会うことなどないのだろうが、もし出会ったとすれば、それこそ、見えない力が影響しているように思えてならなかった。

 藤崎は、スナック「コスモス」で謎かけをした数日後、ふいに日向から声を掛けられた。一緒に店にいることはしょっちゅうだったが、声を掛けられたのは初めてだった。

――俺が切った時は、いつもあの人はいる――

 そう、彼の方がいつも自分よりも早く来ていて、扉を開けると、指定席であるカウンターの一番手前の席に鎮座していた。

 最初の頃は、扉を開けるとこちらに振り向いていたが、今ではまったく振り向こうとはしない。

――扉を開ける音を聞けば、俺が来たことが分かるんだろうな――

 と感じたくらいだった。

 藤崎は、日向くらいの年齢の男性と話をするのが、実は一番苦手だった。第一線から管理職への転換期であることを藤崎は知っていた。作家であるにもかかわらず、日向の気持ちが分かる気がした。

――もし、自分が日向と同じ営業職の仕事だったら、きっと彼の本心までは分からなかったに違いない――

 同じ立場の人は、

――立場が同じだから、自分が一番分かるはずだ――

 と、誰もが思うことだろう。

 しかし、分かるということは、自分と同じだと思い込んでしまうことでもある。同じように見えても、人それぞれで微妙に違うのだから、少しくらいは違っていないとウソである。

 それなのに思い込みというのは恐ろしいもので、まったく同じものだという意識が一番先にある。そのために微妙な違いを見誤ってしまい、それ以上近づくことはできない。藤崎はそれを「結界」のようなものだと思っている。

 つまり、相手は意識していないのに、目の前に見えていることでも、絶対にそれ以上近づくことのできない「目に見えないバリア」に包まれているということである。

 しかし、藤崎と日向は仕事も違えば、年齢も違っている。まったく違う考えを持っているであろうと想像できることで、藤崎の方は、

――なるべく、近づきたい――

 と思うようになっていた。

 日向の方は、いつも表情をまったく変えないので、何を考えているか分からない。たいていの人は近づきがたい人物だと思っているに違いない。

 最初は藤崎も同じように思っていたが、どこか日向が、若い頃の自分に似ているように思えてならなかった。

 藤崎は三十代には、人とのかかわりをシャットアウトした時期があった。ちょうど離婚してすぐくらいの頃だっただろうか。まわりの人誰もが信じられなくなり、まったくの無表情になった。

 同じようにまわりの人が信じられなくなったことが、それまでにもなかったわけではない。しかし、その時との決定的な違いは、その時の藤崎は、まわりの人が信じられなくなる前に、一番最初に自分が信じられなくなっていた。

――こんなに辛いのは初めてだ――

 そう思った時期だったが、今から思えば、まず最初に自分のことが信じられなくなってしまったことが一番の原因だったのだと思う。

 まわりが藤崎のことをどう思っているかなど、気にしているつもりで、実は全然気にしていなかった。

――もし、自分のことを嫌いだと思ったとしても、どうすることもできない――

 と思ったからだ。

 それは、自分がその人のために性格を変えて合わせるようなことをしても、他に藤崎だからと言って信頼してくれている人を裏切ることになる。嫌いだと思われている相手を好きにさせるよりも、せっかく今自分のことを気に入ってくれている人を裏切ることの方が、どれほど罪が重いのか、藤崎は改めて考えていた。

 人は、自分が形成している集団の中では、遠慮したり、相手を立てたりして、言葉は悪いが、「ゴマをする」ような真似をするもどのだ。

 しかし、それが自分たちのまわりの人にどれほどの迷惑をかけているのか、分かっていない。

 例えば、喫茶店のレジで、いい年をしたおばさんたちが、

「ここは私が払います」

「いえいえ、私の方が」

 と言い合って、気を遣い合っているのを見ることがある。

 他の人がどう感じているのか分からないが、藤崎は、

――見るに堪えない――

 と思っている。

 自分たちの集団の中ではいいのだろうが、もしそのレジに次の清算待ちのお客さんがいればどうだろう?

 もし、その人が文句を言わなかったにしても、誰も気づかないのは、何とも見ていて情けない。

 おばさんたちは、気を遣い合っているわけではなく、自分の立ち場が悪くなるのを恐れているだけなのだ。相手に対して優越感を味わいたいため、恩を売ってもらうことを極端に嫌う。そんな人は、自分が恩を売ったこともあるだろうから、その考えの根底は分かっているはずである。

――それなのに、どうしてやめられないのだろう?

 そう思うと、やはり目に見えない何かの力が働いているのだということを感じずにはいられない。

 そんな光景を思い出すだけで、本当は嫌な気分になるはずなのに、それほど嫌ではなかった。それは自分のことを冷静に見れているからで、人との関わり方に関しては、今でこそ、少しはよくなってきたが、二十代までに比べると、まわりから見ても、変わり者にしか見えていないことだろう。

――だから、日向のことを理解できるとすれば、自分のようなタイプでないとできないかも知れない――

 と感じていた。

 そんな日向から話しかけられただから、余計にビックリした。

 もし、これが他の人と同じような性格の人であれば、

――何を急に、ビックリするな――

 と、急に話しかけられたことに驚きを隠せないに違いない。

 しかし、藤崎の場合は、日向自身から声を掛けてくるとは思ってもみなかった。

――彼に対しては、自分から歩み寄らない限り、距離が縮まることはない――

 と思っていた。

 別に友達になりたいとは思っていなかったし、彼の方で関わりたくないと思っているのであれば、必要以上に刺激することもない。そっとしておいてあげるのが一番だと思っていた。

 話しかけてきた内容は、意外なものだった。

「実は僕、以前から藤崎さんとお話をしてみたいと思っていたんですよ」

 まずは声を掛けてきたことに驚いていた藤崎に、追撃するような形で、話題に入ってきた。

「どういうことなんだい?」

 驚きを隠せない藤崎だったが、見た目だけでも、冷静さを装いたかった。話しかけてきた本人である日向というよりも、まわりの人たちに、驚きよりもうろたえに近い状態を見せるのが嫌だったからだ。

「さっき、藤崎さんは、『俺は、永遠の命を繋いでいる人がいるという話を信じられるんだ』と言っていたでしょう? 実は、その話に出てくる『永遠の命を繋いでいる人物』ではないかって思っているんです」

 同じ考えの人がいるだけでもビックリなのに、何とも話題の中の人が存在するなど、改めてビックリさせられた。しかも、こんなに近くにいるとなると、もう何か二人を引き合わせる不思議な力が働いているとしか思えない。

 だが、彼の話を聞いてみないと、どこまで信憑性のあるものなのか分からない。そしてその信憑性を評価できるのは、自分自身でしかありえないと思っていた。

 藤崎が自分に対して、ここまで過大評価をしていたなど想像もつかなかった。

 だが、そう感じたのも無理はない。元々藤崎は自分を自惚れていると感じたことが何度もあったが、そのくせ、自信のない時はとことん自信がない。おだてに弱いが、不安になると、底もないのだ。その時の藤崎は、自惚れの藤崎だったのだ。

「日向さんは、私の話を真剣に聞いてくれていたんですね?」

 というと、

「ええ、藤崎さんのお話は、ふざけているように見える時でも、しっかりと話題が浮かび上がっているように思えます。ふざけている時の方が、却って真剣みを感じ、他人があらぬ方向に導かれているのを見ると、たまに痛快に感じることがあるくらいです」

「それは買いかぶりすぎですよ」

 さすかに、そこまで言われると、照れくさい。持ち上げられている時、照れているのを他人が見ると、さぞやバカみたいに見えるであろう。

――どうして、こんなに他人の目を気にするのだろう?

