桐子〜結局、私は間違え続けて後悔の繰り返し。それでも憧れていたんだよ

 雨…雨が降っている。

 お前が落ちた日に雨が降っていたら、何か結果が変わっただろうか?


 皆がお前の残響に振り回される。

 お前の友達は本物になって、それでもお前の後を追ってるよ。


 そして、ウチの元親友は化け物に、お前の彼女は壊れちまった。


 残された奴は…お前を自分の都合の良い存在にするだろう

 だけどな、死んでたら何も言えないんだぜ?

 正しい事も、真実も、本当の気持ちも…

 それでも選んだお前に…お前の話を聞いたウチはウチに出来る事をやらなきゃいけない気がしたんだ


 サラシを巻いて特服を着る、何の為?

 刺されても殴られても目的を達成する為?

 違うよ、少なくともウチは違う。


 恐怖を越えてお前を背負う覚悟を決める為、今度こそ、後悔はしない様に。

 一瞬の煌めきのように生きた、お前の為に特攻するんだよ


 だから、バイクのアクセルを回した


 後悔のないように もう、折れない様に



―――――――――――――――――――――――


 桐子…私はこの名前が嫌い。おばあちゃんみたいだから。

 桐の花言葉は高尚とか、神聖な物って意味らしいけど私からはそんなものは感じられない。


 両親は飽きずによく喧嘩していた。

 私が見ているのも知らずに、毎日毎日。

 幼稚園、小学校と学校に逃げていた。

 毎日が楽しかったから。


 幼少期、毎日が楽しかった

 難しい事を考えなくて良い


 家は両親があれやこれやうるさく嫌いだったけど、外に出れば同じ考えを持つ友達は沢山いた。


 その中に尋也君はいた ただの友達の一人だった


 男も女も、お金持ちも貧乏人も、強いも弱いも

 関係無い空っぽな世界が好きだった

 この世界がこのまま続けば良いなと思っていた


 しかし、この世界はすぐ終わった。

 小学生になり、家に帰ると父の浮気が発覚したとの事で、家が修羅場になった。

 喧嘩ばかりの父と母。

 散々揉めた挙げ句、蓋を開けてみれば、きっかけは母の浮気だった。

 憎悪の連鎖、その中で私の取り合いは、最早お互いの嫌がらせにしか見えなかった。

 結局、離婚するにあたり、父は私を置いて女の家にいった。


『桐子は私と一緒、男を駄目にする欲深い女』


 お父さんが出ていって、母が娘に言った一言

 今、改めて考えると信じられない言葉。

 私にお父さんを盗られたと言っていた。

 そんな馬鹿な話は無いのに、当時は真剣に考えた。

 後から考えれば既に母は壊れていた。

 狂った母と2人しか居ない家の中は気が狂いそうだった。

 

 私は存在しないほうが良いのかも知れない。

 馬鹿みたいだけど本気でそう考えた。

 だから、もう誰とも関わりたくない。

 こうして人と喋るのをやめた。


 私の態度に、クラスの女は気に入らないようだ。

 そしてイジられ無視される私を、男子がからかう。


 誰とも関わらなければ良い。明日も、明後日も。

 しかし一人で生きていこうと決めたのに、一人のクラスメイトがしつこく話かけてくる。

 

 それが尋也君だった。クラスの人気者。

 それからずっと、尋也君と一緒にいた。


 尋也君はこんな私とずっと仲良くしてくれた。

 上手く行かない事を理由に、学校という牢獄から逃げようとする私。

 せめて本に、夢の世界に…と、逃げる私を、か細い糸の様なもので現実世界に繋ぎ止めてくれる。


 中学に入り、いよいよ現実が見えてきた。

 才能や努力という名の格差が生まれてきた。

 容姿はパッとせず…お金も無く、学もなく、新しい事を始める勇気も無く、ただ本を読んでいた私に学校は地獄だった。

 

 私が夢の世界に行ってる時に、尋也君は音楽を始め人気者になっていった。

 

 それでも尋也君は私と繋がってくれる。

 いつもの読んだ本の話を聞いてくれて、覚えた曲を弾いてくれる。

 私と、この世界との繋がりは尋也君だけだった。

 それでも…とても生きている気がした。

 

