第4話 偶然の演出

 純也は、宗教団体のことをいろいろ考えていると、今度は目の前に見えてきたのは、山の中腹にある大きなお寺だった。そこはいかにも「総本山」というにふさわしい佇まいになっていて、

「総本山?」

 その言葉、どこかでごく最近、聞いたような気がしていた。

――そうだ、会社の後輩に聞いた温泉宿の近くにあると言っていたどこかの宗教の総本山ではないか?

 今、自分が夢の中にいるのは分かっている。夢の中で考えている時と、実際に起きていて考える時とでは違っていた。

 普段起きていて考えていることは、考えている流れの中でいろいろ発想を膨らませるので、一つの考えの中での発想を忘れてしまうというのは、そうないことであるが、夢の中での発想は、時系列になっているわけではないので、一度考えたことを、意識していないこともあるのではないかと思っている。

 しかし、起きている時に考えていることというのは、流れの中では覚えているのだが、一度忘れてしまうと、なかなか思い出すのは困難だった。逆に夢の中でのことであれば、同じ夢の中で、思いついたことを決して忘れることはなかった。時系列に沿わない記憶は、普段の自分の発想からは考えられないような意識があるようだった。

 そういう意味で、

――目が覚めるような気がする――

 と、夢を見ている時に感じることがあるが、そんな時、その裏で、同じ瞬間に、

――覚えているはずのことが覚えられないような気がする――

 と感じるからではないかと思えてきた。

――総本山が見えてきたのは、偶然なのだろうか?

 と一瞬考えたが、すぐに、

――そんなことはない――

 と打ち消した。

 その理由は、夢を見ている間に考えているからであり、夢を見ている間、

――考えていることに偶然などということはない――

 という発想があるからだった。

 夢というのは確かにその人の潜在意識が見せるものだという。しかし、潜在意識であっても偶然というものはありえない。偶然と思っているのは、自分が以前に感じたり見たりしたものを疑ってしまうという考えからではないだろうか。それは、いわゆる「デジャブ」であり、「デジャブ」というものが、潜在意識の辻褄を合わせようとする本能のなせる業であると考える。

 デジャブを夢の中に認めるのであれば、偶然というのはありえない。つまり夢を見ている時に、偶然を考えるのはナンセンスなことだった。

 潜在意識のどこかにあった総本山、ここには夢の中で自分に何か結論を出させるのではないかと思うものを孕んでいるのかも知れない。

 夢というのは、完全に最後まで見ることはできないというが、本当だろうかということを以前には何度も考えたことがあった。しかし、今では、

――夢というのは、完全に最後まで見ているもので、見ていないように感じるのは、目を覚ましながら忘れていくからだ――

 と感じているからだ。

 子供の頃は、

――完全に夢を見ることができないものだ――

 と思っていた。

 なぜなら、最後まで見たという意識を持ったまま目が覚めてしまうと、それが夢だったのか、それとも妄想だったのかが分からないからだと思っていた。しかも、夢の世界での出来事は起きている世界とは別物であり、いくら夢を見ている自分でも、その世界には入り込めないと思っていた。最後まで夢を見るということは、夢の世界に入り込んでしまったということであり、

――二度と夢の世界から抜けられないのではないか――

 と思わせたからだ。

 夢の世界というのは、夢を見ている時、

――こんなに大きいなんて――

 と考えていても、目が覚めて覚えていたといても、それは大きいということを感じたという意識を覚えているからだった。

 実際に総本山の夢を見たという意識はあっても、目が覚めてから覚えているのは、写真の光景のようなもので、その大きさや規模などは、夢を見ていた時に感じたことを脳裏から引っ張り出すことで感じるだけだった。

 写真のようなイメージで思い出すというのも、感じた意識から夢が覚めてから、意識の中から組み立てたものであって、決して夢で見たものではないのだった。

 その総本山、以前に一度行ったことがあったような気がした。就職してすぐ、社会部へ配属された時、まだ右も左も分からなかったそんな時、先輩記者に連れて行かれた。

「ここは、ある宗教の総本山なんだが、今まではひっそりと活動をしていたんだが、この間、匿名でここの総本山が急に人を集めているという内容のメールが届いたんだ。どこまで信憑性があるものなのか分からないし、相手が宗教団体だと、大っぴらに行動もできない」

「私は何をすればいいんですか?」

「君は何もしなくてもいいんだ。ただ、私が体験入信をしようと思うんだが、君は私の弟としてついてきてほしい」

「それだけでいいんですか?」

「ああ」

 先輩に言われるまま、ただついていっただけだったが、そこで見た総本山というのは、今まで想像していた宗教団体とは少し違っていた。

 昔見た、テロ組織の宗教団体を思い出させるのか、宗教団体というと、道場のようなところがあり、皆空手か柔道着のようなものを着ているものだと思っていたが、そんなことはなかった。

