㊻ まっくらやみの家庭科室
音を立てず、ゆっくりと家庭科室の扉を開けた。
カーテンも閉まっていて薄暗い。かすかに調理実習の匂いが残っている。パスタやパンの香り。私もあんなことが無ければ一緒に最後まで参加して食べていただろう。
あの未来視……誰かがここに来たのは間違いない。ただの忘れ物とかだったら電気を付けるはず。何か別の理由があって暗がりで動いていた。もしそれがサラたちを傷つけようと画策していたモノだったら。私に許す選択はない。
黒板と先生のテーブルを背にして部屋を見回す。
メグは掃除を欠かさなかったみたいだ。椅子まできちっとしまってある。
「隠れてないで出てきて。いるんでしょう?」
「……なぜ分かった?」
声だけが奥のテーブルから聞こえた。
男女とも判別しにくい曇った声。やっぱりいた。裏に隠れてるな?
「手前のテーブル二つは私たちの班が使っていた。床も綺麗に拭いて使う人はいない。その後の授業だってない。だから……オーブンの周りに焼きカスが落ちてるのはおかしいんだよ。誰かがもう一度開けでもしないとね」
「……」
「さあ立って、それとも私がそっち行こうか?」
返事の替わりにテーブルの裏から立ち上がり姿を現す。
背の低い黒髪。無表情に近い目がこちらに向いた。
「ミズキ……」
「うん。ユッコは何でここに来たの?」
「いえその、もしサラの事故に裏があったら嫌だなって……でも良かった。先に調べていたんですよね? さすがです」
「……私が犯人、っていったらどうする?」
「え?」
「サラを傷つけた元凶は私だとしたら、ユッコはどう思う?」
「どうも思えません。ミズキがそんなことするハズないですから。それに」
「……」
「それ相応の理由があると仮定しても、ミズキなら誰にも気付かれない方法を取るでしょう?」
すごい無駄な質問だなミズキにしては。
私には想像すらつかない動機で、幼馴染のサラを傷つけようとするなんて天地がひっくり返ってもあり得ない話だ。ただ、彼女ことだからこんな意味不明な問答にも理由があるんだろうけど。声も変えてたし。
「……む、ユッコ犯人説は消えた」
「ふふ、疑ってたんですか?」
「あらゆる可能性を考えていただけ……タカヤ、用件は済んだ」
振り返るとタカヤが黒板の前に立っていた。
ずっと二人で家庭科室にいたのか。不審な点がないか調べるために。
……は、犯人が複数いたらとか考えてなかったな。【七つ星】の二人だから良かったものの、冷静になってみれば危ない行動してたじゃん私!
タカヤは改めてこちらを見て、息を漏らしていた。
「……見違えたな」
「あ、髪、切ってもらって……メイクも」
「話は聞いてる。本当ならハルが髪を切る相手は俺のはずだった」
「そうなの?」
「ああ。ハサミを持ち込んでただろう。しかし、これは」
「変ですかっ?」
「顔が近い」
「ご、ごめんなさい……」
「いや……いつもの距離か。どうにも慣れないな」
「そういうの、あとでやって」
ミズキがため息をつく。
そうだった。まだ何か調べてる途中なら、私が思い切り邪魔してる形だ。
「ガスオーブンから出火したことに対して……事件性があるかどうか確認している。ユッコの知恵を貸して欲しい」
「私に分かる事ってありますか?」
「……部品のすり替えや人為的な仕掛けがないのは、全てのガスオーブンでタカヤとチェックした。あとは出火した原因をはっきりさせたい。それにはメグかユッコ、料理や器具に詳しい人に聞きたかった」
「なるほど。そもそも細工するとしたら、誰が怪しいんです?」
「班のテーブルは当日まで決まっていなかったから、クラス内にほぼ限られる。もう少し言うなら互いの班を行き来していた私たち8人くらいしか候補がない。だからユッコは犯人最有力、だった」
「疑いは晴れたんですよね?」
「犯人だとしたら現場の戻り方、私がいた時の反応に矛盾があるな」
「それに古賀は被害を受けてるだろう? その時点で違う気もしたが」
良かった。外部から……例えば菊池くんが復讐心に駆られ【奇跡の七人】へ罠を仕掛けたとかじゃないんですね。あることないこと邪推してしまいました。
ミズキとタカヤのやりとりを聞きながら、オーブンの奥を覗き見る。ううん、暗くてよくわからないな。そんな気配を察したのか、ミズキが遠くから指示を出す。
「タカヤ、携帯のライト点けてみて」
「ああ、カバンから出す……お前も調べるかミズキ」
「私が確認するべき箇所はもう無いな」
「そうか。これで見えるか?」
タカヤが携帯でガスオーブン内を照らしてくれた。
礼を言ってから隅々まで観察してみる。中は多少汚れているが、特に変なところは見当たらない。中に食材のカケラが落ちてたとか、ヒーターや器具の劣化もしていないように感じる。未来視が発動した時は無我夢中だったけど、なんで火が噴き出たんだろう。サラがパンを入れて……温度調節をしていたな。
「オーブンそのものに原因は無さそう。たぶん、油がヒーター部分に落ちたから発火したのかも。温度もかなり上がってたし」
「サラの操作や手際が悪かったということか?」
「うーん。どっちかというとお互いの班の料理が出来上がる時間を、合わせようとしていたからじゃないかな。食べごろを逃さないために起きた、とか」
「つまりは事件性なし、ただの不幸が重なった事故。それでいいかミズキ?」
「……そうね」
行儀悪くテーブルの上に座っていたミズキが退屈そうに伸びをする。
結論が出たのならここにいてもしょうがない。今からでもサラたちに合流しようか? そう思った時、タカヤの携帯のライトが消えて、犬のキャラクターのスマホケースが自分の視界に映る。かわいいケースだ。たれ耳の……。
隣にいるタカヤの横顔は、血まみれだった。
嫌な汗がぶわっと噴き出ると同時に記憶が蘇る。ガラス片と砕けたキャラケース、ガスオーブンの奥底のような、あの暗い道路。赤く汚れた服。ぐったりとして目を閉じたタカヤの表情。
思い出した。未来視じゃない。過去に起こったこと。そして今夜起きる悲劇。私たちがあがいて、頑張って……覆せなかった運命を。
「どうした古賀?」
「え、あの……少し気分が……」
「オーブンの中の空気を吸い過ぎたか? それとも火傷の方か」
「大丈夫です。別に、何でも」
「私の推理も用済みだ。間違っていなかったことは証明した」
ミズキが急かすような仕草をみせた。
待ちきれないと言った感じで家庭科室の扉に手をかけて、こちらに振り返る。
「さ、行こうか。ユッコは着替えに家に戻る?」
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