⓪ 夢みる日々の終わりに
真っ暗闇の中でふわふわと浮かんでいる感覚が続く。
心地よさは無く、まとわりつく影が不快だった。どこが上か下かもわからない。ずっと過去視をしているみたいな錯覚から、急に視界が開ける。いくつもの輝きが見えて闇に慣れた目が戻っていくような……そこには静かで、きれいな夜空がただ広がっていた。
星の光。舞台の照明みたいに輝いていてきれいだ。
……お父さんはまだ仕事してるかな? 今日は泊まりで公演の準備だっけ。高いところに登って大道具をセットしたり。いくら手慣れていても、家族はどこかで心配なんだよなあ。応急処置とか慣れているのも、ケガのリスクが常にあるってことだしさ。
視線を下に向ける。
光が線になって伸びているのが分かった。ゆらゆらと頼りない光が細く長く続いていて……。
そこには私がいた。額からひとすじの血が流れて眉から閉じた目に入り、涙のような跡を作っている。見慣れない髪型というのもあり、まるでよく出来たお人形みたい。
……これが私の出した結果だ。日常を巻き戻したいと自分が願わない限り、この瞬間からループは起こらずに先へと進む。
闇が晴れて私の身体がはっきりと見えた。閉じた店のシャッターに背を預け、そのすぐ横の柱はひしゃげて大きな車が突き刺さっている。地面には砕けたヘッドライトやガラス……あとは轢き潰された紙袋から景品が散らばっている。
力が抜けてぐったりとした私は、車体かタイヤに制服の左袖が巻き込まれていて、操り人形みたく不自然に持ち上がっていた。そして……
「ふざけんな、クソがっ!」
「いいから持ち上げろ! はやく押せっ!」
ケンタとコウちゃんが叫んでいる。
声はすごく遠いけど、怒りというよりも苛立ちが伝わって来た。
車のつかめる所を掴んで無理矢理動かそうとしている。ハルも真剣な表情で歯を食いしばり、何も言わず指示に従っていた。少し隙間ができると私の左手はだらりとシャッターに沿って落ち、地面に触れる前にメグがその手を取った。そのままひざ枕の格好で、壊れ物を扱うような繊細さで抱き止める。
サラはその場に座り込んだまま、呆然とした表情でぶつぶつと呟いている。
「……嘘だ。こんなの嘘……」
「大通り側の……はい。ガソリンスタンドと公園のあいだ辺り。……急にワゴン車が走ってきて、接触したみたいで。頭から血が流れていて意識がありません。……17歳女性。同じ学校の、私の友だち……」
ミズキは車と私の身体を交互に見て、携帯で話をしている。たぶん救急車を呼んでるらしい。淡々としたいつもの顔。ちょっとでも揺れる素振りさえない。
その中でタカヤ様は少し離れた位置で散乱したたれ耳犬グッズを眺めていた。箱も中身も割れていたり、タイヤの汚れがついていて見る影もないのに……真剣な表情で目を向けている。何かを思い出しそうな、こんなことが前にもあったような? みたいに思ってるのかも。
すべてが理想通りではないし100点満点で嘘みたいに上手くいったワケじゃない。今までの生き方と同じで、ぜんぶを楽しみや輝きでは埋められない。でもまあ、やるだけやった結果だ。受け入れよう。だから文句は言わないでくださいね。サラたちが犠牲にならない未来を確定させたこと。それが……私がみんなにあげられる贈り物なのですから。
「……」
みんなが私の名前を呼んでいる。諦めず、叫び、つぶやき、淡々と、軽口で、優しく、それぞれが声を掛け続けた。……ひしゃげた店のシャッターと柱。反応のない身体。そこからの想像を否定し、いまもまだ諦めていない。
限りなく続く運命を越え、誰も知らない新たな日常が始まる。申し訳なさは残るけど【奇跡の七人】のこれからの輝きを守れた、と私は胸を張ることにします。
ふいに視界がぼやける。
真っ暗闇の砂嵐が巻き起こり見ている光景をざらざらと染めてひびを入れていく。頭の中で起きる過去視が、そっくりそのまま現実で起きているようだった。おい待て。また巻き戻るのか? なんで……!?
「ユッコ……っ!」
タカヤの声。
いや、みんなの声が重なって聞こえた。声のする方を向くと……か細い光が伸びて続いている。巻き取られるような力で私は引っ張られていく。
みんなの願いが自分を離さない。どうにもならない強固な流れ。【奇跡の七人】と私でする綱引きみたいな理不尽さだ。わ、私の願いが叶わない? ここまでやったのに、そんなのってない……!