 何においても、すべてが巨大だった。

 山の森を切り開いたかのような広い敷地内に、無駄に大きいのではないかと思わせるものばかりが目立った。京都のお寺を思わせるような、流砂を模した庭園に、大きな石がいくつも置かれていて、

「この石の配置には、大きな意味があります」

 と、説明してくれた団体の人は、ほとんど感情を表に出すことなく、淡々と話をしていた。

 さらに、建物の中に入ると、最初に目立った赤い鳥居の真っ赤な色が目に焼きついたまま、建物も屋根から柱と、真っ赤に彩られていた。これほど目立つ建物もないのではないかと思ったが、

「これくらいの赤い建物は、昔のお寺には珍しくありません」

 と、案内役の人の相変わらずの淡々とした話だった。

 ここまでは先輩を助手席に乗せて、自分が車を運転してきたのだが、遠くからでも見えた山の中腹にある真っ赤な総本山、それを見た先輩は、

「稲荷神社のようだな」

 と一言口にしたが、純也は稲荷神社をすぐに想像できた先輩の感覚が自分とは違っていることに気がついた。

 しかし、先輩から稲荷神社と言われてすぐにピンと来たのだったが、先輩の遠くを見るような視線を見ながら、

――一体、どれほどの稲荷神社を見てきたんだろう?

 と、先輩を見ていて、そう感じた。

「稲荷神社というのは、子供の神様だって思っていますけど、ここの総本山もそうなんでしょうかね?」

 と聞いてみると、

「それは分からないが、他の神社に比べて目立っているのは確かだな。宗教団体というものがどれほどのものなのか、少し興味があるのも事実なんだ」

 という答えが返ってきた。

 自分の期待した答えではなかったが、少なくとも先輩は宗教に興味を持っているのは確かなようだ。それが記者としての興味本位なのか、それとも人間として宗教というものに興味を持っているのか分からない。最初は記者としての興味本位だけだと思っていたが、この時の先輩の遠くを見るような視線は、真っ赤な色で稲荷神社を真っ先に想像したという思いとともに、印象深く、純也の心の中に残っていた。

 先輩と一緒に入った総本山の建物の中、圧倒されたのは間違いないが、何に圧倒されたのか分からなかった。

 規模の大きさからなのか、すべてを真っ赤に彩られた迫力からなのか、無駄な広さから、無限に広がる可能性のようなものを感じさせられたとでも思ったのか、先輩を残して一人帰ってくることに、後ろめたさのようなものさえ感じられた。

 先輩の体験入信は一週間だった。一週間という期間が長いのか短いのか、純也には分からない。きっと実体験として感じている先輩にしか分からないだろう。

 純也は、一週間して、先輩を迎えに行くことになっていた。

――どんな風に変わっているんだろう?

 純也の頭の中には、

――先輩は変わっていない――

 という選択肢は存在しなかった。

 約束の時間は午前十時だった。少し早いのかも知れないが、宗教団体側からの申し出だったので、ただ従うしかなかった。

 最初に先輩を引き渡した座敷で待っていると、

「今から連れてまいります」

 といって信者が連れてきた先輩は、少し細っそりとしていた。

「お約束の一週間ですので、お兄さんはお返しいたします。どうもお疲れ様でした」

 と言って、信者の人はその場から退席した。

 残された二人だったが、余計なことを口にするわけにもいかず、

「兄さん、それじゃあ、行こうか?」

 と言って、その場を立つと、先輩は無表情で純也の後ろからついてきた。

 先輩は、以前から無口だったが、ここまで無表情というのは少し以前とは違って感じられた。

――先輩は変わってしまったのかな?

 と思ったが、変わってしまったのだと思うと、どうもそうでもないように思えた。

――元々、こんな性格で、それを表に出さなかっただけなんじゃないだろうか?

 今回の潜入捜査のような仕事も、最初は先輩の記者としての興味と、仕事に対しての前向きな姿勢の表れだと思っていたが、会社の命令で嫌々やらされたのではないかと思うと、それを否定するだけの材料が見当たらない。

 純也は配属されて間もないので、人の性格まで把握できているわけではなかった。何も知らない状態で、どんなことにも興味を持ち、しかも、先輩の性格を分かっていない自分を弟に仕立てたのは、会社側に何らかの意図があったのではないかと思えた。

 先輩は帰りの車の中では一言も口にしなかった。純也も先輩から口を開いてくれないと、自分から何かを聞くというわけにもいかず、気まずい雰囲気のまま、会社に戻ってきた。

 一週間前と同じ道を帰ってきたにも関わらず、行く時に比べて、こんなに長い時間を味合わさせられるとは、思ってもいなかった。

――先輩は変わっていないという選択肢、どうしてなかったのだろう?

