第3話 二番目

 スナックのママさんにだけは、以前自分が願いが叶う神社の存在を信じていて、探していたことを話していた。ママさんは黙って聞いていたが、別にバカにしている様子なかったが、あまりにも冷静だったので、どこまでなつみの話を信じているのか、疑問でもあった。

 ただ、最初に感じていたよりも、ママさんは現実的なところが多いので、次第に会話も疎遠になってきた、スナックでの話題としては面白いものではあったが、相手がどこまで真剣に聞いているか怪しいものだった。話をすればするほど、相手が軽くしか聞いていないことが分かってくる。そう思うと、なかなか話題にもできなかったのだ、

「なつみちゃんは、面白い娘だね」

 と言われると、その言葉があまりにも曖昧に聞こえ、話をまともに聞いていないことを示していた。そんな言われ方をすると、

「それ以上、この話題に触れないでくれ」

 と言われているようで、悲しくなってくる。

 人から曖昧な返事をされることが、どれほど悲しく寂しいことなのかということを、なつみは学生時代に味わっていた。

 ちょうど、大学三年生の頃だっただろうか? 大学に入学して最初に知り合った友達を、なつみは親友だと思っていた。

「ずっと親友でいようね」

 と、知り合った時からずっと言い続けてきた。しかし、それはお互いの気持ちを確かめるために口にしていたことで、逆に言えば、

「口にして確かめないと分からない程度の仲なんじゃないかしら?」

 という疑問が湧いてきてもいいはずなのに、二人ともそのことに気付かずに、いつもどちらからともなく口にしていた。

 要するに、そのことの不自然さにどちらかが気付いた瞬間から、二人の仲に小さくても亀裂が走ることは明白だったのだ。

 お互いに口を開くことをしなくなった。

――他の人が相手であると別に構わないのに、どうして親友の彼女に対して口が利けなくなったのかしら?

 単純に考えれば分かることだった。

――お互いに遠慮してしまうと、距離が近いと思っているだけに、相手に悟られたくないという思いから、相手に気付かれないように、距離を置かなければいけない――

 それがどれほど大変なことなのか、想像するだけで大変だった。

 高校時代までは、思ったことをよく口にしていたが、大学に入ると、なかなか言えなくなってしまった。入学当初は、思ったことを口にしていたが、その頃がピークだったのかも知れない。

 元々中学の頃までは、思ったことを言えずにいた。

 いや、言わなかったと言った方がよかったかも知れない。中学の頃までは、

――私は、まわりの人とは違うんだ――

 という意識が強かった。

 しかし、その反面、

――まわりの人は自分よりも偉いんだ――

 偉いということがどういうことなのか漠然としていたが、自分にできないことをできる人が、自分よりも偉いという、

――偉さの基準――

 を持っていた。

 何よりも、人との会話が一番苦手だったことは、偉さの基準として、自分は致命的だったに違いない。

 高校に入ると、

――どうして中学時代まで人との会話が苦手だと思っていたんだろう?

 と感じるようになった。

 高校一年生の時、声を掛けてきた女の子がいたが、その女の子の口癖が、

「なつみさんになら、何でも話せる気がするの」

 と言っていたことだった。

 その女の子は、他の人とあまり会話はしなかったが、真面目が取り柄というだけの、まわりから見れば、

――面白くない存在――

 だった。

 余計なことを口にしなければいいのだが、つい言わなくてもいいことを言ってしまい、まわりから反感を買っていた。そんな姿を見ていると、

――最初は自分も同じようにならないようにしないといけない――

 と考えたが、自分に対して慕ってくる相手を簡単に突き放すことはできなかった。

 しかし、一緒にいるだけで仲間のように思われることで、なつみはジレンマに陥っていた。彼女と一緒にいると、まわりからしかとされてしまい、浮いてしまうことが目に見えていたからだ。

 だからと言って、彼女を見捨てるわけにはいかない。それをしてしまうと、自分が自分ではなくなる気がしたからだ。

 なつみは、何とか中間にいることを考えた。そうすれば、どちらにも悪い印象を与えないと思ったからだ。

――まるでコウモリみたいだわ――

 鳥に出会えば、自分を鳥だといい、獣に出会えば、自分を獣だと言って、うまく立ち回っているコウモリ。しかし、結局どっちつかずになってしまい、中途半端な存在は、どちらに対してもイメージしか与えない。そのうちにどちらからも相手にされなくなり、宙に浮いた存在になる。そんなコウモリをイメージしていたくせに、実際にジレンマに陥ってしまうと、どちらを選ぶこともできず、結局中間にいて、まわりの同行に合わせるしかなかった。

 要するに自分の気の持ちようで、自分が中途半端な存在ではないということを意識させるしかなかったのだ。

 そのうちに自分がまわりの人と適度な距離を保っていると思っていたことが間違いだと気付いた。それまでは誘われていたことを誘われなくなったり、皆が知っていることを自分だけが知らなかったり、次第に孤立してくるのを感じていた。

――まわりの人が私の悪口を言っている――

 という被害妄想にも陥った時期があった。その時期は、自分でも鬱状態だったことが分かっている。鬱状態というのは、本人が一番強く意識しているものなのに、いつまでも続くとは思っていない。

 鬱状態を意識していると、いつ鬱状態から抜けられるのかということがある程度早い段階で分かってくるようになってきた。最初は、

――私の勘が鋭いからだわ――

 と思っていたが、実際にはもっと単純なものだった。

 それは、鬱状態というのが、期間的にある程度決まっているからだったのだ。

 今まで平均すると、約二週間くらいが鬱状態だった。どんなに長くても、二十日も鬱状態だったということはない。一日という単位を意識していれば、そのうちに抜けてくれるのだ。

 そうは言っても、実際の鬱状態に入りこむと、その度合いによって、その時期を長く感じたり短く感じたりするものだ。深刻な時は長く感じるというのは人間の性のようなもので、辛いことだが、避けて通ることはできないだろう、

 なつみにとって鬱状態は、躁状態との相対関係にあるものではなかった。

 人によっては、躁状態と鬱状態を交互に繰り返す「躁鬱状態」をずっと続けている人もいるが、なつみの場合は、いきなり急に鬱状態に飛び込んでしまっている。飛び込む時の予感もなければ、飛び込んでも最初は自覚のない時もある。しかし、一旦自覚してしまうと、そこから約二週間、鬱状態に入りこむことは分かっていた。そんな時は余計なことをせずに、静かにやり過ごすしかない。その思いが息づいてきたのは、高校の頃からだったように思う。

 その頃にちょうど、

「願いが叶う神社」

 の存在を初めて聞いたような気がした。

 その時はちょうど鬱状態だったので、あまり深く考えないようにしなければいけないと思っていた時期だったので、意識はしても、記憶に留めようという思いはさほどなかった。そのせいなのか、それからしばらくして願いが叶う神社の話を聞いた時、あまり自分に関係のあることだとは思えなかったので、ほとんど意識がなかった。

 それから、忘れた頃に、願いが叶う神社の話を耳にしていた。自分に話しかけられることというよりも、電車の中に乗っていて、他の乗客同士の話が耳に飛び込んできた時の話題が、願いが叶う神社の話だったり、ヒソヒソ話がやけに耳についたので、聞き耳を立てていると、そんな話だったりしていた。

 それでも、その頃は親身になって考えることはなかった。あくまでも他人の噂だったり、自分に関係のないところでの会話だという意識しかなかったのだ。それでも、

――そんなところがあればいいな――

 と思っていたのも事実で、まさか、不倫の末、会社を辞めた後、その場所を探してみる心境になるなど、その頃は思ってもみなかった。

 なつみは、

――自分は人と同じでは嫌だ――

 という思いを持ちながらも、ついつい人のいうことを信じてしまうというところがあった。人と違うという意識は決して他の人よりも自分の方が優れているという優越感ではなく、あくまでも、

――自分は他の人と同等なんだ――

 という思いがあるからだった。

 そういう意味では考え方が中途半端なところがあり、不倫を続けている間でも、

――この人とは違うと思いながらも、少しでも離れてしまい、寂しさが不安を煽ることを嫌ったことで、なかなか離れることができなかったんだわ――

 という意識を、不倫から立ち直って持つようになっていた。

――嵌りこむまでは、なかなか敷居が高いのに、一旦嵌りこんでしまうと、なかなか抜けられないのは、現状維持の意識が強く、状況を変えてしまうことへの恐ろしさが、執着に結びついてしまっているんだわ――

 と思うようになっていた。

 なつみは、藤原と再会の約束をしたわけではない。連絡先をお互いに聞いたわけではないし、藤原も再会にこだわっていたわけではなかった。

 でも、あの日に別れる時、

「それじゃあ、さようなら」

 と、普通に挨拶していた藤原のその言葉に、胸がドキッとしたのも事実だった。

――このまま本当にさようならなの?