 そして中学校の文化祭、ステージにいる尋也君を見た時…私の中でなにかが弾けた。


 まるで別の世界…この尋也君といる時以外、地獄のようなつまらない世界でも、物語の様な生き方が出来るんだって言っているような気がした。


 ここではない何処かへ、行けるのではないかと思わせる…まるで私にだけ歌ってくれている様な錯覚に陥った。


 ライブが終わった後に尋也君の周りに人が集まり盛り上がっていた時は『私だけの為な訳…ないのにな』と、少しだけ自己嫌悪に陥った。


 それでも尋也君はその日も一緒に帰ってくれて、はにかみながら『桐子が見てくれたからいつも以上にやれた』と言ってくれた。


 私が勘違いするには十分な言葉だった。

 そして…高校生の進学を諦めていた尋也君を説得した。

 尋也君といると、私も後少しで何かが掴めそうな気がしたから。


 幸せな毎日はきっと続く、永遠に続け、そう思いながら。




 高校に入った。

 高校デビューという言葉がある。

 私はまさにそれだった。

 同時期に母が再婚した。何処で知り合ったかも分からない優男と。

 元々、母を親とは思っていない。だから私はからすれば、その優男はただの他人だった。

 ただ一つ、良くも悪くもその優男は金を持っていた。

 だからお願いするとお金をくれる、理由は何でも良い。

 ただ、洋服や遊びに行くお金を頼むと、とても喜んだ。

 今まで苦労しただろうからという理由らしいが、興味が無かった。


 自分勝手と言われればそれまでだが、親や私の周りはいつも自分勝手に生きている。だから私が同じ事をして何が悪い?

 私は流行りの服を買い漁った。

 そして髪を整え、軽く化粧をして高校に行く。

 尋也君は別のクラスだが相変わらず人気者。

 そして私も…


 クラスで一番格好良いとされる男と私が付き合っているという噂が流れた。

 男も男で満更でもなさそうだった。

 そんな訳無いが、クラスで一番とされるならちょっと付き合ってみるぐらい良いかなと思った。


 私はこの時から…既に尋也君とはすれ違っていたのかも知れない。

 考え方が違っていたかも知れない、それこそ話し合い、すり合わせなんて無理な話なんだよ。


 それでも何かが欲しかった。尋也君に近付く為の何かが。


 それに、その男と手を繋ぎデートをしたが、楽しい事は何も無かった。

 と分かり、すぐ別れた。


 ある日、尋也君に親しげに声をかけるボディタッチの多い女がいた。

 見ていて思った…ドス黒い感情が芽生えた。

 先輩の女が尋也君の首に手を回してなにか言った。

 心から彼に近付くなと思った。

 同時に、もし尋也君が私が短期間とはいえ、キスもしてないが付き合っていたと知ったら?


 怖くなり元カレに念を押した。


「付き合っていた事は誰にも言わないで欲しい、それがお互いの為だと思う」


 何かが変わっていく。崩れていくような、塗り替わる様な…

 まともな幸せってなんだろう?

 尋也君のライブを見に行くと思う。

 彼も、私も、普通の生活、普通の恋愛では満たされないのではないか?

 本人は気付いていたのか知らないが、尋也君にはファンがいた。その存在を彼は見えていなかった。

 もっと何処か近いところを見ていた。

 私は彼の見えている世界が見たかった。


 そんな中で尋也君に告白された。

 付き合えると思っていなかったから…嬉しかった。

 嬉しかった?本当に?

 

 彼といると気持ちは静かに、それでいて暖かく、平穏な毎日に心は満たされ、幸せな筈だった。

 幸せって何?


 尋也君のお姉さんにあった。

 とても優しい人で、だけど怖い…何処か違う世界の人。 

 クラブのオーナーで、常に人が周りにいる。

 皆が羨む女性だった。彼女が誰かを好めば

周りはその誰かを無条件で慕う。

 これが持つべきモノを持つ人なんだなと思った。


 尋也君と付き合えたから知り合えた。

 付き合わなければ知ることも無かった、別の世界の住人。テレビや漫画に出てくるような有名人。

 綺麗な服やくれて、腕の良い美容院を紹介され、お姉さんのおかげでクラブも顔パスで入れた。

 私は学校でも皆が羨むような女になれて嬉しかった。



 嬉しかった?幸せ?与えられたものだけで満足?


