第2話 どんでん返し
女が身を投げて、この村にお寺が消滅してから、世の中は戦国時代が終わり、戦のない平和な時代を迎えた。
群雄割拠も今は昔、落ち武者がやってくることも、戦で田畑が荒らされることもなくなった。
元々、この村は戦とはあまり関係のない村だったので、戦がなくなったからといって、大きく村が変わるということはなかった。しかし、戦がなくなったおかげで、天下を統一した人たちによる農民支配が始まった。いわゆる幕藩政治の始まりだった。
世の中は江戸時代へと進み、歴史認識があまり深くない人でも、江戸時代の幕藩によるの農村支配の現実や、身分制度による庶民の締め付けなど、程度の度合いはあるにせよ、認識していることだろう。
この村でも類に漏れることもなく、藩主の締め付けはきついものだった。
それまで戦の影響がなかったことで、他の村とは一線を画してきたが、天下が統一され、平和な時代が訪れると、そうも言ってはいられなくなった。一つの大きな勢力の中に組み込まれるしかなかったのである。
そんな中、村長の力が村の中では絶対になっていった。ただ、それも領主に対しては、いくら尊重でも逆らうことができない。そんな村長なので、村民に対して少しでも隙があってしまうと、バランスが取れなくなる。
村の人間には、そんな理屈が分かる人などいるはずもない。村長に対して絶対服従しながらでも、不満は根柢でくすぶっていたのだ。一歩間違えると、一揆と皮一枚を隔てた一触即発の状態だったと言えなくもないだろう。
それでも何とか村が存続できたのは、村に伝わる「都市伝説」があったからだ。
「一度起こった災いは、二度と起こらない」
というものであった。
なぜそんなことが起こるのか、誰も知る由もない。落ち武者のことも、落ち武者と一緒に滝つぼに身を投げた女性がいたことも。そして、その女性を襲おうとした僧がいたことも……。
寺の存在も誰にも知られていない。血なまぐさい事件は、この村では皆無だったという事実も、この村では一種の「都市伝説」でもあった。
さらにもう一つ、この村には都市伝説が残っていた。
これは、
「一度起こった災いは、二度と起こらない」
という伝説と奇しくも同じ時期に出てきたものだった。つまりは、落ち武者や女そして若い僧が伝説を作り上げた時にはなかったものだった。
ただ、この二つはほぼ同時だとされているが、本当に最初にできたのはどっちだったのかということは誰にも分からなかった。実は重要な意味を含んでいるのだが、今はそのことに言及する時期ではないのだ。
その伝説というのは、
「この村では、女はこの村の男以外とは結婚してはいけない」
というものだった。
もし、その伝説の出所があるとすれば、落ち武者の存在しか考えられない。彼がこの村に及ぼした影響は多大なものであったことは、どうやら否めないことのようだ。
落ち武者がこの村にやってきてから、滝つぼに?み込まれるまで匿っていた女が、一人の若い僧に襲われて、一度は助けてもらった命を助けてもらった相手に奪われるという皮肉めいた結末を迎えたことを、知る人はいなかった。ただ、落ち武者が滝つぼに落ちる時、一緒に一人の女がいて、心中したということになっていたのだ。
落ち武者の遺書のようなものが残されていて、女との心中について書き残されていた。落ち武者は、自分は村に迷惑が掛からないように死に行くのだから、そんな自分に対して村人が供養をしてくれると思ったのだろう。いわゆる、
「武士の情け」
というものだ。
しかし、そんな情けが通用するような村人ではなかった。封建社会において、武士のように誉れ高いものはやはり他にはいない。現代では、
「身分差別など、もっての外」
ということになるのだろうが、当時の封建社会では、武士以外には教育を受けているわけではなく、情けのようなものは、武士以外にはなかなか存在していなかったのかも知れない。
何といっても、戦国時代。血で血を洗う血なまぐさい時代である。教育を受けていない庶民に、常識的な判断を期待するのは、度台無理なものだった。
それでも、村長のように村を治めていかなければいけない人には、それなりの常識が備わっていなければならないだろう。そういう意味でも、自分の村に、他の血が混ざってしまっては困るという発想になるのも、無理もないことである。
ただ、そんな時代だからこそ、いくら落ち武者が村民に「情け」を期待しても、叶うはずもない落ち武者の遺書は、その遺書を発見した村人によって無視されてしまった。もし、村長の目にでも触れていると、少しは供養などしてもらえたかも知れないが、一村人にそんな知恵が働くはずもなかった。
落ち武者の無念は計り知れないものがあっただろう。
武士の世界では、戦が終われば、それなりに敵味方なく供養もされてきただろう。彼は落ち武者となって彷徨った時点で、運命は決まっていたのかも知れない。
もちろん、落ち武者を匿っていた女も知恵が働くわけではなかった。それでも、落ち武者と一緒にいる間に情が移ってきたのか、本能で彼を愛するようになってきた。落ち武者も、彼女の情に触れることで、村人がもう少し情に厚い連中であると過信したのかも知れない。
落ち武者には、故郷に残してきた家族があった。故郷がどうなってしまったのか分からなかったが、自分は死んだものだと思っているだろうし、この村で女に助けられたのも何かの縁、ほとぼりが冷めてくれば、自分が生き抜くこともできるのではないかと思っていた。
それは、自分が生まれ変わった気持ちになる必要があり、女の存在が、落ち武者に新しい本能を自分に植え付けてくれそうな気がしていた。
普通、本能というものは、持って生まれたものであり、途中で変えることはできない。それを本能というのだろうが、意識して、本能を捨てるつもりになれば、違う本能を自分に宿らせることができるような気にもなっていた。
「わしは一度死んだんだ」
死んだ気になれば何でもできるというが、落ち武者は、その時、まさにそう感じたのであろう。
落ち武者は女と契りを交わしたが、女はその時身籠っていた。そのことは女しか知らないはずだったが、実際に彼女を襲った若い僧も知っていたのだ。あの時若い僧が乱行に及んだのは、嫉妬心を抱いたからであったが、落ち武者が滝つぼに落ちてからだいぶ経っているのに、何に対して今さら僧が乱行に及ばなければいけなかったのかという理由の一つに、
「女が身籠っていた」
という事実があったことは間違いのないことであろう。
古文書に残されていないことは、伝説として語り継がれていたが、それを知っている人は今は誰もいない。しかし、ある時代までは、その言い伝えは村では、
「暗黙の了解」
として、誰も口にすることはなかった。
ただ、それぞれの家庭で「言い伝え」が行われていて、そのことを口にできるのは、
「一代で、一度きり」
という定説があった。
もし、この定説を破ってしまうと、その家庭は滅んでしまうというもので、実際に滅んでしまった家庭もあった。
また、その滅んでしまった家庭があったことも口にしてはいけなかった。滅んでしまった家のことは不思議なことに、滅んでしまった次の代に伝わる村の伝承本からは、綺麗にその家庭のことは消えている。
小さな村なので、一つの一族から別れていったものが、それぞれ分家として成立し、村を形成していったのだが、滅んでしまった家庭は、家系図からも消えているのだ。
「最初からそんな家は存在しなかった」
としか思えないように、すっかりと綺麗さっぱり消滅していたのである。
そのことを知っているのは、村長の家系だけだった。
村長は代々世襲で守られていて、村の名主は、この村が起こった時の本家からの家系だったのだ。名主の中から村長が選ばれていたので、ここでの村長の権力は、他の村とは比較にならないほどだった。
滅んでしまった家系があることは、誰にも知られてはいけないことだった。村長として世襲を守っていくためには、必要なことだったが、なぜ滅んでしまった家族のことが伝承本の家系図から消えていたり、村人の記憶の中から一切が消えてしまっていたりする理由は分からなかった。
元々は一つの家系だったことを考えると、村長が村の決まりとして、
「この村では、女はこの村の男以外とは結婚してはいけない」
ということを取り決めないといけないのだろう。
しかし、なぜこんな決まりを押し付けられなければいけないのかということを、村人たちに説得できるだけの理由が見つからない。滅んでしまった家族の話をするわけにもいかず、どうしていいのか悩んでいたが、ある日思いついたのが、
