第15話

 「え? じゃあ今も鞄の中にGPSが仕込まれているってこと?」

  二階堂が驚いた後で急に声を潜めた。

 「なんで?」

 「まあ支配下にあると思わせておいた方が油断するだろうっていう判断からですね。」

 「ああ、つまり俺にはお前の行動は筒抜けだぜ、って感じ?」

 「そういうことです。まあ実際に平日は自宅と職場の往復くらいだし、たまに先輩に付き合って仕事終わりに飲みにいくくらいですから。」

 「随分と悠長ですこと………、じゃあ今日はどうするの?」

 二階堂は心配そうに言った。二階堂主催の四井を含めた一対二の飲み会が仕事終わりに予定として入っていた。彼女はその飲み会が中止になるのではないかと危惧しているのだろう。

 「ご迷惑になるかもしれないからとは思ったんですけど あまりに変化のない生活も逆に怪しまれるだろう、って思ったし、その辺の対策は万全です。」

 「帰りが遅くなれば駅からタクシーを使えばいいだけですから。」

 それは嘘だった。タクシーを使う気などさらさらなく いつも通りクマに迎えにきてもらう予定になっているのだが それを二階堂に正直に言うと面倒なことになるので そう言っておく。

 「吉岡が寄り道をしていることを知って飲み会の店に乗り込んでくるパターンもあるんじゃない?」

 「流石にそれはないと思いますよ。仮にも警察に追われている人ですから。」

 「でも来たら来たで私ががつんと言うよ。あんた、振られたのに男らしくないって。」

 「はは、それで解決したら一番なんですけどね。」

 陽菜は笑った。


 「でも実際GPSで監視されるのって怖くない?」

 「まあ怖いといえば怖いですけど 別に監視されて困るようなことはありませんからね。そりゃあ盗聴器とか仕掛けられていたら怖いですけど。」

 「そのGPSタグに盗聴機能がついていたら?」

 「市販されているタグですし、ホームページを調べてもそんな機能はついていませんでしたよ。それに盗聴器って近くまでいかないと音は拾えないんでしょう?」

 二階堂が心配している点については昨晩の時点でクマが調べてくれていた。仕事上、そういう盗聴器を扱うこともあったので詳しいという知り合いにも聞いてくれた。

 「じゃあここでの会話が盗聴されている心配もなし?」

 「そもそも鞄はロッカーの中ですから。盗聴されていても何も聞こえないと思います。」

 「なるほど。」

 二階堂は納得したのか頷く。

 「そうだ、灰島ノドカって知っている?」

 「灰島………?」

 陽菜は聞いたことのない名前に首を捻る。新入社員でも入ってきたのだろうか、それとも芸能人という可能性も考えた。

 「ノドカ。」

 二階堂が念を押すように言う。

 「イラストレータ? アーティスト? どっちかよくわからないんだけれど まあ割と有名人らしいのだけれど。ほらちょっと前に吉岡、着ぐるみのクマと会ったって言っていたでしょう?」

 「ええ。」

 実はそのクマとルームシェアをしているとは言えなくて陽菜はポーカーフェイスを決め込む。しかし灰島ノドカと着ぐるみのクマにどういうつながりがあるのだろう。

 「そのクマがどうかしたのですか?」

 「それって灰島ノドカなんじゃない?」

 「どういう意味ですか?」

 まったくもって理解できないでいた。なぜ着ぐるみのクマと灰島ノドカがイコールで結ばれるのかその過程が全然、説明できていない。算数のテストなら途中式を書かずに 答だけ殴り書きしているようなものだ。きっと部分点ももらえないだろう。

 「朝のニュースでね。灰島ノドカのことをやっていたんだよ。それでね、観てびっくりだよ、灰島ノドカってね。顔出しNGなんだって。」

 「最近はそういう人も多いのではないですか?」

 「うん。まあそうだよね、芸能人とかはさ、その容姿自体が広告にもなるわけだし、本人の承認欲求的なものもあるから顔を出すけれどさ、アーティストとかは自分ではなく才能や作品の方を認めてもらいたい、って人も多いから顔出しをしない人もいるんだろうね。あと有名になったら気軽にパチンコも打てなくなるし、立ち読みとかしていても微妙じゃない?」