 先輩の顔を見る前に感じた思いに疑問を感じた純也は、気まずい車の中の密室を、どんな思いでいたのか、後になってその思いを感じることはできなかった。

 会社に戻ってから先輩は、

「上司に報告してくる」

 と言って、部長と会議室に入った。

 三十分ほどして出てくると、

「記事にするのは止めになった」

 と一言言われた。

 今までの純也なら、

「どうしてなんですか?」

 と意見をしただろう。下手をすれば詰め寄ったかも知れない。しかし、その時はそこまでの勢いは自分にはなかった。まるで金縛りにでも遭ったかのように、先輩に見つめられると、何も言えなくなったのだ。

 それ以上、先輩は何も言わなかった。純也が何も言わないのをいいことに、一人黙々と仕事を始めた。まるで人が変わったかのように見えたが、まわりの人は誰も先輩の様子を気にもしていないようだった。

――先輩が変わったと思っているのは、僕だけなのかな?

 と感じた。しかし、そう感じたのもその日までで、翌日になると、先輩はいつもの先輩に戻っていた。

 だが、純也は却ってそこに違和感があった。先輩が変わってしまっていると思った次の日、急に元に戻っていると感じた自分に違和感があったのだ。

――昨日の先輩の雰囲気が思い出せない――

 と思ったからで、今日になって先輩を見た時、

――いつもの先輩だ――

 と感じたのと同時に、

――昨日の先輩とどこが違うんだ?

 と感じたことで、昨日の先輩を思い出そうとして思い出せないことに違和感があったのだ。

 昨日の先輩と今日を敢えて比較しようとしたから思い出せないのかも知れない。比較するのではなく、ただ思い出そうとしただけであれば、思い出せたのかも知れないと感じたのだ。

 そんな先輩が退社したのは、それから一ヶ月経ってからのことだった。辞めるまでの一ヶ月というのは、まったく覇気が見られなかった。

――やる気が失せたというのは、こういう人のことを言うんだ――

 と、まるで絵に描いたような退職劇だった。

 先輩が辞めると言った時、誰も止める人はいなかった。純也が入社してきてすぐに、

「この人が君の教育係になるんだよ」

 と課長から紹介された時に感じた覇気は、間違いだったのだろうか?

 先輩は、送別会もしてもらえなかった。そのことについて誰も疑問を抱く者はいなかった。

「俺は静かに去るだけさ」

 そう言って、本当に静かに去っていった先輩だったが、いなくなってしまったら、まるで最初からいなかったような気がしてくるから不思議だった。

――僕くらいは、覚えておいてあげなければいけない――

 と、先輩が辞める時に感じていた。

 つまりは、先輩が辞める時、誰もが先輩が在籍していたことすら意識していないほど、影のような存在だったと思っているのではないかと感じていた。

 純也は、ギャンブルというと、パチンコくらいしかしないが、パチンコをする時というのは開店時間から始めることにしている。それは学生時代から同じであるが、今も同様に続いている。

 朝、目が覚めてから気合を入れて望むのだが、どんなに大当たりがない時でも、その日、パチンコをしなかったと思うことはできない。いくら最悪の台であっても、時間さえ掛ければ、当たりはなくとも、熱い演出くらいは出るものだ。

 その時の興奮は、たとえ当たらなくても頭の中に残っているもので、当たらなければ、

「悔しい」

 という思いが残るものである。

 つまり、その日、やらなかったと思えるほどの感覚になるには、最初から当たる気がせず、絵に描いたように静かな状態が続いていて、気がつけば、パチンコ屋を出ていたと思うような自然な辞め方をした時だ。

 少々、当たっている時は、

「いつ辞めればいいのか?」

 と、やめ時に迷うもので、辞めることができず、結局、勝っていても粘ったせいで、最終的には負けていたということも往々にしてあったりした。

 先輩が会社からいなくなって、少しすると、最初からいなかったような感覚になっている自分を感じ、ビックリしていた。

 先輩がいなかったという意識があるのに、その人が最初からいなかったと思うというのは、矛盾している。しかし、最初からいなかったという感覚は間違いなく自分の中にある。矛盾しているのは分かっているのに、歯車が噛み合っていないような気がしない。それは、パチンコをしていて、

――最初からしていなかったように思う――

 という感覚に見舞われた時のことを思い出したからだろう。

 ただ、その思いはどこかデジャブを思い起こさせる。

「以前にどこかで見たような、感じたような思い」

 それがデジャブであり、漠然としているものだとすれば、感じている矛盾がこのデジャブと結びついているとも考えられる。

 この間の馴染みのお店で聞いた男女の会話。友達の彼氏が浮気をしているというようなどこにでもあるような会話がどうして印象に残ってしまったのかを考えると、その時も、

「以前どこかで似たようなことがあったような……」

 と感じたのを思い出したからだった。

 純也は社会部から旅行雑誌部へと転属させられたが、左遷だと思っている人も多いだろう。

 しかし、左遷させられるようなことを大っぴらにしたわけではない純也だったので、人のウワサもさまざまだった。

「あいつ、分からないと思っていた何かをやってしまったが、簡単に見つかってしまったのかも知れない」

 というウワサ、

「誰かと組んで、何かをしでかしたが、組んだやつに裏切られたか何かして、自分だけが左遷された」

 あるいは、問題は純也だけに限ったものではなく、

「この会社、危ないんじゃないか?」

 というウワサもあった。

 理由もなく、社員を左遷させるようなことが、一人だけに限らず、それを前例としてこれからも起これば、左遷はそのままリストラ候補になり、左遷された人間の方自ら、辞めていく道を選択させるという、会社側からすれば都合のいいやり方であるが、働いている人間にとっては、実に姑息で、卑劣なやり方を会社にされていると思うことだろう。