 普段は他人の目など意識することもなく、自分は自分だと思ってきた。それは、自分が他の人とは違うと思っている独特な性格をいくつも持っているからだ。

 それなのに、どうしてこんなに他人の目を気にするのか?

 それは、自分が変わっている部分、つまり人にはない部分に対し、自惚れている気持ちを悟られたくないという思いからであった。

 他人の目は、誰も同じ目にしか見えてこない。それぞれに目力の強さによって、感じ方が一人一人違うはずなのに、藤崎にはそんな感覚はなかった。自分のことを買いかぶっていると言った日向のように、藤崎自身がその視線を逐一気にしていなければ気が済まない相手でなければ、自分に向けられる視線は皆同じなのだ。

――そうでないと疲れてしまう――

 一人一人を考えながらだと、人が密集しているところに行くと、まわりの視線だけで疲労困憊してしまうことだろう。

 そのうちに一人一人を見なくなる。

 最初は、他人の視線を感じないことは気が楽だと思っていたことが、甘かったことに気づかされた。確かに人の視線を感じなければ気は楽だったが、まわりが何を考えているか分からないということの方が、よほど辛かった。気は楽だが、見えてこないことで、変なところに力が入ってしまい、次第に自分の行いが正しい方向へ自分を導いてくれているのかを疑ってしまう。

 そもそも、何が正しい方向なのかも分からない。そんな時は、意識しない方がいい。意識しなくてもいいことは、本当に意識しない方がいいのだ。そういう意味ではよくできていると思えてくる。

 そんな時、スナック「コスモス」で知り合った日向は、藤崎にとって自分を活性化させることのできる媒体のように思えてきた。もし、話しかけられなければ、こちらから歩み寄ることもなく、気にはなっても、接近しようなどと思うような相手ではなかった。そう考えると彼が話しかけてきたこと自体、不思議な力が導いてくれたと思っていいだろう。

「永遠の命を繋いでいるという言葉の意味を分かって言ってるんですか?」

「ええ、私は今でこそ、毎日を普通に過ごせていますが、信じられないことなのですが、ある時期、毎日を繰り返していたことがあったんです」

「それは本当ですか?」

「ええ、私がまだ大学時代の頃のことでした。今ではあまりにも昔のことなので、あれは自分の勘違いだったのではないかと思うくらいです」

 大学生というと、今から十年くらい前ではないか。同じ日を繰り返していたというが、藤崎が考えている「リピート」と同じなのだろうか?

「それは、どのくらいの期間だったんですか?」

「ハッキリとは分かりません。ただ、同じ日をずっと繰り返すんです。午前零時寸前になると、急に意識が朦朧として、意識が戻ると、午前零時を過ぎていて、前の日と同じ感覚になるんですよ」

 落ち着こうという様子は窺えたが、落ち着こうと思えば思うほど、胸の鼓動がひどくなるのだろう。咽喉が乾いているのか、ハスキーボイスに拍車がかかるばかりで、次第に聞き返さないと何を言っているのか分からないくらいになっていた。

 もっとも、本人はそこまで混乱していないのかも知れない。そう思うのは藤崎もパニくって話をする時、まわりの反応が、自分の思っているよりもかなり過剰な反応に感じられたからである。単純な比較はできないが、日向もきっとそうなのだろうと、藤崎は感じていた。

「それで、あなたは冷静でいられました?」

「ええ、思ったよりも冷静だったと思います」

 冷静だったと聞いて、最初はさすがにビックリした。

――俺は、こんな状態で本当に冷静でいられるだろうか?

 と考えたが、日向を見ていると、まんざら見栄でもないようだ。その表情はいつもと変わらない表情で、目だけ輝いていた。

 しかし、日向を見ていると、自分も冷静になれるような気がした。根拠はないが、もし興奮していたとしても、どこかのタイミングで急に冷めてしまう瞬間があるような気がする。それは日向や自分だけにではなく、他の人皆にである。しかし、それに気づくか気づかないかで、その人の運命は変わる。そんな風に感じた。

 藤崎は、話をしているうちに、まるで自分もリピートしていたような思いが湧き上がってくるのを感じた。それは忘れてしまった夢を思い出すかのようで、日向が自分の意識の中に入り込み、自分の記憶を藤崎の記憶に落とし込み、まるで最初から自分の記憶だったかのように藤崎に感じさせるすべのようなものを持っているように思えた。

 藤崎は、本当に自分が同じ毎日を繰り返す「リピート」を経験したような意識はあったが、それがいつのことだったのか、ハッキリとはしない。

――ひょっとすると、リピートをただの夢としてしか感じていなかったのかも知れない――

 もし、そうであれば、考えられることは二つ。

 リピートを本当に信じられないこととして意識しているからなのか、逆に日常茶飯事のこととして、まるで路傍の石のように目の前に見えているのに、慣れからなのか、意識するための感覚がマヒしていたのかのどちらかではないだろうか?

 そのどちらもまったく正反対に思えるが、突き詰めると、同じ発想から出ているのではないかと思えた。

――結局、リピートを意識していることには違いない。信憑性のないこととして否定したい気持ちが強いのか、その逆で、感覚をマヒさせてしまわないと、考え続けることで、迷走してしまう自分が恐ろしくなったからだろうか――

 藤崎が意識を「リピート」と名付けたわけではない。学生時代に何かの本を読んで、そこに書かれていた「リピート」という言葉に魅せられたからだった。

 魅せられたはずの小説を覚えていないわけではないが、小説家を目指すようになった藤崎にとって、小説のストーリーを考えている時、絶対に意識してしまうのが、この「リピート」という発想だった。

 藤崎がリピートを意識し始めたのは、小学生の頃の夢が原因だったが、その夢も、自分が同じ日を繰り返しているのではないかという普段の意識があったわけではない。

「ひょっとすると、テレビで見たことが頭の中で引っかかっていて、リピートという自分の元からあったかも知れない発想と合わせて考えていたのかも知れないな」

 と思っている。

 藤崎は子供の頃の記憶として、誰か大人の人からリピートに近い話を聞かされたような気がしていた。自分が考えるリピートとは少し違っていたと思う。もし一緒だったら、子供の頃の記憶が曖昧なこともないと思うからだ。

 自分の発想と、聞かされた発想にギャップがあったことで、記憶の奥にはしまいこまれたが、どうしても曖昧になってしまったのだろう。逆にもし同じような発想であったならば、最初に意識させられて、夢に見ることもなかっただろう。夢に見たのは自分の中で曖昧な記憶を意識しようとした結果だと思ったからだ。

 最初にリピートの話をしてくれた人は女の子で、普段からおかしなことを口にしていたので、同性からもあまり相手にされていなかったようだ。いつも一人でいるような女の子で、そのことが却って藤崎の目を引いたのだった。

 最初に声を掛けたのは藤崎だった。

 それまで、女の子に自分から声を掛けるなど考えたこともなかった。今から思えば声を掛けるまでの彼女を女の子として意識していなかったのかも知れない。藤崎は、女の子らしい素振りをしてくれる子でなければ、女の子として見ないようにしていた。もちろん無意識にではあるが、視線を逸らしていたのだ。

