第3話
「あ………。」
駅前のドラッグストアの前で昨日会ったクマを見かけて陽菜は思わず声を出した。ドラッグストアのプラカードを片手に通行人に宣伝活動を行っていた。なるほどこの店で働いているのか、と思いながら近くの商業施設内のネイルサロンへと入った。
一時間ほどして再びドラッグストアの前を通ると シャッタは地面近くまで降ろされており その隙間からは明かりは漏れているものの クマの姿はどこにもなかった。
信号待ち、明かりの消えたショウウィンドウに視線を向ける。映り込む自分の姿と通りを挟んだ向かい側に慶悟らしき人影が見えた。こちらを見ているのが分かった。気づく素振りなどせずに まっすぐに自宅へと進む。ネイルサロンに立ち寄ることなど彼は知らないはずなのに ここにいるということはおそらくネイルサロンに入る前から自分をつけていて ずっと張り込みをしていたのだろう、それが自然な考えだ。スマホに予定を入れてはいるがそれを彼が覗き見したとは考えたくもなかったし、それは明らかに逸脱しすぎだと思った。真相を問いただしたかったが話しかけるのは相手を調子づかせる、と二階堂も言っていたので我慢をする。それにしても何をするわけでもなく待っているのは他人事ながら ご苦労様と言いたい。刑事や探偵がターゲットを張り込むのは仕事だ、それに見合った収入を彼らは得ている。タクシー運転手が乗客を待つのも仕事の内だ。乗客を乗せることが出来れば収入を得ることが出来る。しかし、慶悟は私を待つことで何を得られるのだろう、もっと有効的な時間の使い方があるのではないか、と陽菜は思う。今、彼を動かしているのは執着という感情なのだろう。執着心の厄介なところは本人がその心に振り回されることだ。慶悟もきっと辞め時がわからないまま今日もこうして自分の後をつけて歩いているのだな、と陽菜は可哀そうに思った。
自宅マンション近くの公園、その中にある四阿で大きな頭が動いているのが見えた。丸い大福餅のような形の頭。その頭の上にはさらに小さな丸い物体が二つ、均等に分かれて載っていた。おそらくあれは耳だ。あの着ぐるみのクマが公園にいる、陽菜は自分でも不思議だったが 公園に足を踏み入れてクマに近づいていた。
「こんばんは。」
陽菜は背後から声を掛ける。四阿の中で寛いでいたクマが突然、話しかけられて躰をびくつかせた。自然界の熊もどちらかといえば怖がりらしい。ハイカーなどは熊除けの鈴を持って歩くこともあるそうだ。役作りは完璧だな、と陽菜は思う。
クマがゆっくりと振り返った。その大きな頭についている二つの眼で彼女を捉えると少し上を向いた。それはきっとクマの中の人物が視界の確保をクマの口で行っているからだと彼女は思った。
クマが陽菜を右手で指差した。
「そうそう昨日の晩、マンション前で会った人です。」
陽菜は言う。
クマは立ち上がると深々とお辞儀をした。昨日の晩御飯のお礼のつもりだろう。
「ここで何をしているの?」
質問をしながら陽菜は四阿の中のベンチの上を見た。コンビニのレジ袋に入ったお弁当とお茶の入ったペットボトルが置かれていた。晩御飯をここで食べようとしているらしい。
クマも左手で弁当を持つ振りをして右手を箸のように口元に何回か運んだ。
「家で食べないの?」
陽菜の疑問にクマは首を横に振った。それは単に家で食べません、という意味なのか、それとも別の意味があるのか、それだけでは理解出来なかった。
「もしかして家が無い?」
彼女の質問にクマは手を叩く。家が無いことをこんなに喜ばしそうに発表するのを見たことがなかった。
「どうして?」
クマは右手で丸を作ったあとで 両手でバツを作った。つまりお金がなくて家を追い出されたということだろう。
「喋ることが出来ない理由でもあるの?」
陽菜の顔をクマは間の抜けた表情でじっと見つめるだけだった。そして首を右に傾けたかと思うと小刻みに左右に振る。