 だが、左遷と思しき人事は、純也だけだった。それだけに一時期純也への誹謗中傷が起こったが、すぐに止んだ。誹謗中傷している人たちは、まわりが信じられなくなっていき、さらには自分すら信じられない様子が窺えると、疑心暗鬼から、身動きが取れないような恐ろしさに苛まれてしまっていた。

 人を誹謗すると、自分に返ってくるというのを知ったのだろう。余計なことを言わなくなると、仕事場の雰囲気は最悪になっていた。そんな社会部をよそ目に純也は、居心地のいい旅行雑誌部への転属は、千載一遇のタイミングだったのかも知れない。

 旅行雑誌部はやる気を起こさせてくれた。社会部ではいつまで経っても自分は下っ端で、絶対的な年功序列が最優先の部署では、新人が入ってこない限り、自分が日の当たる場所に出ることはできなかった。

 旅行雑誌部へ転属になって半年ほどが経ったある日、急に訃報は飛び込んできた。

「ほら、社会部にいて、一年前にいきなり退職していったあの人、彼が死んだって話なのよ」

 と、事務員の女の子が給湯室談義をしていた。

 純也はたまたま通りかかったその時に、聞くつもりはなかったが、耳に入ってきたのだ。

本当は飛び出して行きたい気持ちではあったが、なぜか一旦躊躇した。一度躊躇してしまうと、飛び出していくタイミングを失ってしまった。影に隠れて黙って聞いているしかないその状態に、金縛りに遭ったかのような状態から、震えだけが残ってしまっていた。

「どうして、そんなことを知っているの?」

 と、相手が聞くと、

「私、その時受付の前を偶然通ったんだけど、その時、トレンチコートを着た男性二人が、社会部の人を呼び出していたの。受付の女の子は恐縮して社会部の部長を呼び出していたわ。部長と来客の二人は神妙な顔つきでロビーで話をしていたようなんだけど、急に部長が、『死んだ?』って叫んだのよ。それで私は受付の女の子にあの二人のことを聞くと刑事さんだっていうじゃない? 少し近づいてみると、どうやら死んだというのは一年前に退職した人だって部長が言ってたの。そして刑事から聞こえてきたその言葉の中で、『自殺』というのがあったの。だから、どうやらその人が自殺したらしいので、裏付け捜査でここにも来たんじゃないかって思うのよ」

「どれくらいの時間いたの?」

「少しの時間だったから、裏づけを取るだけだったみたいね。でも、自殺と思われることにわざわざ一年前に勤めていた会社にまで来るかしらね?」

「あるかも知れないわよ。たとえば、遺書のようなものがあって、その遺書に、この会社のことが書かれていれば、捜査するのは当たり前ですからね。そしてもう一つ考えられることとして、本当に自殺だったのかということを疑っている場合ね。その場合は警察もいろいろな可能性を考えるでしょうから、前に勤務していた会社だけではなくて、学生時代まで遡って捜査しているのかも知れないわ」

 というなかなか鋭い着眼点に思えた。

 どうやら、彼女はミステリーファンらしく、それなりに考えて話をしているようだ。

「さすが、いろいろ考えているわね」

 と言われ、さらに彼女の発想はとどまるところを知らないほど、饒舌になっていくようだった。

「それでね。私は一つ気になることがあったんだけど、確か、あの人この会社を辞める前に、最近話題になっている宗教団体の総本山に入信取材を行ったって言っていたのを思い出したのよ」

 その話を聞いて、純也は訝しさを感じた。

――おや? 先輩の話では、この取材はオフレコで、社内でも知っている人は一部だけだって言っていたはずなんだけどな――

 新入社員の自分を先輩の弟として使ったのも、まだまだジャーナリストになりきれていない人間を使うのが一番楽だと考えたからだろう。下手に詮索することを覚えた人間であれば、先入観から、身元がバレてしまう恐れもあるからだった。そういう意味ではまだまだウブだった純也には、うってつけだったに違いない。

 それなのに、どうして彼女たちが知っているというのだろう。

 同じ社会部の人間であればまだしも、まったく趣旨の違っている旅行雑誌社で、しかも事務員の女の子のウワサ話になっているのだ。下手をすると、純也がばらしたのではないかと思われかねない。少し怖かった。

 ただ、女の子のウワサ話の中で、なぜいまさら宗教団体の総本山に入信取材に行ったことが話題になるというのだろう。社内で当時オフレコになっていた理由とすれば、その時だけでなく、今度は他の人を別に入信取材に派遣するという話もあったからだ。先輩が取ってきた取材内容だけでは不十分だったのか、それとも、先輩の取材は使うことができなかったのか。もし後者だとすれば、