 分からない。皆が欲しい物を手に入れて、それで満足して幸せ…それが幸せ?

 私は自分の力でなにかを成したのだろうか?

 

 高校の文化祭…私はモヤモヤしたまま尋也君達のバンドを見に行った。

 いつだって尋也君は私の苦しみや悲しさから救ってくれたから。

 このモヤモヤも晴らしてくれると思ったから。


 

 そこは尋也君の人生、その終末とも言える空間だった。

 ギターの音は金切り声、彼の歌声は慟哭だった。

 多分、見に来た人、バンドの仲間、私…誰も見てない。

 まるでこれから死ぬような…

 誰も見たこと無いから心が動く、だけど私ずっと側にいたから…もしかしたらだけど分かってしまったんだと思う…


 本当は孤独で、昔の私の様な女に関わっていたのも…何処か自分に近いもの、意味があったんだと…


 確かにそう感じた…だって私から見れば誰にも届かない叫びをあげているだけ。

 独り、唯一人で、呼んでいる。既にいない、あの時の私の…


 中学の時からそうだった。端々で見える彼の心。

 ろうの羽で、ろうだと分かっていても、太陽に向かう鳥。

 それでも届くと信じている信念。

 ろうは溶けて急降下する事は知っている筈。


 いつからか手に入れて、飛ぶ事を忘れた私は、見ていて辛かった。


 それでも飛び立つ時は皆が見る…無責任に囃し立てる。

 誰かが言わないといけないよ。

 彼の家族も、友達も、誰も何も言わないの?

 いや、言っても聞かないだろう。

 だって…話を聞く限り…彼の周りには才能のある人しかいなかった。

 だから同じ様に考え、大成することを疑わない。


 そんな人達の話を…彼は受け入れないんだ…だって彼の歌っている…叫んでいる声は…何もない人達が虚空に向かって叫ぶ歌なんだから…


 でも、それでも私が…私だけが理解出来るの…そう思いながらも…

 憧れが翔んで…一瞬だけ輝き地面に墜ちた…


 堕ちる直前に私の事を見ていた事実を私自身が見ようとしなかった

 

 


 堕ちた彼は欲を…私を貪った、最初は私も彼と共に堕ちようと思った…けど、時と共にただ堕ちて燻る彼を意識的に見なくなった。


 人は…私は残酷に出来ている、大いなる憧れが、一瞬で蔑む対象になる。


 私も同じ、高校時代の大多数の人と同じ。

 無責任に憧れ、囃し立て、捨てる。

 

 大学に入った、世界が変わった。

 何処かで幼少期からの格付けが成立され、抑えつけられていた高校の時とは違う。

 外見は武器に、知識は策に、コネは権力に。

 大学は高校と違い、ありとあらゆるものがそのまま大人の世界と直結した、その中で私は手応えを掴んでいた。


 サークルは私のファンクラブになっていた。

 小説…の中でもライトノベルやアニメ化するような商業的な作品を研究するサークル…と聞こえは良いが、俗に言うオタサーだ。

 そこではまさに姫のような振る舞い。

 女は私に媚び諂い、男は私をこれでもかと持ち上げた。

 色んな男に告白もされた、紹介もされた。


「私は今、しがないバンドマンと、付き合っています。だから、今は無理なのです。またいつか(笑)」


 彼氏と別れそうな女…それだけで男は寄って来た。


 その彼氏、尋也君は燻ぶって、それでいて停滞していた。

 いや、正直もう終わり何だと思う。

 何を言っても夢の中の話…いや、夢と認めない、現実を見れない少年。

 音楽でやっていくと言って、高校の時から出入りしているライブハウスの手伝い、それと日雇いの工場でバイトをしているだけ。


 お姉さんのコネも、親のコネもあるだろう。

 それを使わないのは音楽的な理由か、プライドなのかは分からない。


 心の中で迷う、多分…義理や良心といったものなのかも知れない。

 ここまで来たのは、今のワタシを生んだのは間違い無く尋也君があってこそだから。

 付き合いは無くなったものの、彼のお姉さんとの交友は間違い無く私のステータスになっていたから。


 そしてあの文化祭で、こんな私にも可能性がある事、力の無いものでも飛び方がある事、そして落ちる事もあるから落ちない為に心を変える。


 色んな事を教えてくれた尋也君に、もしかしたらなにか返せるかも知れないから。

 そんな風に、心の何処かで見下していた。


 だから尋也君とは別れなかった

 