 という思いを今さらながらに感じたからだ。

 再会する可能性が高いと思い、近い将来もう一度会えると信じて疑わなかった自分を、時間が経ってからでも思い出すことができる。

――天災は忘れた頃にやってくる――

 と言われるが、藤原との再会も、忘れた頃にあるかも知れないと思うようになった。あまり意識しすぎると、却って疲れてしまう。疲れを感じる必要など、サラサラなかったのだ。

 疲れを意識すると、自然と身体から力が抜けていき、本当に再会することを意識しなくなった。ただ、願いが叶う神社への意識は逆に強まっていて、むしろ藤原と神社の関係の方が、あまり意識しなくなっていた。

 そんな時、なつみは藤原と再会した。最初に声を掛けてきたのは、今回も藤原だった。なつみは、

――どこかで見た覚えのある人がいる――

 と、遠目に見ていたが、目が合った瞬間、

――ああ、あの時ホテルでお会いした藤原さんだわ――

 と、気が付いたのだ。

 初対面で話をした時よりも、表情は少し怖っていた。緊張しているのではないかと思うほどだが、何を今さらなつみに対して緊張する必要があるというのだろう?

 再会したのは、その日スナックはお休みの日で、昼まで寝ていたなつみは、表に出てみようと思ったのが夕方だった。会社勤めしている頃は、休みの日に夕方から表に出ることはほとんどなかった。誰かと待ちあわせをしているのであればまだしも、ブラッと出かけるのに、わざわざ夕方からというのは億劫でしかなかったからだ。

 夕方の風のない時間帯を夕凪というが、その日はだいぶ涼しくなってきた今日この頃にしては珍しく、軽く汗が出てくるほどの暖かさが感じられた頃で、風のないのは少し辛く感じられた。

 しかも、翌日は雨でも降るというのか、湿気が身体にへばりつくようで、歩きにくさも感じていた。

 普段だったら、早歩きで通りすぎるところ、別に急ぐこともないのでゆっくり歩いていると、いつの間にか駅の近くまで来ていて、最初からどこを目指しているのか、ふと忘れてしまっていた。

 目的はなかったが、確かに駅近くまで来て、スーパーかコンビニにでも寄って、何か食べ物でも買おうかと思っていた。

 実際に駅近くまで来ると、スーパーを覗いてみたが、結構人がいるのを見て、さすがに入るのはやめた。子供の頃からの人ごみを嫌う性格が相変わらずだったからだ。

 それにそのスーパーは、昔からある商店街の中にあり、駐輪場が入り口にあるため、入るには、そこを超えなければいけなかった。

 駐輪場には自転車が溢れていて、駐車の仕方もバラバラ、通路にはみ出しているものもあり、入ろうという気が失せてしまうほどだった。そんないい加減な店で何かを買おうなど考えただけでバカバカしかった。

 そんなスーパーを横目に見ながら、自分の最初の目的地だったということすら消し去ってしまいたいほどの光景をあざ笑うかのように立ち去ると、

――コンビニなら、何も駅前まで来ることはなかったんだ――

 と思った。

 確かに家の近くにもコンビニならいくつかはあった。そのうち馴染みの店もあったのだが、せっかく出てきたのだから、少し足を延ばして駅向こうにも行ってみようと思った。いつもならそんなことを考えることもないのに、どうした風の吹き回しだというのだろう?

 駅向こうまで歩いてくると、そこに見えるのは公園だった。公園の存在は知っていたが、

わざわざこっちまで来ることはほとんどなかったので、懐かしいという印象はまったくなかった。ただ、公園は駅て前にもあり、いつもその横を通って会社に通っていたのだが、その公園と駅向こうの公園とでは、結構似ていた。それでも懐かしいと感じないのは、それまで通勤の間、まわりを気にすることもなく、ただ惰性のように毎日通りすぎていただけだということを、思い知らされただけだった。

 公園というものを気にしなくなったのはいつからだったのだろう?

 社会人一年目の研修期間中は、会社の近くにある公園で、昼休みを過ごした時期が少しだけあった。

 梅雨前にはやめたが、それまでの気候のいい時期は、公園の近くに昼近くになったらワゴン車で売りにくる惣菜屋さんからお弁当を買って、ベンチで食べていた。他に誘う人もいないので一人で食べていたが、会社の人で、なつみが一人、公園でお弁当を食べているのを知っている人はどれだけいただろう。

 そんなことはどうでもよかった。

 最初の頃は新鮮で、お弁当もおいしいと感じていたが、いつの間にかその状況に慣れてきたのか、お弁当の味にマンネリ化を感じてきたのか、公園にいても、惰性でしかないように思えていた。

――いつかは来なくなるのだろうけど、来なくなってもきっと何も感じないんだろうな――

 と思うようになっていた。

 同じ一時間でも、最初の頃は、あっという間に過ぎてしまうような気がしていたが、慣れてくると、お弁当を食べ終わってからの時間を持て余すようになっていた。会社の近くまで戻ってきて、近くのカフェでコーヒーを飲んでから戻ることが多くなった。時間を潰すにはちょうどよかったからだ。

 それまで、アイスコーヒーというのをあまり呑んだことがなかったが、歩いてきて汗を掻いたのを感じると、急にアイスコーヒーが飲みたくなった。

――こんなにおいしいんだ――

 それまでほとんど飲んだことのないアイスコーヒーだったが、以前に飲んだ店の味があまりにも味気ないもので、

――いかにもホットコーヒーを冷ましただけだ――

 と思えるものだった。

 あれから食わず嫌いのように、アイスコーヒーは避けてきたが、呑んだ瞬間、目からうろこが落ちたような気がして、食わず嫌いだったことを改めて思い知らされた。それから公園に行かなくなってもその店でアイスコーヒーを飲み続けた。冬でもホットではなく、アイスだった。食わず嫌いを超えてしまうと、その先にあるのは、飽きるまで続けようとする性格を改めて、ここでも思い知らされたのだ。

 今でもその思い出があるからか、公園を気にすると、アイスコーヒーの味がよみがえってくる。そういう意味で、公園そのものよりも、それ以外の思い出があると、公園自体に懐かしさは感じられないのだった。

 その日は、汗を掻いていたこともあり、しかも、どこか熱っぽさも感じられた。

 昼まで寝ていることは何度もあったが、そんな日は、ほとんど外出する気にはなれなかったのに、久しぶりに出かけてみると、歩きながらいつもよりも足のだるさが早く襲ってきた。

――おかしいな――

 と思いながら歩いていると、全身が気だるさに包まれたかのようになって、喉の渇きも感じられるようになった。

 公園を意識したというよりも、公園の横にあるジュースの自動販売機に目が行ったのが最初だった。

 そこでペットボトルの水を買った。ダスターに転がり落ちる音を聞くと、喉の渇きもピークに達し、すぐに取り出して、ゴクゴクと半分近く、一気に飲み干した。

――こんなに喉が渇くことも珍しい――

 と思いながら、ベンチに座ると、一心地ついた気分になり、乱れかかった呼吸を整えていた。

 すると、最初は気が付かなかったが、公園の反対側のベンチに一人の男性が座っているのが見えた。その人はこちらに向かって手を振っていた。

――誰だっけ?

 すぐには分からなかったのでキョトンとしていると、相手は立ち上がって、なつみの方に向かって歩みを寄せてくる。

「ああ、藤原さんでしたか」

 半分くらいまで距離が縮まってくると、それがこの間、ホテルの喫茶店でご一緒した藤原であることにやっと気付いた。距離があるということは身体全体を捉えることができるのだが、この間一緒にいた時は、テーブルの正面の席に座った距離だったので、全身で捉えると、まったく違ったイメージになることを知った。

 全身で捉えた雰囲気は、顔を正面から見た時に感じた初老の男性というイメージではなく、もう少し若い雰囲気を感じさせた。公園のベンチという表で見る様子と、座っているというイメージが全身を捉えた時、同じ座っているのでも、テーブル越しの上半身だけしか見えなかったあの時に比べると、分からなかったのも無理のないことだったのかも知れない。

「こんにちは、お散歩ですか?」

 こちらを覗き込むように声を掛けてきた。今回はなつみの方から声を掛けようと思っていたが、先を越されてしまった。どうもタイミングが合わない気がしたが、相手に声を掛けられるのも悪いわけではない。そう思うと、なつみは声を掛けられてすぐに笑顔になっている自分に気が付いた。

「ええ、普段はあまりこの時間、出歩くこともないんですけどね」

 確かに会社勤めは家と会社の往復で、休みの日には出かける時は朝から出掛ける。したがってこの時間になると、すでに疲れているので、ついつい家路を急ぐことになり、まわりを見る余裕などなくなっていた。

 夕方までに帰ってくる時でも、この時間になると、身体に気だるさを感じ、精神的には余裕がない。却って日が暮れてしまってからの方が、余裕があるかも知れない。

 日が暮れてしまうと、昼間の世界とは別世界のように思えてくる。夜のとばりが下りた瞬間から、夜という別の世界が始まるという感覚である。昼の間に蓄積した疲れが一度リセットされるような気分になってしまい、夜と昼の違いをいつになく感じることもしばしばだった。

