第11話

【駅前の薬局で仕事をしています。】

 【仕事終わりで良いのなら。】

 どうやらクマはこの間のドラッグストアで客寄せとして働いているらしい。陽菜は着替える前に返信をした。

 【19時前になりますが大丈夫でしょうか?】

 18時まで就業してそこから帰り支度、着替え、電車に乗るとなるとどうしても自宅最寄り駅に到着するのはそれくらいになる。こちらから相談を持ち掛けておいて待たせるのは流石に気が引けたが クマからの返事で陽菜の心配は杞憂に終わった。

 【大丈夫ですよ、一度、着替えを取りに帰りますので。】 

 【僕もそれくらいになると思います。】


 着替えを取りに帰る場所があるのだな、と陽菜は思った。確か以前、聞いた話では一緒に暮らしていた彼女に家を追い出されたと聞いていたけれど 寄りを戻したのだろうか、電車の中でいろいろと考える。もしそうなのだとしたら これから自分が頼もうとしていることはとても迷惑なのではないだろうか、とさえ思った。

 どうしよう、相談自体を止めようか、でも他に解決方法ってあるのかな、と考えているうちに駅に着く。改札を抜けるとバスロータリーで首からドラッグストアの看板を掛けて立っているクマがいた。手には赤い風船を持っている。

 陽菜はクマに向かって右手を軽く挙げた。

 クマも陽菜に気づいて陽気に左手を振った。

 「仕事中なの?」

 陽菜は尋ねる。LINEでは仕事を終えて荷物を取りに帰ると言っていたはずだ。

 クマは頭を左右に振った。

 【完全プライベート。】

 【擬態して待ち合わせ、】

 【じゃないと通報されちゃう。】

 身震いするようにクマは自分を抱きしめながら上下に動いた。

 「ああ、なるほど。」

 陽菜は納得する。確かにこれならば誰もが仕事中だと思うだろう。警察だって不審には思わないはずだ。ただそのドラッグストアは時間的にもう閉店している、という点を除けば、の話だけれど。

 【相談って何でしょう?】

 「ああ………。」

 陽菜は躊躇った。もし本当にクマが彼女と寄りを戻したのなら 自分が個人的に駅から自宅までの警護を兼ねての送り迎えをお願いして また仲がこじれる様なことになれば面倒くさいからだ。


 【もしかして例のカレのこと?】

 クマは大きな頭を左に軽く倒した。

 「うん、まあそうなんだけれど………。」

 【もしかしてまだ捕まっていない?】

 「うん………、刑事さんが動いてくれたんだけれど自宅には帰っていないって。」

 【それは怖いね。】 

 【家まで送ろうか?】

 「迷惑じゃない? 彼女と寄りを戻したばかりなのでしょう?」

 陽菜の言葉に クマは肘から手を挙げた。その拍子に掴んでいた赤い風船が宙に解き放たれていく。

 「あ………。」

 陽菜は風船を目で追った。夜空に吸い込まれるように時々、風に煽られてふらふらと飛んでいく風船は建物の陰に隠れて見えなくなる。

 【寄りを戻してなんかいないよ。】

 「でも、荷物を取りにいくって………。」

 【レンタル倉庫に私物を置いているんだ。】

 「そうなんだ………。」

 【便利だよ、レンタル倉庫。】 

 【いざってとき雨風くらいは凌げるし、】

 「寝泊まりしていいの?」

 【ダメ。】

 【空調も何もないから夏場とか地獄じゃない?】

 【密航者気分。】

 「笑えない………。」

 【だから遠慮しなくて良いですよ。】

 「じゃあお言葉に甘えて。」

 陽菜とクマはマンションに向かって歩き出す。不思議な光景だと陽菜は思った。きっと傍からみても奇妙な光景だろうと思う。人間とクマが小さな川沿いの道を虫の音を聞きながら歩く。交差点に差し掛かるたびに陽菜は一瞬だけ歩みを止めた。あの角から慶悟の手がまた伸びてくるのではないかというフラッシュバック。一人ならきっと悲鳴をあげていたかもしれない。でも、今はクマが傍にいる。着ぐるみを着た変わった人間だけれどそれでも今は心強かった。