 だから、いつも一人で寂しそうにしている彼女を女の子として見ていなかったのかも知れない。だが、寂しそうな素振りが、どこか気になっていた。

「一声掛ければ、僕になびいてくれるかも知れない」

 という下心がなかったと言えばウソになるだろう。

 どのように声を掛けたのか覚えていない。しかし、その時の彼女の表情が、怯えに満ちていたのを覚えている。ずぶ濡れのノラ猫が迷い込んできた時のようなイメージだったが、相手が人間で、しかも女の子だと思うと、いとおしさが込み上がってきたのだった。

「私、どうやら年を取らないようなの」

 いきなりおかしなことを口にしていた。

「どういうことなんだい?」

「私は、毎日を繰り返しているのよ。今日が終われば、また今日が始まる。だから、あなたが明日の私に会ったとすれば、それは私であって私じゃないの」

 これが、彼女のリピートの発想であった。

 しかし、それが彼女が年を取らないということに対しての答えではなかった。

「じゃあ、今の僕が会っている君は、本当に今の君なの?」

 藤崎は、何をどう質問していいのか分からなかったのだが、思わずこの言葉が口から出ていたのだ。

「ええ、本当に今の私。でも、あなたをはじめ、他の人は皆、明日という扉を開いて向こうに行ってしまうの、でも、この世界にもあなたがいることに間違いない。でも、明日会うあなたと、本当に今のお話をしているかどうか、私にも分からないの」

「どういうことなんだい? 同じ日を繰り返しているのであれば、君にとっては、二十四時間前のことでしょう? それを分からないというのはどういうことなんだろうね?」

「私は確かに二十四時間前もあなたに出会った。そして二十四時間先にもあなたと出会うと思うんです。でも、同じ日であっても、今から先のことであることには違いない。私には、未来のことなので、分からないのよ」

「じゃあ、君は同じ日を繰り返しているということに、疑問を感じていると思っていいんだね?」

「そうね、確かに信じていないのかも知れないわね。でも、これが運命だとするなら、信じないわけにはいかないでしょう?」

 彼女はそう言って考えていた。

 彼女の話を聞いていると、同じ日を繰り返していても、今が現在だとすれば二十四時間前は過去で、二十四時間後は未来であることには変わりない。だから、先のことは分からないということなのだろう。

「同じ日を繰り返していて、昨日や明日という意識はあるのかい?」

「ええ、あるわ。ずっと繰り返しているだけのことで、気持ちは翌日になったと思っているの。でも、すぐに同じ日だと思い知らされて、最初はショックだったけど、今は慣れてきたわ」

 と言って、その顔は落胆に溢れていた。

「君にとっての昨日の僕はどんな僕だったんだろう?」やっぱり、僕はこうやって話しかけたのかい?」

「いえ、あなたが話しかけてきたのは今が最初だったの。二十四時間前にも、四十八時間前にもなかったことだわ。でも、同じ日を繰り返しているといっても、本当にまったく同じことを繰り返しているわけではないのよ。少しずつ微妙に違っていることも結構あって、今の私は何を信じていいのか分からなくなっているの」

 話を聞いているうちに、藤崎も彼女の話に信憑性を感じるようになっていた。これと似たような話を以前に聞いたことがあったからだ。

――いや、本当に以前だったのだろうか?

 確かに昔に記憶が遡るほど、時系列や、時間の長さの感覚など、おぼろげになってくるというものだ。それだけの長い年月を経て今に至っているということであり、毎日何かしらの進歩や身につけることがあったと思っているので、昔になればなるほど、意識がおぼろげになってくるのは当たり前のことである。

 もしそうでないとすれば、今現在の時系列もめちゃくちゃになっていて、根本的な記憶は時系列を伴わないものとなり、

――本当に記憶と言えるのだろうか?

 と思えるほどになってしまうことだろう。

 子供の頃のことを思い出すと、

――昨日、夢で見たのかも知れない――

 と感じる。

 昔のことは、何かのきっかけがなければ、思い出さないようになっていた。それがいつ頃からだったのか定かではないが、少なくとも四十歳は過ぎていたような気がする。昔のことを思い出す時、

「戸惑っているのだろうか?」

 と感じたからであり、

「四十にして惑わず」

 という言葉を思い出していたからだと思っていた。

 だから、昔のことを思い出すには、何かのきっかけが必要になった。それが昔の知り合いとの出会いだったり、部屋を整理していて出てきた昔の持ち物だったりするが、夢で見た時はストーリー仕立てなので、印象に深いだろう。

 しかし、悲しいかな、見た夢を覚えていることはなかった。

「小学生時代の夢を見た」

 という意識はあるが、

「どんな夢だったのか?」

 という意識はないのだった。

 小学生の頃は藤崎にとってブラックボックスであった。あまりいい思い出のある時代ではなく、覚えていることとすれば、いつも一人でテレビを見ていたという思い出だけだったのだ。

 ただ、その中で彼女のことは異質だった。しばらくして彼女は転校していったが、転校したという事実だけの記憶があり、感情の記憶がない。

――また一人でテレビを見ている毎日に戻っただけだ――

 という意識が藤崎に残っているだけだった。

 ただ、会話の一つ一つはなぜか覚えている。藤崎がまだ小説家として本を出す前に書いた作品に、彼女のことをテーマにしたものがあった。藤崎自身、結構自信があった作品で、今でも自分の最高傑作だと思っているほどである。ただ、発想があまりにも突飛だったので、世間から受け入れられることはなかったのだろう。

 舞台も話の内容もノンフィクションであった。話をしたという記憶を忠実に書いただけなのに、世間では突飛だと言われる。藤崎は少し違った考えを持っていた。

――本当は誰もが同じような発想を持っているけど、話をするとバカにされそうなので、黙っている――

 というものである。

――確かに小学生の発想かも知れないが、単純な発想に思えて奥の深い発想は、小学生ならではなのかも知れない――

 とも思ったのだ。

 藤崎が小説家になろうと思ったきっかけの遠因に、彼女とのことがあったことに間違いないだろう。しかし、小学生の頃の発想は、次第に大人になるにつれ、自分の中で否定しているのにも気づいていた。

「大人がいつまでもそんな子供みたいな発想していてはいけない」

 誰から言われたわけではないが、どこかから聞こえてきた。自分の中にある理性の声なのではないかと思った藤崎は、しばらく自分の中の理性と話のような錯覚に陥っていたが、気が付けば、理性と決別している自分を感じていた。

 今でこそミステリー作家として執筆しているが、本を出すようになってからも、少しではあったが、SF小説を書いていた。発表したいと言っても出版社は認めてくれない。藤崎の小説家としての苦悩は、そこにあったのだ。

 別にミステリーが嫌いというわけではないが、書きたいものがあるのに書けない。書いたとしても発表できないというのは、ストレスが溜まるばかりだ。だからスナックの女の子にSFチックな話をして気分転換を試みていた。

 藤崎は、スナック「コスモス」のママに、子供の頃、不思議な話をしていた女の子おかぶせていたのかも知れない。藤崎に意識はなくとも、ママの方で、

――この人は私の後ろに誰か他の人を見ている――

 と感じさせた。

 それが却って藤崎の神秘性を醸し出し、ママのオンナとしての感性に火をつけたのかも知れない。

――そういえば、小学生の頃に、彼女に本を貸してあげたことがあったっけ?