 なつみは、今までに、

――昼と夜が別世界だ――

 と感じたことが何度かあった。

 昼から夕方を通じて夜のとばりが下りてくるのを、ずっと意識している時こそ、その思いを余計に感じる。会社で仕事をしている時、昼休みなどに表に出た時に感じてから、午後の仕事を終えて、表に出ると完全に日が暮れていることが多かったのだが、その時にはそこまで昼と夜が別世界だとは思わなかった。

――継続した時間の中にいると、別世界への入り口が見えていたのかも知れないわ――

 会社を辞めてから、特にそう思うようになった。

 スナックにアルバイトが決まるまでは、昼間、就活をしながら、暇な時間を持て余すようにすごしていた。夜に表に出ることはまったくなく、夕方までには必ず家に帰っていた。帰って来てからは、表に出るのは億劫で、この性格は、会社勤めをしている時からあったものだ。その時に培われたあまりよろしくない性格だと言ってもいいだろう。

 夜の街に出かけるのがどうして嫌なのかというのは、れっきとした理由があった。

――仕事が終わって、アフターファイブを楽しもうという人たちの顔を見るのは嫌だわ――

 という思いがあったからだ。

 仕事が嫌で辞めたわけではない。ある意味人間関係で辞めたと言ってもいい。不倫をしていたことを棚に上げて、辞めてしまったことを後悔するわけではないが、仕事が終わって楽しんでいる人たちを見るのは耐えられない。昼間、就活に勤しんでいるのになかなかうまく行かなかったことを考えれば、スナックから誘いが来た時は、嬉しかった。

 それまで夜に出歩くことのなかった自分が、今では夜に、

「おはようございます」

 という立場になった。

 夜に出かけて、夜に帰ってくる。そんな毎日に慣れるまでには、少し時間が掛かった。その頃から、特に夜が別世界だという意識を強く持つようになり、仕事が終わって帰途についていた時とも、また別の世界が開けたような気がして、不思議ではあったが、新鮮な気分になれたのだ。

 今までは、夜の世界というと、

「一日の中で、昼が終わって、夕方リセットされ、夜が始まる」

 と思っていた。

 しかし、一日が終わり次の日になる時、日付だけがリセットされ、状況はまったく変わらない。時計を見ない限り、日付がリセットされたということを感じることはできないのだ。

 しかし、昼から夜にリセットされるよりも、一日がリセットされる方が、同じリセットでも意味が大きい気がする。

「どうせなら、昼と夜の狭間で、一日がリセットされれば、もっと分かりやすかったのかも知れない」

 と感じた。

 いや、分かりにくいからこそ、誰も昼から夜に掛けて、そして一日の分かれ目の間に存在する「リセット」について、意識することはないのだ。

 もちろん、なつみが一人で勝手に思いこんでいるだけなのかも知れない。しかし、物事には必ず裏があり表が存在する。それは、「リセット」という発想で片づけられるものではないかと思っている。今、目の前に現れた藤原さんを見ていると、この間のホテルの喫茶店での会話を思い出していた。

「願いが叶う神社の二番目が重要だ」

 と言っていたのを思い出した。それが、さっきまで感じていた昼と夜の表裏の関係を、「リセット」として意識していることと重ね合わせて考えていることに気が付いた。「リセット」を意識しているつもりだったが、実際には無意識の状態で、藤原さんの出現から、無意識だった自分が意識を持つようになったのだと思う。

 日付が変わる時に感じることのない、自分の身体のリセットは、誰もが一日の中でどこかに持っているのではないかと思っている。考えられるのは、眠りに就く時と、目が覚める時で、なつみは、

――一日のうちにリセットが掛かるのは一度だけだ――

 と思っているが、それがほとんどの人は、その二つのどちらかだと思っているが、自分はそれよりも夕方のこの時間だと思っていた。

 明らかに疲れがピークを迎える日没の時間帯。夕凪の時間とも重なり、何か特別な時間だという意識を強く持っていた。他の人も夕方の時間を特殊だと思っている人もいるだろうが、自分にとっての特別な時間だという意識までは持っていないのではないかと思っていた。

 なつみは、日没時に感じた疲れのピークが、完全に夜のとばりが下りた時には抜けていることを意識するようになっていた。それがいつからなのか自分でも分からないが、無意識のうちにそう思うようになったとは思えない。その時は意識していたことを、気が付けば忘れていたのかも知れない。それは眠りに就く時、かなり疲れている時などは、いつの間にか眠りに就いていて、夢を見た後で、目が覚めるという経過をたどる。すべては、

――気が付けば――

 というキーワードで感じることであり、一つどれかを感じれば、途中であっても、その前後を膨らませて発想することで、自分がその時、何かをリセットしたということに気が付くのだ。

 日付が変わるのは、誰かの意志によるものではない。つまり無意識のリセットなのだが、夕方のリセットは、明確に日付が変わった時とは違い、意識してのリセットだということで、

――自分が引き起こすリセットではないか――

 と感じるようになっていた。

 それだけ昼と夜の間に別の世界を感じさせ、余計にリセットという意識を強くしているのだろう。気だるさはその証拠であり、夜のとばりが下りると消えているのは、

――リセットの副作用――

 と言ってもいいのではないだろうか。

 目の前に、藤原さんが現れたのを感じた時、

――そんな気がしていたわ――

 と感じたのは、リセットするだけの力を自分が持っているという思いがあるからで、藤原さんがこの時間目の前に現れたのも、

――自分の中にあるリセットを引き起こす力の成せる業ではないだろうか――

 と感じたからだった。

「なつみさんは、僕がここに偶然現れたとお思いでしょうか?」

 藤原は、ベンチの隣に腰かけると、なつみの方を見るわけではなく、沈みゆく太陽を見ながらそう呟いた。

「言った」

 というよりも、その声には抑揚は感じられず、

「呟いた」

 と言った方が正解かも知れない。

「ええ、そうじゃないんですか?」

 あまりにも唐突な言葉には、どこか落ち着いた気分になれるところがあった。

――感覚がマヒするからではないか?

 と思えたが、どこか開き直っているような気分になるからだった。

 そんな思いを知ってか知らずか、藤原はなつみの顔を覗き込むこともなく、

「ええ、でも私はなつみさんと出会えるとは正直思っていなかったんですが、こうやって面と向かうと、偶然出会ったのではないような気がしているんです。近いうちに出会うことになるという予感があったからなのかも知れません」

「その予感はいつからあったんですか?」

「二、三日前からですね」

 そう言われてハッとした。

 いつから藤原にその意識があったのかと聞いたのは、なつみもごく近い過去から、

――ひょっとしたら、藤原さんに出会えるのではないか?

 という予感が芽生えていたからだ。

 芽生えていたというだけで、具体的な想像に至っているわけではない。特になつみは何かの予兆を感じた時、

――段階のようなものがあるような気がする――

 と感じている。

 それは思い付きのように、いきなり気が付いたことであり、藤原にいつからなのかを聞いたのも、衝動的な発想が思わず口から出てきたからだった。

 藤原に、

「二、三日前から」

 と言われた時、その思いは自分だけが持っているわけではないように思えた。ということは、偶然ではないという藤原の言葉の根拠は、自分の中に出会えるような予感よりも強い、

――予兆――

 というものが、宿っていたからではないだろうか。

 予感と予兆では、かなりの開きがあるように感じている。予感には、確固たる根拠はないが、予兆には根拠たるものが存在しているように思う。しかも、予兆が現実のものになるまでに時間が掛かれば掛かるほど、根拠が確証に変わってくることを、自覚できるのではないだろうか。

 予兆というものが、予感よりもはるかに確実なものであるから、段階が生じるのかも知れない。その段階一つ一つが予感に当たるものであり、予感の積み重ねが予兆だと言えるのではないだろうか。

 なつみは、今、藤原さんの出会ったことで、

――出会えるような予感があったような気がする――

 と感じた。

 確固とした自信があったわけではなく、限りなく曖昧なものだった。それは、予兆にはまだまだ程遠い、予感の段階だったからなのかも知れない。

 そういえば、今までなつみは予感までは感じたことはあったが、予兆と言えるまでの確固たるものを感じたことはなかった。藤原さんが、

「偶然出会ったわけではない」

 という言葉を口にした時、ハッとしたのだった。

 だが、藤原さんは、

「出会えるとは思わなかった」

 と言っている。予兆まで感じたのであれば、

「出会うとは思っていなかった」

 というのは、発想に逆行しているのではないだろうか。だが、それも、面と向かうと考えが違ったと言っているということは、予兆というのは、現実に達成した時点で思い出すことができるという予兆の間では意識されるものではないのかも知れない。そういう意味では、今までにも、

