第3話 解読

「おい、待てよっ、」


「おら、静かにしろ。」

 去っていく天ヶ瀬を呼び戻そうと声を張り上げると、厳つい体躯の担任にひと睨みされてしまう。くそっ。舌打ちし、オレは担任教師が低音で告げる連絡事項が早く終わることを願う。


 チラリと視線を天ヶ瀬へ向けると、彼女は紙切れを凝視しながら何やらペンを走らせている。

 まさか、解読したのか?

 焦る気持ちをよそに、担任は悠長に来月の学校行事の連絡を続けている。ああ、くそ。いつもより時間をかけて喋っていないか。早くしなければ天ヶ瀬が暗号をすべて解いてしまうではないか。


 彼女からの挑戦状ではなかった時点で、二人の立ち居地は出題者と解答者ではなくなり、横並びの存在となった。それはすなわち、互いの推理力の優劣を確認する純然たる勝負になったということでもある。

 このままでは、オレが負けてしまう。そして、「ワトスン君。」と勝ち誇った表情で彼女は言うだろう。


 そうはさせない!


「じゃあ、気を付けて帰るように。」

 ようやくホームルームが終わると、一目散に天ヶ瀬の席の前へと駆け寄る。一縷の望みを抱いて。

「天ヶ瀬、その暗号だけれども、」走ったことよりも、彼女に負けてしまうのではないかという不安が動悸を早める。


「ええ、」彼女は睫毛の長い目を穏やかに細め、微笑む。「解明しましたよ、ワトスン君。」


「なんて、書いてあったんだよ、」

 まだ彼女が導き出した答えが正解とは限らない。それでも、自信満々に言われると、それが正しいと思えてきてしまう。

「その前に、一つ確認しておきたいのですが、他に机の中に入っていたものはありませんか?」


「他に?」

「ええ、調べてください。」

 促され、オレは自分の席へと戻り、もう一度机の中を漁る。先程の選別した教科書類が姿を表し、それらを一冊一冊確認するが、不審な点はない。


「それで全てですか?」

「たぶん、」答えながら、机の中を覗き込むと奥に何やら教科書よりも小さな本が詰っているのが見えた。そのサイズは良く見知ったもので、手を突っ込んで取り出すと掌に収まる文庫本が現れた。「これは、『江戸川乱歩傑作選』?」

 出てきた文庫は新潮文庫の乱歩の短編集だ。何でこれがオレの机の中から出てくるんだ?


「これは、乃木口くんのですか?」

「ああ、」パラパラと頁を捲ると、以前書き込んだ記憶のある鉛筆の跡が残っている。「オレので間違いない。でも、しばらく前に失くしたはずだけど、」


 ゴールデンウイークだったと思うが、部活のいざこざでささくれ立った心を慰めるために、久々に乱歩を読み返していた。全集も良いが、持ち運ぶにはこちらのほうが都合が良く、出先で頁を広げては読み耽っていた。しかし、駅前の喫茶店で読書したのを最後に紛失してしまっていた。

 鞄の中も机の中も探したけれども、見付からないので、オレは半ばこの本のことは諦めていた。なのに、何故今になって出てくるんだ?


「誰か親切な人がいたのでしょうね。」天ヶ瀬はあっさりと言い切り、それ以上文庫本の話題には触れなかった。「それで、暗号の解読ですが、」

 ああ、そうか。元々はその話だったか。

「とても簡単な、謎々レベルの問題でした。」

 彼女は悪びれもなく言うが、その簡単な問題に手こずった人間が目の前にいることを忘れるな。


「一緒に印刷されていたクラス名簿の縦の列を上から順番に1、2、3と数字を宛がい、横列には左からアルファベットを並べます。例えば私『天ヶ瀬』ならば、『1F』の座標です。そして、最後の数字はその名前の何文字目が必要なのかを指し示す。最初の『3F2』ならば、江古田さんの二文字目。つまり、『こ』です。この要領で、一文字一文字解読していくと、」


 3F2は、『こ』。4B2は、『う』。1C3は、『て』。2F3は、『い』。ええと、それから、『で』、『じ』、『け』、『ん』、『が』、『お』、『き』、『す』。


「最後だけ、文字がおかしくないか?」

 文字を続けて読むと、『こうていでじけんがおきす』となる。正しい日本語ならば、『こうていでじけんがおきる(校庭で事件が起きる)』だろう。もしくは、途中の文字を直すならば『こうていでじけんをおこす(校庭で事件を起こす)』だが、これだと、二文字訂正しなくてはならない。


「恐らく、これを作った人間のミスだと思います。恐らく、最後を『4D2』とするはずだったのに、誤って『4D1』にしてしまったのでしょう。」

 たしかに、4Dの座標が指し示す名前は『駿河』だ。二文字目は『る』で、これならば言葉として成り立つ。


「それよりも、」天ヶ瀬は神妙な顔付きで暗号が印刷されたコピー用紙を見詰める。「私は暗号が示す言葉が気になります。」

「『校庭で事件が起きる』か、」

「ええ。」


 まさか、そんなわけがあるとは思えないが、ならば何故こんな暗号をオレの机に入れたというのか。解読したオレが慌てふためくのを見て楽しむためだろうか。それとも、これから何かをしでかす人間の予告なのか。


 前者であることをオレは強く望む。

 前者であれば、被害を被るのはオレだけなのだから。


「校庭を調べてみよう。」

 言い、オレは急いで教室を駆け出した。扉の脇にいた女子にぶつかりそうになるが寸でのところで避け、そのまま廊下を駆け進む。背後で天ヶ瀬も女子生徒にぶつかりそうになったのだろう、「ごめんなさい、」という声が聞こえた。

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