 急にそのことを思い出した。ママが小学生の頃にSF小説を借りたと言っていたが、まさかそれが藤崎ということはないだろう。ママがその本の内容を覚えていればハッキリするのだが、覚えていないと曖昧に終わってしまう。いろいろ曖昧なことが起こっているが、このことが曖昧になるのは、藤崎の本意ではなかった。

 その女の子に貸した本は、藤崎が初めて「リピート」という発想を感じさせられたものだったような気がする。今から思えば、

――そのことで悩んでいる彼女に対して、何という本を貸してしまったのだろうか?

 と思わずにはいられない。

 繰り返していることが「リピート」という発想になるのだが、正確な意味とすれば、少し違っているような気がする。

――何かを繰り返しているという意味。これほど曖昧な言葉もないのかも知れないな――

 と感じた藤崎だった。

――その時の彼女、あれが俺の初恋だったのかも知れない――

 初恋がいつだったのかなど、今までに考えたこともなかった。

「初恋は甘く切ないもので、決して成就することはない」

 という言葉を聞いたことがあったが、まさしくその通りだろう。もし、その時の女の子以外に初恋の人がいたとすれば、よほど陰の薄かった人ではないかと思えた。実際にそんな人はいなかったはずだ。今までに生きてきた人生の中で、初恋の相手が占めた割り合いがどれほどのものなのか、自分でも想像できない。

 そういえば藤崎はスナック「コスモス」のママに、

「ママの初恋はいつだったんだい?」

 と聞いたことがあった。聞いてからすぐ、

――こんなこと聞かなければよかった――

 と思ったが、後の祭りである。

「初恋? 忘れたわ」

 と、けんもほろろに一蹴されてしまったからだ。

「初恋なんて、言葉でいうと甘く切ないものだけど、本当はそんなにメルヘンチックなものじゃなく、リアルに感じるものなんじゃないかしら?」

 と、ママは冷めた表情で言い放った。

 そんなママのことが気になったのは、本当に偶然だった。

 それは、小説のアイデアがなかなか浮かんでこなかった時のことだった。

 小説のアイデアが浮かばないことなど、最近ではしょっちゅうのこと。さすがに最初の頃は、

「俺には才能がないのか?」

 と悩んだりしたものだったが、最近では、自分の才能など考えることなく、気楽に書けるようになったことで、却ってそんな悩みを感じていた頃のことを懐かしく思うくらいだった。

 藤崎が小説を書く時、最初にすべて揃えていることは稀だった。途中までをある程度青写真を描いておくことで、執筆を開始する。その方が途中で立ち止まっても、迷うことがないからだ。

 下手に最初からすべてを用意してしまうと、途中でふと立ち止まった時、我に返ってしまうと、それまで考えていたことが頭から消えてしまうことがあったからだ。

 これは忘れっぽくなったことと因果関係はないものだと自分では思っていたが、本当に関係ないかどうか、気になるところだった。きっと意識していないつもりでも、意識の中にあったに違いない。

 藤崎は、小説で息詰まると、最初に考えるのは気分転換だった。

 まったく筆を置いてしまうことはできないが、気分転換にどこかに出かけてみたいと思うことは何度もあった。一泊旅行で温泉に出かけてみたり、日帰りで、ツアーに参加してみたりしたこともあった。

 だが、どれも何度も続けるには中途半端だった。そこで考えたのが、

――馴染みの店を持つこと――

 だったのだ。

 大学時代には、アパートの近くにある喫茶店を馴染みにしていたが、その時のような馴染みの店を作りたいと思うようになっていた。

 大学時代、馴染みの店には一人で出かけていた。普段から、一人で行動することは珍しかったのに、馴染みの店を持つと、一人で出かけることが多くなった。

  馴染みの店を学生時代の友達は誰も知らないに違いない。誰にも知られないように注意しながら通っていたからだ。

 元々、集団で行動することが多かった藤崎だが、輪の中心に入ることはなかった。

――存在を消しながら、そっとしてもらう方が気が楽だ――

 と思っていたからで、なるべく目立たないようにしていた。

 しかし、そのうちにそれが億劫になってきた。

――目立たないようにしているのって、何となく時間を無駄に使っているような気がする――

 と感じていたからで、別に目立ちたいという思いがあるわけではないのに、そんな気分になるというのは、

――元々、俺は一人でいる方が似合っているのかも知れないな――

 と思うようになったからだ。

 高校時代から、馴染みの店を持つことに憧れていた。大学に入れば馴染みの店を持ちたいと思っていたはずなのに、大学入学と同時に集団意識の中に入り込んでしまったことで、馴染みの店を持ちたいと思っていたはずの気持ちを、忘れてしまっていたようだ。

 馴染みの店を持ちたいと思うようになると、集団意識が邪魔になってきた。

――俺はどうして集団の中に身を投じるようなことをしたのだろう?

 確かに集団の中にいれば楽ではあった。いろいろな情報が入ってくるし、何よりも話をしているだけで楽しくなってくる。まわりから、自分の存在を認められたような気がしてくるからだ。

 そういう意味では最初は、

――集団の中にさえいれば、目立たなくても別にそれでもいいんだ――

 と思っていた。

 そんな時に馴染みの店を持ちたいと思うようになると、それまでの自分との葛藤が始まり、気が付けば、集団から離れるようになっていた。

――一人でいることが俺の望みだったのか――

 と思うようになると、さっそく馴染みの店を探すようになった。

 大学の近くはさすがに嫌だった。いつ誰に見つかるか分からないからだ。

 別に見つかることはいいと思えたが、その人と気まずくなるだけではなく、馴染みの店に入りづらくなってしまうことを恐れたのだ。

 アパートの近くには住宅街があり、その近くに喫茶店があった。アパートに入居した時に、まわりを一度歩いてみたことがあったが、その時にはなかったものだ。店の作りも新しいし、常連になる少し前にできたようだった。新しいというのも興味を引いたが、何よりもまだ常連と呼ばれる客が少ないことは嬉しかった。同じ常連の店を持つならば、客として最初の頃の方がいいに決まっている。その店を見つけたことは、藤崎をかなり有頂天にさせていた。

 朝早くから開いているのは嬉しかった。モーニングの時間は、午前七時から、十時までの間だった。大学が近くにあるならまだしも、住宅街の近くでそんな早朝から店を開くというのは、マスターにとって、何か計算があったからだろうか。七時台はあまり客はいないが、八時前後くらいから、客は増えていた。

 実は住宅街の向こう側に流通団地があり、そこの従業員が朝立ち寄ることが多かった。皆静かに雑誌や新聞を読んでいる。ほとんどの客は単独で、中には同じ会社の同僚もいたかも知れないが、この店では一切そんなことは関係ないという表情だった。その雰囲気が独特で、藤崎のような一人でいたい大学生にはありがたかった。

 朝は、マスターとアルバイトの女の子の二人で店を賄っていた。アルバイトの女の子は藤崎の通う大学の近くにある短大の一年生だった。

「このお店に朝から大学生の人が来るというのは珍しいんですよ」

 と彼女は言っていた。

 彼女とは世間話をするが、深い仲になることはなかった。

「私には、彼氏がいる」

 と最初から聞かされていたからだ。世間話だけでも結構楽しいので、彼氏がいると言われても、別に気にすることはなかった。

 実は、当時藤崎よりも、彼女の方が「謎かけ」が好きだった。いつもクイズのように出してくる謎かけに最初は戸惑っていたが、彼女の謎かけパターンに共通性があることに気づくと、回答もすぐにできた。

