㉞ 雨の日の七人 男子編




「ユッコちゃん?」

「……メグさん」


 メグミ様に呼ばれ、慌てて彼女の胸から離れた。

 自分の席に座り直しても、いい匂いの残滓が漂っている。

 クラスメイトのいない教室ではありますが、【奇跡の七人】の胸の中で寝てしまうなど前代未聞だ。どうしてこうなった? キッカケは……軽いじゃれ合いを望まれていたので、つい。しかし極刑に値する行為だ。母への愛に飢えていたとでも? んなバカな。


 たしかにメグミ様には母性を感じます。なんか、こう、包容力というか。何をしても動じずに許し、優しく諭してくれるような……なんて。ふへへ。

 

 そんなことを考えていると、横の席にいるサラ様が口を開いた。


「ユッコ。本当に大丈夫? どっか悪いんじゃないの」

「い、いえいえ! 問題ありませんっ何も!」

「ふぅん……」


 じろじろと見る目は鋭い。

 一瞬、内心の浅ましい感情がバレたのではと思ったが、純粋な心配をしているようです。


「泣いてなかった?」

「え?」

「勘違いならいいんだけどさ。悩みがあるんなら、話してよ。あたしだってほら、胸くらい貸せるし」


 ん、なんだか対抗している?

 妙に焦っている感じが……しかし、つんと胸を張るだけで絵になりますね。

 甘えるというよりも、一つの芸術品のような気高さがあり畏れ多い。


 メグミ様が少し考えた顔をして目を細める。


「ユッコちゃんは私に甘えたいんだよねー」

「はぁ? お弁当とか趣味が合うからってこのっ……! メグに言えないけどあたしには聞いて欲しいこと、あるかもしんないじゃん!?」

「劇や舞台とかの話は結構しますよ。お父さん、あんまり劇団の仕事内容を教えてくれないし」

「ほ、ほら!?」

「それはユッコちゃんのパパが関係してるだけでしょ?」

「まあまあ……お二人とも、頼りにしてますから」


 それは偽りのない本心だ。私は……後ろの席で突っ伏して寝ているミズキ様を含めて、【七つ星】の皆さまを信頼している。

 サラ様に聞きたいこと、本当はもっとあるんですよ。例えばメイク……お化粧のことをレクチャーして頂きたいのですが、やっぱり迷惑ですよねえ。正直、化粧しても大して変わらない顔ですが、きっかけはどうあれ学校最上位グループに入ってしまった以上、見栄えくらいは気を付けねば。と思うのです。


 私のフォローを全く意に介さず、メグミ様もサラ様も睨み合っている。

 おおお、話題を変えた方が良さそうですねこれは。


「け、ケンタたち、おそいなぁ?」

「……コンビニならもう帰って来るころだよね」

「駄菓子屋まで行ったんじゃない? ったく、いつまでも小学生かっての」


 今日は期末テスト終わりで、放課後ダラダラしようというケンタ様の提案でした。陸上部の練習がない希少な日ですからねえ。お菓子やジュースを買って来る、という思いつきや良し。しかし当の男子組が遅いのは気になります。心配、というよりも何か良からぬことを企んでいたりしないかと。去年の夏の肝試しみたいに、変装してドアを開けて来るなんてことだって、まあよくやることですから。


 ハル様やコウちゃんも、割と悪ノリしますし。【七つ星】の良心は二つ。メグミ様とタカヤ様がうまく中和して歯止めがかかる形。


 窓の外を見ていると、ぽつりぽつりと雨が降り出した。薄暗い雲、濡れた服……んん? なんか見覚えがあるような、この既視感。さっきメグミ様の胸の中でぼんやりと浮かんでいたのって未来視の映像? ううん、思い出せないな。

  

 その時、ミズキ様が勢いよく起きて席を立った。


「うわ、びっくりした。何?」

「……タオル出して」

「え?」

「私は一つしか持ってない。サラの鞄の中にある分も使う」

「ハルたちが濡れて来るってことだよね? ミズキちゃん」 

「そう」


 傘を持って行ってませんでしたし、ミズキ様さすがです!

 と心の中で賛美する。

 それぞれのハンカチやら汗拭きタオルやらを用意している時、教室の外で騒がしい声が聞こえて来た。すぐにドアが開く。


「いやー濡れたな!」

「お前がメダルゲーム熱中してなきゃ、間に合ってたろ?」

「あっははは! 急に振る雨が悪いよ雨が」

「いいから買って来たモン置きなさいよ! はいタオル」

「……コウちゃん、これ」


 まず先に帰って来たのはケンタ様とコウちゃん。

 お互い渡されたタオルを使って頭を拭く。じゃれ合う雰囲気、水玉に濡れたズボン。透けたシャツ。首筋、うなじ。ほう……ケンタ様の無邪気な笑顔、コウちゃんの珍しいやれやれ系なやりとりですか。たいしたものですね。


 幼馴染であるがゆえの遠慮ない感じ。【七つ星】のこのコンビは人気が極めて高いらしく王道と感じるファンも多い。オイオイオイ。死ぬわ私(とうとみで)


「むー濡れた。ケンタぁ、タオル他にある?」

「すまん。今日は部活無ぇんだ」

「じゃあ拭き終わったらそれ貸して」

「私持ってるから使っていいよっ」

「お? ありがとーメグ」


 次にハル様。

 もともと中性的な顔に、少し赤みが差している。濡れた長めの前髪からは白い肌と赤い唇が垣間見え、走って来たので吐息に熱がこもり……匂い立つような色気を感じます。

 彼の危うい色香に、人生観を狂わされたファンもいるくらいです。しかもほわほわした雰囲気と成熟しつつある肉体のアンバランスさを醸し出している。それにしても通り雨に振られただけだというのに、これほど人の心を揺さぶるのは魔性の魅力というほかはない。


 最後にタカヤ様が教室に入って来る。


「……ふう」

「遅かったが、何か途中であったのか?」

「ケンタ。店で最初に買った駄菓子。袋に入れ忘れていたぞ」

「あ、忘れてた。ゲームしてて」

「お前……まあいい。急いでたしな。そのタオル……借りていいか?」

「もちろんです。どうぞお使いくださいっ」


 持っていたタオルを手渡す。

 眼鏡を外して顔と髪を拭くタカヤ様。開かれた首元、一筋の水滴が鎖骨のくぼみをなぞる。彼の男性的な身体の中で、ここだけは繊細で……ああ私が雨のしずくであったなら。鎖骨の線に沿ってすーっと流れていけるのに。

 

 タオルが首や腕の部位に降りてきて、見ていたのがバレないように目を逸らす。皮膚とタオルの擦れる音を聞くだけでこちらの胸の高まりは加速していくようだった。

 視界の隅に、彼の上履きが映った。一歩、こちらに足が向く。

 

「ありがとう。古賀」

「は……い」


 眼鏡を外したタカヤ様。

 普段見られない素顔もすごくかっこいい。私の名前を呼び、微笑みかけてくれている。こんな奇跡、私の人生を百回繰り返したって二度とないのでは? この多幸感はヤバい。あまりにも……!

 緩み切った表情を浮かべていたのか、メグミ様が私の肩を叩いた。


「ど、どうしたの?」

「こ……」

「こ?」

「今生に悔いなし……ッ!」

「ユッコちゃん!?」 


 がくりと力が抜け、さっきと同じようにメグミ様へ身体を預ける体勢になる。私は満ち足りた。この圧倒的な充実の中、行き着く最後がメグミ様の胸の中なんて究極の理想じゃないか?



 そんなことを思い、私は意識を手放した。



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