 「何か話をしてくれる?」

 【桃太郎とか赤ずきんちゃん?】

 「そうじゃなくて普通の会話。」

 【目の前に出されると死んでしまうから食べられない食べ物って何かわかる?】

 「なぞなぞ?」

 【うん。】

 【オリジナルだよ。】

 「なぞなぞって苦手なんだよね………。」

 【ハハハ。】

 「ちょっとわかんないかも。」

 【少しは考えてみてよ。】

 「恋バナにしよう、恋バナ」

 【恋バナって誰の?】

 「もちろん君か私。」

 【お互いの傷口にキムチの汁を塗るのと同じ行為じゃない?】

 「まだ痛むんだ?」

 【痛まない………かな………。】

 【過去を振り返るよりも未来だけを見ていたい派。】

 「超前向きだね。」

 陽菜は拍手をして賞賛した。自分はどうだろう、別れると決めるまでは悩むタイプだろうか、情が入るとやはり躊躇してしまうこともあった。


 「元カノはどんな人だったの?」

 すっと返信をするクマにしては珍しく指がスマホの上を滑り動くまで七歩くらい進んだ。

 【良い子。】

 「ふーん。」

 当たり障りのない回答だった。そんな答を聞きたいわけじゃないのだけれどな、陽菜は思ったが 誰にだって話したくない話の一つや二つはあるだろうし、別れた恋人のことを悪く言う人間は男女問わず苦手だった。

 「良い子なのに別れたんだ。」

 【僕に決定権はなかったからね。】

 「出会いは?」

 【学生のとき 居酒屋で知り合った。】

 「合コン?」

 【まあそんなところ。】

 「その時もクマの着ぐるみを着ていたの?」

 【まさか。】

 クマは頭を振った。

 「じゃあ君の素顔を知っているわけだ。」

 【当然でしょう、付き合っていたんだから、】

 【それに別に素顔を晒すのはNGではないよ。】

 【ドラッグストアの店長だって知っているよ。履歴書もきちんと提出したしね。】

 【なんなら本名だって知っているくらい。】

 「私は知らないけれど?」


 【知りたいの?】

 クマは立ち止まり 陽菜と見つめ合った。興味がないといえば嘘になるけれど だからといってどうしても知りたいかと聞かれれば答に窮する。ぬいぐるみに話しかけたことが過去にあった。もちろんぬいぐるみは答えない。相談しても何の解決もしてくれない。ただ黙ってこちらの話を聞くだけだ。けれど今、目の前にいる着ぐるみのクマは話しかければ筆談だけれど会話をしてくれる。自我に目覚めたぬいぐるみという存在に近いのかもしれない、と陽菜は思う。だったらそれで良いのではないだろうか、中身がどうだろうと関係はない。クマはクマだ。

 「ううん、別に。」

 陽菜は首を振った。

 「私の前ではクマのままでいてください。」

 クマは両手で大きく丸を作った。

 【僕も質問していい?】

 「まあそうだよね、私ばかり質問というのもずるいよね。良いでしょう、質問を認めましょう。ただし黙秘権を使うこともあります。」

 【ズルいなぁ、後出しだ。】

 【僕も黙秘権を要求します。】

 「一人二回までね。同じ質問は無しというルールで。」

 【オッケー。】

 【じゃあ聞くね。】

 【元カレとどうして別れたの?】

 「束縛が異常だったからかな。貴方は? 貴方は束縛をする方?」

 【無関心過ぎて怒られるタイプだね。】

 クマはゆっくりと大きく頷いた。

 「不安にさせるタイプだ。」

 【実際に言われたことがあるよ。】

 【でもね、束縛し過ぎても嫌われるし、】

 【放っておき過ぎても嫌われるし、】

 【加減が難しくない?】

 「かまって欲しいときと そっとしておいて欲しいときって誰にだってあるでしょう?バランスが大事なんだよ、何事も。」

 【それを見極めないといけない?】 

 「まあ一朝一夕に身に着くものではないよね。お互いに信頼関係があってこそだと思う。」

 【僕は信頼し過ぎて 君の彼は信頼しなさ過ぎた?】

 「元カレね。」

 陽菜の言葉にクマは頷いた。

 【男女の関係って綱渡りだなぁ。】

 「綱渡り?」

 【バランスが大事ってこと。】

 「それ私の言ったことでしょう?」

 そういいながら 自分は二階堂に言われたんだっけと陽菜は思い出す。

 「男女だけでなく 人間関係全般に言えることだよね。」

 クマはまた頷く。

 「でもそのバランス感覚だって 苦い経験をしないと身につかないものだよね。」

 【そうそう。】

 【いろいろな人間の中に放り込まれて、】

 【こすって摩擦が起きて、】

 【やっと磨かれるものだと思う。】

 「そういう経験もあるんだ?」

 【学校でもバイト先でもどこでも経験出来るよ。】

 【君だってそうでしょう?】

 「まあ、そうだね。」

 他人に期待して裏切られて失望することなんて生きていれば山のようにあるのだけれど 結局、期待するのも 裏切られたと思うのも自分のせいなのだ、最後の最後に信じられるのは自分だけと気づくのにある程度の時間はかかる。

 誰かと一緒にいるという安心感なのか、それとも話が弾んだのか、そのどちらなのかもしれないけれど十分近く歩いて帰る距離がとても短く思えた。結局、二回までと決めた黙秘権を使うこともないまま陽菜とクマは好き勝手に話してマンション前に到着した。