――元々、謎かけに回答なんてないんだ――

 という考えを持てば、答えを導き出すには、さほど時間が掛からなかった。

 ただ、その答えを導きだした経緯は大切で、彼女もそのことを気にしていた。それでも彼女の共通性に気づいた藤崎は、プロセスを考えた上で答えができていたので、会話が盛り上がったのはいうまでもない。

――ひょっとすると、彼女は最初から俺に答えを導かせようと、共通性をあらわにしたのかも知れない――

 と思ったが、もちろんそのことを口にすることはなかった。

 藤崎が謎かけをするようになったのは大学卒業してから、最初に馴染みの店を持ってからのことだったが、大学時代の馴染みの店で楽しかった謎かけの思い出が影響していることは言うまでもないだろう。

 大学を卒業してから馴染みの店を持つようになったのは、卒業後三年経った頃からのことだった。それまではほとんど家で執筆をしていたが、家の近くに喫茶店が一つの原因だった。

 藤崎には大学時代の馴染みの喫茶店のイメージが頭にこびりついていた。

――それと同等か、それ以上でなければ、今の自分には馴染みの店として認められるだけの場所はないだろう――

 と思っていた。

 カフェのような店は多かったが、昔からの純喫茶、つまりは、常連さんが多い店というのはなかったのだ。もちろん、カフェの中には馴染みの人もいないわけではないだろうが、藤崎が思い描いている常連さんのイメージとはかけ離れているように思えてならなったのだ。

 スランプというと語弊があるかも知れないが、一時期小説を書くことが億劫になったことがあった。書かなければストレスが解消できないのは分かっていたが、それでも何も浮かばない。焦りが募ってくると、昔からロクなことがないと思っていただけに、自分の中の焦りをなるべく意識しないようにしていた藤崎が、さすがにその時は焦りを感じてしまった。

――しまった――

 普段から、焦りを感じるようにしておけば、もう少しは落ち着いていられたかも知れないが、いきなり襲ってきた焦りに、どう対処していいのか、まったく分からなかった。

 つまりは、免疫がないのだ。

 そんな状態で、執筆しようとしても焦るだけだった。その頃はまだ会社で仕事をしながらの執筆だったので、どこか焦りは控えめだったはずなのだが、一度焦ってしまうと、自分が自分ではなくなってしまったかのような錯覚に陥るのだった。

 一度は諦めようかと思った小説家への道、何度新人賞に応募しても、ほとんど、一次審査も通らない。何か根本的な違いがあったのかも知れない。

 それでも、何とか新人賞を取ることができ、プロに転向すると、

――諦めなくてよかった――

 と思った。

 正直、いつも応募する時、

「今回だめなら、小説家は諦めよう」

 と思いながらの投稿で、正直、新人賞を取った時も、

「どうせ、今回もダメだろう」

 と、思いながらの投稿だった。

 それだけに、取った時は感無量だった。

「ずっと続けてきたことがすべてです」

 と、賞を取った時の感想として雑誌のインタビューに答えたくらいだ。三十歳代も後半に差し掛かろうとしていた頃、藤崎は自分の人生の頂点を迎えたと思っていた。

 その時に入った喫茶店は、今でも健在で、常連は入れ替わったりしているが、それでも、昔馴染みの客層が中心であることに違いはない。

 藤崎は執筆する時と、休憩する時では席が違う。

 執筆する時は店の中と表を同時に見渡せる窓際のテーブルがメインの席になっていて、休憩する時はカウンターに席を移す。しかもカウンターに座る時は一番奥の席に座り、あくまでも店全体が見渡せる場所を選んでいたのだ。

 店に来る時間は、あまり決まっていない。その日、何時に起きたかによって決まるのだが、前の日、夜更かしして執筆をしていた時など、起きてくるのは昼頃だった。

 目が覚めてから、コーヒーを一杯だけ飲みながら、テレビを見ている。さすがに昼時であれば、ランチタイムということもあり客が多いのは分かっているので、店に入るのは午後二時過ぎと決めていた。

 朝から目が覚めた時は逆に早めに店に行くようにしていた。その店も朝早くから開店していた。午前八時の開店だったが、サラリーマンの通勤前のモーニングを狙ってのことだろう。

 客はそこそこいた。誰もが無口で、新聞や雑誌を読んでいる。朝独特の光景だが、藤崎は嫌いではなかった。

 その日は、前の日に夜更かしをした関係で、目が覚めたのは昼過ぎだった。もし、馴染みの喫茶店を持っていなければ、

「一日の半分を無駄にしちゃったかも知れないな」

 と感じたことだろう。

 だが、馴染みの喫茶店があり、そこで仕事も休憩もどちらもできるのだから、ありがたいことだった。

――時間によっては夕食もそこで済ませればいい――

 半日でも十分に一日分の充実感を味わえるというものだった。

 店に入ったのが午後二時頃だった。まだ少し暑さの残った時期だったので、店内は冷房が効いていた。普段は真夏でもホットコーヒーを飲んでいたが、その日はアイスコーヒーの気分だった。

 アイスコーヒーを注文すると、

「えっ」

 と、一瞬女の子はビックリした様子で、すぐに我に返って苦笑いを浮かべたが、それだけ藤崎がアイスコーヒーを注文するのは稀だったのだ。

 アイスコーヒーを一気に半分くらい飲み干すと、それまでまだどこか眠りから覚めていなかった自分の頭がスッキリしてくるのを感じた。

――やっぱり、アイスコーヒーにして正解だったな――

 以前から、アイスコーヒーの一気飲みが、自分の頭の活性化に繋がることは知っていたが、改めて眠気が残った状態でやってみると、実にスッキリした気分にさせられたことに感動を覚えるほどだった。

 その頃から眼鏡が必要なほど、視力の低下を気にしていたが、その日は表を見ていても、クッキリと景色が見えていた。

――アイスコーヒーの恩恵だろうか?

 と思ったほどで、普段なら昼下がりのこの時間というのは、身体に一番だるさを感じていただろう。

 表がクッキリと見える分、一筆にも身が入った。しかし、ふと店内を見渡すと、今度は暗すぎて、ハッキリと見えなかった。

――今日は、店内よりも表を気にする日なんだろうな――

 と感じ、表を見ながらの執筆となったが、これほど表を見ている時の執筆の方がはかどるとは思ってもみなかった。

 それから小説を書く時は、表を見るようにしている。もちろん、何も考えずにボーっと見ている時もあるが、表を見ながら歩いている人の人物描写などをしていると、勝手に頭の中にストーリーが浮かんでくるのだった。

 その時、ふと住宅街の方に目を向けると、一人日傘を差しながらこちらに向かって歩いてくる女性がいた。

 その女性からは凛々しさが感じられ、真っすぐ前を向いて、背筋を伸ばしたまま歩いているのを見ると、見とれてしまっている自分になかなか気づかなかった。

 相手はこちらの様子に気づくはずもない。表から店の中を見るのと、店の中から表を見るのとでは、ガラス越しなので、表を歩いている人に、こちらの視線が感じられるなど、普通はありえないことだろう。

