㉙ 折原メグミは諦めない


 


 放課後、第二音楽室にピアノの音が響く。

 懐かしのアニソンや、子どもの頃に一度は耳にした曲ばかりのセレクト。練習している曲以外はすべて楽譜なし。ピアノには疎いですが、暗記でここまでのレパートリーを弾けるものでしょうか。指遣いから足で踏むペダルみたいな奴のタイミングまで。


 ところどころ難しい間奏や、盛り上がるサビが一音ほど外れたりはしますが……上手だ。ついつい口ずさみたくなるくらい。しかし、メグミ様の邪魔をするなど極刑に値する行為。ただただ傾聴するのみです。あとは弾き終わったら万感の思いを込めて拍手を送る。それだけだ。


「メグさんすごいです!」

「ありがとう。サラちゃんたちは?」

「しばらく教室で話をしてました。そしたらケンタが部活練習無くなった、って来て……ミズキさんたち四人で遊びにいきましたよ」


 顧問の先生が出かけてた、とかでしたねえ。話しぶりからは自主練だったっぽいので意図的に休まれたのかもしれません。たまには幼馴染たちと息抜きをするのもいいと思います。地区予選も迫り、精神的なケアも必要ですし。


「ユッコちゃんも一緒に行けばよかったのに」

「いえいえいえ、幼馴染グループに混じるのは気が引けます」

「そうかなぁ」

「というか、この後は買い物に行く予定でしょう? メグさんの先約を蹴ることなんて絶対しませんよ」

「また次回でも平気だったよ?」


 楽譜をカバンにしまいながら、嬉しそうに言う。

 そのはにかむメグミ様。掛け値なしにかわいい。女神? 女神とメグミって言葉は似てますね。同一なのか? 母なる神というのはすでに名と体で表していた……?


 たしかにサラ様とは会話が続くようになりました。コウちゃんはもちろん、ミズキ様も意図は分かりませんが質問や聞いてくることも多く、教室でなら気まずくならずに過ごせるでしょうが……遊びにいくとなると抵抗がありますねえ。必ず幼馴染と友人の差、遠慮というのが生じますお互いに。その遠慮の線は、踏み越えてはいけないと考えています。


 4人と別れたあと、メグミ様の約束の時間までどうしようかと思案していましたが、頭の中に映像がよぎったのです。第二音楽室を使われている貴女の姿が。つまり私はいつかこの光景に出遭ったことがあるワケで……迷惑とは思いましたが一観客として聴かせてもらいました。


「習っていたんですか?」

「独学だよー。家に電子ピアノがあってさ。弾いていくうちに出来る曲が増えたって感じかな」

「なるほど。趣味の域を超えている上手さでした」

「私の夢だからね。努力しないと」

「夢ですか?」

「保育士になりたいんだ。進路も資格獲れる大学を目指すし……軽音学部が休みのときにピアノを使わせてもらってるのもスキルを磨くためだし。夢は諦めたくないなあ」

「ああ、だから時々……」

「んん?」

「思うんです。お母さんっぽいな、と」

「あははっ。それ誉めてるの?」


 たとえば今みたいに笑うのも。

 ふとそういった気持ちになることがあります。お母さんがいたらどんな風なんだろう。どんな人にも感じなかった意識。誰が言ったかは知りませんが【超高校級の母性】とはよく評したものです。保育園の先生に向いてるのを見抜いていたってことですからねえ。


「タカヤのお姉さんがさ。保育士なんだ。正直憧れてたって気持ちもあるけど……真剣に目指すって決めた。私は子どもたちに色んな言葉や経験を通じて、成長を助けてあげたい」

「……わぁ」


 素敵だ。

 ここまで明確に夢を心に描けている姿勢が、メグミ様の溢れる魅力の一端ではあったわけですね。サラ様がすぐに心を許し、惹かれるのも自明の理ということ。


「頭が下がります」

「どうしたの急に!?」

「私はあまりにも漠然としか日々を過ごしていない。真剣でなかった。メグさんを見て自覚したのです。日常を過ごす密度が薄い。生きるという行為がなっちゃいないッ!」

「あ、また変なスイッチ入っちゃった」

「メグさんはここで夢を叶えるためにピアノを弾き……そしてこの後はケンタのためのお弁当をどうすべきか考えようとしている! 私はどうだ!? 胸を張って何かを……何も!」

「あのさ」

「はい」

「これから一緒に買い物、付き合ってくれるんでしょ?」

「え? まぁ、そうですが」

「ケンタのお弁当のこと、そのアイデアをくれたのはユッコちゃんなの。今日までの時点でアドバイスも相当もらってる」

「気付いたことを言っただけで……」

「もう! その自分を下げる言い方しないで」


 め、メグミ様が怒らせてしまった……!?

 まずい。【七つ星】の中でも一番怒らせてはいけない人なのに! 彼女が怒る時……それはつまり絶対的に悪いのは怒られる方で、正しいのはメグミ様だと決まっているのだから。天地がひっくり返ってもそれだけは確かだ。


「ユッコちゃんはすごい……料理もそうだけど、みんなのことよく見てるでしょ。頑固だったり自分を曲げないって時はいつだって誰かのため。それって普通じゃないことなんだよ? 私にとって、サラちゃんたちと同じ。友だちになってくれたのが恵まれていて出来過ぎなくらい……【奇跡の七人】の内の一人なんだから」


 その言葉は、過去に誰かが口にしたどんなセリフよりも衝撃的だった。私の頭を揺らし心を揺さぶった。メグミ様の気持ちに一点の偽りもないことも分かった。つまり否定できない。頂いた言葉と想いをのみ込まなければ!

【奇跡の七人】という名称も初めて聞いたけど、しっくりくる。私の場合はメグミ様がそこに数えられているが……自分も? みんなと共に? メグミ様にとって……わ、私が? 脳がバグるっ!?


「こ……」

「こ?」

「今生に悔いなし……ッ!」

「ユッコちゃん!?」


 ふらつく足に力を入れて何とか持ち直す。

 倒れるわけにはいかない。行かなくては。メグミ様と買い物に。


「ありがとうございます。あまり自分を卑下しないよう気を付けますね」

「それがいいよ。タカヤだってたぶんそう考えてる。彼氏彼女ってさ。引っ張られれば必ず付いてっちゃう。良いことも悪いことからも、分かち合って離れられない。私が勝手に思ってるだけかもしれないけど。そう感じる瞬間ってない?」

「その、まぁ……」

「ふふっ。じゃあ今日は色々聞かせてよ」

「お、お手柔らかに」

「もうデートした?」

「へぁあ!?」


 メグミ様は女神。それは間違いありません。

 そしてその母性と慈愛のほかに……いたずら好きな好奇心も持ち得ているらしいです。



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