――最初は感じなかったが、何かが起こると思っていたことが現実になったことがあったような気がする――

 と感じたことがあった。

 それがいつのことだったのかは思い出せない。つい最近のことだったのか、それとも、子供の頃の遠い記憶がよみがえってきたことだったのか、ハッキリとしないのだ。

「でも、私も藤原さんに言われて、本当に偶然ではないような気がしてきました。それは言われて気付いたことなので、本当に意識していたことなのかどうかまでは、よく分からないんですよ」

 本心を言っているつもりだが、心の奥に潜んでいる曖昧な気持ちをなるべく悟られないようにしようという意識の中で口にした言葉だった。

「今、なつみさんが言われていることは本心からだと思います。私もなつみさんくらいの年齢の頃、人から指摘されて、その少し前から予感めいたものが自分の中にあったように思ったことがありました。でも、確証はなく、どこか曖昧で、私はその時、相手に自分の考えを言うことができませんでした。そういう意味では相手にそこまでハッキリと言えるのは、なつみさんの性格もあるでしょうが、普段から、予感めいたものを感じるたびに、無意識に何かを考えているからなのかも知れないと思っています」

 抑揚のない、淡々とした穏やかな口調だったが、語尾はしっかりとしていて、言葉の一言一言に説得力を感じた。

――私は、この人に、思っている以上の信頼感や委ねる気持ちを抱いているのかも知れないわ――

 と感じていた。

――人を慕いたい――

 と思ったり、委ねる気持ちがあったりすると、そこには相手に対しての甘えが生まれ、自分を見失いかねないという思いから、なるべく人に対して必要以上の依頼心を抱かないようにしないといけないと思っていた。

 依頼心というものを抱いてしまうと、自分を見失ってしまい、ここぞという時の判断力が鈍ってしまうと思ったからだ。その思いに変わりはないが、すべてを委ねるのではなく、どこが自分に必要なのかということを見極める目を持たなければいけないと思うようになっていた。

「せっかく会ったんだから、これからどこかで呑みませんか?」

 今までなら、そんなお誘いを受けると、

「あ、いえ、今日はこれから予定もありますので」

 と言って断っていたと思う。

 ただ、なつみは今までにも結構偶然出会った男性から、呑みに行こうと誘われることもあったが、同じような理由で断っていた。

 しかし、それは言い訳ではなく、本当に予定があることが多かった。人との待ちあわせもあったが、自分だけの理由も、言い訳にはならないと思っていたので、それを思うと、誘われた時というのは、うまく断ることができていたのだが、それも本当は偶然ではなかったのかも知れないと思えてきた。

 今日、藤原から誘われるまでは、用事があったのを偶然とは思っていなかった。自分だけの用事がほとんどだったが、それだけ毎日を自分が思っているよりも、予定を立てて生活をしていた証拠なんだと思うのだった。

 その用事が、本当にその日のうちにしなければいけないことであったり、本当に必要なことなのかという度合いについては、この際問題ではない。相手がその用事を止めてまで付き合う相手なのかどうかの判断に掛かっていた。要するに、

――天秤に架けた――

 のである。

 誘われて、ついて行った相手もいた。本当に大した用事ではなかったことで、時間もあったというのが本音だったが、付き合ってみると、自分が本当に身構えてしまっていたのだという意識を持つくらいに楽しい時間が過ごせた。

 だからと言って、他の人と同じような時間を過ごせるとは限らない。たまたまその人がいい人だったというだけなのかも知れない。なつみは、その人がたまたまいい人だったという考えが頭の中にあったのだ。

 それも偶然のように見えて、なつみは偶然だとは思えなかった。

――こういうことを偶然として片づけてしまうと、目の前のことしか見えなくなって、冷静な判断ができなくなってしまう――

 と思っていた。

 確かに、偶然が重なっただけなのかも知れないが、偶然を自分の仁徳のように思ってしまい、考えることを自ら止めてしまうと、先に進めなくなる。

――偶然と神頼みを重ねて考えてしまいそうになるから――

 というのが、なつみの本心だった。

 冷静な判断力というものがどこから来るのか考えたことがあった。

――寂しさや孤独を知っている人は、冷静になることができて、判断を誤ることはない――

 と思うこともあった。

 しかし、孤独であるということは、まわりとの接点が限りなく少ないということでもあり、冷静な判断力ができたとしても、それは自分の世界の中だけのことになってしまうのではないかと思うようになっていた。

 なつみは今までに、自分をわざと孤独の淵に置いてみることがしばしばあった。

 たとえば失恋をした時など、敢えて、自分を孤独の淵に置いてみることがあった。

 無意識のうちのことだと思っていたが、孤独の淵に置くことで、

――自分よりも孤独な人はいないんだわ――

 と思うようになる。被害妄想がピークに達すると、感覚がマヒしてきて、目の前しか見えなくなる。

 目の前しか見えなくなると、今までの自分が、

――先ばかりを見ていて、足元を見ていなかった――

 ということに気付くのだ。

 先ばかり見て、足元を疎かにしていても、逆に足元ばかりを見て、前を見ていなくてもどちらも一長一短で、中途半端だ。

――ではどちらがマシなのか?

 と考えると、なつみは、どちらも捨てがたいと思うのだ。

 要するに、その時々で状況が違っているのだから、どういう状況の時に、どちらの行動を取ればいいかの判断ができればそれでいい。そう思うと、結局は自分の直感であったり、本能に身を任せるのが一番だと思うようになった。

――何も無理をすることはないんだわ――

 その時々で感じることを信じることが、自分を信じることに繋がり、それが後悔しないことにも繋がってくるのだった。

 なつみは、藤原に誘われた時、一瞬ドキッとしたが、それは警戒心を煽るものではなく、自分の気持ちの中で燻っていたものが顔を出したような気がしたのだ。

 無意識に何も考えないようにして藤原の誘いを考えると、悪い気はしなかった。

――きっと優しくしてくれる――

 という思いがあり、その優しさというのは、、

――紳士的な振る舞い――

 であり、なつみが求めているものであることを感じたことで、ドキッとしたに違いなかった。

 藤原は、居酒屋に連れて行ってくれるのかと思ったが、連れて行かれたのは、雑居ビルの中にある小さなバーだった。

「ここは僕の隠れ家のような店でね」

 と一言言いながら、扉を開けて中に入った。カウンター席がメインで、手前にあるテーブル席は二セット用意されているが、あまり明るくなく、メインがカウンターであることはすぐに分かった。

 なつみは、学生時代に馴染みのバーがあったが、いつも一人で行って、カウンターの奥の席で本を読んでいた。キリのいいところで休憩を取ると、マスターがいつも話しかけてくれる。常連ともなると、どれくらいでなつみが休憩を取るのか分かっているようで、マスターも声を掛けるタイミングを計っているようだった。

 藤原が連れて行ってくれた店も、その店に雰囲気は非常に似ていた。マスターの雰囲気はかなり違っていたが、カウンターで隣のイスに座った藤原の横顔を見ていると、藤原をどこかで見たことがあると思っていたが、どうやらそれは馴染みのバーのマスターに似ていたからだった。

 似ていると言っても、貌や体格が似ているわけではない。雰囲気や態度がよく似ていたのだ。会話の中で謎かけをしてくるところなど、ソックリだった。

 マスターの場合は話題を繋ぐためにテクニックだと思っていたようだが、藤原を見ていると、

――紳士的に見せるための技――

 のように思えてくるから不思議だった。だが、

――当たらずとも遠からじ――

 というべきか、なつみには前に感じた紳士的なイメージがそのまま続いているように思えてならなかった。

「この店は自分が贔屓にしている店の中でも、なつみさんが気に入ってくれるかも知れないと思ったところなんだ」

「藤原さんは、他にも馴染みの店があるんですか?」

「こういう雰囲気の店はここだけなんだけどね。本当に一人になりたい時はここに来るんだ」

「私なんかが来てよかったんですか?」

「大丈夫さ。一人になりたい時と、なつみさんと一緒にいたい時の気持ちって、意外と似ていたりするんだよ」

「そうなんですか?」

「一見、失礼なことを言っているようだけど、一人になりたい時というのは、自分に問いかけたい時なんだよね。それは自分のことは自分が一番よく分かっていると思うからなんだ。でも、なつみさんと一緒にいると、自分の次に私のことを分かってくれるんじゃないかって思えるだよ。だから、その思いに間違いないかという意味でも、なつみさんに次会った時は、ここに誘いたいって思っていたんだ」

 藤原の気持ちは分からなくもなかった。もし、自分が藤原の立場だったら、同じことをするかも知れないと思ったからだ。しかし、その時は自分の気持ちが有頂天になっている時ではないかと思った。

――有頂天になった時、自分が見えなくなることが多い。しかし、その時、目の前に気になる人がいると、自分が見えなくなることはないのではないか――

 とも思えたのだ。

 ただ、自分が有頂天になったことがどれほどあったのかということを自問自答してみたが、ハッキリと有頂天だったと言えるのは、思い浮かばなかった。

――ハッキリとしているからこそ、有頂天なのではないだろうか?