 それから1年近く経つ頃、私にスカウトの話が来た。

 サークルの延長で、ネットで活動し、小説をこよなく愛するオタク向けアイドルとして愛想を振りまいていたら目に止まった様だ。

  

 躊躇いなく契約書にサインをした、尋也君が届かなかった芸能事務所入り。

 と言っても彼の場合は音楽事務所かも知れないけど…

 

 この話は何となく分かっていた、何故ならそうなるように私が動いたから。

 サークルのファンの男の1人、金持ちの人の良い男。

 まるでお義父さんのように、何でも私にしてくれる男、そして色んな所に効くコネ。


 より強く私に尽くさせる為にやる事もやった。

 こんな時に彼氏がいるというのは便利な言い訳だ。

 尋也君と初めてした時は凄かったけど、その後冷めていく中で、別に気持ちがなくともやれる事を知った。

 勿論、無駄撃ちはしない、価値が下がるから。

 ただ、お菓子や酒と一緒…それで相手が尽くすなら人を選んでする。


「彼氏にはナイショだよ…」


「そんなパッとしないバンドマンなんか別れちゃえよ」


「んーん、彼、私がいないと駄目だからさぁ」


 彼氏と別れそうな女、彼氏を悪く言いながら別れない女、つまり…後腐れ無い都合の良い関係が出来る女。

 その女に馬鹿が集まって神輿にする。


 そして、こんな事をやっていれば自然と私の彼氏は駄目人間と噂は広まる。

 でも、正直どっちでも良かった…尋也君は最近、会っても遠くを見ているだけ。

 私の話には耳を貸さない。何となく、嫉妬?敬遠しているのは感じた。

 何で私はこんな人と付き合っているのかなと思う事もあった。

 それが態度に出る事もあった。

 しかし、フラレるかと思ったけどフラレない。

 

 だけど私から別れを告げるのは、何故か躊躇してしまう。恩なのか同情か、フラレるのを待っていた。



 ある日、とうとう来るべき時が来た。

 いつもの何も喋らない、つまらない。


 ほかの男なら繁華街で、素敵な

 彼のデートは相変わらず同じ場所で、時が止まっている。

 高校生と同じファーストフードでの尋也君とデート、今日は何か様子が違った。


「もうちょっとで約束の時間だから行くね…それと…尋也君さ…これからどうするの?」


 いつもの心配、これで私を頼ってくれたら、誰かのコネで何か仕事を紹介しようと思っていた。

 そして別れる、私が次の場所に行く為に。


 今後も友達の1人としても良い、何かしてあげる事で、何処かで引っかかる心の棘が和らぐ気がした。


「いや、もうやめて働こうかと思う。近所の工場でも面接行こうかな」


「え?ホントに?」


 この時、何処かで尋也君は大人になったんだと思った。

 自分の今を認めて、変わろうとしているのか? 

 やっと私に恩返しが出来る時が来たと思った。

 