「伝説化してしまうことだ」
という発想だった。
伝説化してしまうことで、伝説は倫理に対して、本当に正当なものなのかということも曖昧になってきた。
さすがに、小さな村で、しかも、
「一代で一度きり」
といえ決めごとを守れなくて滅んでしまった家族があることを考えれば、そのことを知っている村長とすれば、
「これは村の死活問題だ」
と思わざるわけにはいかないことだった。
村長は、自分一人が苦しまなければいけないことに理不尽さを感じていた。
「どうして、誰もそのことを知らないんだ」
自分たちだけが、滅んでしまった家庭のことを知っているということで、言い伝えをしっかり守らないとどういうことになるのかを、しっかりと口で説明できないもどかしさがあった。
最初は、どうして自分たち以外が知らないのかということに疑念があったが、ここの村長は代々世襲で守られてきて、村長の家がもし滅んでしまうと、この村も一蓮托生でなくなってしまうことだろう。
村長にとって、自分たちの保身がそのまま村の存続にも影響しているという大きな責任を自分たちだけが背負ってしまっていることを重々分かっていた。しかも、他の村人は、そんな苦悩を知る由もない。村長としての威厳も、責任の大きさにはついていけないに違いない。
落ち武者がこの村にやってくる前というのは、まだまだ家もたくさんあり、男女の比率はそんなに偏っているわけではなかった。確かに他の村とは隔絶していたが、まだ行き来することも、婚姻も自由だった。
実際に、他の村に嫁に行った女もいたし、他の村から嫁をもらった家庭もあった。ただ、伝説が生まれてから他の村との間の血が混じってしまっていた家庭は、すぐに滅んでしまっていた。村の掟に従う気はなかったのである。
落ち武者事件が起こってからというもの、村での男女の比率が次第に崩れてきた。女性の割に、男性の数がかなり少なくなっていた。女性の数が増えたというよりも、男性の数が減っていったのだ。これも村長にとっては頭を抱える大きな問題であり、
「死活問題としては、こちらの方が切羽詰まっていて、かなり大きなことである」
という認識が代々あった。
そこで考えたこととして、
「滅んでいく家庭のことと、男女の比率が変わってきたことを、一つにして考えてみることだ」
という思いであった。
確かに、同じ土俵で考えることには無理があるかも知れないが、それぞれ大きな問題を単独で考えると、どうしても優先順位を決めなければいけない。片方に力を入れていると、もう片方がおろそかになり、おろそかになった方が気になってしまって、どっちつかずの解決策を考えることになると、先に進まなくなってしまう。
ここは少しでも無理をしてでも、一緒の土俵に乗せてしまう方が、どうせ責任で圧し潰されるのであれば、一緒に考えた方がいいのではないかと考えるようになっていた。
ただ、解決策として、どうしても抜けないのが、
「どこかに妥協点を見つけて、曖昧になってしまうところがあっても、そこには目を瞑るしかない」
という考え方だった。
それも、結構思い切った発想がなければ難しい。倫理的に、
「やってはいけないこと」
であったとしても、この村としては仕方のないこととして考えていかなければいけないと思うのだった。
その、やってはいけないことというのは、近親相姦であった。
兄と妹で結婚したり、父親が娘に子供を設けさせたりという、古今東西、過去においても前代未聞のことだと言っても過言ではないだろうが、この村の伝説を守るためには、どうしても越えなければいけない壁を超えるには、前代未聞であっても、倫理に反することであっても、選択しなければいけないことだった。
また、これが村長に重荷を背負わせることになる。
「この村には、いくつの伝説を作らなければ気が済まないんだ」
と、責任の重さに、思わず叫び出したくなるのも無理もないことだろう。
倫理に反することをしていることで、男女の比率が合わなくなってしまっているのかも知れないという思いもあったが、それ以上に、言い伝えを守らなかったために滅んでしまった家庭を見てきたのだ。
「運命には逆らえない」
と思ったとしても、無理もないことだ。
村長が代々の世襲でなければいけないことにも理不尽さを感じていた。この世襲は、落ち武者事件が起こる前から、この村の伝統だった。この村に限らず、本家と分家というと、本家の方が絶対的な権力を持っている。いくら分家に素晴らしい人が現れても、決して村長にはなれないのだ。理不尽なことは、ずっと昔から続いてきたのだ。
しかし、この理不尽なことが、村の存続には欠かせないことになっていることも間違いではない。村長はそれこそ、
「暗黙の了解」
の元、村全体を見渡していくしかなかった。
近親相姦の影響なのか、それとも、男女の比率が狂ってきたことの影響なのか、男が少ないことで、どうしても、男女の立場関係に歴然とした違いが見られていた。
当然、人数の少ない男性の方が重用され、女性の方は蔑視されてしまう。この村では男に対しての人権は絶対であり、それに対して女性は逆らうことはできない。今でいう、
「男女均等」
など、そんな発想が生まれる隙もないほど、この村での近親相姦の横行は、目に余るものものがあった。しかし、それが曖昧さを生み、何が悪いことで何がいいことなのかという、
「善悪の判断基準」
が、マヒしてしまっていた。
その発想が、伝説を守らなかったことで消えていった家庭があっても、無理もないことだとする思いに繋がっているのだ。
この村に存在する、
「一代に一度きり」
という発想は、別の考えを生んでいた。
いや、そっちの発想から生まれたのかも知れないとも思えるくらいで、それが都市伝説として残る、
「同じ村長の間では、一度起こったことは、二度と起こらない」
という発想に結びついていた。
この発想が、落ち武者伝説から繋がっているという話ではあるが、具体的にはどういうことなのかは曖昧で、ハッキリとは伝わっていない。そう思うとこの都市伝説は、
「噂の類」
として伝わっているのではないかという程度の信憑性にも感じられた。しかし、これも守らないと、災いが襲ってくる。それを示しているのが、
「竜巻伝説」
と呼ばれるもので、これも、
「噂の類」
として、代々伝わっていたのだ。
この村には、定期的に竜巻が起こるという。ここ二十年くらいは発生していないという話だったが、
「そろそろ危ないのではないか」
という噂が流れていた。ただの噂として片づけられないものであることは、村長が一番よく知っていた。
竜巻伝説が生まれたのは、これから三百年くらい前の室町時代後期だという。今は歴史で言えば、江戸時代中期。幕藩体制の中でも財政難に苦しめられていた時代で、山奥の村にも年貢米の徴収は容赦のないものだったが、何とか村は成り立っていた。それも村長がうまく立ち回っているからだという話もあるが、この村には農作物の凶作ということはあまりなかったのである。
竜巻伝説は、この村の歴史が後世に語り継がれるようになった初期の頃から残っている。伝承本と呼ばれるものにも竜巻が起こり、村が半壊したことも書かれていたりする。
「竜巻というものは、空が普段と違った雲を作り出した時に発生するものだ」
と、書かれていた。
ただでさえ、重厚な雰囲気を漂わせている入道雲に、雷が走ったり、真っ黒に淀んだ雲の層が、ハッキリと見えてくるような時に発生しやすいという。
真っ黒に淀んだ雲は、地上のものを真っ暗な世界へと誘い、自分たちが実に狭い範囲で蠢いているかということを思い知らされた時、いきなり起こるものだと記されていた。
自分たちがいかに小さな存在であるかということを受け止める心を表に出した時、竜巻は急に襲ってくるのだ。最初は誰もが、
「まさか、そんなことが」
と、自分が受け止めた心を疑っているため、口に出すことができなかったが、一人がふいに、
「あんなに小さな世界が想像できるなんて」
と、一言呟いたことで、誰もが、
「何だ、お前も同じことを考えていたのか」
「俺もなんだ」
とばかりに、まわりからたくさんの賛同の声が聞こえてきた。
それは、呪縛から解き放たれたかのような気持ちがあるからか、ホッとしたような声に聞こえ、
――自分の声もまわりの人には同じようにホッとしているかのように聞こえるんじゃないかな?