――取材内容がプライバシーの侵害に当たることだったり、宗教団体の隠しておかなければいけない内容、たとえば、世間に公表されてしまうと社会問題にもなりかねない内容が先輩の取材の中に含まれていたのかも知れない――

 と、考えられた。

 そう思うと、先輩の突然の退職と、この時の体験入信に、何かの因果が含まれているのではないかと思うのは、当然のことだろう。先輩にとって良心の呵責がそこに存在しているとすれば、退職してから、先輩が体験ではなく、本当に入信したと考えるのも決しておかしな発想というわけでもない。

 純也が社会部へ疑問を感じるようになったのは、先輩の突然の退職だった。

 純也も、先輩も、あの時の体験入信の前までは、

「宗教団体ほど胡散臭いものはない」

 と思っていた。

 純也は、三十歳になった今でも宗教団体を胡散臭いと思っているが、温泉旅行に行った時に気づかなかった近くにあるという総本山のことは、後になって気になってきたのだった。

 純也は、この間行った温泉が、社会部にいた時に先輩に連れられていった宗教団体の総本山から五キロも離れていないところにあったということをずっと知らなかった。取材で行った時はもちろんのこと、休暇で電車を使って行った時も、近くに総本山があるという話は聞いていたが、まさかそこが以前行ったことがある場所だったなんて、想像もつかなかったのだ。

 先輩の死が自殺だったのか、それとも事故だったのか、あるいは、誰かに殺されたのか、気にはなっていたが、結局その真相を純也が知ることはなかった。

 純也は、温泉旅館に泊まった時、一人の女性が宿泊していた気配を感じていた。遭うことはなかったが、

――もし、出会っていたら――

 という思いがあったのも事実だった。

 純也は、最初に取材で訪れた時と、一人で泊まった時とで、同じ旅館でありながら、明らかに何かが違っているのを感じた。それが、他に誰かが泊まっているという気配を感じながら、出会うことがなかったという事実だったのではないだろうか。

 駅からは宿の人の送迎で向かった途中にあったはごろも伝説のあの場所。何度も夢に見たような気がするのだが、それもハッキリとはしない。

 ただ、最近はごろも伝説の場所とシンクロするように、なぜか先輩のことが思い出された。

 一緒に総本山に行った時の先輩ではない。静かに辞めて行ってから遭ったことなどないはずの先輩が、通勤途中の純也を待っているところである。

 ただ、純也は先輩が自分を待っているところを知っているのに、先輩に近づくことはできない。さらに、自分を待っているはずの先輩は、肝心な純也の姿が見えていないのか、目の前にいても、目を合わせることもなければ、声を掛けてくることもない。まるで、違う次元に存在していて、こちらは姿が見えているのに、相手に伝わらない。相手は意識はできるはずなのに、存在を確認することができないという矛盾というよりも、凸凹の状態を意味しているような存在を形成しているかのようだった。

 そんな純也は、見えている先輩が意識してくれていないのをいいことに、目の前にいる以前助けた女性のことを気にするようになっていた。

 継続した同じ夢を見ているのに、途中から完全に違う夢になってしまっている。

――ひょっとして、夢を見ていながら、さらにその中で夢を見ているのではないだろうか?

 という意識を感じた。

――目を覚ますには、一度、夢の中の夢から目を覚まし、その中で、さらに目を覚ます必要があるのではないだろうか?

 と考えた。

 ただ、夢の中の夢は、本当に夢なのか、疑問に感じられた。

 マイナス同士を掛け合わせるとプラスになるように、夢の中の夢というのは、実際の世界に通じるものがあるのではないかと思うと、下手に目を覚まそうとすると、最初に見た夢の中から抜けられなくなってしまうのではないかと思うようになっていた。

――先輩のことを思い出そうとすると、どうしても温泉旅館を思い出す。温泉旅館を思い出そうとすると、はごろも伝説のあの場所を思い出す――

 先輩とはごろも伝説のあの場所とは、純也の意識の中でシンクロしているようだ。ひょっとすると、先輩の死んだのは、あの場所だったのではないだろうか。

 そういえば、あの場所に花束が置かれていたような気がする。あの時は漠然と見ていたので意識はあまりなかったが、花束は旅館に泊まっていた女性が持ってきたものだったのかも知れない。

 純也は自分が偶然の中に身を置いていることを意識していた。偶然というのは、自分が意識しているわけではなく、何かの力が働くことで、自分に対して繋がりのある何かが起こっていることだと思っていた。本当にそれだけで理解していていいのだろうか?

