第5話 口先八丁な経営者
少し前に乗船しようとした水先案内人が海面に転落して亡くなった事故が発生した。船から船へ乗り渡る方法を見てテレビの前の視聴者の中には度肝を抜かれたものもいるだろう。荒波立つ海面のせいでボロいが丈夫な網梯子はゆらゆらと揺れ、固定されているとはいえ登る人間は振り子時計のように大きく揺れる。バランスを崩せばドボンと落ち、運が悪ければ救命胴衣を身につけていたとしても浮き上がって来れない。しかしだからと言って根本的な解決方法はない。天候などの環境は選べないし、体調管理を整えるなどの手はうつが結局は作業にあたる当人が安全に配慮するよう常に考慮しなければならない。
春を目前にまだ寒さが残る2月ごろ、私は先輩と共に沖へと出ていた。本来ならば岸壁でのアテンド作業なのだが、稀に特殊作業として沖などのイレギュラーな場所へと赴くことがある。もっとも彼らからしたら特別なことではないのだが。
観光客は昼も夜も関係なく海の見える公園で各々余暇を満喫している。そんな彼らを横目に私たちはボートをチャーターし、深夜の航海へと乗り出した。船長は余計な事を話さず、公務員のように明るい表情も見せない。
小型のボートは陸を離れ、夜景がどんどん小さくなっていく。観光スポットのライトアップが一つの点になっていくと心細さを感じた。ここは孤立した空間である。ここまで観光地が恋しくなるのは後にも先にもこの時だけである。
ジョーズの四作目にサメの被害者が夜の海に投げ出され、誰にも知られる事なく絶命したシーンがある。あの時の暗い海はトラウマものであった。そして今私はそのトラウマの中にいる。
沖に停泊しているタンカーは人の気配がなければ幽霊船のように見えた。ギャングウェイは見当たらない。上から放り出される網梯子を掴み、バランスをとりながらしがみついて登る。 一歩上がるごとに木の部分がコンコンと船体に当たる。
「落ちたら見つけらんないからな」と先輩が頭上で声を出す。
行きはまだ良い、頭を上げれば上がっていけるから。問題は帰りだ。下を見て一歩ずつ降りていかなければならない。
危険箇所はそこかしらにある。そんな環境下でも残業しなければ満足に生活できないと思うと悔しさが込み上げてきた。
世間がどのように思っても我々人材は消耗品のように扱われるのだ。経営者はそんなことはない、と言うだろう。しかし離職者の多さを見てもそんなことが言えるのだろうか。
答えてみろ。
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