 藤崎は、以前自分の書いた小説を思い出していた。

 確か、マジックミラーを題材にした話だったような気がする。

 藤崎が小説のネタにするアイテムは、鏡、時計、など、時間や異次元を彷彿させるものが多く、特に鏡に関しては、

――他の人にはないのではないか――

 と思えるような発想を抱くことが多かった。

 マジックミラー以外の話でも、例えば、自分の左右にそれぞれ鏡を置いた時のシチュエーションを題材にした小説もあった。その時の小説のテーマは、「無限」であった。

 鏡を左右に置くと、どちらかの鏡に自分が写り、その後ろには反対側の鏡が写っている。そして、その鏡の中には、こちらが写っているのだ。そのようにどんどん細分化されたような発想が頭をよぎっていくと、

――限りなく続く鏡の中の世界――

 という表現で表される状況が思い浮かんでくる。

 それは、数学の中にも言えることだった。

「整数は、どんなに大きな数字で割り続けても、マイナスになることはない。限りなくゼロに近づいていくだけだ」

――鏡の果ての世界を見てみたいものだ――

 藤崎は、勝手にそう感じていた。

 マジックミラーの発想にしてもしかりである。

 こちらからは見えないのに、相手からは丸見えだったり、その逆だったりするのが、マジックミラーというものだが、別にマジックミラーでなくとも、ガラスであっても、内と外とで明るさがまったく違えば、マジックミラーの役目を十分に果たせるというものだ。

 暗い世界から明るい世界を見ると、綺麗に見えるのに、逆だと、ガラスは鏡の役目を担ってしまい、向こうを見ることができない。

 しかし、これも「整数の割り算」と同じで、どんなに鏡の役目をしようとも、完全に向こうが見えないわけではないということだ。

 そういう意味で、

「世の中に、本当に完全と言えることが存在するのだろうか?」

 という思いに駆られたこともある。

「完全と思われることにも、どこかに落とし穴がある」

 この考え方は、藤崎自身もそうなのだが、きっと誰もが思っていて、ただ口にしていないだけなのかも知れない。

「もし、完全がこの世に存在しないとなると、何を信じればいいんだろう?」

 誰もが完全を信じなくなると、すべてに疑いを持つようになり、収拾がつかなくなる。それを防ぐ意味で、

――この世には、完全は存在する――

 という考えを、生まれ持って誰もが持っているのではないだろうか。

 大人になるにつれ、考え方がゆがんでくると、生まれつきの考えに疑問を持つようになるかも知れない。藤崎がミステリーや、SFを書きたいと思ったのは、元々そのあたりに端を発してのことだったに違いない。

 その日は、表は完全に晴れていたわけではない。家を出てくる頃は日が差していたが、喫茶店に入ってしばらくすると、天気は急に崩れてきた。

 と言っても、まだ雨が降ってきているわけではなく、空は今にも泣きだしそうな厚い雲に覆われていたが、何とか雨が降ってくることはなかった。表の薄暗さは、その時の藤崎の頭の中のように灰色だった。何か新しい発想が浮かんできそうなのだが、どこかハッキリとしない。まさにその時の空のようではないか。

 表を歩いている人はいつもと変わらず疎らだった。普段なら人ひとりに注目することはなく、人の動きに注目していたが、その日、日傘の女性に興味を抱いたのは、向こうから見えるはずはないと思っていた時、思わず目が合ってしまったからだ。

 彼女はキョロキョロとしていたわけではない。むしろ正面だけを見て歩いていた。

 普通ならこちらに気づくはずはない。藤崎の頭の中では、歩いている彼女の視線になって見ることができたのだが、その時にいくらこちらを見つめたとしても、カラス越しにこちらを意識することはないだろうと思っていた。

 それなのに、その女性はこちらを意識している。とっさに目を背けてしまったのは、彼女の視線に、急に恐ろしさのようなものを感じたからだ。

 別に彼女の表情はこちらを睨みつけているわけでも、目を細めるようにして歪な表情を浮かべているわけでもない。ただ、こちらに興味深々という表情を浮かべているだけで、表情を見ているだけでは、恐ろしさという感情が浮かんでくるはずはなかった。

 彼女が手に持っているのは、確かに日傘だった。しかし、表を見ている限りでは日傘を差すような天気ではない。

――どうしてなんだろう?

 と思い、じっと彼女を見つめた。

 後から聞いた話だったのだが、実はこの時、本当は曇っていたわけでも何でもなかった。実際には雲はほとんどなく、彼女のように日傘を差しているのが正解なほどの日が差していたというのだ。

「そういえば、あの時、影が差していたような気がしたな」

 彼女の足元から影が伸びているのを思い出した。

 その時は影が伸びているということを漠然と感じていたが、曇天の空模様で、伸びているはずのない影に、どうしておかしいと感じなかったのだろう?

――表の世界と、中の世界が、ガラス越しに違っていた?

 信じられないことだった。普通なら気持ち悪くなってゾッとしてしまうのだろうが、藤崎は小説家だった。気持ち悪くなる前に、自分が発見した奇妙な世界を、まずは、メモ帳に箇条書きにして書き連ねた。

 発想は、いくらでも湧いてくるようだった。

「湯水のように」

 という言葉がまさしく当て嵌まっているようだった。

 そんな状態で、藤崎はその時に感じるよりも、後になってからの方が、彼女に対して、思い入れが激しくなったのだ。

――これって恋い焦がれているということなんだろうか?

 学生時代にはあったかも知れないが、会社に就職してから、そして、作家としての人生を歩み始めてからは、こんな感情は味わったことはなかった。

「この十数年。俺は一体何をやっていたのだろう?」

 学生時代に味わった恋愛感情が、まるで昨日のことのように思い出されてくるのだった。

 会社で仕事をしている頃の方が、学生時代よりも昔のように感じられることがある。時系列が頭の中で崩れると、それはあまりいい傾向ではないことは、今までの経験から分かっている。

――鬱状態に陥るかも知れないな――

 藤崎は、自分が躁鬱症ではないことは分かっていた。しかし、躁状態はないまでも、鬱状態になることはあった。一度病院に行ってみたことがあったが、その時は、

「うつ病ですね」

 と言って、薬をもらい、飲んでいた時期があった。

 それは、会社勤めをしている時で、急に何も考えられなくなり、我に返ることができるようになると、その時、考えられることは、すべて悪い方にしか、頭が働かないことに気づかされた。

 すぐにそのことを、

「うつ病ではないか?」

 と気づかなかった。

 まさか自分にうつ病の気があるなどと、想像もしていなかったからだ。

 うつ病の原因が、自分の中にある時系列の感覚が崩れたからだということが分かったのは、少ししてからだったが、最初は、

――自分一人で解明できるものではない――

 と思っていた。

 だが、実際には自分一人で解明することができた。厳密にいえば、

――自分一人ではできなかったが、自分二人ではできたのだ――

 と言えるだろう。

 自分の中にいる、「もう一人の自分」に問いただしているうちに、何となく分かってくるようになった。

――さすが、自分は自分なんだ――

 と、勝手に思い込んでいたが、自分では自問自答をしているという感覚はなかった。

 今までに自問自答をしている時は、自分に問いかけているという意識があり、問いただされているもう一人の自分の意識も感じることができたのだ。それなのに、この時は、問いかけている自分の意識はあるのだが、答えているもう一人の意識がない。こちらの方が本当なのだろうが、自問自答をしているという意識があるのに、答えている意識がないことで、