 純也は先輩のことが、まるで自分のことのように感じられてきていることを意識していた。元々、誰かの身に起こっていることを、自分の身に置き換えて考える方だった。特に子供の頃には、テレビで見ている出来事を自分に置き換えてみることが多かった。それはアニメであったり特撮であったり、ドラマであったりもする。

 しかし、実際に起こっていることをニュースで流されている場面だけは、自分に置き換えることはできなかった。それはドキュメンタリーであっても同じことで、要するに実際に起こっていることを自分に置き換えることはできなかったのだ。

――架空だと思っているからできるんだ――

 リアルな状況を、自分で想像することはできても、そこに自分の身をおくということはできない。そこまでの勇気がないのだ。

 小学生の頃は、架空であるアニメなどで起こっている核戦争などでシェルターに入り込み、生き残った人間たちが、たくましく生きている姿を自分に置き換えることができた。

 しかし、中学生になった頃には、アニメを見ていて、次第に他人事のように思ってくるのを感じた。

――小学生の頃は、もっと面白いと思って見ていたのに――

 と、どうして面白くなくなったのか、その理由が分からなかった。

 子供の頃の方が、架空と現実を自然と分けて見ることができたのだろう。大人になるにつれて、架空と現実の分け目に対して、感覚がなくなってくる。アニメや特撮を見ていて、何が楽しいのかというと、

――自分に置き換えて見ていることが楽しかったんだ――

 と感じるようになったのは、大学生になってからだ。

 その頃になると、ニュースやドキュメンタリー番組も見るようになり、実際に起こっている悲劇がスクリーンを通して、目の当たりにしている。

 今から二十年ほど前、戦争の歴史が変わったと言っていた時代があった。

 もちろん、その頃には子供だった純也は、

――そんなことを言われてもピンと来ない――

 と思っていたことだろう。

 ただ、テレビの解説者が言っていたこの言葉だけはハッキリと覚えていた。

「最近の戦争は、まるでテレビゲームでもしているかのように、お茶の間にいながら、テレビを通してリアルタイムに戦争を体験することができる。実に恐ろしいことですね」

 その言葉を聞いて、純也は意味は分からなかったが、

「実に恐ろしいことですね」

 と言われて、意味もなくゾッとしたのを覚えていた。

 その思いが頭の中にずっとあったからだろうか、自分の感覚がマヒしてくることを、大人になるにつれて、その都度感じるようになった。それだけ何かに対して敏感になってきたのだと思うのだが、何に対して敏感になってきたのか、感覚がマヒしてくるということと相対的なことだけに、想像もつかなかった。

 先輩が自殺をしたという話を聞いた時、子供の頃に一瞬自分が戻ったような気がした。

――一体、どんな気持ちで自殺なんかしたんだろう?

 中学生の頃、虐めを苦にして自殺をした人がいた。クラスは違っていて面識はなかったのだが、どうやら、飛び降り自殺だったようだ。

 学校に深夜忍び込んで、屋上からひと思いに飛び降りた。遺書のようなものはあったというが、生徒には公表されることはなかった。もちろん、学校では保護者説明会があり、父兄には説明があったようだが、学校側の説明は分かりにくいもので、ハッキリとせず、漠然とした内容を、紙に書かれたものを淡々と読んでいるだけだったという。

 マスコミへの発表もあったが、まさしくその通りで、学校側の責任者がマスコミを相手に説明している時、一度も顔を上げずに、淡々と文章を読んでいるだけだった。

 読み終わってから質疑応答があったが、それに対しても、

「学校側としては、把握しておりません」

 だったり、

「我々の範疇ではありません」

 と、まるで他人事のようだった。

 マスコミはさらに追求しようとしたが、学校側は一方的にインタビューを打ち切り、結局、曖昧なままの会見だった。その後週刊誌などでは、学校側の対応が悪かったのだと書き立てていた。

 中学生になっていた純也には、さすがに学校側の説明のひどさも、それによってマスコミが熱くなっているのも分かった。純也は、まわりが熱くなればなるほど冷静に感じられていて、情けなさから、自分が他人事に思えてくるのを感じていた。しかし、その反面、自殺した生徒の気持ちを考えるようになり、実際に自殺に使った屋上に赴いてみた。

「ここから飛び降りたんだ」

 下から見ているよりも、数倍恐ろしかった。身体は震えがとまらなくなり、呼吸が荒くなってくるのを感じていた。

 前から風が吹いてくると思うと、急に風向きが変わって、背中を風に押されたような気がして、思わず身体を丸くしてしまった。

「こんな恐ろしいところ、初めてだ」

 下を見ると、通路があり、その向こうには植え込みがあった。

「どうせ死ぬなら真下に落ちるのではなく、植え込みの上に落ちたいものだ」

 と思った。

 恐ろしくなってその場を離れたが、しばらく、目の前から屋上から真下を見た光景が離れなかった。

 ただ、自分の気持ちが冷静になってくるのが分かってきた。

――死にたくないなんて思っていたのかな?

