㊲ 長谷川ケンタは裏切らない




 運命の地区陸上予選。

 この結果でケンタ様の2年生の夏、インターハイに進めるかが決まります。

 競技場に応援に来ている観客はそこまで多くはないようですが、何だかどよめきが聞こえてくるようで……私とメグミ様はただただ固唾をのんで見守るしかできません。


 ケンタ様のお弁当を4月から用意した手前、本人が私たちの応援に難色を示したにも拘らず競技場に押しかけてしまいましたが……まさか。


「どう? ケンタ強かった?」

「あ、サラ……」

「朝から応援してるの? 昼すぎでも大丈夫って言ったじゃん。この後のスケジュールは何? 今どこだっけ」

「もうすぐ1500mの予選が始まって、14時に400mの準決勝です」

「800mは明日か、まあ800は決勝だけでいいや。朝の予選も退屈だったでしょ?」

「いえ」

「ええっと……」


 自分たちの観ていた400m予選はケンタ様がギリギリで突破したように見えて、なにかがおかしい、いつもの調子はないのではと感じたことを伝えました。

 サラ様はそんな不安を一笑に付され、軽い口調で話されます。


「大丈夫だって。長く走れるほどあいつの得意な距離だから、400って一番心配ではあるのは確かだよ。だけど朝はマジ弱いんだ……スロースターターってヤツ? その辺が重なったんじゃない? あとは決勝のために流してたって可能性」

「そ、そうでしょうか」

「たしかに、合ってるかもだけど」

「観ればわかるよ……ほら、そろそろ1500mやるし。あいつ第1でしょ」


 朝とかケガとか、単純な不調やはっきりとした要因じゃない。その曖昧な部分をサラ様にどう説明しようか悩んでいると、1500mの第1レースがまさに始まろうとしています。

 ケンタ様も体の動きを確認しながら開始のラインに向かいますが、やっぱり違う気がする。普段ならもっと……あんなに固い表情じゃない。

 競技場にレース紹介のアナウンスが流れる。自然と私たちの会話も途切れて……開始のピストルが鳴り、いまスタートしました。


 一斉に駆ける選手アスリートたち。その速さと言ったら!

 400m予選でも思いましたが、まるで短距離走だと一瞬勘違いするほどです。最初から最後まで目一杯走ってるとしか思えない。さすがこの日のために練習を重ねた陸上部の方たち……ケンタ様は勝てるでしょうか。少なくとも簡単じゃないはず。


 家族や部員たち、あとは友だちなどの歓声が響く中、メグミ様が呟いた。

 

「こ、これって何位まで残ればいいの?」

「その日程表かして。ん、1500は……4レースに分けて各3位までとタイム上位4人だから、ケンタは今から3番までにゴールすればいいし、仮にダメでもそこからタイム順で4番目までに入ればOK。でもなんで? だいたい1位だし、足切りラインに掛かるようじゃインターハイなんて勝てないっしょ」


 な、なるほど……予4-3+4ってそんな意味だったのですか。計算式じゃないのは分かっていましたが、午前中メグミ様と首を傾げ合っていた時の謎が解けました。

 一週目半分ほどからケンタ様は先頭に立ち……なおも後続をぐんぐん引き離していきます。メグミ様もようやくホッとしたみたいですね。私もですが。


「ねえ、午前の400m予選ってどうだったの?」

「サラ?」

「負けたんでしょ。その内容は? ユッコ教えて」

「中盤までずっと前の方にいて、早めにスパートしてリードしてたんですけど、最後の直前で二人にかわされての三位です」

「ゴール前、流して走ってた感じはあった?」

「……分かりません」

「そっか。ならヤバいかも」

「調子悪そう?」

「そもそも序盤から飛ばしてる時点で変。いつもの走りじゃない。ったく。あいつは……なにやってんのよ」


 あっという間に一周、400mを過ぎたあたりで後続の集団が二つに割れる。先頭のケンタ様を追う数人がじりじりと詰めていく。1年生の時は確かにあの辺の位置で走っていた気がする。作戦なのでしょうか? それとも……。

