⑥ 踏み出した対価
サラ様の数学プリントは50分ほどであと数問を残すのみとなった。
教科書のページを探す間に聞いた話では、このプリントは先生から春休みの課題にプラスしてやるように渡されたらしい。
1年生の時にアイドルだかモデル? の仕事でポツポツ休まれた時があったから、出席日数との兼ね合いなのかも知れませんね。
「うし、終わった!」
「お疲れさまです沖島さん」
「言うだけあって教えるの上手いじゃん」
「な、なんとか授業を思い出しながらですが……」
「あははっ。その必死さも実は知ってた」
サラ様はボールペンを片付けながら笑っている。
私への警戒は最初に比べてだいぶ軽くなっている様子だ。
「追加分の課題のこと忘れててさ。今日中に出さなきゃヤバいやつだったらしくて……ケンタのやつは帰ってるし、わりと詰まってたから助かったよ」
「なら良かったです」
「ま、学校休んでた分はやらないとね」
「アイドルのスカウトをお受けしたんでしたっけ?」
「それ……なんか変に伝わってんだよ。アイドルがどうのとか雑誌に載ってるとか。あたしがちゃんと説明してないのも悪いんだけど」
流れた亜麻色の髪を手で直しながら、ううんと唸った。
よく考えたら机越しの距離っていけない。サラ様の顔とそれ以上に胸が近い。
「手伝ってくれたし教えとく。去年の秋ごろにスカウトされたのは合ってるんだけど、劇団の芸能事務所だったんだよね。オーディション受ければいろいろ審査すっ飛ばして所属できるって話で」
「声を掛けられるのが、そもそもすごいです」
「まあね。正直あたし顔はいいからさ? 高校生の今しか活かせない武器かもしんないじゃん。あとは発声練習とか演技さえ形になれば成功するかもって、思ってた。でも甘かったよ」
ごまかすような苦笑に、ほんの少し弱音が混ざる。
そういう話を誰かに聞いてもらいたかった感じだ……自惚れるな。私が特別なんじゃない。例えばケンタ様とか、心から信頼している人がいればそれで解決してる。今そばにいるのが、たまたま私だっただけだ。
ざざざざっ。
頭の中の砂嵐が再び吹き荒れた。さっきとは違う真っ黒でうすら寒い……トンネルみたいな嫌な感じがずっとずっと続いている。もしこの現象が未来予知なんだとしたら、これって誰の未来だ? 私、それともサラ様?
だとしたら変えなくちゃ。
聞くだけじゃ不十分なら何とかする。サラ様の悩みとか……暗い感情があったとしたら吐き出させる。
できるできないじゃない、考えろ。私だけの最善を。
「……実はですね、私の父も劇団員だったんです」
「え? ホント!?」
「と言っても私がちっちゃい頃には大道具の方に仕事を変えてたらしいです。俳優さんの中でもさらにすごい人がいて、とても敵わないと認めてしまったとかなんとか」
「敵わない、か……でも諦めた夢のすぐ近くで、頑張れるモンなの?」
「あまり自分のこと語らない人なので……有名な芸能人とか俳優にも出会ったりするはずなんですが、私が興味沸きそうなことまったく言いませんし。ただ今日も舞台の裏方やってますよ」
「ふぅん……」
男手一つで私を育てるための決断、とかだったら美談なんですけどねえ。
案外推しの俳優を追い続けていたりするのかな? あんなクッソ渋い顔で?
だとしたら血は争えないんだが。
サラ様は何やら真剣に考えている。
しばらくして、窓や天井に揺れていた視線がこちらへ向いた。
「あたしも敵わなかった。トップを目指せば目指すほど顔だって大して差はない。舞台の頂点に上がるために中学や高校……青春ぜんぶ賭けて夢を叶えようとする子たちばかりの、キラキラした世界だった。あたしにはそんな、夢中でまっすぐに進み続ける覚悟はなくてさ。引き留める先輩や候補生も何人かいたけど辞めちゃった。今思えば、あの子たちと同じように密度の濃い数か月を……自分だって駆け抜けていたんだ」
「羨ましいです」
「はあ? ……話聞いてた?」
「貴女は未知の世界に踏み出していける人です。私だったら不安で潰れます」
「そっちだって……イラついてたあたしに勉強教えよう、なんて普通ならないけど? よっぽど度胸なきゃ無理でしょ」
「困っていた様子でしたのでつい」
「ふふっ。あんだけ必死になれるってすごいよ?」
鞄を肩に掛けながら、サラ様が微笑んだ。職員室に数学プリントを提出し、そのまま帰る流れ。私も同じように支度をする。
「そうだ。名前教えてよ」
「古賀です。古賀優子」
「ならこれからはユッコって呼ぶね」
「ゆ、ゆゆっ!?」
「あたしのことはサラでいいから」
「サラ……さm」
「さん付けなんてやめてよ?」
いえ、様付けしようとしてました!
サラ様が望んでいてもさすがに呼び捨ては……しかし。
「ねえ。ユッコのお父さん、昔はどんな俳優だったの? 役は?」
「たしか時代劇だったかと。
「時代劇俳優かあ。だからたまに
「さ、左様なことは……」
「あははっ、ほら!」
この目の前の笑顔が見れただけでも、対価は十分なんですけどね。
私にとってはご褒美に過ぎる。
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