とまわりに感じさせるのだった。
集団意識が安心感を生むのだろうが、安心感を誰かが抱いたことで、皆が共感してくれる。それは、安心感を抱くことで手段意識が生まれるのだという、反対の作用を導き出しているのかも知れない。
竜巻が起こった時の、下から上に舞い上がるシーンを、一人の男が夢に見た。人の悲鳴も竜巻に?き消される。しかし、実際に見えている竜巻は、さほど大きなものには思えなかった。
それは、自分が見ている世界の狭さを感じていないからだということに、男は気づかなかったからだ。
最初は、まさか夢を見ているなどということを意識しているはずはなかったのに、途中から、
「これは夢だ」
ということに気づき始めた。なぜなら、竜巻の向こうに一人の男が佇んでいるのが見え、それが鎧に身を包んでいるのが確認できたからだ。
「まるで落ち武者のようだ」
シルエットでしか見えていないのに、どうしてそれが落ち武者だと分かったのだろう。さすがに鎧武者であることはシルエットでも分かるが、それが落ち武者だということまで分かるはずもない。
そのことに気が付いた時、
「俺は夢を見ているんだ」
と感じたのだった。
それともう一つ、それが普通の夢ではないことに気が付いたが、そこには理由があった。それは、
――その男が、この俺に何かを訴えようとしていない――
と感じたことだった。
普通の夢であれば、夢の中でシルエットに浮かぶ誰かが出てくれば、何かを訴えるために出てきたのだと思えた。しかし、夢だと確信しているはずなのに、その男が何も訴えようとしないのは、何か特別なことがあるからに違いない。
男はその時、ハッとした。
「これは正夢なんじゃないだろうか?」
何に対しての正夢なのか、夢の中で考えた。
落ち武者というのはあまりにも現実離れしている。やはり考えられるのは、竜巻の発生なのではないかと思えた。
男は普段から夢を見る方だった。夢の中で、
「これは夢なんだ」
と感じると、すぐに目が覚めていた。それなのに、その日は夢から覚めるどころか、その夢に対して、考える余裕をその夢の中から与えられているということに、違和感を持ったのだ。
男は本当に目が覚めると、自分が目を覚ましたことにすぐには気づかなかった。まだ夢の中にいるように感じたのは、夢を見たと感じた最初と同じ印象で目を覚ましたからである。
ということは、夢の見始めは、布団の中で仰向けになっていて、天井を見ていた時から始まっていたのだ。
「まだ、俺は夢の中にいるのだろうか?」
夢の中で堂々巡りを繰り返しているという感覚を覚えたことは今までにも何度かあった。その時には、夢が覚めたという感覚はなく、またそのまま眠りに就いてしまっていたように記憶している。しかし、今回は完全に目を覚ましていた。だからこそ、夢の中にいるのではないかと思いながら、堂々巡りを繰り返している自分が、本当は目を覚ましていることに気が付いたからだ。
「竜巻というものを想像していると、自分が巻き込まれたために、堂々巡りを繰り返すことになったのではないか」
と思えてきた。
竜巻という実に狭い範囲で、高速に振り回されている自分を想像していると、実際に巻き込まれることがあっても、そこまで狭い範囲でグルグルと回っているという感覚に陥らないような気がしてきた。
同じ高さでずっとグルグル回っていれば、目が回ったかも知れないが、竜巻は、下から上へと猛烈な力が働いている。決して同じ高さでじっとしていることはないと思ってみると、逆に、
「空に向かって叩きつけられるような力を感じる前に、グルグル回っているという力を感じることで反発させる力の影響が、それぞれの強烈な意識を半減させているのではないか」
と感じさせられた。
山登りをする時も、一直線に上ると険しい角度の坂を登ることになるが、距離は掛かっても、つづら折りの緩やかな道を通ることで、疲れが半減されることもある。どちらがいいのかというのは、その人の性格であったり、体質であったりするのだろうが、人間というものには、必ずどちらの道も用意されているものだという考えを、その男は持っていたのだ。
竜巻をそこまで感じるというのは、もはや夢の域を通り越しているのかも知れない。男は次第に目が覚めてくるのを感じていた。そして、今まで見ていた夢は、自分が過去に遡って見ていた夢だということを感じていた。
――まるで俺が、夢に出てきた落ち武者の生まれからりだとでも言わんばかりではないか――
と感じた。
男の名前は喜兵衛。この村の地主の一人息子だった。
この村には地主と言われる人が数人いた。こんなに狭い村なのに、地主が数人いるというのは不思議な感じだが、地主を一人にしてしまうと、せっかく今まで年貢米に困らないほどの作物を栽培することができたのに、一人の独裁にした時点で、一気に凶作が襲ってくるという言い伝えがあった。
「本当にこの村には言い伝えや、伝説の類が多いことだ」
と、口にしないまでも、誰もが感じていることだろう。
もちろん、喜兵衛も同じことを思っていた。ただ、言い伝えのおかげで、自分は地主の一人になれたのだと思っているので、言い伝えのすべてが嫌なわけではなかった。
実際、この村に住んでいる人のほとんどは、その言い伝えのいくつかは嫌だったのだが、そのすべてを嫌だったわけではない。
「言い伝えのおかげで、俺にもありがたいことがあった」
と、少なくとも一つは、言い伝えの恩恵に預かっていた。
誰もが嫌だと思いながらも、そのことを口にして話題にしないのは、そういう理由が大きかったのだ。
喜兵衛は、そのことを知っていた。夢で何度もそのことを裏付ける夢を見ていたからだ。子供の頃から夢に見たことはなかなか忘れることのなかった喜兵衛は、誰もが同じように、夢に見たことは、しばらく記憶しているものだと思っていた。
しかし、ある時他の村人数人が話しているのを聞いた時、
「今日も夢を見たんだが、どんな夢だったのか、ほとんど覚えていない」
ということを口にしていた人がいたが、
「いやいや、まさしくその通り。俺もなかなか思い出せないことが多いんだ」
と言って相槌を打つ人がいれば、
「俺なんか、怖い夢ほど覚えていることが多いんだけど、覚えていたいような夢ほど、目が覚めてから覚えていないんだよ」
「覚えていないというよりも、目が覚めるにしたがって忘れてしまっているんじゃないか?」
と一人が言うと、まわりの人たちは皆、頭を上下させ、同感だとばかりに、頷いていたのだ。
そんなまわりの様子を、喜兵衛はあっけにとられながら見ていた。喜兵衛を除くそこにいた連中すべてが頷いている。
夢について全体的には皆の意見と同じだったが、覚えているか忘れてしまっているかという話に及んだ時、自分は他の人と違った感覚を持っていることを思い知らされた。
自分が、他の人たちと違っているというのは、自分だけが特別だという意識を持たせるに十分で、夢に見たことを忘れることがないのは、見た夢が必ずどこかで現実の自分に返ってくることになると感じていたのだ。
もちろん、「正夢」という考えもその一つであり、実際に正夢だったと言えることもあった。ただ、それほど大げさなことではなかったので、誰にも喋ることはなかったが、今回見た竜巻の夢に関しては、いずれ、自分が竜巻の夢を見たことがあるという話を、誰かにしなければいけないと思うのだった。
竜巻の夢を見たその日の目覚めは、気分のいいものではなかった。意識がハッキリしてくるにしたがって、頭痛がしていることに気づいたからだった。頭を抱えてしまいたいほどの頭痛に襲われることは珍しいことではなかったが、夢から目を覚ました時に感じたことは、あまりなかったことだった。
喜兵衛は、夢の中で母親が出てきたことを思い出していた。喜兵衛にとって母親は、自分が物心ついた頃には、すでにこの世にはいなかった。写真などない時代のことである。どんな顔をしていたのか分かるはずもなかった。それなのに、時々夢に見る母親の顔は、夢から覚めても鮮明だった。だが、悲しいかな夢から覚めてすぐであれば、その顔を覚えているのだが、次第に鮮明さは失われ、一日経てば、そんな顔だったのか、おぼろげにすら記憶には残っていない。
――何度も「鮮明に見た」という記憶はあるのに、いつも違った顔だったような気がする――
これが他の人の夢の記憶のようなもので、
「目が覚めるにしたがって忘れていく」
という感覚を彷彿させるものではないだろうか。
喜兵衛は、この村の掟を知りすぎているくらいに知っている。なぜなら、自分の親も実は兄妹で、母親は父の妹だったのだ。村の掟があるからと言って、禁断だとされている近親相姦で生まれた子供。そこには何か因縁めいたものがあるという噂は、村人の間で囁かれていることだった。
――他の村人は、両親のような立場に陥った時、村の掟を守ってまで、家を存続させようとするのだろうか?