 自分を見失うくらいに、何を考えても楽しく思える時、それは孤独を感じている時でも同じだった。

 孤独を感じている時ほど、誰かのことを考えてしまい、その人が手の届くところにいるのを感じる。目の前でその人が手を差し伸べてくれていて、手を繋ぐことができれば、それが有頂天の状態なのだ。そう思えば、目の前で誰かに手を差し伸べられている想像をした時、

――まず、手を繋ぐことができないだろう――

 と感じるのがほとんどで、実際に手を差し伸べてくれた手に、自分の手が届かない想像をしたその時に感じることは、奈落の底に落ちていく自分だった。

 そんな光景を夢に見たと感じながら、目を覚ますことも珍しくはなかった。有頂天の時であれば、目を覚ますことはないのかも知れない。そうなれば、いつまでも夢の中にいることになり、そんなことはありえないのだから、有頂天というものも、そう長く続く者ではないということを、無意識の中に自覚しているのも当然と言えるだろう。

――私は、この人のことが好きになったのだろうか?

 年上に憧れを持つというのは今に始まったことではないが、年上は年下に比べ、同じ年齢差でも雲泥の差を感じることがある。同じ五歳であっても、年下であれば、五歳という認識そのまま感じることができるが、年上の五歳は、十歳くらい離れている遠い存在に思えてくるのだった。

 特に相手が初老くらいになると、父親よりも年上に感じる。それは自分が子供の頃に感じた年齢差そのままの認識で見ているからだろう。十歳の頃に相手が五十歳なら、四十歳の差がある。本当は二十歳の差でしかなくても、四十歳という年の差を感じるということだ。

――私は、まだまだ子供の頃の思い出を引きずっているんだわ――

 しかし、それを悪いことだとは思わなかった。今でも新鮮に感じるし、子供の頃の心を忘れてしまって大人になった人を見ていると、どこか無理をしているのか、自分に甘く、他人には厳しく見えて仕方がない。

 少なくとも自分は、そんな大人にだけはなりたくないと、日ごろから思っていたのだった。

 年上の人への憧れは、不倫の時にもあったのだろう。しかし、別れを迎えた時、一時期だけだが、年上を好きになった自分を責めたことがあった。

 しかし、同じ年上と言っても、最初に感じていた年齢の開きを相手に感じなくなったことで、次第にぎこちなくなって行ったような気がした。それがお互いのなれ合いになってしまっていたことも否めない。

 年齢に差を感じなくなると、今まで抱いていた

――慕う気持ち――

 というものが少しずつ萎えてくるのを感じていた。

 相手が自分のどこを好きだったのかと考えた時、

「君に慕われていると感じる時が一番幸せだ」

 と言っていたのを思い出した。

――男性というのは、慕われたいものなのかしら?

 と思うと、自分がどうしてたくさんいる年上の中から、彼を選んだのかということを考えた時、相手が何をしてほしいかということが一番手に取るように分かったのが彼だったということを思い出した。

 要するに、慕われたいということが分かり、それが自分にできることであり、そんなに難しくもないことを、いかにも嬉しく思い、ありがたがられるかということを喜びにできるのかが、彼との一番の絆だと思っていたのだ。

――甘えられたりするのが嬉しい――

 そんな気持ちと、こちらが慕っているという態度を示すだけで、いつの間にかこちらが優位に立っていることに、優越感を感じることができた。

 不倫とは、

――甘い罠――

 という言葉があるが、罠と分かっていても、嵌りこんでしまう人がいると聞いたことがあり、

――私はそんな愚劣な行為はしないわ――

 と思っていたくせに、気が付けば、不倫をしてしまい、最後は会社を辞める羽目になってしまった。

 後悔はしていないつもりでいるが、反省する必要はあると思う。しかし、何をどう反省すればいいのか、もし、もう一度同じ立場に立った時、同じ過ちを犯さないと言いきれるだろうか?

――決して言いきれるわけはない――

 なぜなら、いかに自分が反省したとしても、同じ立場に立てば、自分の意識は昔のその瞬間に戻ってしまうという思いが確信めいているからだ。過去に戻った意識は、いくらそれ以降で反省し、教訓を得たとしても、そのことを意識させることはないだろう。時系列と戻ってしまった意識とは、どこまで自分の気持ちに反映できているのか、自分でもよく分かっていないのが現実だった。

「なつみさんは、願いが叶う神社を探しているんですか?」

「ええ、最初は言えなかったんですが、ずっと意識はしました。最初は是が非でも見つけたいと思っていましたが、今では見つからなくてもいいような気がしています」

「どうしてですか?」

「何が自分の望みなのかが分からなくなってきたんですよ。最初は漠然とはしていましたが、何か願いがあるという意識はあったんですが、今では漠然ともしなくなったんです。そんな状態で、探しても意味があるのかなって思うんですよ」

「でも、探しているんでしょう? それは、今は分からなくても、その神社を見つけることで、以前に漠然としていた思いを思い出せるのではないかという思いがあるからなのかも知れませんね。何事もそうなんでしょうが、何かを探し求める時というのは、順風満帆とはいかないものです。時には引いてみたり、押し通してみたり、いろいろ試行錯誤が必要なのかも知れませんね」

「そんなものでしょうか?」

「ええ、私はそう思います。そういう意味では、なつみさんに、願いが叶う神社を見つけてほしいと思っているんですよ」

「でも、以前には、二番目が重要だっておっしゃってませんでした?」

「ええ、確かに二番目が重要なんです。三社参りという意味でも、奇数で終わらなければいけない。でも、願いが叶う神社を見つけると、きっと二番目を探したくなるものらしいんですよ。その時に二番目を見つけることができる環境に自分がいることができるかということが大切なことです」

「二番目に行くには、覚悟というか、何か心構えのようなものが必要なんですか?」

「ええ、バランスという意味で必要なんですよ。バランスというのは、目に見えているものだけではなく、表裏一体の場面、紙一重に関わることを意識しないといけないんですよ」

「それは、夜と昼というようなイメージだったり、人の性格では、長所と短所という意味でも考えられますが、そういういろいろな場面でのバランスという意識でいていいんですか?」

「ハッキリと明言できないんだけど、なつみさんはある程度理解しているように思います。でも、意外と理解できている人が得てして陥ってしまう落とし穴というのがあるのも事実なんですよ」

「難しいものなんですね?」

「ええ、そうですね。実は私も若い頃に、同じような落とし穴に陥ったことがあるんですよ。あの頃は結構勝気な性格だったと思っていますからね」

「それは冒険心や探求心が旺盛だったということですか?」

「ええ、そういう意識も強かったと思います。でも、結構まわりに流されることもあったんですよ。感情が深く入りすぎると、得てして、まわりに流されたりするものだからですね」

「どういうことですか?」

「一つのことに集中すると、まわりが見えなくなったりするでしょう? 真面目な性格だったりすると、余計にその傾向が強い。真面目な性格というのは、いい意味でも悪い意味でも、諸刃の剣のようなものなんですよ」

「私もそう思います。私の父親が厳格な人で、自分には厳しく、他人には優しいような性格の人だったんですが、一人の人に入れこんでしまって、それでまわりのことが目に入らなくなってしまったようで、結局、私が小さい頃には、結構苦労したみたいなんです。もちろん、大人の世界のことなど、子供の私には分かりませんが、子供心に、お父さんが苦しんでいる姿は分かりましたからね」

「その時もお父さんは厳格だったんですか?」

「厳格に振る舞おうとしていたようなんですが、どうしても限界があるようで、どうしていいのか分からないというのが、本心だったのだと思います」

「なつみさんは、そんなお父さんを見て、どう感じました?」

「何しろ子供だったので、ハッキリとは覚えていませんが、しつこく説教されなくなったことには安心しましたね。それに、自分がプレッシャーに弱いのだということも分かりました。父親の説教がなくなってから、いろいろなことを考えることができるようになり、自分に自信が持てるようになったんですが、その時、逆の意味で考えてしまったんでしょうね。自分がプレッシャーに弱かったんだって、初めて自覚したような気がしました。プレッシャーに弱いことは前から意識はしていたと思うんですが、自覚をしたという意味では、その時が初めてだったような気がします」

 まさか、今になって子供の頃のこと、しかも父親に対しての思いを自ら語ろうなとと、思ってもいなかった。なつみは続けた。

「私は、今藤原さんからバランスという言葉を聞かされて、父親が情緒不安定だった私の子供の頃を思い出したんですが、最初は衝動的に思い出したんだって思ったんですが、そうでもないような気がするんですよ」

「どういうことですか?」

「思い出すべくして思い出したのではないかと思うんです。そういう意味でも藤原さんとの出会いも、その他の出会いも、必ず何かの理由があるんじゃないかって思います」

「思い出すべくして思い出すということは、私もいつも感じていることです」

「お父さんの情緒不安定は、確かに何かのバランスが崩れているから、急に怒り出したり、落ち込んだり、まわりから声を掛けられないような雰囲気を作り出してしまうんですよ。でも、そんなお父さんを今から思い出してみると、長所と短所を考えてしまう。すると、よく言われていることなんですが、『長所と短所は紙一重』って聞くじゃないですか。お父さんも同じだったんじゃないかって思うんです。だから、今まで短所だと思っていたことを、お父さんの長所だと思って考えると、無理もないと思えることもたくさんあったんじゃないかって感じるんです」

「子供の頃、お父さんを恨んだりしたことありましたか?」

「ええ、それは子供心に理不尽だと思うことを言われると、恨みに思うことだってあって当然だと思うんですよね」

 藤原は、なつみを見ていて、

――この娘は、私にお父さんをかぶせて見ているのではないか?