 「それは本人の自由だから犯罪以外ならOKなのでは?」

 陽菜は言う。二階堂の口からパチンコという言葉が出てくるのが驚きだった。パチンコをするのではなく打つという単語を使ったところに経験が滲み出ているような気がした。

 「まあ、そういうのは隅にでも置いておくとしてね。」

 二階堂は両手で空想上の箱を挟んで横に移動させる動きをした。

 「その灰島ノドカってイラストレータはね、ホームページを開設しているのだけれど 著者近影とかあるでしょう? ああいう写真に着ぐるみを着た姿で写っていたんだよ。」

 「それがクマなのですか?」

 陽菜は聞く。

 「うん、クマ。あ、でもどちらかというと白熊? いやパンダに配色は近いかも。」

 「パンダならクマではないじゃないですか?」

 陽菜は吹き出す。

 「でもパンダも漢字表記なら大熊猫って書くわけで文字にクマが入っているし。」

 「私が見たのはパンダではなくて茶色のクマでしたよ。」

 「何体もいるのかもしれないじゃん。」

 「確かに。」

 二階堂の言葉に陽菜は納得した。クマはレンタル倉庫を借りてそこで私物を保管していると言っていた。もしかしたら陽菜に見せているクマの姿はその一つであるという可能性は否定できない。 

 「じゃあそのクマが灰島ノドカだというわけですね?」

 「そうそう。」

 自分の説を陽菜が受け入れてくれたことに満足したのか二階堂はスマホを取り出す。

 「ちなみにこれが灰島ノドカね、いや灰島ノドカが着ている着ぐるみというのが正しいのかな………。」

 二階堂が見せてくれたスマホの画面には笹を持った着ぐるみのパンダが写っていた。

 「メディアの取材を受けるときは基本的にこの姿なんだって。」

 「これだったら本人じゃなくてもいいような気もしますね。」

 「確かにアリバイ工作とかには便利じゃない?」

 二階堂が言った。

 「アリバイ工作って?」

 「誰かにこの恰好をさせて公の場にいさせればさぁ、その間に自分は浮気とかし放題じゃない? 問い詰められても目撃者が多いわけだし。」

 「ああ、なるほど。」

 陽菜は頷く。確かにそうかもしれない。ただ付き合う相手も馬鹿ではないのだから そういう可能性を疑ってかかるのではないだろうか、とも思った。

 「でね、でね、本題はここからなんだけれど 吉岡はそのクマにそのあと会った? 危ないところ助けてもらったのでしょう?」

 「いや、それからは………。」

 陽菜は首を振る。

 「会いたいんですか?」

 「会いたいというか絵を描いて欲しいなって思ったわけ。だって新進気鋭の若手イラストレータなんだよ? 描いてもらっていたら価値爆上がり必然じゃん?」

 「ああ、なるほど。」

 しかし、それはクマの中身が灰島ノドカ本人であった場合の話だ。まったく違う人間である可能性だってある。人違いならぬクマ違いである。

 「でも灰島ノドカと決まったわけではありませんし。」

 「いや、絶対、灰島ノドカだよ、そのクマは。」

 二階堂は決めつけたように言った。

 「世の中は広いけれどね、テーマパークじゃあるまいし、普段から着ぐるみを着ているような奴なんて一人しかいないでしょう。」

 陽菜は否定できずにいた。

 「それにね、今、灰島ノドカって行方不明なんだってさ。」

 「行方不明なんですか?」

 陽菜は驚く。

 「そんな目立った格好をしているのに行方不明? みんなどこに目をつけているんでしょうか?」

 「いや、着ぐるみを脱げば一般人に溶け込むのだって簡単じゃない。」

 「だったら矛盾していませんか? 私を助けてくれたクマの存在って。」

 「ああ、そうか逆に目立つか………。」

 「自分の意志で姿を消していながら クマの着ぐるみでうろちょろするなんて とんだ自意識過剰野郎じゃないですか。」

 「確かにそうだね………、じゃあそのクマは灰島ノドカではないのか………。じゃあ、灰島ノドカはどこに行って そのクマは何者だったわけ?」

 「私に聞かれても………。」

 陽菜は苦笑を浮かべて目の前で鳴った外線の応対に回った。似たような恰好をした灰島ノドカと同居人のクマ、何か繋がりでもあるのだろうか、クマに質問をぶつけてみるのも面白いな、とは思った。

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