確かに、村の掟を守らなかったために、滅んでしまった家も少なくないとは聞いている。百年前に比べて、村からいくつの家がなくなったのかということもウスウス分かってはいた。
しかも、家が滅んだ時というのは、
「竜巻に巻き込まれた」
という説もある。
いきなり襲ってきた竜巻に襲われ、家は跡形もなく消えてしまった。そのため、
「その家は、最初からなかったんだ」
という「暗黙の了解」が、村に蔓延るようになったのだと聞いたことがあった。
喜兵衛の母親は、病気で死んだというが、ひょっとすると禁断を破ったためにバチが当たったとも言える。竜巻に巻き込まれて一家はこの世に存在したことすら否定されるほどに綺麗さっぱりとなくなってしまうのがいいか、誰か一人が犠牲になるのがいいのか、それは誰にも分からないだろう。
喜兵衛は、引っ込み思案な性格で、まわりの人に馴染むことはなかった。人の話には聞き耳を立てるが、自分から話をすることはない。まわりの人もそんな喜兵衛のことを気持ち悪がってか、話をする人はいなかった。当然、村の女性とも懇意になることはなかった。
好きな女性がいるにはいたが、彼女には、他の地主の息子が言い寄っていた。しつこくされているのを見かけていたので、何とか助けてあげたいと思ったのだが。どうしても自分の気弱さが災いして、見て見ぬふりをしてしまっていた。
――きっと彼女もそんな俺のことを、意気地のない男として見ているに違いない――
そう思うことで、余計に喜兵衛は自分の殻に閉じこもってしまう。
――このままだと、村の掟に従うことはできない――
近親相姦で何とか家を繋ぎとめようにも、喜兵衛は一人っ子だった。この村の言い伝えとして、
「近親相姦で何とか家を繋いでも、次の代には、一人っ子しか生まれない」
というのがあるが、まさしくその通り、だが、考えてみればそれも当然のことだった。母親は喜兵衛を生むと、すぐに死んでしまったからである。
逆にこの村では、近親相姦で子供ができると、二人目を生んではいけないという掟があるため、母親は無理やりにでも家を出される。他の土地に嫁に行かされることもあり、逆に、村を出たことで、しがらみに圧し潰されることもなく、平穏に暮らしたという話は、この村では誰も知らないことだった。
「この村では、女の価値は、子供を産むことだけだ」
と言っても過言ではない。いかにも封建制度の社会の中に存在している村らしいと言えるのではないだろうか。
喜兵衛は困り果てていた。
「このままでは、家が断絶してしまう」
この村の地主で、家を存続させることができずに滅んでいった家は少なくない。だからこそ、地主は一軒ではないのだ。何軒か地主がいることで、他の土地から隔絶されたこの村が生き残っていけたのである。
喜兵衛は、家を残せないということが切実な問題として自分に降りかかってきたのを実感すると、何かに怯えるようになっていた。ただでさえ引っ込み思案なのに、さらに人を近づけなくなってしまった。心配している人もいるのだが、それを表に出せないでいた。もし、心配していることを表に出してしまうと、余計に喜兵衛が殻に閉じこもってしまうのが分かったからだ。喜兵衛自身が殻を破らない限り、この危機を乗り越えることはできないのだ。
喜兵衛の発想として、育った環境がそんな発想を抱かせたのか、女に対しての差別的な発想が大きかった。
「女は子供を作るのだけが許された人権」
というほどに思っていた。
その思いが根底にあることで、女に対して、
――自分が優位になったいなければいけない――
という思いがあった。
子供の頃は、親の権力もあって、女を蔑んだ目で見ていてもよかったが、そのうちに、その思いに変化が生まれてきた。根本的な考えは変わらないのだが、自分が女性に対してそこまで偉いのかどうか、疑問に思うようになってきた。
その思いが、女性を遠ざけることになった。次第に、
――女というのは、怖い存在だ――
と思うようになってきたのだ。
完全に違う人種として女性を見ていると、今度はその女性に対して思春期になると抱く妄想だったり、身体の反応だったりがまわりの男性に見られるようになると、
「汚らわしい」
と、男を感じるようになった。
自分も男なのだから、汚らわしい一人に違いない。そう思うと、思春期に感じたムズムズした思いが何だったのか、今では遠い過去に思えるのだが、決して頭の中から消えることはなかった。
それを本能だと思えば、自分を納得させることができたのかも知れない。しかし、本能という発想自体、喜兵衛にはなかった。
自分の発想すべては、自分の意識の中から出てきたものであり、理解できないだけで、キチンとした理由が存在すると思っていたのだ。
理由が分からないことで、次第に村の掟が自分にのしかかってくることを制御できなくなってきた。男であり、女であっても、自分のまわりに近づけることを一番嫌ったのだ。その理由の一つが、
「まわりの人の影響は、自分の考えを纏めるにあたって、邪魔にしかならない」
という発想だった。
自分の殻に閉じこもったと言ってしまえばそれまでだが、そこに村の掟が引っかかっていることに気づいていないだけで、最後に行き着くところは、またしても、村の掟という扉なのは、皮肉なことだった。
喜兵衛はどうしていいのか分からない。もちろん、家の存続を考えて、家族は皆頭を悩ませている。
「あなたのために」
と、親やおじさん、おばさんは親身になって話を聞こうとしてくれているようだが、喜兵衛の目から見ると、誰もが自分のことしか考えていないようにしか見えなかった。
最後は、おばさんが家の存続のために、近親相姦という禁断を破ろうとも考えていたが、結局は、その思いは実らなかった。そのことを察知した喜兵衛は、寸でのところで、村を出たのである。
おばさんもまわりの人も、かなりの決断だったに違いない。考えが浮かんでから実際に覚悟が決まるまで、かなりの時間を要した。逆にそのことが、喜兵衛にその思いを悟らせることになった。どんなに隠そうとも、決死の覚悟でまわりが固まっているのだから、不穏な空気を悟らないわけもない。具体的な内容までは分からなかったが、喜兵衛でなければ、村を去ることはなかっただろう。それだけ喜兵衛はまわりに対して触角を張り巡らし、自分に危険が迫った時に、敏感に感じられるようになっていたのだ。
喜兵衛は、自分では意識していない「本能」のままに動いた結果だった。ただ、そのせいで、村に残った自分の家は断絶し、結局、村の歴史からも、自分の家が存在したことが否定されてしまった。
そのことを悟っている喜兵衛は、
「それなのに、どうして俺は存在できているんだ?」
自分だけが残ってしまったことに罪悪感を感じていたが、このまま死を選ぶこともできなかった。そして、村を出ることで、自分が何を恐れていたのか分かる気がしてきた。
「俺の家族は、竜巻にやられたんだ」
村を出てから頻繁に夢を見るようになったが、覚えている夢は、いつも竜巻に巻き込まれる夢だった。
「俺が怯えていたのは、竜巻だったんだ」
竜巻というのは、ただの竜巻ではなく、
「吹き飛ばすことで、その家が存在していた事実まで、人々の記憶から吹き飛ばすという効果を持った竜巻だ」
という意識だった。
本当の竜巻というものを見たことがないくせに、夢ではあんなにもリアルだった。ハッキリと下から上に上がっていく竜巻だった。そのことを喜兵衛は、まったく不思議に感じることはなかったのだ。
元々竜巻の原理など知る由もなく、考えたこともなかったが、夢に見た竜巻は、いかにも下から上に舞い上がるものだった。何といっても、実際に竜巻など見たこともない。最初から、
「竜巻を目にすることなど、生きているうちに一度あるかないかのことではないだろうか?」
と思っていたのだ。
だが、それだけに夢に見た竜巻が明らかに下から上に舞い上がっているというのは、よほど自分の思い込みが下から上へのもので固まってしまってしまっていたり、あるいは夢で最初に見た時がその印象だったので、その思いが頭に凝り固まってしまったのかのどちらかであろうが、どちらにしても、下から上に舞い上がるという発想には疑う余地などなかったに違いない。
喜兵衛は、新しい村に移り住むと、そこで一人の女性と出会った。それは今までいた村にはいなかったような女性で、新鮮な気がしていたのだ。彼女の両親は、なぜか喜兵衛のことを気に入っていた。喜兵衛は、住んでいた村を出ると、そこで今までの記憶をほとんど失っていた。自分の住んでいた村からはかなり離れた村に辿り着き、そこで力尽きて、意識を失ったのだ。それを助けたのが、その女性だった。喜兵衛が見つかったその場所は河原で、静かに流れる小川のほとりに打ち上げられたように倒れていたのだ。その川の上流が例の滝であることを、喜兵衛は知らなかったが、どうやら喜兵衛が村から抜け出して彷徨っている時、無意識に川を伝って、下流へ下流へと歩いてきたのだ。それを本能と言わずして何というだろう?