「じゃあさ、サークルのメンバーで仕事のコネ付きそうな人いるんだよ!今度、飲み会に来てよ!うん!そうしよう!」


 きっと喜んでくれる筈だ。サークルのメンバーは皆、私の言う事を聞く、だから安心してね。


 何処かで、私は…パッとしなかった何も出来なかった私が、ここまで来た事を褒めて欲しかった。

 この人に…褒めて欲しかった…認めて欲しかった…そんな気持ちに、その時気付いた…でも…



「いや、とは飲みたくないだろう…放っといてくれ。ありがとな」


 思ってもいない返事、反応…態度。


 心の何処かで売り言葉に買い言葉

【この人はもう駄目だ、他の人と同じ様に、必要無いものは切ろう】

 という気持ちと…


 今まで一度もしたこと無かった冷たい態度と顔…

【何で私にそんな顔するの!?ずっと変わらないって言ってたのに!】

 と、何故かすがる様な気持ちが混ざりパニックになった。


「な、なんで?尋也君、どうしたの?何か言われた?どうしてそんな事言うの?」


 私の混沌する脳内で、尋也君はこんな人じゃなかった、イセお姉さんか、それとも高校時代の誰かに何か言われたんだと疑った…


「いや、何も言われてないよ。ただ、。遅いよな、気付くの。」


 私には聞こえなかった、尋也君以外の誰かが尋也君を変えたと信じて疑わなかった。


 何故か中学高校と純粋で優しい尋也君と、今の冷たい尋也君と重ねていた。


「尋也君は…何がしたいの?何を考えてるの?私はもう分からないよ…私はまだ…尋也君が…」


「あぁ…まぁ分からないと思うよ、今の桐子には…」


 棘のある言葉…敵意…走馬灯の様に蘇る子供の頃からの記憶の終わり…私は認められず、まるでまだ気持ちがあるような言葉を出そうとした。

 それすら否定され、私はその場から逃げた。


 泣きながら、走りながら思った。


 変わる事、変われる事…それは同時に何かを捨てる事だと気付いた。

 そして、沢山捨てて、捨てたその中に宝物がある事を思い出した。


 この気持ちが分からない、何がしたいのか分からない、私の取ってきた態度、行動を考えればあり得ない事だ。今更、今更だ。


 一通り走って逃げて…気付く…私は弱いまま…あの時に【誰かに何か言われたから】と思った理由。

 自分がそうだから、自分がいつも流されていたから。


 尋也君のライブを見た時に変われると確信していた…のは勘違いで、流されて良いんだと自分に言い聞かせただけ。

 

 大学に入って、何かを手に入れて何者かになれたような気がした。

 それは勘違い、与えられたものを享受しただけ。我儘を無理矢理通していただけ。

 憧れていた尋也君みたいになりたかっただけ。

 そして…尋也君の事を分かるべき位置にいたのに分かってなかった、それは自分だった。


 泣きながら大学の寮に向かう…私のアイドル活動のための部屋。

 私が積み上げたものを見たかった、見なければ今の自分を認められない。生きていけないから。


 寮の入口に人影があった。

 私の為に何でもする優男…そんな男は何人かいたが誰でも良い…ただすがりたかった。

 悲しくて辛くて、誰かに許してもらいたかった。


「うわあああああああ!!!!」


 泣きながら抱き着いた、誰かの胸のうちに逃げたかった。

 人の温もりに包まれて、欲を開放して、子供の様に眠りたかった。

 キスを求められた、受け止めた。

 何でも良い、必要とされたかった。

 ただ、優しくされたかった。

 

 大人になるということは…こんな事の連続なのか。

 私にはその覚悟は…


 



 それは夢か幻か…あの人の声が聞こえた。

 



「死んじまええええええええええエエエエエエエエエエエエアラアアアァァァァッッッ!!!」


 

 足が竦んだ 抱き締めている手は まるで助けを求める様に強く握った 改めて自分のやった事が分かる 怖い 怖かった 殺される 気持ちに  自分の心に 心が殺される 助けて…


「大丈夫?とりあえず部屋に入ろう?」


 しがみつけるなら何でも良かった

 忘れさせてくれるならどうでも良かった

 ただ逃げたかった 遠くに ずっと遠くに


 男の腕枕の上で起きた時、一瞬だけ考えた。


 私は裏切ったんだ 本当はこんな事出来る人間じゃなかった

 本と音楽 私と尋也君だけの世界

 アレだけで…私の心は満たされていたんだ


 裏切ったんだ だから もう戻るのはよそう

 

私の中で、彼は死んだ





 ヴイイイイイイイン ヴイイイイイイイン

 バイブ音がする。今はもうそういう気分のじゃない、隣の彼に言おうと思ったが寝ていた。


 私の携帯が鳴っていた。ディスプレイの文字は…


 【伊世さん】

   