 と感じた。

 その思いは、少々藤原には複雑だった。

 藤原としてみれば、年の離れた女の子にこんなに執着したのは初めてだった。

――僕はいつの間にか年を取っていて、気が付けば、まわりに誰もいな孤独な状態になっても、寂しくないと思えるようになっているはずだ――

 と感じていた。

 藤原は、なつみに声を掛けたのは、偶然ではないと言いきったが、本当はそうではなかった。

――なぜ、あの時、なつみさんに声を掛けたんだろう?

 と、常に自分に言い聞かせていたからだ。

 藤原がそこまで考えているということは、なつみにも分かった気がしたが、それ以上のことは、まるで厚いベールに包まれているかのように見えてこない。だが、そのベールは限りなく透明に近く、見ようと思えば見えてくるはずなのに、見えそうになった寸前で、

――ダメだわ――

 と、自ら目を逸らしてしまっていた。

 人の心の中を覗くということは、相手を理解する上で大切なことだと思うのだが、どこまで覗いていいのかということを考えると、深入りできなくなってしまう。

 誰にでも、人に入りこまれたくないと思っている部分はあるもので、人によっては、そんな領域に、

――土足で踏み込まれた――

 と思い、相手を嫌ってしまうこともあるだろう。

 そんな時、必ず後悔を伴う。

 相手が侵入できるということは、自分の中で侵入できるだけの気の緩みを相手に見せてしまったことになる。悪いのは自分だということになる。

 それが後悔に繋がるのだが、後悔しないようにしようと思っても、できないこともあるということに、なかなか気付かない。気付いた時は、すでに遅しというところであった。

 藤原は、自分のことを一瞬省みたが、すぐにまた冷静さを取り戻し、なつみの想像できない世界に入りこんでしまっていた。

「願いが叶う神社というのは、諸刃の剣なんですよ」

「どういうことですか?」

「昔からの言い伝えだったり、伝説だったりすることというのは、『やってはいけないこと』というのが付きものでしょう? たとえば、浦島太郎の玉手箱であったり、鶴の恩返しのように、見てはいけないと言われたものを見てしまったり、旧約聖書に出てくるソドムの村のように、振り返ってはいけないというのに、振り返ってしまったりですね。その結末はすべて悲惨ですよね。ソドムの村では、迫害されていた人を神様が助けたのに、ただ後ろを振り返っただけで、すべてが無になってしまう。あの話などは、助けてあげた相手であっても、神との約束を破ったり、命令に従わなかったりすれば、容赦ないということを言っているにすぎないんですよ」

「はい、よく分かります」

「でも、願いが叶う神社というのは、言い伝えがあるだけで、何かをしてはいけないという具体的な話はない。それだけに、誰もが願いが叶う神社に疑いは持ったとしても、そんな神社が存在してほしいという気持ちは持っているはずですよね」

「ええ」

 なつみは相槌は打っているが、藤原が何を言いたいのか、まだ分かっていなかった。

「これは願いが叶う神社にだけ言えることではないんですが、どうして、三社参りが必要なのかって考えたことありました?」

「いいえ」

「私もハッキリと理由があるかどうかは分からないんですが、私が思っているだけの意見なのかも知れません。でも、私はそこで二番目の神社が三社参りの中では重要ではないかと思うんですよね」

「……」

「一つだけを参った時は、その神社が願いの叶う神社ですよね。では、三社参りの時は、どれが本当の願いが叶う神社だと思われますか? 考えたことありましたか?」

 言われてみれば、考えたことはなかった。直感として最初の神社が願いが叶う神社であり、二番目にお参りする神社があった場合は、奇数にするために、三番目が必要になるだけで、二番目以降はあまり重要ではないと思っていた。

「最初だけが願いが叶う神社だと思っていませんか?」

「ええ、そう思っています。言い方は悪いですが、二番目、三番目というのは、おまけのようなものだとしか思っていませんでした」

「三社参りをする人は、考え方もさまざまだと思うんですが、私も確かに、若い頃はなつみさんと同じ考えでした。でも、ある時からその思いが変わることがあるんですよ」

「というのは?」

「それは、本人が気付くか気付かないかの違いなんですが、三社参りは実は二つ目以降が重要なんですよ。つまり、最初の一か所で止めておけばいいものを、二つ目三つ目とお参りするうちに次第に惰性になってくる」

「今のお話では、三社参りをした時の願いが叶う神社は、最初の神社ではないということをおっしゃっているように聞こえますが、その通りなんですか?」

「ええ、私はそう思っています。なつみさんはどうですか?」

「ハッキリは分かりませんが、二番目か、三番目ということになりますよね。ずっと、二番目が重要だと言っていたのが頭に引っかかっていたんですが、藤原さんのご意見としては、二番目の神社が、願いが叶う神社になるとお考えなんですか?」

 となつみが言うと、藤原は少しため息交じりに下を向くと、しばらく考えていたようだが、

「それは違いますね」

 と、おもむろに、そして静かに答えた。

「実は、私の考えとしては、一番目も二番目も、三番目も違うんですよ。その三つをすべて含めて、願いが叶う神社だと思うんです」

 なつみは、その言葉に何か違和感があった。それが何なのかすぐには分からないだろうと思ったが、すぐに気が付いた。

「じゃあ、最初の神社を参り終わるまで、そこが願いが叶う神社だとは分からないということですか? もっと言えば、一日が終わるまで確定はしないということですよね?」

「そういうことになりますね。だから二番目が重要にもなるんですよ」

 藤原がそう言いながら、思わず苦虫を噛み潰したような表情をしたのを、なつみは見逃さなかった。

――この人は、何か隠している――

 そう思うことで、藤原という男性の奥深さに触れたような気がしていた。

――嫌だ、私。藤原さんのことが気になっているということかしら?

 確かに厳格な父親を見てきて、最初は反発心だけだったにも関わらず、次第にいろいろな表情を見せる父親を見ていると、どこか憐みだったり、そこに人間らしさを感じたりもした。

 特に子供の頃に感じた絶対君主的な厳格さがあるからで、最初に与えられたイメージは、なかなか抜けることのできないものである。それはなつみにしても同じことであるが、なつみの場合は、さらに大きいものなのかも知れない。

 藤原を見ていると、父親に感じたイメージとはまったく違っていた。

 ミステリアスで、どこか弱弱しさも感じる。しかも、なつみとは考え方がまったく違っているように思うのに、感性では結びつけるような気がしていた。

 なつみは、その時、藤原が何を考えているのか知りたいと思った。もちろん、願いが叶う神社の話も重要だが、元々、その話に興味を持ったために、藤原が近くにいることに違和感を感じることはなかったのだ。

 だが、今は藤原が何を考えているのか分からないと思いながらも、

――これから徐々に知っていけばいい――

 と感じているのも事実だった。

 なつみは、自分が藤原に惹かれかけていることを悟った。以前から感じてはいたが、口に出すことはおろか、

――考えてはいけないことだ――

 と思った。

 以前にホテルの喫茶店で話をした時のことを思い出していた。

「私はずっと一人だからね」

 そう言って、寂しそうな表情をした。

「奥さんやお子さんは?」

 年齢的に見ても、自分と同じくらいの子供がいてもおかしくはない。

「女房は十年前に死にました。子供がいたわけではないので、私はその時、本当に一人ぼっちになったんです」

「……」

 なつみは何も答えず、藤原の話を聞いていた。

「女房がいてくれた時は、二人きりでもよかった。いや、むしろ二人きりだと思うことが幸せだったんです。ずっと一緒にいられると思っていましたからね。交通事故だったんですが、急に目の前からいなくなるなど、想像もしていなかったので、一人になった時の辛さは尋常じゃなかった。今でこそ、『一人は気が楽でいい』なんて言えるけど、あの時は二年近く、自分が分からなくなっていましたね」

 二年という歳月が、藤原にとってどれほどのものか、想像もつかない。感じる歳月というのが人それぞれで、長さの概念などあるのだろうかと感じるほど、自分が自分ではなくなってしまうのではないかという想像はできた。

 今までなら、

――いくら相手の立場に立ったとしても、一口に辛いことと言っても、想像などできるはずもない――

 と思っていたのに、なぜか藤原の気持ちだけは分かるような気がしたなつみだったが、その時は、自分が父親と重ね合わせていたからだと思っていた。

 しかし、実際には、父親とはまったく違った正反対の藤原に、自分が思い入れを持っていたのではないだろうか? その時には分からなくとも、後から考えれば、簡単に分かる気がするのだ。

――私もいきなり大切だと思っている人が亡くなったら、どんな気分になるだろう?