「神のみぞ知る」
とでもいうべきであろうか。
倒れている男性を助けた娘は、実に無垢な娘だった。年齢的には、十代後半くらいだろうか。農家の娘で、普段から農家の手伝いだけをしていた。
ちょうどその時は、川に水を汲みに来ていて、偶然、喜兵衛を助けたのだが、彼女の中では、ただの偶然とは思えないところがあった。だが、偶然ではないなどと人に言っても信じてもらえるはずもなく、その思いは自分の胸だけに収めていた。
――この人と、会えるのは運命だったんだわ――
娘は彼が現れることを知っていた。いや、予感めいたものがあったというのが本心だろう。彼女は密かにキリスト教を信じていた。もちろん誰にも言わない。自分だけの胸に収めていた。だから、村にも密かにキリスト教を信じる人が時々集会を開いていたが、彼女は参加することはなかった。集会に参加している人たちの誰もが、まさか彼女がキリスト教を信じているなどと、知る由もなかったのだ。
実際には、彼女のような人は少なくない。歴史的に記録が残っていないので、誰にも知られていなかったのだろう。逆に、もし誰か一人でも自分だけが信じているというのが発覚してしまうと、他にもいないかということを幕府や藩が血まなこになって探すに違いない。その記録が残っていないということは、隠れキリシタンの中には、個人だけの人がいたということを、隠しきったのだろう。
現代では、そのことに気づいた学者もいるようで、その研究が水面下で行われているという話もあるが、信憑性には欠けるものだった。厳格なキリシタン禁止令の中、完全に隠しきれるかどうかが焦点だが、その存在の有無については、賛否両論があってしかるべきであろう。
彼女は、本当は喜兵衛を助けたくなどなかった。まわりに対しては純真無垢な少女を演じていたのは、天真爛漫な性格を見せつけることで、自分だけの秘密を持っているなどないとまわりに印象を植え付けるためだった。だから、なるべく人に近づいているふりをして、絶妙な距離を保っていたのだ。それなのに、倒れている人をそのままにしておくのはキリスト教の精神に反する。助けてしまうことが自分にどのような仇となって返ってくるか分からないが、見過ごすわけにはいかなかった。だが、村の男性と結婚することを思えば、彼のような素性も知らない男性、しかも少し訳アリの男性が相手だと、隠れ蓑にはちょうどいいという打算があったようだ。彼女の思惑に完全にはまった形になった喜兵衛だが、喜兵衛の方も知られたくないことがあったのだから、お互い様であった。喜兵衛にとっても、曲りなりではあったが、不幸中の幸いと言ってもいいのではないだろうか。
結婚してからの二人は、お互いに偽装結婚であることは分かっていた。ほとんど会話もなく、お互いに子供を欲することもなかった。
喜兵衛は、それでも、農家の仕事を一生懸命に手伝っていた。傍から見れば、別に何の変哲もない普通の夫婦だった。お互いに会話はなかったが、それでもまわりの誰も、疑問に感じる人はいなかった。
結婚してから五年が経ち、女の両親はことごとく、病でこの世を去った。
喜兵衛は、結婚してからちょうど五年が経ったある日、自分の過去を話し始めた。今まで何も話をしようとしなかったのは喜兵衛の記憶がほとんど失われていたからであって、彼女も分かっていたつもりだったので、ビックリしていた。
喜兵衛が語った記憶には、間違いはなかった。
自分が住んでいた村の話。そして、村には掟があり、自分が掟を守ることができず、村を出た話。そして、村に残した家族が滅んでしまった話……。
しかし、妻の方は、その話を聞いて、疑問に感じていた。
――どうして、村を離れてしまったこの人に、家族が本当に滅んでしまったということが分かったのかしら?
冷静に考えれば分かる理屈であったが、喜兵衛の話には信憑性があった。
それは理屈ではない。喜兵衛の説得力によるものだが、彼女には通用しなかった。
――もし、私がキリシタンでなければ、何の疑問も感じなかったかも知れない――
彼女はキリシタンであることで、
――私は、他の人とは違うんだ――
と思っていた。
それは自分自身に対しての意識の違いというよりも、何かを信じるということの重さが何にも優先するという思いを持っていたからだった。
喜兵衛が、自分の妻に自分の話をしたのは、自分の記憶が戻ったことで、誰かに自分のことを話さなければいけないと感じたからだった。自分の記憶が完全に戻ったことで、記憶を失ってからの五年間に生まれた新しい記憶とが葛藤を始めた。始めた葛藤によって喜兵衛は、
――このまま黙っておくことはできない――
と感じたのだった。
ただ、喜兵衛が自分の過去を話すのは、喜兵衛自身の意志ではなかった。黙っておくわけにはいかないと感じたのは、後になってからのことであって、喜兵衛の中にある別人の血が、喜兵衛を通してこの話をさせたのだ。それが落ち武者の意志であることを、喜兵衛自身、知る由もなかった。
「俺の育った村というのは、男は同じ村の女を嫁にしなければいけないという言い伝えがあるんだ。もしそうしないと、家が断絶してしまうということなんだ。自分の代で家が存続できないと、その男は地獄に落ちて、永遠の苦しみから逃れられないらしい」
喜兵衛は自分でその話をしながら、
「おや?」
と感じた。話のなかで、どこか違っているのを感じたからだ。違っているというよりも、自分の意識していないことを喋っているように思えた。脚色した部分があったのだ。
喜兵衛はそれでも、別に構うことなく話を続けた。自分の意志とは別の意志が働いているかのようだった。
「そのせいで、村では結婚相手に恵まれなかった男は自分の身内に女がいれば、近親相姦をしてもいいという掟になっていたんだ。普通なら近親相姦など、あってはならないこと。そんな歪な村なので、男女の比率が狂ってしまった。男性一人に対して、女性が複数いるという感じだ。それなのに、男の中には結婚できなくて、近親相姦を重ねることが横行してしまった。女の中には、一生男を知らずに終える女性も多い。不思議な世界になってしまったんだ」
「そうなんですね」
喜兵衛の奥さんは、何を考えているか分からないほど、冷静に聞いていた。あまりにも突飛な話なので、まるで別世界の出来事のように思っているのかも知れない。
「男女の比率が狂ってしまい、さらには近親相姦が横行している世界なので、いつの間にか、村では女の力の方が強くなった。人数的にも多いのだし、それも当然ではないだろうか。それまで虐げられていた女性が村の掟を何とか覆そうとして画策を始めたんだ。そのせいで、今度は男が女に遣われるようになり、一人の男がたくさんの女を相手にしなければいけないようになっていたんだ」
喜兵衛は自分で話をしながら、
「もっともなことだ」
と思っていたが、それは実際に自分が経験してきた村の様子とはまったく違ったものだった。喜兵衛にとって自分が経験してきたことが、この村に来たことで、まったく違った記憶を持つようになってしまったようだ。
だが、喜兵衛にはそんなことは分からない。自分の奥さんに話をしているのは、自分が経験したはずの村での出来事を思い出しながら話しているのだ。
「どこかおかしい」
と思いながらも、話している内容の要所要所で、間違いなく鮮明に思い出せる記憶が見えていた。
だが、喜兵衛が次の話題に移った時、
「やっぱり自分の記憶は誤った記憶ではないだろうか?」
と感じるようになった。
「俺の住んでいた村に伝わるもう一つの伝説は、一度起こったことは二度と起こらないということなんだ」
というと、奥さんはきょとんとした表情になり、
「えっ、それってどういうことなんですか?」
と、探るような眼を喜兵衛に向けた。
「あ、いや、それは」
と、自分でもどう答えていいのか分からなかった。前後の事情をまったく知らない村とはまったく関係のない人に、いきなり村人の中での都市伝説を分かってくれるはずもない。話をした当の喜兵衛にだって、自分が最初にその話を聞いた時、理解などできるはずがないと思ったからだ。
――どうして、いきなりこの話が口から出てきたのだろう?