「筆談ならOK?」
クマは頷く。
「LINE出来る?」
クマが躰に斜めにかけている赤いポシェットからスマホを取り出した。そしてLINEを立ち上げて QRコードを表示させた。陽菜はそれを自分のスマホで読み取る。画面にクマという名前と目の前のクマの顔のアイコンが表示された。
「君が喋らない理由は何?」
陽菜は口頭で質問をする。するとクマが目の前で自分のスマホを慣れた手つきでフリック入力した。すぐに陽菜のスマホに彼の返答が入ってくる。
【これを着ている時、ボクはクマになりきっているから。】
「プロ意識が高いというわけね?」
陽菜の言葉にクマは大きく頷いた。
【家はない。元々、彼女と一緒に暮らしていたんだけれど。】
【別れて、追い出された。】
クマは肩を竦める仕草をした。
「それは私服?」
【まさか笑】
【仕事着だよ】
「仕事は何をしているの?」
【その場しのぎでいろいろなこと。もちろん犯罪とかはしないけれど。】
「今日、ドラッグストアで働いていなかった?」
【うん。お金が無くてね、自分から売り込みに行ったら まさかの採用。食べる分は確保できたよ。】
クマはお弁当を指差す。
「その恰好で買いに行ったの?」
【まさか笑。頭はきちんととって店に入ったよ。】
【押し込み強盗と間違われるでしょう?】
「着ぐるみ強盗っていないと思うけれど。」
陽菜はそのシーンを想像してくすりと笑った。追い出された割には手荷物が少ないな、四阿を見まわして思った。
「そのクマってなにかのキャラクタ?」
【いや、学生のときに卒業制作で作ったやつ、オリジナル。】
【自分で作るとね、愛着がわいて、】
【これを使って仕事が出来ないかなって】
「それで今に至るってこと?」
【そう。】
【そろそろご飯を食べてもいい?】
【お腹ペコペコなんだ。】
「あ、ごめんなさい。私がここにいたら食べられないんだね。」
【うん。着ぐるみの中には人はいないんだ。】
【夢を壊しちゃいけないからね。】
【だから貴女の前ではこれは脱げない。ごめんね。】
クマは両手を合わせて頭を縦に一度動かした。
頭をとって買い物にはいかなかったっけ、と陽菜は思った。それはセーフなのだろうか、気になったが食事を摂りたいという彼の希望を優先して それ以上の質問はやめて その場を離れることにした。
反対方向の出入り口から陽菜は公園を抜ける。慶悟の気配がしたからだ。
自宅へとたどり着き、食事を済ませ、お風呂にも入ってからソファで寛いでいると窓の外で雷が光るのが見えた。雨が降るらしい。
ふいにクマのことが過った。家を追い出された彼は今、どこで寝泊まりをしているのだろうか、まさか公園で寝泊まりをしているわけではないだろうな、気になった。
部屋着にサンダルで自宅を出る。すでに雨が降っていた。叩きつけるような激しい雨だった。共用廊下まですでに濡れていた。エレベータで降りて雨の中、クマと会った公園へと向かう。サンダルがすぐに濡れて素足が気持ち悪かった。
両手で傘を持ちながら到着した公園の四阿には誰の姿もなかった。
まあ、そうだよな………、陽菜は息を吐いた。
自分はいったい何がしたかったのだろう、もしここにあのクマがまだいたなら どうしていたのだろう、自宅に招き入れるつもりだったのだろうか、自分でもどうしてこんなことをしたのかわからなかった。多分、家を追い出されたという話に同情しただけなのだろうけれど 雨の降りしきる中、わざわざずぶ濡れになって探しにくるか、馬鹿な自分を嘲笑った。
あ、LINE出来たっけ………、陽菜はクマとLINEで繋がっていたことを失念していた。とりあえず雨降っているけれど大丈夫、とだけ世間話のつもりで送っておく。しかしいつまで経っても既読はつかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます