⑧ 2年生 4月25日 体育館




 バレーボールの弾む音。女子の声。

 私といえば体育館の端っこに座り、見学を続けている。

 開いた扉からの風が涼しい。体育着に溜まる熱気を吹き飛ばしてくれるようだ。


 おお、メグミ様がボールをまたレシーブで拾いましたよ。

 かわいらしい小動物のような身長と外見からは想像できないくらい、ガッツがあるんですよねえ芯があるというか。

 彼女は……私よりは動けますがクラスの平均に収まる所。【七つ星】の中では控えめの運動神経。しかし落ちそうになったボールを諦めずに追いかける姿勢、非常に好ましいです。プレイの合間で前向きな声掛けも途切れさせない。頑張ろうって気にさせてくれます。私でさえも。


「ユッコ大丈夫?」

「ええ、少し休んだらコート入ります」


 サラ様が心配そうな顔で隣に来てくれました。

 体育の授業限定、亜麻色のポニーテールも似合っています。

 ふふ。メグミ様の声掛けに突き動かされた結果、無理をしてボールが顔面直撃した……と思われていますね。実際は少し違いますよ。

 

 サラ様の躍動する姿に見惚れてしまったなどとは……言えません。

 その美貌と、しなやかな身体能力。天は二物を与えることもあるのですねえ。コートの中で推しを見られるなんて、こんな幸せ他にあります? いや、ない。 


 彼女のスパイクに息を合わせ、トス役を果たすのも楽しかったのですが……その、豊かなお胸が体育着越しに上下するのが私にとっては大問題で。揺れるというより跳ねてましたねあれは言葉にするなら、ぶるんっゆさっ……。


「病院行こっか」

「ゆ゛さっ!?」

「何その声……やっぱ痛いんでしょ? 顔が歪んでたし」

「き、気のせいですね。揺れる春の陽炎かげろうってヤツですたぶん」


 視線を体育館から扉の外、校庭の方に泳がせた。

 男子は長距離走の練習のため、学校の外周を走っている。もう終盤なのか体力差でだいぶ縦長の列になっているみたい。さっきから目敏く数えているが9週目だ。男子は何キロ走るんだろう。それにしても……


 はぁ。タカヤ様。


 体育が隣のクラスと合同で良かった。

 順位が上がっていますね。ええと五番手ですか。先頭集団に陸上部やサッカー部がひしめく中で、大健闘と言っていいんじゃないでしょうか。すごいです。

 無理せず、がんばって……! 


 ケンタ様は言うまでもなくぶっちぎりで

 ウチの高校は広いので外周も数百メートルはあり、つまりそれほどの距離を周回差がつく寸前ってほどリードを保っている。さらにヘバっている男子を応援しながらペースを落とし、流して走ってますね。

 他のスポーツ系の部員を追い抜くことも出来るはずですが敢えてしないようです。男子たちの立場を考えて、のことでしょうか。まあインターハイ長距離で優勝の実績がありますし【超高校級のランナー】の面目躍如といったところですね。


 そのままケンタ様がゴール。男子は10週で終わりみたいだ。

 なら来週の女子は……忘れよう。いまは重要じゃない。


「やっぱり断トツの一位でしたねぇ」

「まあ、中長距離走でケンタに勝てる奴なんていないし」


 サラ様のさも当然、言いたそうな誇らしげな表情がまた良き。幼馴染、と周囲からは言われてるけど子どもの頃から走りは得意だったんでしょうか。


「小学5年生から毎週マンガを買いにタバコ屋を往復していた、というエピソードは伊達じゃないようです」

「運動会のリレー戦でバトン渡すミスがあって、アンカーのケンタが最下位からスタートしたことがあってさ。アンカー同士だから足の速い子ばかりのはずなのに、ぐんぐん差を縮めて勝っちゃうんだから。あの時からケンタなら何とかしてくれる、みたいな期待感があったなあ」

「それはすごい」

「ねえ……ユッコ」

「はい」






 *  *






 サラ様が真剣な顔をした。

 汗を拭くケンタ様や走る男子たちの方を見ながら、小さく呟く。

 

「ユッコって将来の夢とか目指してるもの、ある?」

「……いえ。特にないです」

「本当は?」

「少し考えたけど、やっぱり思いつきませんでした」

「料理できるしそっち系目指さないの?」

「夢や仕事にするほどでは……難しいでしょうし」


 家でお父さんに作るだけで私は十分。

 中華そば屋さんでアルバイトをしているけど、あれを目指すのは簡単じゃないって分かる。一日に百人以上ものお客さんに全く同じ味を提供するっていうのが、そもそも神業だ。味の系統は間違えないし失敗は少なくなったけど料理の出来はかなりぶれる感覚がある。お父さんは文句なく食べてくれるのが救いだ。