喜兵衛は最初からこの話をするつもりはなかった。実際には、奥さんと話し始めるまでは、自分でも忘れていた話だったからだ。
奥さんに対して急に話したいと思ったのもいきなりであれば、意識もしていないはずのことを無意識であっても話しかけたのは、いきなりと言えるであろう。
それ以降、喜兵衛は口をつぐんでしまった。何をどう説明すればいいのか分からない。喜兵衛自身も村にいる頃、
「一度起こったことは二度と起きない」
という伝説を理解できたわけではない。喜兵衛だけではなく、村人のほとんどは、理解などできるはずもなかったのだ。
喜兵衛は、自分の言っていることに、どうしても信憑性を感じることができない。つまりは、自分がウソをついているのか、辻褄を合わせようとして、ありもしない記憶をでっちあげているのではないかと思った。
――一度村に戻ってみないといけない――
と感じた。
喜兵衛が感じたのは、
「もし、村に戻っても、誰も知っている人がいなければどうしよう?」
という思いだった。
意識の中に残っている記憶は、自分の記憶の中に残っている意識とは明らかに違っているもので、意識が違っているのか、記憶が違っているのかを考えれば、意識が違っていることを認めるわけにはいかない。かといって、残っている記憶をそのままにしておけない。知っている人がいないなら、これ幸いということで、今ならよそ者の目で、今まで気づかなかった部分が見えてくるのではないかと思っていた。
喜兵衛の育った村は、確かによそ者の血を受け入れない気風だったが、外部の人間を受け入れないというわけではない。
――自分たちが利用できるものは、惜しみなく利用する――
という発想だった。外部の人間でも、いいところがあれば受け入れる体制であった。それは落ち武者がやってきた時代とはまったく違った世界で、どこかの時点で誰も知らない間にどんでん返しが起こったのかも知れない。
――その時に、表にいた人と入れ替わりに裏の人間が現れた――
つまり、姿形は同じでも、まったく違う世界が出来上がっていたのだろう。
昔を知らない村人は、それをおかしなことだとは思わない。本当にどんでん返しが起こったその時、一人の男がそのことを古文書に書き残していたのだが、今はそれがどこにあるのか分からない。タイムカプセルのように、地中に埋めてしまったのだった。
喜兵衛は、子供の頃にその古文書を土の中から掘り出したことがあった。いかんせん、まだ子供だったので、書いてある内容までは分からなかった。しかし、よほど大切なものであることは想像がつき、今喜兵衛が村に戻る決心をした理由の半分は、この古文書を探したいという思いがあったからだ。
それがどこにあったのか、実のところ、記憶が曖昧だった。どこかの森の中だったのは意識があるのだが、どこの森だったのか、ハッキリとしないのだ。
子供の頃に何度も行った記憶があったが、いつ行っても、地面はベトベトに濡れていた。ぬかるみに引っかかってこけそうになったこともあったが、元々、大きな気が乱立しているところだったので、根っこが地面からはみ出して足を引っかけそうになっているところもあった。
それを思うと、ぬかるみに足を取られるのは恐ろしいことだった。足を取られると、そこから先は下り坂になっていて、行き着く先には滝つぼがあったからだ。
「あのあたりは子供には危険なので、あまり立ち寄るな」
と言われていた。
実際に子供だけでなく、大人が近寄ることもなかった。立ち入り禁止が、暗黙の了解だったのだ。
喜兵衛は、近くまで行ってから、その先に踏み込んだことはない。滝があると言われているところからかなり離れた場所まで森が続いているので、古文書を見つけたあたりは、滝からは遠かったはずなのに、滝つぼに叩きつけられる水しぶきの音は、鮮明に覚えていた。
大人たちの目があるので、その先までは行ったことがなかった。一度近寄ろうとしたが、木の根っこが歪な形で生えているのを見ると、恐ろしくなった。しかも、一度は足を引っかけそうになったのだ。滝つぼまで行かなかった本当の理由は、木の根っこに気持ち悪さを感じていたからだった。
喜兵衛は、何十年かぶりにこの滝に訪れた。子供の頃に感じていた大きさよりも、想像以上に小さなものだった。
「森ももっと奥まで見えていたはずなのに」
今では、完全に生い茂った木々が完全に屋根の役割をしていて、少ししか先が見えない。そこから先は真っ暗な世界が続いていた。
喜兵衛がその森がどこだったのか思い出せなかったのは、村の外にいたからだった。村の中に一歩踏み入れただけで、それまで忘れていたことが、次々に思い出されてくるようだった。
「育った家を見に行ってみよう」
と思い、記憶をたどりながら住んでいた家を探してみたが、
「確か、このあたりだったはずだが」
記憶に残っている家が跡形もなく消えてしまっていた。喜兵衛は通りかかった村人に聞いてみた。
「ここにあった家の人たちはどうなったんですか?」
村人はきょとんとして、喜兵衛が何を言っているのかとばかりに、疑念の目を向けていた。いかにも怪しく感じられたのだろう。
「ここにあった家って、ここはずっとおらの土地だが」
と言って、方言丸出しで答えた。
この村は、ほとんどが標準語で喋る人ばかりだったが、何か後ろめたいことがあったりして狼狽えると、とたんに方言が出てしまう。これ以上分かりやすい性格の村も珍しいのだろうが、一度外に出てから戻ってくると、
――なるほど、これは分かりやすいやーー
と感じたのだ。
しかし、自分の住んでいた家を間違えるはずもない。記憶にある光景は、間違いなく自分の家があったところを示していた。ということは、伝説は本当だったということになり、その責任のすべては自分にあることを感じた。
――でも、それなら、自分の存在意義もないはずなのに――
と感じた。
家が最初からなかったことになっているのであれば、その責任がある自分が真っ先にその存在を消されるはずではないか。自分が無事に存在していて家だけが消滅しているなど、ありえないことに思えた。
喜兵衛は自分の記憶を頼りに、村を散策してみた。するともう一軒、なくなっている家があることに気が付いた。自分の家と同じように、まったく跡形もなく消えていたのだ。
やはり近くで農作業をしていた人に聞いてみた。
「ここにあった家の人たちはどうなったんですか?」
答えは同じだった。きょとんとして何を言っているのかという顔で、
「ここには他に家なんかない」
としか答えなかった。ただ、彼もどこか躊躇していた。明らかに何かに怯えているようだった。
――何かを隠しているんだろうか?
