第22話

 【自殺したの?元カレ。】

 「うん、警察の話ではね。まだ確定ではないけれど。」

 夕食後の食器洗いをしながら陽菜は答えた。

 【確定ではない?】

 【どういうこと?】

 クマは右手を顎にあてて左手を右ひじに触れながら首を右に倒した。

 「自殺の方法がね、焼身自殺だったらしくて真っ黒こげなんだって。」

 【それは………。】

 【なんというか壮絶だね。】

 「うん、私なら絶対にそんな自殺は選ばないなぁ。」

 陽菜はコップを水切り籠に置いた。

 「なるべくなら痛くない、苦しくない方法を考える。理想はね、眠りながらいつの間にか死んでいるって方法。」

 【そんなのはない、】

 【と思うよ。】

 「まあそんな方法があったらきっと世の中、もっと自殺者は増えているだろうね。」

 【うん、君の言う通り。】

 「賢い人がそういうのを開発しないのもきっとそういう理由だろうね。」

 【そうだと思う。】

 「人間も電池を抜けば簡単に動きが止まる構造だったらよかったのに。」

 【僕はそうだよ。】

 クマは自分を指差した。

 「どういう意味?」

 【ちょっと夢を無くすかもしれない。】

 【現実的な話だけれど。】

 【今、君の目の前にいる僕はクマでしょう?】

 【でも、そのクマの中には僕という別人格がいて、】

 【僕が中にいることで、】

 【世の中にクマは存在しているわけで、】

 【僕がこいつに入らなくなったら、】

 【君の目の前にいるクマは死んだってことになる。】

 【それってつまり 今、君が言った、】

 【電池を抜いたら止まってしまうオモチャと、】

 【同じ死に方になる。】

 「確かにそうかも目から鱗だよ。」

 陽菜はタオルで手を拭きながら言った。

 「あと別に夢は壊れていないよ。その着ぐるみの中に人間なんて入っていないって設定をストイックに守っているのって 私の周りでは貴方だけだから。」

 【がーん。】

 クマはその場でへたり込む。

 【ただ僕の中身が亡くなってもね、】

 【別の誰かが着ることによって、】

 【僕っていう存在は、】

 【永遠に生きることが出来るっていう、】

 【なんというか不老不死だよね。】

 「人間はそれが出来ないものねぇ。」


 着ぐるみは中身の人間さえ変えればずっと元気に動き回ることが出来る。でも人間は着ぐるみではないのでそれが出来ない。じゃあ自分たち人間を動かしている動力は何だろう、自分は何をもって自分なのだろうか? 魂か? そんな非科学的なものではないな、じゃあ脳だろうか? 脳さえ別の器を用意すれば吉岡陽菜という人格はいつまでも生きていられるのか、だとしたら人間の躰は脆弱過ぎるのかもしれない。それこそ人工的に作った人型アンドロイドに脳を搭載すればいつまでも生きていられるではないか、陽菜は突飛な発想に自嘲した。理想の自殺から、いつの間にか長生きすることに話がすり替わっている。そもそもの話、脳を別の容器に映してまで自分は長生きをしたいとは思っていない。ただ自分の生命活動が終わるときになるべく苦しまず、安らかに逝きたいだけだ。きっとそういう方法が生み出されると人はこぞって群がるだろう。それだけこの世の中は生き難くなっている。苦しくても生きている辛さから解放されるのならその痛みや苦しみに耐えられると思い切った者が自らの命を捨てるのだろう、自分にはまだ無理だなと陽菜は思う。


 【でもよかったね。】

 「良かったって?」

 陽菜は小首を傾げた。

 【だって 元カレは亡くなったんでしょう?】

 【だったら君がもう、】

 【ストーカーに悩まされることは、】

 【無くなったってことじゃない?】

 「ああ、そうか、そうだよねぇ………。」

 【これで同居生活も、】

 【解消だね。】

 「あ………そうか………。」

 陽菜はすっかり失念していた。確かにクマとの同居はいつ再び襲撃してくるかもしれない慶悟から身を守るための措置だった。しかし、その脅威である慶悟が死んだ今、クマと同居を続ける理由は無くなった、というわけだ。自分としては意外と悪くない生活だと思っていたけれど彼はそうではなかったのだろうか、と考えると少し寂しい気持ちになった。