 

 サラ様の苛立ちが、歯ぎしりがこちらまで聞こえるようでした。


「プレッシャーに弱いくせに、1500逃げ切れるワケないって……! 駆け引きしてるつもり? 相手より自分のペース崩してどうすんだばかっ! 原因は? 応援でひどい野次は飛んでない。他の選手が挑発するにしても距離が開いてるし……何なのよ!?」

「それって、反則じゃないの?」

「妨害や選手として不適切なことぜんぶ失格だし! でもさ、ケンタは周りに影響されやすい部分があるから。レース前とかどこかで精神的に揺さぶるゴミクズがいてもおかしくない……!」


 向こう正面のケンタ様を見る。

 苦悶の表情を浮かべて、足を前に出し続けている。

 1500mを4分も掛からず走れる、得意な距離のはずなのに……始めて走るみたいな感じだ。しわの寄った眉間に汗が流れている。あと二週。こちら側の直線にケンタ様だけが先に走って来た。


 最前列の手すりを握る力が増した。

 隣のメグミ様も、唇を震わせている。

 

「諦めるな、行け……ッ」

「ファイトぉー! 頑張って!」

「行けるよ行けるッ! 走れ!」


 他の歓声や拍手に混じり、精一杯の応援を送った。

 聞こえているかは分からない。だけど彼は一度大きく首を縦に振ったように見えた。そのまま少しずつペースが落ちていき、ずるずると後退するように追いかけて来た集団にのまれていく。

 避けられ、かわされ、何人かの選手は視線を送った。ケガや予期せぬアクシデントか、すぐに分かるはずもなく全員が走り続けている。そしてケンタ様も。

 最後方の付近で減速は止まる。そこまで縦長の展開ではないですがレース中で一番遅い速度。腕の振りはゆっくりで、ストライドは大きく。ケンタ様だけスロー再生をしているみたい。


 不安そうにメグミ様は振り返り、サラ様を見た。

 ケンタ様の幼馴染である彼女は笑い、期待に輝いた瞳をただ前に向けていた。


 ラスト一周のベルが鳴り、競技トラックへ一層の声援が送られる。

 各自選手がギアを上げ、ゴールまで残った力を振り絞る。その選手たちのうち、一人だけが……ケンタ様だけが異次元の加速をみせた。彼もまた、前を向いて笑っている。


 私たちは夢中になって声を出し……彼の走りを応援し続けた。他のランナーも実力者のはずでスパートをかけているにもかかわらず、先頭集団までの差がぐんぐん縮まっていく!


 最後、ゴールの白線の部分が追い抜いて逆転した場所になった。

 ケンタ様はその足の速度をゆるめず、まっすぐにこっちに走ってきました。 

 流れる汗も構わず、応援席を見上げて肩をすくめる。


「……なんだぁ? みんな来てたのか」

「なんだ、じゃないでしょ! ギリギリだったじゃない」

「勝ちは勝ちだぜ。それに盛り上がっただろ? ユッコたちはどうだった?」

「すごくて……すごかったです!」

「感動した。ホントに」

「ありがとよ。途中で声が聞こえたんだ。応援されたからには勝たねえとな」


 アナウンスで1着の番号が告げられる。

 同時に競技場から大きな拍手と歓声がケンタ様へ届き、頭を下げて応えていた。

 

「……ったく。本番のレースで、情けない顔してんじゃないっての」

「ちゃんとケンタに言ったら?」 

「もう大丈夫。あたしは別に、あいつが実力出しきれれば何位でもいいし。練習や努力の結果だからさ。そういうのって」

「また次も応援しましょう!」

「……ユッコたちがしたいなら、まあ」


 サラ様のツンデレ、頂きました。

 素晴らしいレースだけでなく、こんなやりとりも良いモノですねえ。

 途中から見ていたのか、ケンタ様は目を細めて楽しそうに笑った。


「サラの応援はうるさいからな。昔からよく聞こえる……また頼むわ」

「はいはい。決勝はぶっちぎってよね」

「おう」




 ふふ……とうとい。



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