――この時の方が、自分らしくない――

 と思っていたのだった。

 ただ、その方が答えを聞いている自分に集中できるので、素直に聞くことができた。今までの自分であれば、理解できなかったことや、浮かぶはずのない発想が浮かんできたりして、

――今なら、これまで理解できなかったようなことも、理解できるかも知れない――

 と、感じた。

 その時の自分は、明らかにもう一人の自分を感じていた。それは、もう一人の自分の目から見ることができないことで、余計にもう一人の自分を、

「他人とは違う」

 という意識を持ちながら、一定の距離を保ったまま、見ることができる。

 一定の距離とは、

「相手のこと全体が見渡せる距離で、一番近い状態」

 と定義づけることができるような気がしていた。

 自分の中で、今までもう一人の自分を意識したことはなかったはずだったのに、実際に意識してしまうと、

――初めてではないような気がする――

 と思うようになっていた。

 ただ、それが最近のことなのか、それともずっと以前のことなのかハッキリとはしない。そう感じていると、

――あれは夢の中で感じたことなのかも知れない――

 と思うようになった。

 夢の中はいつも不思議が溢れていた。時系列の曖昧さはもちろんのこと、次に起こることも、予知できていたような気がする。

――今、自分は夢を見ているんだ――

 という感覚がなければ、予知していたという意識はないはずだ。

 自分に予知能力などないことは、現実の世界でなら分かり切っていることだ。それなのに、

――予知できているかも知れない――

 と感じた時点で、それは夢の世界であることは確定している。

 予知できていると感じたのは、夢から覚めてからのことだろう。

――夢の中でのことは、忘れてしまっている――

 という意識があるから、夢の内容は記憶として残っている。似たようなことが現実で起これば、曖昧な夢の中での記憶がその時呼び起こされて、

――以前に感じたことがある――

 と感じるのだ。

 だから、その意識の曖昧さから、自分の中に予知能力が備わっているという意識を持つことで、意識と記憶の辻褄を合わせようとしていたに違いない。

 藤崎がSFやミステリーの発想を思い浮かべるのも、夢の記憶を引き出そうとして、

――辻褄合わせ――

 をしようとしているのかも知れない。

 自分の中で辻褄が合って、そして新たな発想として浮かんできたものであれば、それは夢の記憶だけではなく、現実の世界で実際にあったこととが相まって、一つの物語を形成していく。それが小説家として一番感無量に感じるところではないだろうか。

 藤崎は、小説を書きながら、

――ノンフィクションは嫌だ――

 と思うようになっていた。

 しかし、発想を重ねれば重ねるほど、一定の範囲から表に出てこないのは分かっていた。それを、

――発想の限界だ――

 と思っていたが、実はそうではない。自分の経験をフィクションとして新たな発想へと結び付けようとしていることで、

――超えることのない限界。つまりは、結界に似たもの――

 を感じていた。

 その時の藤崎は、日傘を差しているその女性に、懐かしさを感じながら、さらに予知が働いている予感があった。何の辻褄を合わせようとしていたのだろうか?

 その時に浮かんできた小説は、自分でも自信作だったが、あまり売れることはなかった。

「やはり、自分が先読みしすぎたのかな?」

 つまりは、時代にそぐわない小説で、未来になら受け入れられるものではないかと感じたのだ。

 今ならその小説が売れるとは最初から思っていない。逆に、今はもっと売れないかも知れない。SF小説や奇妙な内容の小説というのは、売れる時期があるのだと思っている。つまり、

――一定周期で、売れる時期がやってくる――

 という考えだった。

 藤崎の小説のテーマが「リピート」だったというのも皮肉だろうか?

 そして、藤崎が「リピート」の存在を感じるその理由として、

――辻褄合わせ――

 が微妙な影響を与えていると思っている。

 彼は小説でそのことを定義したつもりだったが、どれだけの人が定義をテーマとして受け取ってくれるだろう。

――俺は、自分の小説に酔っていたのかも知れないな――

 小説を書くことは、自分に自信を持たなければできないことだと思っている。それは小説の内容に自信を持つことでもあるし、書いている自分自身に自信を持つ必要がある。

 藤崎は、子供の頃から自信過剰なところがあった。そのくせ、一旦持つことのできた自信を失うと、その自信を取り戻すために、かなりの時間を要していた。

 その時、すぐに諦めてしまわなかったのは、自信を完全に失うまでに時間は掛かったが、一気に失う自信ではなかったので、一番ショックが少なかったのだ。

 時間が掛かった理由を、

「自信を失う時にも、リピートの発想があり、一度失いかけた自信を再度取り戻しながら、迷走を続けていたからだ」

 と感じていた。

 時間的には、かなりかかったが、その分、失った自信を取り戻すまでには、さほど時間は掛からなかった。自信を失うまでの時間の辻褄を、合わせていたのだろう。

 藤崎には、

「自分は他の人よりもかなり劣っている」

 という思いを絶えず持っていた。

「自分にできることなら、他の人は皆できるに違いない」

 という思いだった。

 それは自信を失いかけた時に、リピートしながら、少しずつでも自信を取り戻そうという無意識の意識に繋がっていた。

 そんな自分を、

――二重人格だ――

 と感じたことが何度もあった。

 藤崎が、最初にリピートの発想に繋がる小説を書いたのがその時だった。

 それ以降は、リピートという発想が頭の中にありながら、メインテーマとして描くことができなかった。

――やっぱり、今までの自分にとっての最高傑作は、最初にリピートについて書いたあの小説だったのではないか?

 と思えた。

 これからも、リピートの発想を元にして、新しい小説を書いていこうという意識はあるのだが、逆に、

――あの時の作品は自分にとっての最高傑作であり、今後どんなに新しい発想の「リピート」を書こうとも、あれ以上の傑作を書くことはできないだろう――

 と感じていた。

――最初に書いた小説に叶うものはない――

 どんなに新しい発想を組み込もうとも、一番の傑作は、最初に著した作品に違いない。どんなに新しい発想を持とうとも、すべては最初に書いた小説のバリエーションの一つでしかなく、二番煎じになってしまうと思うのだった。

 藤崎は、その時の小説が書けたのは、喫茶店でガラス越しに目が合った日傘を差した女性のおかげだと思っている。彼女に対して、言葉では言い表せないような感謝の気持ちでいっぱいだった。しかし、彼女に雰囲気が似ている女性はいるにはいるが、彼女を彷彿させるような強烈な個性を持った女性は現れないだろう。

 そう思っていたが、実際には意外と身近にいるもので、

――そういえば、彼女を見た時、どこかで見たことがあると思っていたんだ――

 と、感じた相手、それがスナック「コスモス」のママだった。

 だが、ママと知り合ったのは、ガラス越しに女性を見た時から、何年も経ってからのことだったのに、それほど遠い感じがしなかった。

 しかも、ママとは長い付き合いであるにも関わらず、知り合ってから間もないようにも思えた。それだけ新鮮さを失っていないということなのかも知れないが、考えてみれば、時間がそんなに経っていないと感じる思いも、新鮮さを失っていないという思いも、どちらも「リピート」と繋ぎ合わせて考えれば、理解できるようだった。

 そういう意味では、「リピート」というのは、何にでも当て嵌めて考えることのできるもののようにも思える。「リピート」を、頭の中での万能思考と考えるのは突飛な考えであろうか?