考えている間に勢いは増していって……浮遊感も、やがて意識も消えていった。
* *
いい匂いがする。
ほのかな甘い匂い。それにふわふわした何とも言えない夢心地。
この暖かさにずっと包まれていたい。
誰かが名前を呼んでいるような気がする。声の方へ意識を傾ける。聞きなれた声だ。遠く? いやすごい近くで呼んでいる。私を。誰だ?
「ねえ、起きて。息してよぉ……こんなの嘘……嫌だよ……」
誰だメグミ様を泣かしているのは。
目を開けているつもりなのにぼんやりとしか見えない。一日近く寝すぎたようなだるい感覚。それとこの感触は。……め、メグの胸の中?
え? は? 何が起きている?
「ユッコちゃん……」
「……っ」
声が出なかったので、掴んだ手を握り返す。私の手濡れてる? メグの涙だこれ。
気付いてないみたいだ。もっともっと力を入れる。
「っは、ぅう」
「ユッコちゃん?」
「はい……私を、呼びま……っ」
「ユッコ!」
続く言葉はメグが抱きしめたのと、みんなが自分の名前を連呼する声でかき消された。次々に心配の声がふってくるので一つ一つ短い言葉になってしまうが答えていく。そのうちに意識がはっきりしだした。隣で止まっている車。砕けたガラスとかプラスチック片。さっき起きたこと。私が決断したことも。
車とフェンスの間で、たれ耳いぬのデカ人形が潰れている。
ところどころ破れていて車の衝突のダメージが想像できた。
身代わり。そうだ。あの時、車とぶつかる寸前、とっさにぬいぐるみを前に突き出して……だから無事だったのか? そもそも死の運命なんてものは無くて、たれ耳犬のグッズが破壊されることだけが固定されて決まっていただけ? たまたま持ち主が巻き込まれていたのか……どうかな。グッズが原因って信じて離さなかったワケだし、今となっては確かめようがない。でも私を不幸から遠ざけてくれてありがとう。他のグッズたちも。
顔をよじって探すと、すぐ近くにサラがいた。
涙を拭きもせずに私を見ている。メイクも少し崩れていたが美しさに少しも陰りがない。その様子がわかりふつふつと実感が湧いてくる。目の前に広がる光景は、ああ、私は……サラを守ることが出来たんだな。そして過去でも未来でもなく、この瞬間が続いている!
今までの想いがこみあげてきて、泣きそうになった。
サラが震える手で私の顔の血を拭いた。砕けたガラスか何かがおでこに当たっていたらしい。信じられないといった顔が少しずつ喜びと安堵の表情に変わっていく。よかった、よかった。という声がメグとサラに挟まれた私の頭で何度も往復した。
「……揺らしたりしないで」
みんなの騒ぎと反応が大きくなる前に、ミズキが静かに場を制した。
私の前にしゃがみ込み、車とひしゃげたシャッターを眺めてからこちらを向いた。足の先から首の上まで注意深く、鋭く見ている。頭を慎重に触れて、見えない傷がないかを確かめているようだった。
「手足の痙攣、耳や鼻からの出血なし。額の傷は割れた破片で出来たもの。気持ち悪くはない? 痛むところはある?」
「いえ吐き気とかは特に。おでこもただの切り傷みたいです」
「顔色、受け答えともに問題なし。今日、家庭科の授業でメグは何してた?」
「ええ、と。調理実習で、特製パスタを作ってました」
「記憶の混濁なし。……私とあなたが初めて出会ったのは、いつ?」
「それは教室、じゃなくてずっと昔ですよね。コウちゃんのサッカーチームの練習を観ていて、グラウンドのフェンス越しにミズキがいて、その時だった気が」
ミズキが私に覆いかぶさる。
どんな時も揺るぎない彼女は今、感情があふれ出しそうになっていた。
「ユッコ! 生きてる……何ともないよね? 大丈夫なんだよね!?」
「はい。たれ耳いぬの人形が身代わりになったみたいで、無事です」
「よかった……よかったよっ! また駄目にならなくて……ユッコが生きていて、本当にうれしいっ!」
子どものように泣くミズキの頭を撫でる。
ここまで取り乱した彼女も珍しいが、あの膨大な過去と運命を打ち破れたんだ。その分感動も大きいだろう。私なんてまだまだ実感が湧かないくらいだし。
車にぶつかったという思い込みで気絶してたってことだよね? みんなが呼んでくれなかったら……どうなっていたか。さすが【奇跡の七人】です。最後の最後にすごいミラクルを起こしてくれました。
古賀優子のただ夢を見続けた日々は終わりになり、今から始まったようです。みんなとの新たな日常が。どんなことが起こるのか未来予知できないし、ネタバレもないけど……きっと楽しみや輝きに満ちていると信じられる。
「ありがとうございます。私を呼び続けてくれて」
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