 自殺を考えたことは今までにも何度かあったが、そのたびに諦めてきたのは、きっと他の人と理由は違うからではないだろうか。

 普通なら、

――やっぱり死にたくない――

 と思うからだと感じていたが、純也の場合は違う。

――死に切れなかったら、どうしよう――

 という思いからだった。

 自殺するとしても、方法はいくらでもあった。まず考えることは、

――どれが一番楽に死ねるだろう?

 という思いに違いない。

 こればかりは、誰であっても同じではないだろうか。死を覚悟すれば、痛い、苦しいという思いはしたくないと次に感じるのは、人として無理のないことではないか。自殺するにしても、死に方一つで、何が痛いか苦しいか、まずは、それを考えて、自殺の方法を考えるだろう。

 苦しみたくないという思いとしては、

――死ぬまでに、時間を掛けたくない――

 という思いだ。

 それであれば、服毒は辛い。苦しい時間が一番長く続くような気がする。服毒は嫌だった。もちろん、毒をどうやって手に入れるかというのも問題だが、まずは、服毒は外すことになるだろう。

 また、服毒と同じように、苦しみながら死ぬというのであれば、ガスを使うという方法である。しかし、これは睡眠薬をあらかじめ飲んでおけば、苦しむこともなく、楽に死ねるような気がした。しかし、これも、後述の理由から、考えから除外することになった……。

 後考えられるのは、電車に飛び込む、あるいは、高いところから飛び降りるという方法である。

 あっという間に死ねるであろうが、ここで一つ大きな問題があった。それは次に考えたことにもいえることだが、次に考えたことは、

――手首を切る――

 というやり方だった。

 これも、楽な気がした。しかし、これもガス自殺と同じような後述の理由から、除外することになった。

 もう一つ最後に考えたのは、首吊りだった。

 これは、苦しむという意味でも、後述の意味でも、ある意味、一番リスクの大きいものではないかと考えられた。

 自殺を考えた場合、苦しい、痛いのを避けたいと最初に考えるのだが、具体的に自殺の方法を列挙していけば、その中で共通した問題点が浮かび上がってくることに気がついた。これは誰もが気づくものではないと思うのだが、逆にこのことに気づく人というのは、それほど死にたいと本気で思うほど、切羽詰っていないのか、それとも、少しでも一縷の望みに掛けてみたいと考えているのかのどちらかではないだろうか。

 純也が考えたのは、死に切れなかった時のことだった。

 植物人間になってしまったり、永遠に回復しないであろう中で、機械によって生命を維持されているだけで、生きているのか死んでいるのか分からない中途半端な状態になるだろう。

 死のうと思ったのなら、他の人のことなど考えることもないのだろうが、実際に自殺の方法を考えたりしている中で、気がつけば、残された者のことをいつの間にか考えている自分に気づいてハッとしていた。

――そんなことを考えるくらいなら、自殺なんて考えない方がいいんだ――

 と思うことで、自殺を思いとどまったものだ。

 それでも、またしばらくすると、

――自殺をしよう――

 と頭が勝手に考える。

 しかし、結局は同じことを繰り返すだけで、死ぬことに対して考えてしまった自分を後悔することになるのだ。

 純也が自殺について考えている時、まわりのことが急に見えるようになっていることに気づいていた。

――あの人も自殺しようと考えている――

 その時、なぜか自殺しようとしている人が分かるようになっていた。

 もちろん、その人がその後どうなったのか知る由もなかった。だが、死を見つめている人というのが分かるのは、あまり気持ちいいものではなかった。まるで自分の心の中を覗かれているように感じたからだ。

 自殺を考えている時というのは、一見大胆になっているように思われがちだが、その時ほど臆病で、誰かに頼りたいと思うことはない。しかし、人に気持ちの中を知られるのがもっとも嫌でもある。自分の精神状態は、矛盾だらけだということを、自覚できる期間でもあったのだ。

 先輩が自殺するまでに、どんな気持ちだったのだろう。そういえば、以前読んだ小説の中で自殺するシーンがあったが、そこで印象的だったのが自殺した男のセリフの中で、

「普段見えない、何か虫のようなものが、自分に話しかけてくるのを感じた。その虫に話しかけられると、少しでも生きようと思っていた気持ちが次第に萎えてきて、どうでもよくなってきたのだ」

 というフレーズがあった。

 自殺についていろいろ考えていた時、確かに自殺しようとしている人が誰なのか分かった気がしたが、自分にはそんな虫の姿は見えなかった。ただ、どこかその人が他の人とは違っていた。今から思えば、何か頭の上に重たいものがあって、苦しいのだろうが、それを押しのけようとする気力を失っているように思えた。それが、小説の中に出てきた虫のようなものだったのだとすれば、頭の中で辻褄が合っているように感じたのだ。

 自殺という中で心中は含まれるのだろうか?

 純也は中学生の時に、そのことを考えたことがあった。

――一人死んでいくのは怖いけど、誰か仲間がいれば怖くない――

 実際に、誰かと心中する場面を思い浮かべてみた。

――相手は誰がいいだろう? 友達? それとも理想の女の子かな?

