⑨ 2年生 5月1日 ある日の昼休み




 サラ様はブチ切れていた。

 教室の窓際、椅子に座り足を組みつんと胸を張るだけで絵になるお方だ。ご尊顔は険しく正面の相手を睨み、刺すような威圧感を与えていた。主に横にいる私にとばっちりの形で。


 気付いたことが二つある。

 一つはサラ様はクラスメートや他の有象無象に激昂などしない。ただイラつきを露わにしながらも徹底的に関わらない、ということ。

 二つめは真剣な表情やブチ切れた怒りをぶつけるのは心を許した人にのみ、ということ。サラ様の決めた線、その内側にいる限られた人にだけだ。


 そして当のケンタ様は……この威圧プレッシャーを全く意に介していない。

 やめてくださいサラ様。そのオーラは私に効く。


「で? もう一回説明してくれる?」

「さっき折原に言われたんだ。俺たちとお弁当食べたいって」

「その場でOKしたワケね? あたし達に許可も取らず」

「許可って大げさな……机で昼飯食うだけだろ?」

「誘われたんならケンタ1人で行きなさいよ」

「な、なんでだぁ!?」


 オーバーな手振りで不思議がるケンタ様。

 サラ様が怒るのも無理ありません。人には近付かれて不快に感じる距離……パーソナルスペースというものが存在します。誰だってその内側に入り込まれるのは好きではないのです。サラ様はその線が際立って狭い。ケンタ様はともかく、いまだ私がそこに収まっているのが信じられないのですが。


 しかしメグミ様も考えましたね。まず彼女本人に申し出れば、速攻で断られてましたし私を経由しても二人に相談するだけでやっぱり水泡に帰すでしょう。サラ様を射んとすればまず馬を射よ、という事です。まあケンタ様は馬よりは韋駄天と評した方が正確なのですけれど。


「なあサラ? 折原は俺たちと弁当を……」

「知ってるよばかケンタ。勝手に決めんなっての」

「いやいや。おかず交換して、話してりゃ楽しいかもじゃん? 俺、折原のことあんま知らないし」

「そこにあたし達を巻き込まないで。正直迷惑だし。ね? ユッコ」

「はいぃ!? わ、私には何とも……」

「おおそうだ。ユッコに決めてもらうのはどうだ? 今んとこ賛成1反対1だ。言い合ってても昼休みが潰れてくだけだろ」

「まあ確かに。仮にも約束しちゃった折原も待たせてるし」

「えええっ? そんな急に……」

「ユッコはどう思う? あたしと一緒に食べたいでしょ?」


 サラ様のお言葉につい首を縦に振ってしまいそうになったが、ギリギリで踏みとどまる。なんの因果か私に決定権が委ねられた場面。軽々に決めることはできません。【七つ星】のうちの三人、その未来が掛かっていると言ってもいい重大案件ですので。

 正直見てみたい。御方々の輝きが連なるところを。個々のご活躍でさえ私の胸を震えに震わせ、毎日の生きがいを、希望を与えてくださった。もし推しの七人が勢揃いし、力を合わせるようなことがあるとすれば……それは紛うことなき奇跡というしかない。

 なので心の中で謝罪する。


「折原恵さんとお弁当を食べます」

「なんでよっ!?」

「よっしゃあ!」

「同じ料理作りをする者として、そのお手並み拝見したく……」


 続く口上はサラ様の動物のような唸り声にかき消されました。

 まあでもケンタ様の意向も分かります。サラ様にもっと見分を広めてもらいたいんですよきっと。狭い世界では得られない経験というのもあります。私も似た考えです。メグミ様と交流することは彼女にとって良い変化に繋がると思うんですけどねえ。


 おそらくメグミ様は二人の間に上手く入ってくれますよ。そこで私はお役御免、ということで徐々にフェードアウトすることになるでしょう。今の私の位置や距離の方がバグってます。おかしかった。ホントにあり得ない事態なんですから。


 遠くから活躍を見守る……以前の関係に戻るだけ。

 私みたいなモブ女子など、忘れてくれないと困ります。






 *  *






 サラ様。ケンタ様。メグミ様。

 さすがに一堂に会すると壮観ですねえ。そして弁当を置いて机を突き合わせた席。教室がざわついているのが分かります。


 お二人の影響力はいつだって大きく、引っ張られる形でクラスの雰囲気は良くなっていました。しかし中にはその流れに付いていけない人もいます。私とて未来予知なんてふざけた力が無ければ同じ道を辿っていたかもしれません。しかしメグミ様はこの4月、孤立しそうな人や妙な方向へ向かいそうなクラスメートを影ながら支え、まとめてしまった……すごいことです。【七つ星】の一角は伊達ではないのですよ。

 

 サラ様とメグミ様は、特定のグループに属さない。

 その理由もスタンスも全然違うのでしょうが、メグミ様の意図することは何か興味があります。今になって4人で机を囲むことにも。

 

「……」

「……」

「……」

「……」


 からの開幕無言である。

 主にサラ様がメグミ様を睨まれているのが原因。ちゃんとメグミ様はよろしく、と挨拶から始まり礼は尽くしていました。ただこの場面ではあくまで流れに沿う身。郷に入っては郷に従え、その姿勢のようです。


 見えない意思の疎通が二人の間で生まれている……?