 となつみは、自分が誰を大切に思っているのかを思い浮かべると、想像がつかなかった。本当であれば、父親であったり、母親であったりするものだが、思い浮かべた両親がいきなり目の前からいなくなって死んでしまうという設定を想像すること自体できることではなかった。

――いて、当然――

 という意識があるのも事実だが、それ以上に、

――死んでしまった時に、自分が涙を流すことができる相手が、本当に自分にはいるのだろうか?

 と考えた時、真っ先に浮かぶはずの両親の顔が浮かんでこなかったのだ。

 そう思うと、他の誰が死んでも、自分は涙を流さないという思いが深く、自分が冷徹な人間なのだという思いに至ったことで、

――そんなことを考えるのはよそう――

 と思うようになった。

 それは考えたとしても、結局何も出てこない答えの中で、堂々巡りを繰り返すだけだと思ったからだった。

 なつみは自分が誰を大切に思っているかが分からないと思った時点で、急に自分の中での優先順位をつけることができなくなっていた。

――人間として大切なことを自分で理解できない人に、優先順位などをつける資格はないのかも知れない――

 と感じた。

 その理解できない人というのが、紛れもない自分のことであり、

――自分以外にも同じように感じている人がいるのだろう――

 と感じたことで、それからのなつみは、自分と同じように、大切なことを理解できないと思っている人を、無意識に探すようになっていた。

 本来なら、自分を正しい道に導いてくれる人を探すのが本当なのだろうが、その前に、自分と同じような考えの人の意見を、数多く聞いておく必要があると思った。

 そういう意味で、自分が探している人の条件を、今回知り合った藤原が満たしているのではないかと思い、どんどん藤原への意識や思い入れが強くなってきたのだ。

――だったら、惹かれているという感覚とはまったく違っているではないか――

 となつみは自問自答を繰り返したが、自分の中から、それに対しての回答が返ってくることはなかった。

「藤原さんは、奥さんが亡くなってから、自分が変わったとお思いですか?」

 藤原は、なつみの質問の意味がすぐには分からなかったようだが、

「変わったと言えば変わったと思う。でも、それは元々自分の中にあったものが顔を出しただけで、『本来の自分に戻った』というべきではないかと思うようになりました」

 と、曖昧な答えが返ってきた。

 本当なら、すぐに答えてもいいことを頭に思い浮かべていたのかも知れないが、なるべく曖昧な回答にしようという意識があったからか、回答を言葉に出すまでに時間が掛かったのも、分からなくもないような気がした。

 藤原はそれから、少し考え込んでいたが、頭を上げると、その表情は最初に戻っていた。一人になったという件から考え込んでしまうまで、決してなつみの方を見なかったが、頭を上げてからは、じっとなつみの顔を覗き込んでいた。

――これが、今まで寂しい話をしていた人の表情なんだろうか?

 何かが吹っ切れたというのは、こういう表情をいうのかも知れない。

 そんな藤原を思い出していると、今度は藤原が、思いもよらぬ話をした。

「実は、私の若い頃というのは、結構金回りがよくて、遊び歩いたこともあったんだ。そんな時、あるスナックの女性と知り合って、付き合い出したことがあったんだが、私もあの頃は情熱に燃えていたというか、恋愛にも必死になっていたのかも知れない」

「どういうことですか?」

「私は、あの頃、彼女と結婚するつもりで付き合っていた。金回りがよくても、そのうちにお金も尽きることが分かっていたし、そろそろ我に返らなければと思っていた頃だったので、これをいい機会に、全うに生きることを決意した時でもあったんだ」

「それが、十年前に亡くされた奥さんだったんですか?」

「いや、そうじゃないんだ。家内と結婚したのは、それから数年経ってのことだったんだが、本当に結婚しようと思っていた彼女は、ある日突然、私の前から姿を消してしまったんだ。私は探し回った。仕事も疎かになってしまい、クビになるギリギリまで行っていたのではないかと思う。探して探して疲れ果てると、今度は自分の中で吹っ切れたんだ。『彼女は、最初からいなかったんだって思おう』と感じるようになったんだ」

「実際に、なれましたか?」

 と聞いてみると、また少し考えて、

「いや、どうしても未練は残るものでね。でも、一旦我に返ると、そこから吹っ切れるまでには、それほど時間が掛かることはなかったよ」

 同じことでも、人それぞれと言われるが、失恋の痛手ほど、その人にしか分からないことが多く、感じる思いの差は、かなり違っているものではないだろうか。

「私はそこまで恋愛をしたことがないので、分からないですね」

「でも、吹っ切れてしまうと不思議なもので、運命的な出会いがすぐに訪れるんですね。家内と出会ったのも、ちょうど割り切った後だったので、自分でも、吹っ切れたから出会うことができたのか、それとも、出会ったから吹っ切れたのかと聞かれると、正直どっちだったのかと答えられないんですよ。冷静に考えれば、吹っ切れたから出会ったんだと思うんですが、順序がどちらだったか分からなくなるほど、その間は短いものだったんですよ」

 なつみにも同じような思いがあった。

 もちろん、恋愛経験が少ないなつみには、恋愛問題だったわけではない。友達関係でこじれてしまった時、険悪な雰囲気は一触即発を呈していたが、そんな時、自分の中で覚悟を決めて、相手に歩み寄ろうとした時、相手もちょうど同じことを考えていたこともあって、ぎこちなさはなくなった。

 お互いに勘違いだったという思いを抱いたのだが、そのおかげで、仲たがいをする前よりも、お互いが分かり合えたような気がして、

「まるで、『雨降って地固まる』の言葉通りだわね」

 と言って、お互いに笑い合って、それまでのいざこざを、すべて水に流すことができたのだった。

 その時、

――自分が感じていることは、自分で感じているよりも、分かる人には分かるものなんだわ――

 と思った。

 その時の思いを今、藤原が同じ思いを持って話してくれているのだと思っている。藤原にとってなつみは、本当は、

――ただの話しやすい相手――

 というだけなのかどうか、なつみにとっては大きな問題に思えた。

「それから奥さんとは、ずっと平穏無事に過ごせたんですか?」

「そうだね。平穏無事だったね。平穏無事過ぎたことが、結末がいきなりだったという演出を残していたのではないかと思うと、平穏無事過ぎたことが、今では恨めしくて仕方がない。だけど、そう思えば思うほど、自分が一番愛していたのが、本当に家内だったのかと自問自答してしまうんだよ」

「奥さんとも、またしてもいきなりの別れが襲ってきたわけですね。まるで『因果は巡る』という言葉を感じているようです」

 本当にそんな言葉だったのかハッキリとはしないが、似たような言葉を聞いたことがあったような気がする。

 その時は、自分の言葉が相手に対してどれほど失礼なものであったかという意識はなかった。だが、後になってその時のことを思い出すことがあったが、その時に自分の顔から耳まで真っ赤になるほど、その時の自分がどうかしていたことを思い知らされた。せっかく藤原が話をしてくれているのに、なつみが返した返事は、あまりにも他人事であり、血の通った人間の言葉ではないことを、思い知らったのだ。

 その時、なつみがどんな思いでその話を聞いていたのか、考えられることとしては、自分の心の中に、一抹の寂しさがあったことだろう。

 なつみは、その時、嫉妬していたのだ。

 すでに何十年も前に別れた。しかも、藤原をふった相手に対しての嫉妬など、考えられない。それであれば、亡くなった奥さんに対してということになるが、もうこの世にはおらず、会うことは絶対にない相手に嫉妬するというのもおかしな話だ。

 本来なら、嫉妬されるべきはなつみであり、まだ感情が固まっていない間にお互いに嫉妬し合うなど、普通なら考えられないだろう。

 だが、なつみには、藤原の心が見えたような気がした。

 奥さんは確かにもうこの世にはいないが、藤原の心の中で永遠に生き続けている。ドラマなどで聞く、ありふれたセリフの一つだが、自分がその当事者になってみると、どれほどこのセリフに意味があるのかということを実感させられる。

 なつみが気になっているのは、やはり藤原の前から姿を消したという女性の方だった。

「以前、別れた女性とは、その後、会ったことは?」

「完全に消息不明になったようで、その時勤めていた会社も辞めて、田舎に帰ったという話を聞いたんだよ。私はその時、『聞いたことのある、どこにでもありそうな話』として考えていたような気がする。その思いが結局は他人事に思わせることで、自分をいずれ開き直らせるための力になって蓄えられたのかも知れないな」