そういえば、昔この村に住んでいた時、よそ者に話しかけられたら、どうすればいいのかというのを、ずっと考えていたことがあった。完全に隔離されたわけではない村なので、いつ誰が入り込んでくるか分からない。幸いにもこの村にいる頃喜兵衛は、よそ者と話す機会がなかったからだ。ただ、この村を出てからまだ十年も経っていないのに、自分が知っている人が誰もいなくなっていることだけが気になっていた。
どうやら、この村は喜兵衛の記憶に残っている村とは、かなり違っているようだ。その証拠に、自分の知っている記憶の中の光景とは、少しずつずれているような気がしていた。家は一回りずつ大きくなっているように思えたし、以前は貧相だった家が、少し立派になっているように思えた。
「村全体が、どんでん返しのように、クルッとひっくり返ったかのようだ」
まるでおとぎ話のようだが、知っている村が一度まっさらな更地になってしまい、その後に新しく建て替えたかのようにも見えた。
ただ一つだけ変わっていないところがあった。それが、滝に通じる森だった。村全体が大きくなったように感じるのに、森だけが小さく感じられた。
「記憶というものは、遠のいて薄れてくればくるほど、小さく感じられるものだ」
という話を聞いたことがあったので、自分の記憶が正しいとすれば、それは森の記憶だけしかないようだ。
「木を隠すなら、森の中」
という言葉を村にいる頃に聞いたことがあった。その時は何のことだか分からなかったが、村に戻ってきて、森を見た時、その言葉を思い出した。
「この森に何が隠れているというのだろう?」
と感じたが、それが
「俺にとっての真実」
であり、記憶の中にあった古文書も、きっと見つかるという確信めいたものが頭に浮かんでいた。
――自分が知っている村がすべて変わってしまったかのように見える信じられないと思える現象も、古文書を見つけることで、解決しそうな気がする――
と感じたが、そんな重大な古文書が、そう簡単に見つかるとは思えなかった。
幸いにも、この先の滝はおろか、この森にも近づく人は誰もいない。ゆっくりと古文書を探すことができる。しかし、あまり時間を掛けられないというのもウスウス感じていた。それは、喜兵衛の記憶がどこまで正確かどうか分からないからだった。
――自分の記憶を信じられなくなると、終わりだ――
と感じ、そうなってしまうと、永遠に古文書は誰の目に触れることもなく、この場所に目に見えない墓標を刻んでいるかのように思えてきた。
喜兵衛が自分の記憶に信憑性を感じなくなった理由の一つに、
――俺の記憶は、目に見えない何かの力によって、消されたものだったのかも知れない――
という思いがあった。
意識の中に、記憶が二転三転して、思い出せそうになると、却って堂々巡りを繰り返しているように思え、袋小路に入り込んでしまったように思えた。
巨大迷路に迷い込み、うろうろしているのを、上から見ている誰かがいる。入り込んでいる自分は大きな迷路を感じているが、上から見ている人は、箱庭に迷い込んだ小さな虫のように思っているのかも知れない。上から見ている人はすべてが見えているが、迷い込んだ人間にとっては、まさか上から誰かに見られているなど、想像もできないだろう。喜兵衛が村にいる頃がまさにそんな状態だったのではないかと思っていた。実際に、普通に暮らしていれば、一生村から出ることなどありえるはずもなかったからだ。勝手に村から出てはいけないという規則がある。封建制度では当たり前のことであった。
喜兵衛は古文書を読んでみた。そこに記載されていた時代は、戦国時代から始まっていた。
この古文書を書き残した人がいる。そして、書き残した古文書を地中に埋めてしまった人がいる。普通に考えれば、その二人は同一人物であろう。しかし、喜兵衛にはどうも同一人物のような気がしなかった。
その一番の理由は、その古文書が最後まで書かれておらず、ある日の途中で止まっていたのだ。読み進んでいくうちに、古文書を読んでいるはずなのに、いつの間にか誰かの日記を読んでいる錯覚に陥っていた。それだけ、書いた人間の感情や思い入れが含まれていたからである。
古文書であれば、公平な目で時代の証人として書き残すものが普通である。しかし、そこに感情が入り込むと、それはもはや古文書や歴史書ではなく、ただの日記にすぎないのだ。
だが、日記として読み始めると、作者の感情を感じるのだが、その感情が冷え切っているように思えた。感情が籠っているくせに、実に冷静な目で見ているのだ。
それはあくまでも、書いている本人の想いが描かれている主人公の目を通して感じている書き方だった。主人公の想いには感情が感じられないにも関わらず、時代に翻弄されていたのだ。
古文書を読んでいると、村人が自分のいた頃と違って、まったく別の世界からやってきた人たちに思えてきたのも分かる気がした。漠然としてだが、古文書を書いた人間にもそのことが分かってきた。そして、書いている本人でさえ、途中から自分の中に、別の人格が生まれてきたのを感じたようだ。
そして最後の方には、
「書いている自分が信じられない」
という思いを抱きながら、それでも書き続けているのが分かった。
それなのに、ある日の途中で文章が止まってしまっている。それを見た時、喜兵衛は胸騒ぎを感じた。
「この人は、ここで息絶えたのではないだろうか?」
と感じた。
息絶えたのだから、作者がこの古文書を地中に埋めることはありえない。この矛盾を喜兵衛はこの古文書を読む前に感じたのだった。
この村には落ち武者伝説があるのは、住んでいた時に聞いたことがあった。
しかし、そのことに深く思い入れることはなかった。
「落ち武者伝説のことを下手に調べたりすると、落ち武者の霊に呪い殺されるらしいという噂がある」
と聞いたことがあった。
落ち武者が一人の女性と滝つぼに身を投げたという話が伝わっていたのだ。
この古文書には、その後の事実が克明に記載されていた。
心中を図った時に一緒に身を投げた女性は若い僧に助けられ、お寺で匿われていたが、そのうちに乱心した僧に襲われ、結局最後は、滝つぼに身を投げたという内容だった。
女としては、遅れてしまったが、やっと落ち武者のいるあの世に行けるという思いがあったのだろう。それにしても、助かったとはいえ、一度身を投げて死という恐怖を嫌というほど味わったはずである。それなのに、もう一度死を覚悟できるなど、喜兵衛には信じられないことだった。
喜兵衛は自分が死を意識したことなどなかったが、一度死を覚悟して、本懐を遂げることができなかったら、二度と死ぬことを意識するなど、できるはずはないと思っていた。
ただ、古文書を見て喜兵衛には、もう一度死を覚悟した女性の気持ちが分かるような気がした。これも自分の中での精神の矛盾であり、どうしてそんなことを感じられるのかと考えると、
「俺の中に、もう一人違う人格が潜んでいるのかも知れないな」
と感じた。
それは、自分が二重人格だという意識ではない、。まったく違う人間が自分の中に入り込んでいるという感覚だ。
「そういえば、同じような思いを以前にもしたことがあるような気がするな」
と思ったが、それは今の新しく埋め込まれている記憶の中にあるものではない。失った記憶の中に一筋の光が差して、照らしているその場所が、同じような思いを感じたというものだったのだ。
そのことと、この村に戻ってきた時に感じた、
「どんでん返し」
のイメージとが重なっているようだ。
「きっと、これを書いた人、そしてこの古文書を地中に埋めた人は、少なくともそのことを分かっていたのかも知れない」
と思った。
どちらの人間の方がより一層どんでん返しをイメージできたかというと、やはり地中に埋めた人であろう。この古文書を見て、その内容と「どんでん返し」の事実両方を冷静に見ることができるのは、作者であるはずはないからだ。
ただ、喜兵衛は別のことも考えていた。
「どんでん返しというのは、一気に変わってしまうのだが、そんなことが本当に可能なのだろうか?」
一気に変わってしまわないと、時間差があってしまえば、まだ変わっていない正気な人が疑問に感じるはずだからである。それを何も感じずに「どんでん返し」を受け入れられるのは、一気に形勢が変わってしまったことを意味しているのだろう。
そのためには、
「十分な準備期間が存在したに違いない」
と感じた。
この作者もそうだったのかも知れない。
死を迎える時に、自分にどんでん返しが起こることを察して、最後まで書けなかったと思えてきた。
「最後まで書かないことが、この人にとっての、ラストシーンなんだ」
と感じたのだ。
「このことと、わしの記憶がないことと、何か関係があるのかも知れない」
確かに村から出ることは幕府の政策や、村の掟でも禁止されていた。文章にも法度として記載されている。そういう意味では村を出ることは立派な犯罪だった。