 などと適当なことを考えたが、相手が誰であっても、一緒に死のうと考えると、自分の苦しんでいる姿を見られると思うと、嫌だった。

 本当であれば、相手が苦しむ姿を見なければいけないので、そちらの方が辛いはずである。同じ苦しみを自分も味わうことになるからだ。苦しんでいる人を見ながら自分も苦しんで死んでいくなんて、こんなに恐ろしいことはない。そう思うと、心中などというのは自分には考えられないと思うのだった。

 では、次に考えられることとして、

――誰かに殺してもらう――

 という考え方だった。

 世の中には、自分で死ぬということよりも、誰かに殺してもらうという道を選ぶ人もいると聞いたことがある。そんな話の小説も読んだことがあったが、小説の中では、その話は枝葉のようなもので、本当に誰かに殺してもらって、死ぬことができたのかということは、明らかにされていなかった。

 その時は、小説の流れの中だったので、あまり気にもしていなかったが、自殺のことを考えるようになると、その時に本当に誰かに殺してもらったのかどうか、気になって仕方がなかった。作者に確認するわけにもいかず、悶々としていたが、そのうちに誰かに殺してもらうという発想が頭の中から自然消滅していた。先輩が自殺したと聞かされた時、最初に考えてからずっと忘れていたことを思い出したのだった。

 そういう意味でも先輩の自殺は純也にいろいろな思いを抱かせることになったのだった。

 純也は自殺する夢を今までに何度か見たことがあった。いつも死ぬ寸前で目が覚めた。夢の中でもいろいろなことを考える。どうすれば楽に死ぬことができるか、それを考えると、いつも楽に死ぬ方法などないのだと気づく。

 しかし、それでも夢の中では死ぬ寸前まで行くのだ。見ているのが夢なので、実際には死ぬことはないということが分かっているからなのか、自分でも分からない。

――いや、夢の中で夢を見ているという夢を見ているのかも知れない――

 と考えることもあった。

 そう思った時、夢は確実に覚めていた。

――ということは、夢から覚める時というのは、ほとんどの時、夢を見ているという夢を感じている時に目が覚めるのであって、目が覚めてから、どうして目が覚めたのかということを覚えていないだけなのかも知れない――

 とも感じた。

 いつも夢は肝心なところで目が覚めるようになっている。それは、夢の内容によるものではなく、夢から覚めるための意識がそうさせるのかも知れない。そう思うと、見ている夢も、「偶然の演出」ではないかと考えるようになっていた。

 偶然の演出とは、起きている時に起こっていることは、夢を見ている時から比べると、そのほとんどが偶然の集積ではないかと思える。

 夢というのは、自分の中で勝手に創造できるものなので、現実のように、誰かの力が加わったりするものではない。だが、自分だけで勝手に創造しているとはいえ、そこに何かの力が働いていないと、肝心なところで夢から覚めたりはしないだろう。その力というのが、「偶然」という力ではないかと思うのは純也だけだろうか。起きている時に集積した偶然という力が、夢を見ることで、自分だけが演出できる力になる。そう考えると、見えない力によって、「予知夢」などのような、普通では説明がつかないようあ夢を見ることはできないのではないだろうか。

 それを思うと、純也は起きている時に起こっている現実に偶然の力を感じるようになったのも無理もないことだった。

――そういえば、先輩が死んだ時に残したという遺書の中に、偶然という言葉が含まれていたような気がしたな――

 時々、常人では理解できないような発想を抱き、それを口にすることのある先輩の残した遺書だっただけに、理解不能でも、

――先輩らしい――

 という言葉で、それ以上深く考えることはなかった。

 先輩にとって、何か偶然が自殺に影響することがあったのだろうが、それが何だったのか、警察も理解できなかった。

「死を目前にした人はえてして、自分でも理解できないことが頭をよぎったりするらしいですからね」

 と言っていたらしい。

 なるほど、警察は現実的なことしかあまり考えない。目の前に見えている事実だけを材料に、考え方も事実から導き出そうとしている。偶然であっても、そこに感情は含まれないと考える人が多いだろう。警察の捜査というのは、どれだけの判断材料を集めて、そこからいかに辻褄が合うような結論を導き出すかによって、事実関係を解明していくのが仕事だと思っているだろう。

「我々は事実を知りたいんですよ」

 と、テレビドラマの刑事はよく話している。純也にもそお気持ちはよく分かるのだが、事実というものが、必ずしも真実だとは限らない。ということは、真実も必ずしも事実だとは限らないとも言えるだろう。純也が今考えていることは、真実と事実の間に、偶然という力が働いているということだった。

 ここでいう偶然というのは、感情というものに影響されるものなのかどうか、すぐには分からなかったが、考えているうちに、

――偶然には、感情は含まれない――

 という結論が導き出されたのであった。

 感情が含まれないからこそ、力となるのであって、人の感情を含むことによって、目に見えない力が介入することはない。なぜなら、感情というのは、目に見える力しか生み出さないからではないだろうか。

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