⓶ エンディング 3月21日 卒業式 




 しばらく目を閉じていた。

 上の階ではまだ残っている卒業生がいる。先生に最後の挨拶をしたり、黒板へメッセージを書き残したり……みたいな風景が、私のいる1年生の教室からでも頭に浮かぶようだった。明日からは帰り道を並んで歩いて帰ることはなくなる。今日のこの日を終わらせたくない気持ちは、痛いほど分かるのだ。


 私たちは一度しかない瞬間を生きている。そんな大切なことを人生の節目でようやく思い出すのだろう。きっと誰もが。


 古賀優子の青春はみんなといる2年間が最も輝いていた……でも、1年生の時に挫けず、床に噛り付いてでも毎日この教室に通ったからこそ過ごせた時間。無かったことになんてできない。だから私はいまこの場所にいる。高校生として過ごした日々を、忘れないために。何しろ覚えているだけで十年くらいは記憶がありますからね。留年を繰り返した方でもそこまで長くはないでしょう。


「ここにいたのか」

「……タカヤ」


 個人的な振り返りも一息ついたところで、タカヤが声をかけてきた。

 みんなは? と聞こうとして止めた。まだ教室にいるに決まっている。いつもの放課後のようにケンタが騒ぎ、ハルとコウちゃんが上手くリアクションを起こし、サラは呆れ、メグが絶妙な間で繋ぎ、ミズキはその光景を眺めているのだ。


 ちょうどタカヤと出会った頃を思い出していたので、少し顔が赤くなっていないかな……そもそも彼はなぜここに? 


「教室の懐かしみに来たんですか?」

「いや。お前を探してたんだ」

「私を?」

「ああ」


 彼の声。いつまでも学校で聞いていたかった。

 そんな優しいトーンで語り掛けるの、1年の頃は幸せで苦しく、心臓が持たないと思ったっけ。いまだに平常心では聞けないけどね。


 そう言えば……いつかの日常で、ここでタカヤと会った気がする。いつ私は彼といたんだろう。何かとても大切なことを話していたような。


 もし、もしもだ。

 タカヤにいま自分の想いを打ち明けたらどうなる? きっと否定はせずに聞いてくれるとは思う。ただこの高校生活最後の日を彼が思い返すとき、私のせいで良くない曇りを残したり邪魔になったりするかもしれない。あるいは正しく伝わらなかったら。それは本当に嫌だし、怖い。ここでわざわざ言わなくても、またいつか会える。別に今生の別れってワケじゃない。


 さらに胸が高まる。緊張で顔が真っ赤になっていくのが分かる。む、無理だ。告白なんてとても無理。サラはよくあの日に想いを伝えられたな。詳しくは聞いてないけど、成功とは行かなかったみたい。何でもタカヤは前に誰かから想いを伝えられたことがあって、まだその答えを保留にして出してない、とか言われて断られたとか。

 

 ああこんな時【未来視】が出来たのならどんなに良かっただろう。でもあの膨大なループは乗り越えた。それゆえ一寸先は闇。先読みすることは不可能。行動を起こさない限りは答えは出ない……出ないけどさあ! 初恋の相手に想いを伝える、なんてことは一生に一度しかできない。胸の内を秘めたまま人生を送る人もいる。私はぜったいにそっちだと思っていたのに、こうやって悩んでいる。どうしよう……どうしたいんだ!?

 

 目がぐるぐると回る錯覚に陥る。私はいま微妙な顔をしているんだろうな。

 彼といえば視線が少し下がり、何か言いあぐねている感じだ。

 見てるのは床じゃない。なんだろう?

 

「この教室で指をケガしたんだったな」

「ええ。もうすっかり治ってます。タカヤがくれた絆創膏に感謝です」

「あんな絆創膏一つくらいで……そうそう。お前は初めて出会った時からなんでも大袈裟だった。リアクションも行動も極端なヤツで」

「そうでしたっけ」

「そうだよ」


 本当にタカヤ様は優しく笑うんですよね。

 でも大袈裟にもなります。彼の言葉や行動、贈ってくれたものすべてを大切にしたい。あなたは高校生活で最たる輝きを見せてくれる【奇跡の七人】であり、私の初恋の人なんですから。

 

 少し会話が途切れて、窓の隙間から風が入ってくるのが膨らんだカーテンの動きで分かった。もうすぐ春になる、そんなそよ風だ。タカヤと一緒にいるこの感じ……やっぱり教室で話してた場面があった気がする。

 

 ざざざざっ、と頭の中にノイズが走ることはもうないけれど。

 さっきから既視感に似たモヤモヤは晴れない。彼に想いを伝えればはっきりするだろうか。しかし……。


「なあ。壁ドンってやつを誰かにされたことあるか?」

「え? ええと……ないですけど」

「されてみたいって思ったことは?」

「まあ少しは」

「その様子だと覚えてないようだな」

「何をです?」

「いや、記憶に無いならいい。どちらかといえば俺の問題」

「教えてください思い出します! いつぐらいの……タ、タカヤ?」


 駆け寄ろうとして、逆に彼に詰められた。 

 反射的に背筋がピンとのけぞる。近い近い。距離かなり近いよこれ! 


 教室の扉付近、挟まれる体勢でタカヤの手が壁をついた。耳横でごく軽い音が鳴った。人生初の壁ドン……。初めての? あ。


 顔と顔の距離が気にならないほど頭の中に記憶が流れ込んでくる。図書準備室。ケトルの湯気。壁ドン。終わらないループをタカヤと打ち破ろうとしていた時を。そして……過去の古賀優子が叫び続け、背中を押し続けていた。ここで私なりの勇気を振り絞り、一歩踏み出せって! 今この瞬間の沈黙を越えたらどうなるか? そんなことは分かるわけない。初恋にネタバレなしだ。でも……。 

 

 教室のカーテンが風で動いた。

 私の心も膨らみに膨らんで、揺れている。

 

 口を開いたのはお互い同時。

 でも譲る気はない。何か言葉を伝えるとしたら、それは私の方だ。

 彼よりも先に知ってほしい。そして想いを正しく届かせる。




「あの! 私は、あなたのことが……!」




 届いた未来で、私は生きていたいから。



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