 心臓が止まるかと思った…けどいつか来る事だ。

 私の中でお別れは済んだ、彼は私の中で死んだ

 気持ちを切り替え電話に出た


『桐子!落ち着いて聞いて!尋也が重体なんだ!意識不明で…今、病院の集中治療室にいる!このままもしかしたら…とりあえず私も今から行くから桐子も…』


「いや、尋也にはフラレましたから 私は行きません」


『桐子!?』


「尋也に私はフラレました…だから関係ありません」


『え?なん…何で?尋也が…?』


「そういう事なのでよろしくお伝え下さい」


『おい!桐子?どういう事だ!?なぁ!き「今まで色々ありがとうございました、さようなら」


 プッツーツーツー


「フー……………ハァ…ハァハァハァ」


 何言ってた?今、伊世さんなんて?

 呼吸が苦しい、断続的にしか息ができない。


「ハッ……ハッ………ヒュ……」

 

 自分が何を言ったか覚えていない。

 胸が苦しい…重体?尋也君が?


 思い出すな、何も思い出すな。

 考えるな、何も考えるな、逃げないと、目を背けないと、間違い無く、壊れる気がした。



 そこから私の意識は曖昧だった。

 その場で思いつく限り、嘘で塗り固められた都合の良い言い訳、聞く人が聞いたら支離滅裂な物語。


 大事な人が亡くなった、だから私は頑張る。

 分かりやすく、お涙頂戴な物語。

 分かりやすいでしょ?健気でしょ?

 それにこれで私、フリーなんだから…実は彼氏がいるなんて事は無い証明だね。


 彼のために芸能界頑張るの。だから皆、応援してね。皆で、私を支えてね


 それから精力的に活動する。

 歌とダンスのレッスンも受けている。


 頭の中では喋った嘘が私の中で現実になった。


 彼が亡くなる前に私をフッたの。だから悲しかったけど、本当は元から死ぬ気だったんだって。

 音楽の世界に憧れて死んでしまったけど、私が彼の夢を叶えるの…だから皆、応援してね


 そのエピソードが色んな人の心に刺さった。


 嘘なのにね…信じて広がる度に私の信者が増えていく。

 増えた幾たびに、悲劇のヒロイン気取りの私は真実と心を塗り替える。

 心が壊れないように、丁寧に塗り替えていった。

 




 それから幾月か経ったある日…事務所に行くともぬけの殻だった。

 後から強面の二人組が事務所に入ってきた。


「こんちわ、見ての通り、事務所の奴らは夜逃げしたよ、まァ事務所の契約書を見てもらえば分かると思うけど…」


「わ、分かりません…な、何の話ですか?」


 自分で何をやっているか分かってないから、契約書なんて読む訳無い。

 私と同じ様にアイドルの卵から、ベテランのタレントまで十人前後在籍していた、サークルの優男から紹介された事務所…


「ほれ、契約書。親も含め、出演に関してもサインしてるよなぁ?要は借金を所属事務所のタレント全員で受け持つんだよ。公的機関じゃないところから借りてるからな。とりあえず、アンタにも頑張ってもらおうか?現役の大学生アイドルさんよ?」


 概要を聞いた。簡単な話だった。

 うん千万の事務所の借金、それを早く処理する為に、手っ取り早く金を作る。その為には…

 私はそれを聞いて、青ざめる事しか出来なかった。


 私はサークルの優男に相談した…この人しか相談できる人がいなかったから。


「ごめんな、でも、こういう事はよくある事なんだよ…俺も支えるから一緒に頑張ろう」


と、一蹴された。


 そして、今の私には他に誰にも、相談する人はいない。 


 でも、そんな私を支えると言ってくれたのは、嬉しかった。

 彼に会う度に体を求められ、どんどん雑な扱いになっていった。それでも必要とされる事に安心感を覚えていた。

 

 結局、その日を境に私がいた事務所は…18歳以上はアダルトの出演が当たり前の場所になった。

 明日には自分かも…と思っていたら呼ばれた。


「とりあえず明日、西区のカルマルマってクラブのVIP席で向こうの社長と顔合わせだからよろしく」


「え?あ!そこは…」「なに?」


「いえ…何でも…ありません」


 カルマルマ…そこは伊世さんのクラブで…あの日からずっと…最も近寄りたくない場所だった…



 

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