 「なんか嬉しそうだね?」

 【え?】

 「同居生活が解消されてせいせいしたみたいな顔をしてる。」

 クマが必死で両手を振って否定した。

 「もちろんそういう契約だってことは私だって知っているよ、知っているけれどさぁ、そこは名残惜しいような気持ちを見せて欲しいじゃん。」

 【僕も楽しかったよ。】

 【スリリングだった。】

 【もちろん名残惜しいとは思う。】

 「うん、そうだよね。」

 半強制的に近い感想を述べさせて陽菜は頷く。自分としてはこのまま奇妙な同居生活を続けてもいいと思っていた。

 【でもケジメは必要なんだよ。】

 【ずるずるといつまでも、】

 【他人同士が生活を続けても、】

 【それはきっとお互いのためにならない。】

 「つまり出ていきたいってこと?」

 【出ていきたいのではなくて、】

 【出ていくべきなのだと思う。】

 陽菜は頷く。二週間近く一緒に暮らして自分は情が沸いたつもりでいたけれどクマはそうではなかったらしい。


 「でもまだ結論を出すのは早いと思うんだけれど? だって真っ黒こげの遺体が本当に慶悟だって決まったわけじゃないし。」

 【そうなの?】

 「うん、遺体の損壊が激しいらしくて詳しい結果が出るまで時間が掛かるんだって。」

 陽菜は完全に出まかせを言っていた。そんな話を濱崎や志村からは聞かされてはいない。

 【何を根拠に警察は、】

 【その死体が、】

 【君の元カレだと判断したんだろう?】

 「状況証拠っていうの? 現場にあった指紋とか、遺書が残っていたからじゃない?」

 【遺書があったんだ?】

 「うん、ずっと君を見ているってさ。」

 【ホラーだね。】

 「私もそう思った。死んでまで周りにいたらそれはもう怖すぎだよね。本気で塩を持ち歩こうかなって考えているくらい。」

 陽菜は食卓の上の食塩の小瓶を手に取った。

 「しかもよりによって辺鄙なところで死んじゃったから私、犯人と思われている節もあるんだよね。」

 【辺鄙なところ?】

 「六甲の山の上にある保養所みたいなところ。あんなところ車がないと行けないし、車があっても山道の運転なんて私には無理だから。」

 【そうなんだ………。】

 「うん、まあでもきちんと言ったよ。運転は出来るけれど最近は乗っていませんって。だって本当のことだもん。」

 クマは心ここにあらずのように暫く動かなかった。数十秒経ってからスマホを操作する。

 【君のアリバイは、】 

 【いざとなったら僕が証明してみせるから。】

 「ありがとう、半分だけ期待しておく。」

 陽菜は笑う。

 【とりあえず同居解消は、】

 【きちんとした答が警察から聞けるまでは、】

 【延期にしておこうか。】

 「そうだよ、絶対にそれが良いと思う。」

 陽菜は心のモヤモヤが少しだけ晴れたような気がした。これは多分だけれどきっとクマのことを好きになりつつあるのかもしれないな、と思った。

 「でもさ、前に話してくれたことあったでしょう? 逃げる場所は田舎より都会の方が見つかりにくいって話。」

 【確かにしたね。】

 【それがどうかしたの?】

 「なんで慶悟は山の奥の廃墟になんか隠れていたんだろうって刑事さんから話を聞いて思った。田舎って逆に目立つんだよね?」

 【うん】

 「実際にさ、慶悟の死体を発見したのも近所の人だっていうし、その人はちょっと警戒していたんだって。見知らぬ人が最近、うろちょろしているって。」

 【廃墟とかは心霊スポットとして、】

 【ネットで取り上げられたりすることもあるからね。】

 「そうそう多分ね、ご近所さんもそれを警戒していたんだと思う。」

 【あと路上生活者が雨風を避けるために、】

 【住みつくこともあるらしい。】

 「確かに自分も同じ立場なら雨風をしのげる場所は探すかも。けれど心霊スポットはやだなぁ………、ああでも背に腹は代えられないのか………、でも怖いよなぁ。」

 【彼は車を持っていたの?】

 「車? マイカー? いやデートの時にわざわざレンタカーを借りてくれたから持っていなかったんじゃないかな。ほら維持費とか結構掛かるのでしょう? でもなんで?」

 【そこを拠点として活動するのなら車を持っていたのかな、って思った。】

 「確かに大変だよね。何回かドライブデートで行ったことがあるけれど往復だけでも時間はかかるんじゃないかな。」

 【ストーカーするには、】

 【非効率な立地。】

 「確かに。」


 効率を考えるストーカーって存在がおかしくて陽菜は笑った。そして中学生のころ、アイドルの追っかけをしていた同級生が言っていたことを思い出す。一人暮らし出来るようになったら東京に行く、と彼女は言っていた。芸能人を追っかけるには東京は最適な場所らしい。芸能事務所は多いし、テレビ局も多い。今でもまだテレビ業界は東京が主流である。ファン活動の効率を考えた上での発言だった。ただ当時、彼女が夢中だったアイドルグループは陽菜たちが中学校を卒業するのを待たずして不祥事がもとで解散をした。今、彼女はどこにいて何を追いかけているのだろうか、陽菜は狩猟犬の姿を想像した。

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