しかし、喜兵衛は事実として村を出た。何が一体村を出るきっかけになったのか、自分では覚えていない。
――思い出さないことが幸せなのかも知れない――
と、思い出そうとする自分を否定してみたりした。
だが、村を出ることを欲していたのだとすれば、理屈が合わないわけではない。
元々、こんな村に嫌気が差し、出たいと思っていたのかも知れない。ひょっとすると、この古文書を見たりして、村にとどまることの正当性を自分に見出すことができなかったのではないか。
古文書の存在を覚えていたのも、内容を見て、
「初めて見たような気がしない」
と感じたのも、記憶がないまでも、自分の中に差し込んだ一筋の光を、もっと広くできる可能性を秘めているのではないかと思ったからだ。
喜兵衛は、少しずつ古文書を読み進んでいた。古文書で気になるのは時々出てくる、竜巻の存在だった。
最初に竜巻の件があったのは、一度死を覚悟して死にきれず、今度は助けてもらったはずの若い僧から襲われ、死を覚悟した時のことだった。
彼女にしては、竜巻であろうと、滝つぼであろうと、
「死ぬことさえできれば、それでいいんだ」
という思いがあっただろう。
なまじ死にきれず、前のように生き残ってしまうと、
「もう一度死を選ぶのも地獄、かといって、生きていくのはもっと辛いことなのかも知れない」
と感じていた。
彼女の中では、
「進むも下がるも地獄」
という思いだったに違いない。
竜巻が起こったのは、女が二度目の死を覚悟した時だったと古文書には記されている。滝つぼに呑まれながら、女は下から突き上げてきた竜巻に呑み込まれ、宙に浮いたまま、なかなか落ちてこない。女にしてみれば、
――このまま楽になりたい。早く死なせてほしいのに――
と、宙に浮いた状態を、恨めしく思ったに違いない。
喜兵衛は、古文書を読んでいるうちに、次第に女の気持ちになって読めるようになっていた。
「この古文書を書いた人も、同じことを感じたのかも知れないな」
そうやって思うと、この古文書を書いた人がどういう思いでこの書を残したのか、分かるような気がした。
古文書を書かれている内容は、
「竜巻というのは、入道雲の発生によって生まれるもので、その渦は上から下に伸びるものだ」
と書かれていた。
喜兵衛には、そんな難しいことは分からない。だが、読んでいくうちに、書いてあることに間違いのないことを分かってきたような気がしていたのだ。
喜兵衛は、古文書を読んでいくうちに、その作者が女に対して思い入れが普通ではないことに気が付いた。冷静な第三者としての目で見ようという発想はあるのだが、どこか女に対して思い入れよりも深い感情が感じられた。それは慈愛ではなく、愛情そのものだったのだ。
そこには暖かい視線が感じられ、
――包み込んであげたい――
という思いが見え隠れしていたのだ。
喜兵衛は自分に感じたことのない愛情というものに、読んでいて戸惑いを感じた。不幸な出来事であったはずの、落ち武者事件。そこに羨ましさを感じてしまった。
そう思うと、
「この古文書を書いたのは、伝説として残っている落ち武者だったのではないだろうか?」
という思いである。
古文書には、
「身を投げた二人のうち女は若い僧に助けられたが、落ち武者は、滝つぼに呑まれて、死んでしまった」
と書かれていたのだが、喜兵衛には最初から読み込んでいくうちに、どこか不自然さを感じていた。それは形に見えるものではなく、感覚的なものだったが、
「心理的な矛盾」
と言ってもいいのではないだろうか。もちろん、そんな難しい言葉を喜兵衛に分かるはずもないが、古文書を読んでいくうちに、次第に自分が核心に迫っているのだということを感じていた。
つまりは、この古文書を書いた作者は落ち武者であり、その子孫が代々伝えていったものではないかという思いである。
しかし、落ち武者の子孫というのはどういうことであろうか?
この古文書を見る限りでは、恋に堕ちた相手の女とは、心中を図ったのではないか。子供の話などどこにも書かれていない。
ただ、その後も女は生き残っていた。若い僧に襲われて、その後身を投げたというが、その間に、落ち武者の子供を宿していたのかも知れない。
そう思うと、若い僧が乱心したのも分からなくもなかった。助けた相手に恋をしてしまった若い僧は、思いを遂げられずに自分が僧であることもあり、ギリギリのところでジレンマに苦しめられていたに違いない。
しかし、そこに女が懐妊していて、その父親が落ち武者であると知った時、嫉妬の固まりがジレンマを通り超え、自分ではどうすることもできないほどの嫉妬の固まりに支配されていたとすれば、精神的な均衡が崩れてしまい、抑えることができなくなったに違いない。
それがその後に起こった、
「若い僧による乱心」
という悲劇だったに違いない。
女は、身を投げる前に、密かに子供をどこかに隠し、そして、父親である落ち武者の手によって育てられたと考えるのが自然ではないだろうか。
落ち武者は、密かに助かってから一人になり、二度と女とは合わないと誓ったのとは別に、
「彼女を密かに見守ってあげたい」
という強い気持ちがあった。
さすがにいきなり乱心してしまった僧に対しての対応はできなかったが、残された子供のことは自分が何とかしようと思ったに違いない。
落ち武者は自分の子供には、自分たちのいきさつ、そして運命を話して聞かせた。その思いが、
――古文書を引き継ぐ――
という思いに掻き立てたのだろう。
この古文書がどの時点で絶えてしまったのか分からない。書かれているであろう時代背景を考えると、数十年は続いていたことになる。ただ、その本質は、
――落ち武者と心中をした女――
であり、それ以外のことはほとんど書かれていない。それでもところどころに竜巻が発生していて、
――そのタイミングは、まるで竜巻が生きているかの如くだ――
と書かれていたのだった。
竜巻が下から上に巻き上がっていることは、一度だけ書かれていた。しかし、それが自分を助けることになるものだということには、一切触れていない。落ち武者自身、自分で分かっていないのか、それとも分かっていて敢えて書かないのか分からない。しいて言えば、
――自分に深く関わってしまっていることに関しては、まったく見えていなかったのかも知れない――
灯台下暗しという言葉もあるし、頭のいい策士が策を弄した時、
「意外と自分が同じ手でやられることは意識していないものだ」
という格言めいた話も聞いたことがあった。
落ち武者もそうだった。自分が助かったのは、竜巻が下から上に巻き上げられていることを、宙に浮いている間は意識していたが、助かってしまうと、その時意識したことはおろか、自分が竜巻で助かったことには気づいていなかった。
滝つぼに身を投げ、死のうとした時点で、落ち武者は半分記憶を失くしてしまった。自分が落ち武者だったこと、女のことは覚えていたのだが、それ以外のことはすっかり忘れてしまっていた。どうして死ななければいけないのかという理由すら忘れてしまっていて、ただ、自分が落ち武者だったということから、死を選んだ理由はだいたいの見当はつくというものである。
結局は死にきれなかったが、自分が新しく生まれ変わることができるということを確信していた。何かの根拠があるわけではない。しかし、過去には悲惨な事実しか残っておらず、
――生きなおす――
という発想からは、自分が生まれ変わることができるということは、疑う余地もないことに思えた。
生きなおすことができると考えた落ち武者は、さっそく古文書の作成を頭に浮かべていた。
「せっかく生き残ったのだから、自分が生きた証のようなものを残したい」
と思ったとしても無理もないことだろう。
落ち武者は、古文書の作成と、生き残った女を見守ることに、生き残った人生を費やすつもりでいた。
しかし、女は若い僧の犠牲になった。落ち武者の失意はどれほどのものだっただろう。それでも、女が残してくれた子供は、かすがいだった。女に対しては遠くから見守ることしかできなかったのに、今度は大手を振って、自分の子供を抱きしめることもできるのだ。ジレンマから解放され、子供を手にすることができた落ち武者にとって、古文書の作成は、自分に課した、
「至上命令」
と言ってもいいだろう。
落ち武者がいつまで生きていられたのかは分からない。しかし、確かに途中で書き方は明らかに変わったが、それがどこから変わったのか分からない。自然な形で、「継承」が行われたのだ。
そのことを考えると、
「落ち武者は、天命を全うしたのではないだろうか?」
という思いが浮かんでくる。
おそらく間違いはないだろうと思っているが、では、一体この古文書をいつやめることになったのか、
「いつ、誰が?」
というところが大きな問題だった。
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