 新しい味や料理を開拓するのも……まだ無理。

 十年も二十年も作り続ければその領域に近付けるかもしれませんが。想像してみると、趣味の範囲を保っていた方がいい気がする。そりゃあ【超高校級のコック】なんて言えれば至高の御方々と多少は釣り合うかもだけど。

 考える機会を与えてくださったサラ様に感謝。


「あたしはさ、小学生の時はお菓子職人になりたったんだ。でもちょっと作ってみたり試してみて挫折した。いつもそうなんだよね児童劇団とかでも……自分と他を比べちゃう。まっすぐ夢を目指していた人たちにあたしが敵うか? って不安が膨らんでいって……萎えちゃう」

「そうなんですか」

「胸に抱く想いってヤツ? 恋愛でもそう。告白したことあるけど上手くいかなかったなあ。好きな人に向かうエネルギーで他の人に負けてる、って思いたくないのに。純粋じゃない。まっすぐじゃない。なんてあれこれ考える時点でダメなんだけどね。この先見つかるのかな……それより、見つかったとしてまた諦めることになったら」


 ざざざざっ。

 頭の中に雑音と砂嵐。

 体育館。開いた扉の前。サラ様の目に涙が溜まり……悲し気にこらえてコートに戻る光景が広がる。視点が変わらないということは私は一歩も動けずにいる?


 自らの行動や言動次第で起こりうる未来。

 サラ様を悲しませる結果? あり得ないだろうが。何してんだ私は。


 私が変える、なんておこがましい。サラ様を信じろ。その不安な気持ちの向きを少しだけずらしてやればいい。それだけで自ら立ち直ることが出来る強い人なんだから。何もしない、踏み出せもしない私とは違う!


「サラの悩みは分かりません」

「……っ」

「私は夢に向かって努力したことも、好きな人に告白したこともありません。後悔したり悩んだりする資格すらないんです。だから失敗を恐れずに進んでいけるサラのことを、本当にすごいって思うし応援してあげたい。頑張っているあなたが困っていたなら……私が力の限り手を貸して助けたい!」


 涙で濡れた切れ長の目が、大きく見開いた。

 私の心のままを言葉にすることが、いまのサラ様に必要なんじゃないか? たぶんだけど、サラ様の中で色々考えすぎてしまっているだろうし。陸上で結果を出し続けているケンタ様が一番近くにいることも影響あるのかな。


「それに、無駄じゃないと思いますよ」

「……え?」

「私だって家で料理をしていたから、今はサラやケンタとお弁当を食べるようになりました。きっかけってきっと、最初は小さい事だったりするんです。サラもその、誰かを好きになったり、お菓子を作っていたのってプラスになってると思う……んですけど」


 最後はしどろもどろになったが、言いたいことは言えたぞ。

 伝わってください、伝われ。頼む。


 私の念が通じたのか、あるいは必死こいた私の様子があまりにも滑稽だったのか……サラ様が笑顔を見せた。吹っ切れた。そういって差し支えない表情。溜められた涙はすぐに手で拭われ、跡形もなく消えてなくなる。


「ふふっ。ユッコはマジ気が大きかったり小さかったりの幅がすごいんだから」

「小胆小心が私の性格ですよ。必要なら大きく見せるってだけで」

「あたしのために、やってくれたんでしょ……ありがとっ」


 そう言って体育着を直すとコートに向かわれました。

 そろそろ私も行かなくちゃ。サラ様へのトスを上げなければいけません。


 しかしサラ様が誰かに告白していたとは衝撃的な発言でしたね。彼女の告白で首を縦に振らない男子なんているんですか!? 想像もつかないんですが。理由を付けるにも、すでに恋人がいたり、他に好きな人がいたりってことでしょうか。なら元々成功する目は……いえ、恋する気持ちを伝えることは理屈じゃないんですよね。それだけは知っています。


 私がタカヤ様を想うことだってきっと……マイナスにはならない。それだけは胸を張って言い切れる。


 コートの方に目を向けると、ちょうど休憩時間が終わってチームが集まっているところらしい。ただ一人、メグミ様がずっとこちらを見ていた。




 いつもの愛嬌溢れる笑顔で……私だけを。




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