 「ありがとう。」

 陽菜はクマにお辞儀をする。

 【いえ、前に泊めていただいた恩を返しただけだよ。】

 「うん、そうだとしても心強かった。」

 【元カレが捕まるまで毎日送ろうか?】

 「え?」

 自分がお願いしようとしていたことをクマから申し出てくれて陽菜は驚く。

 【怖いんでしょう?】

 【見ず知らずのクマにお願いしなきゃいけないくらい。】

 「もう見ず知らずではないのだけれど。」

 【でも君の相談ってそれじゃなかったの?】

 「うん、まあそうだね………。」

 陽菜は苦笑いを浮かべた。

 「でも迷惑じゃない? ちょっとそれは申し訳ない気がしてきた。」

 【じゃあビジネス契約する?笑】

 【仕事なら気を遣う必要もなくなるのでは?】

 「安月給なんだよね。」

 陽菜は金銭事情を素直に打ち明ける。贅沢せずにいれば一人で暮らしていくにはまあ大丈夫なくらいの収入しかなく 人を雇うとなると生活に余裕がなくなる、それが悩みの種だった。

 【じゃあしばらくの間 僕を野良ペットとして飼うっていうのはどう?】

 「ペット?」

 【うん。飼い主の送迎が出来る野良ペット。ペットとしてはかなり優秀じゃない?】

 【もちろんペットだから食費はかかるよ。】

 【でもそれだけ】

 「ペットか………、でもうちのマンションってペット不可なんだよね。」

 【実際に飼うわけじゃないよ。】

 【人間に慣れている野良の猫とか犬とかいるでしょう?】

 【あれと同じ感じ。】

 「うーん………。」

 陽菜は唸った。クマは自分を野良犬、猫みたいに言って 自分に気を使っている。しかし大人の男性をペット呼ばわりするのはどうかと思っていた。


 「ペットとしてではなく 大きなぬいぐるみとしてだったら大丈夫かも。」

 【ぬいぐるみ?】

 「うん。等身大のぬいぐるみって憧れではあったんだよね。それならばペット不可のルールにも抵触しないと思う。一緒に住んでくれた方が何かと安心だったりするし。」

 陽菜は真面目に言ったつもりだった。しかしクマはそれがツボに入ったのか、不意に吹き出して笑った。

 「あ、笑った。」

 被り物をしているので曇って聞こえたけれど同年代の男性の笑い声だった。

 【変わり者って言われたことない?】

 「ある。」

 陽菜は二階堂に言われたことを思い出した。自分は真剣に考えたつもりなのに笑われて心外だったし、どこが変わり者なのだろうとも思った。

 【でも流石にまずくないかな?】

 【年頃の女性宅に着ぐるみのクマが住むのって。】

 「ルールを決めれば問題はないと思うけれど? 男女でシェアハウスというのも最近では珍しくもないし。」

 【シェアハウスという考えはありかも。】

 【ちなみにどんなルール?】 

 「例えばそうだな、私と一緒に部屋にいる間は絶対にその着ぐるみを脱がない、あくまでも等身大のぬいぐるみとして生活する、とか。」

 【難しいことではないね。】

 【他には?】

 「そうだなぁ、寝る場所、お風呂は提供するけれど 食事は自己負担というのは?」

 【それは逆に有難いね。】

 【すべてが保証されたら気を使ってしまうもの。】

 【他は?】

 「貴方にしてもらいたい基本的な仕事はお迎えだけ。あとは自由。」

 【その点について確認したいのだけれど。】

 【その時は クマでいた方がいい?】

 「ほかに着ぐるみのパターンがあるの?」

 【それはない。】

 クマは右手を振った。

 【ただこの恰好で君を迎えに行ったら目立ち過ぎると思う。】

 「それもそうだね。じゃあそれは着ないで迎えにくるってこと?」

 【君に正体を晒すのもどうかと思うから、】 

 【つかず離れずの距離で歩くっていうのはどうだろう?】

 「なるほど妙案だね。」

 振り返って正体を見てみたくなる衝動を抑えるのは大変だろうな、と陽菜は思う。でも確かに彼の言うことはもっともだ。ボディガードが警察に職務質問された上に連行されれば何のための警護かわからなくなる。

 「ほかの細かいルールに関してはちょっとずつ考えるとして いつからシェアハウスを始めればいい?」

 【君さえよければ今晩からでも僕は平気。】 

 自分でシェアハウスを提案したものの 相手から今からでも、と返事されると 心の準備が追い付いていない自分に陽菜は気づく。それを表面上に出さないように努めながら こういうのって最初の勢いがプルバックカーと一緒で大事だよね、と思った。

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