 激流のような睨みを受け流すメグミ様は静水。逆らわず、むしろサラ様の視線をのみ込んでいるようです。しかし均衡と静寂はいずれ破られます。いまこの瞬間にも……!


「ヒャッハー! おにぎり弁当だあーっ!」


 勢いよく奇声を発し蓋を開けたのはケンタ様。

 大きめの弁当箱には5つのおにぎりがサランラップで包まれています。白米のみの100%おにぎり弁当。ひょいとサラ様がおにぎりを一つ取り、私もそれに続きます。

 昼休みに外で買わなくなり各自で持参するようになりましたが、ケンタ様は主食担当。主菜と副菜、つまりおかずは私たち二人が用意して交換する形をとっているのです。と、さり気なく目で合図を送っていましたが、メグミ様は空気を見事に読まれていました。


「あ、じゃあ私も貰っていいかな?」

「もちろんだ!」


 ふふ、おにぎりの重さに驚いていますね? 重量感たっぷり、齧っても齧っても減らない魔法のおにぎり。ケンタ様が握られた渾身の一品です。

 

 さて、いただきますと声に出しまして。

 お、サラ様の今日のおかずは……ミートボール、唐揚げと王道の品目ですか。ケンタ様の大好物とも言えますが。そしてプチトマト。あ、ハムとチーズを巻いたやつは手作りですね。冷凍ものや前日の余りを詰めるだけではない、というのが個人的にポイント高いです、五億点。ではメグミ様は……。


 私とメグミ様の動きが一瞬固まる。

 思考停止したのではない。その逆だ。


【焼き鮭・肉じゃが・玉子焼き・きんぴらごぼう】

 彼女の母性溢れるイメージよりもやや渋いラインナップ……? いや、焼き鮭と肉じゃがは明らかにサラ様とケンタ様の好みを意識した感じがします。リサーチ済みですか。それにきんぴらごぼうで家の味を披露しようてか……玉子焼きは確実にお手製……やりますね。


【豚肉の生姜焼き・アスパラベーコン・だし巻き玉子・ひじき煮】

 メグミ様は生姜焼きとアスパラベーコンをご覧になり、ちらと私たちの顔を見る。誰の好みか分かっているようです。だし巻き玉子には火の通し方を確認されたのか納得したお顔。ひじき煮で一番おいしそう、といった表情で頷かれる。


「おいおいおいおい、また見えねえバトルかぁ!?」

「放っとけば。さきに貰うから。あ、鮭おいしい……減塩ってヤツ?」

美味うまァっ! ユッコの生姜焼き、味濃くって最高なんだよなー」


 おかずの交換を前提にお二人の箸が進んでいく。

 メグミ様も私も料理を趣味としている者……弁当を見れば食材がどのように調理されたかおおよその察しはつきます。が、しかし。家庭の味の細やかな方向性などは……やはり食べねば答えは出ない。一目瞭然、一食即答だ。


「ほぉ」

「わぁ」


 お互い同じタイミングで声を漏らす。

 この肉じゃが……あっさりした味付け、薄くてその分だしが強めだ。出身、いや関西系とも違いますね。美味しいなこれ。きんぴらごぼうもいい。この優しい味が彼女の母性を育てたんでしょうか?


 メグミ様もアスパラベーコン、ひじき煮と箸を進められました。表情にあるのは微かな驚き。メグミ様の舌からしてみれば、味としてはべらぼうに濃く感じたはずですからね。ケンタ様のために塩を増量……したわけではなく、単にお父さんのビールのツマミ用だからです。豚の生姜焼きも同様。


 おや、出し巻き玉子に行きますか。

 ならば私も玉子焼きを頂きます。ん……。


「甘ァーい!?」

「濃く、ない……!?」


 玉子焼き甘過ぎッ! あまりにも甘過ぎるぞ……この砂糖の量。適量の調味料を加えた後にダメ押しで砂糖を入れたような。

 しかし何故、メグミ様はこのような味付けを? 必ず意図があるはず。この玉子焼きだけが特段に甘い理由が。お弁当に詰める以上、味の系統をまるっきり無視することなど私たちにはあり得ないのだから。


 お弁当から視線を上げると、メグミ様もこちらに視線を向けていた。私と似た疑問が浮かんだ……そんな顔をしている。自然と答えるために口が開いていた。


「ええと、だし巻き玉子だけ関西風なんです。父がだしを効かせた方が、好きだからだって……変にこだわるんです。他は大抵濃ゆい味なのに」

「そうだったんだ。私の玉子焼き、甘いよね? それ、むかしお祖母ちゃんに褒められて……お料理が大好きになったキッカケで。その時の嬉しかった気持ちを思い出して、つい砂糖を多めにしちゃって」


 ……なるほど。

 メグミ様に強く共感するのが何故か分かりました。やっぱり家庭料理は大切な人のためにするものですよねえ。幸福の名の下に私たちは腕をふるう……。


「メグさん!」

「ユッコちゃん!」

「なに? この仲良し空間……手なんか握っちゃって」

「いいじゃねえか。折原の玉子焼き、甘くて最高だぜ。デザート感覚っつーか」

「ユッコの出し巻き、総菜屋さんに並んでても買うレベルだけど? あんたの舌がお子様並みなんじゃないの?」

「ああ?」

「んん?」



 

 バチバチと視線を交す幼馴染の二人をよそに。

 私とメグミ様はお弁当を楽しみ、素直な気持ちと感想を言い合うのでした。



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