 藤崎は、その時の小説の内容を、すっかり忘れてしまっていたが、今でも何度も読み返すことが多い。

――俺の小説の原点は、ここにあるんだ――

 ずっとそう思ってきた。

 その小説の主人公は、リピートを繰り返していることを、すぐに直視することができなかった。

「悪い夢を見ているんだ」

 と感じていたが、実際には藤崎の作り上げた小説の中のリピートは、主人公だけではなかったのだ。

 毎日を同じように繰り返している人はたくさんいて、彼らも自分だけが同じ日を繰り返していると思っているので、何とも臆病な雰囲気を皆が醸し出しているため、誰もがまわりを探っているような異様な世界を作り上げていた。

 彼らは感情を剥き出しにできないかわりに、自分の考えを覆い隠そうとする。本当は誰かに聞いてほしいと思っていることも、人に言えずに、自分の中に籠る世界を形成していた。

 本当は逃げ出したいにも関わらず、内に籠ってしまうことで、余計に異様な世界を自分たちが形成しているということに気づかない。事実を直視しながらも、真実からは遠ざかっていたのだ。

 同じ日を繰り返しているという予感は、実は繰り返す前から予知としてあった。

 しかし、予知は夢の中にしか存在しないと思っていたため、すべてを夢だと思い込んだ。夢というものを思い込みとして判断してしまうと、主人公は夢の世界と現実の世界の境目が、いつの間にか分からなくなっていた。

 主人公は、自分が同じ日を繰り返しているという事実を受け入れるまでに、数回の同じ日を繰り返すことになった。その中の一人に、自分と同じように同じ日を繰り返している人を見つけたことで、やっと自分の置かれている立場を受け入れることができた。

 主人公は、別に不思議な力を信じていないわけでもなければ、現実主義者でもない。むしろ、不思議な力に興味を持っている方なのだが、まさか自分の身に降りかかってくることになろうとは、思ってもみなかった。

 確かに不思議な世界の存在は否定できないとは思っていたが、それを証明さえできれば満足だった。本人としても、不思議な世界の存在を認めてはいても、自分の頭の中だけで納得がいけばそれで満足だったのだ。

 下手にかかわって、自分が創造した世界に入り込むことは本意ではない。それなのに、不思議な世界に入り込んでしまった自分を、どのように感じればいいのだろう?

 まずは苦笑いせずにはいられなかった。

 その次に感じたのは、この世界がウソであるという感覚。そして、架空の世界として頭に描いたものは、夢だった。

 普段なら、悪い夢として片づけられるようなことでも、その時は簡単には片づけることができない。

「少しでも信じてはいけないだ」

 という思いを固く持たなければいけないと思った。

 そうでなければ、信じてはいけないことを、信じないわけにいかない立場に陥った自分を呪うしかないからだ。

 元々主人公は、何事も信じてしまいやすい。それを藤崎は、

――暗示にかかりやすい両極端な性格――

 の人間だと比喩していた。

 だが、現実世界では暗示にかかりやすい男だが、不思議な世界では、暗示にかかりやすいという自分の性格を知っているので、逆に、

「何事も安易に信じてはいけない」

 と思うようになっていた。藤崎が創造した世界では、

「現実世界と、不思議な世界とでは、まったく正反対の人間が存在している鏡のような世界だ」

 と言えるのではないだろうか。

 藤崎が小説の中で不思議な世界を創造できたのは、自分が創造する不思議な世界の住人になれる人を、実際に知っているからだった。要するにこの話の主人公にはモデルが存在するのだ。

 藤崎はフィクションを書いているつもりでも、必ずそこには自分の経験であったり、モデルになる人物が存在していたりする。きっかけは存在しているものであっても、描く世界は自分が新しく創造したものだ。藤崎がフィクションにこだわるのは、心のどこかに創造する世界の原点が、この世に存在していることに対して過剰な意識を持っているからだった。

 そして藤崎は小説を書く中で、

「木を隠すなら森の中」

 あるいは、

「一つのウソを隠す時は、九十九の本当のことの中に隠せばいい」

 というような発想をすることが多い。

 つまりは、目の前にいても、気配を消しながらその人のそばにいるという考え方で、不思議な世界を読者に納得させようという試みがあった。

 藤崎は、「路傍の石」と比較して考える。

 パッと見は、同じようなものに感じるが、まったく自然体の「路傍の石」に比べて、前者には明らかに作為が感じられる。だから、藤崎が前者のような登場人物を描く時には、必ず「路傍の石」に匹敵するような誰かを、比較対象として登場させている。

 前者には主人公を当て嵌め、「路傍の石」を彷彿させる相手を女性として登場させ、その人のイメージを、ガラス越しに目が合った彼女に置き換えてみた。

 すると見えてきたのは、主人公の雰囲気や性格が、自分自身に当て嵌められるのではないかという発想だった。主人公は最初から自分をイメージして描いたものではなく、比較対象として描かれた女性から見た男性という視線で描いていくのだった。

 小説の中で主人公は同じ日を繰り返していることを、なるべく誰にも悟られたくないと思っていた。

 もちろん、自分が同じ日を繰り返しているのだから、同じようにこの世界に存在している人の中には、同じようにリピートしている人がいてしかるべきだと思っていた。それでもなるべく悟られないようにしたのは、不思議な世界に迷い込んでしまった自分を、なるべくまわりに意識させないようにしないといけないと感じたからだ。

 そんな中、気配をなるべく消そうとしている女性がいることに藤崎は気が付いた。

 いつもであれば、「路傍の石」の術中に嵌ってしまい、消された気配に気づくことなくスルーしてしまっていたであろう。

 また「路傍の石」は、気配だけではなく、自分にかかわった時間を消してしまう効力があるようだ。

「何かに熱中していると、あっという間に時間が過ぎる」

 という発想に似たものがあったのだ。

「タイムマシンは、本人の意識することのない時間の経過を促すものだ」

 と聞いたことがある。

 時間を飛び越えているのに、本人にはまったくそんな意識はない。そんなに高度な意識を夢の中でどれほど意識できるかが、藤崎の創造する世界では重要だった。

「自分にないものを持っている人に対しては、敬意を表する」

 それがどんな内容であっても、敬意を表するところから始まる。

 藤崎の小説もそこから始まっていた。

 藤崎は、その女性に自分にない何かを見つけた。それが何であるか、すぐには分からなかったが、分かった時には、このお話は終わっていることになる。

 ただ、見つめれば見つめるほど、自分との共通点しか見つからない。

――俺は、彼女との共通点にばかり目が行っているのではないか?

 と感じた。

 本当は自分にないものを探しているにも関わらず、共通点を見つけようとする。

 それは、自分が気になっている相手は、自分にないものを見つけるよりも、先に共通点を見つけようとする。理由はその方が楽だからである。

 だが、彼女に対しても最初に共通点を見つけようとしていたのだが、理由は違っていた。

「その方が楽だからだ」

 などという理由で、自分が納得いくわけはない。

 その時に感じたのが、お互いに「孤独」だということだった。しかし、そのことが分かると、まるで堰を切ったかのようにまわりの人との共通点が分かってくる気がした。

「孤独」という一言ですべてをまかなえるとは言わないが、自分が孤独を感じることで、まわりが近寄ってくれるように感じたからだ。

 藤崎は小説を書きながら、

――自分も何かを繰り返しているのではないか?

 ふと、「リピート」という言葉が頭をよぎったが、それは小説の中の「リピート」と、本当に同じだっただろうか?

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