 その話を聞いた時、

――この人は、まだ未練を残している――

 と感じた。

 なつみも、失恋した時はなかなか吹っ切れない方である。いずれは戻ってきてくれるという思いが強かったからだが、一旦嫌いになったものを元のさやに戻すことがどれほど大変かということを思い知った。

 しかし、自分が開き直る頃まで世の中はかなり進んでいて、カルチャーショックに陥ることも少なくない。

――相手はいきなり言い始めるわけではなく、自分の中で納得行くまで、かなりの間燻っていたのかも知れない――

 と感じた。

 つまりは、いきなり言い出した時には、相手はある程度の気持ちを決めてからのことなのだ。掛けられた梯子に昇ったはいいが、梯子を外されて、初めて自分が置き去りにされたことに気付く。いかに自分が愚かで、まわりについて行けていなかったのかを思い知らされる。

 その時点で、自分が相手に何を感じていたのかということを忘れさせるものだった。

 気持ちを心の奥に封印し、決して開くことのないように自分に言い聞かせる。鶴の恩返しのように、

「見てはいけません」

 と、自分に暗示を掛けるが、

「見るな」

 と言われると、見てしまうのが人間の本性。誘惑に負ける形で見てしまうと、自分の感覚がマヒしてしまっていたことに気付かされるのだった。

――こういうところだけ、私は女性ではないのかも知れない――

 女性が保守的で、まずは自分の殻を作ってしまうという性格は知っていたが、少なくとも自分にはないところだと思っている。そんな性格は嫌いであり、自分がそうではないことを悟った時、嬉しいと感じた。その代わり、自分に降ってくる災いはいつも、「いきなり」なのである。

「実は、結婚前に付き合っていた女性のことを、後になって噂で聞いたんだけど、どうやら、その時に妊娠していたらしく、彼女が私の前から姿を消した理由の一つに、その子の存在があったというんだ」

「では、その女性は藤原さんの子供を身籠ったまま、姿を消したということですか? 私には信じられませんけど」

「そうだろうね。私も信じられなかったけど、私はその時、全うに生きることで自分を変えなければという思いが強かった。彼女はその思いを敏感に悟り、私の前から姿を消したんだろうね。ただ、その理由が分からない。私が急に遠い存在に感じられたのか、それとも、彼女も我に返ったのか、どちらにしても、二人はその先、住む世界が違うとお互いに感じたんじゃないかな?」

「ということは、プロセスが違っても、結果が同じなら、最初も同じなのかも知れないということかしら?」

「私もそう思うんだ。私は、彼女がいきなり目の前から消えた時、探し回った。彼女のいない人生なんて考えられないと思ったからだ。実はその思いは今でも残っていて、もし同じシチュエーションに陥っても、また同じことを繰り返すと思うんだ。そして、もう一つ言えることは、この私は置き去りにされたという思いが強かったということだよ」

「どういうことですか?」

 なつみには何となく分かっていたが、聞いてみた。

「彼女にとって、私の前から姿を消すことは、決していきなりではないんだよ。彼女は考えに考え抜いて出した結論を、実行したまでなんだ。だから、そのことを分かってあげられなかった私が悪いんだろうね。でも、あの時はあれでよかったと今では思っているんだよ」

「どういうことですか?」

「私は、彼女と別れてからしばらくして、それまでの好調な人生が、音を立てて崩れていくのを体験した。お金が急に回らなくなり、お金の回転が悪くなれば、すべてが悪い方に行ってしまった。もし、あのまま結婚していれば、二人の不幸は目に見えていた。もちろん、生まれてくる子供にも大変な負担を掛けることになる。時期的には一年ほどのものだったが、人生の運を一気に使い果たしてしまい、奈落の底に落ちてしまったのを感じたんだ。家内と知り合ったのは、そんな奈落の底の出口が見え始めた時で、まるで家内が女神に見えたくらいだったんだ」

「そうだったんですね」

 女性は、自分でさっさと結論を出して、男を置き去りにしてしまう。ただ、当事者であれば、それを

――悲劇のヒロイン――

 として自分を見ることで、自分もその場から逃げ出したいとうう意識を優越感に変えることができる。

 悲劇のヒロインは、なつみにも言えることだった。その時は自分で自覚があるわけではない。こうやって人の話を聞いた時に、自分を振り返ってみることができるからだった。ただ、自分にとって何が悲劇なのか、その時になってみないと分からない。なつみとしても、藤原の話を聞きながら、自分が以前藤原と付き合っていて、突然目の前から消えてしまった彼女になったかのような気がしてきたのだ。

――それにしても、子供を身籠った状態なのに、よくそこまで気丈でいられるものだわ――

 まだ子供を産んだことはおろか、妊娠したこともないなつみには、その気持ちがどうしても分からなかった。しかし、話を聞いているだけで、何となくではあるが、自分の中に母性本能にようなものが燻っているのが分かった。

 その日、なつみは藤原の内なる気持ちに触れることができて嬉しかった。

――きっと他の誰にも話したことのない話を、私にだけしてくれたんだわ――

 という思いが強かった。

 それがなぜなのか分からなかったが、藤原の話を聞いているうちに、帰りにどこかの神社でお参りをして帰ろうと思った。

 その時、何かが音を立てて、気持ちの中で崩れていくのを感じた。

――そうか。願いが叶う神社というのは、一か所とは限らないんだわ。その人にとって、それぞれ意識する神社が違う。ということは、藤原さんの言っていた二番目というのは、私にとっても違うんだわ――

 どうしていきなりそんなことを感じたのか分からなかったが、藤原がしてくれた「昔話」に影響があったのかも知れない。

 その日藤原の話を思い浮かべながら帰っていると、

――あれ? いつもの道とは違う――

 普段通る道とは違った道を歩いていた。家路を急いでいるわけでもない。どちらかというと、こっちの方が遠回りだからだ。

――考え事をしていると、無意識にいつもと違う道を歩いていることも、今までにはしばしばあった気がする――

 と感じた。

 帰り路の途中に、一つ神社があるのを思い出した。その神社は、子供の頃によく遊んだ神社で、大学生の頃からほとんどこの道を通らなくなったので、意識することがなくなっていた。だか、そこは神社というよりも、遊び場としての意識しかなく、お参りもまともにしたことがあったかどうか、自分でも疑問だった。

――意外と、身近にあって、まったく意識していなかった場所が、自分にとっての「願いが叶う神社」なのかも知れないわ――

 と思った。

 しかし、考えてみれば、願いが叶ったかどうか、いつどのようにして分かるのだろう?

 いや、言い方を変えれば、

――願いが叶わなかったというのは、どの時点での判断になるのだろう?

 元々、神社でお参りをしても、実際に願いが叶うなどという意識を持っている人はほとんどいないだろう。

「神頼みなんて、迷信程度のものさ」

 というバチ当たりなことをいう人もいたが、確かに占いよりも神頼みの方が、信憑性は薄い。なぜなら、願い事をするには一番お金がかからずに、簡単だからだ。お賽銭を入れてお参りするだけ、加持祈祷のたぐいとは全然違っている。加持祈祷は時間もお金も掛かる。

――霊験あらたか――

 とは、さましく加持祈祷のことであろう。

「神様だって、そんなにたくさんの不特定多数の願いを聞き入れるわけでもないだろうしね。皆普段は見向きもしない神社に、初詣ともなると、殺到するでしょう? お参りが儀式になってしまっては、神頼みの信憑性がどこにあるって言いたくなるわよね」

 と、いう過激な話をしている友達もいた。大っぴらに賛成もしなかったが、心の中では誰もが

「うんうん」

 と、頭を下げていたことだろう。

 その神社は、石段を上ったところにある。そこには石の鳥居が見えて、そこをくぐると、境内が見えてくるのが想像できた。

 角を曲がったところから、石段が見えてきた。

 子供の頃に感じた石段に比べれば、相当小さく感じられた。子供の頃の感覚と今とでは違っていて当然だが、最初から分かっていたつもりでも、さすがに、石段の長さは相当短く感じられたのだ。

 石段を上りきって、石の鳥居が見えてくると、鳥居の間にスッポリと境内が埋まっていた。ちょうど油絵の額のように、綺麗なバランスが取れた境内だった。

 鳥居をくぐって、さらに進んでいく。石畳の途中に石があり、

――これがお百度石なんだわ――

 と感じた。

 今までお百度を踏んだことはおろか、踏んでいる人を見たこともなかった。神社を見かけても、ほとんど鳥居をくぐることのなかったなつみには、お百度を踏む気持ちも分からず、その姿を想像することもできるはずはなかった。

 真っ暗な中に浮かびあがっている境内は、まるで後光が差しているかのように、建物の輪郭を光が照らしているように見えた。

 暗い夜道を歩いていると、目が慣れてきたとでもいうのか、境内の後ろの光が、今度はその向こうに見える森をさらに照らしていた。

 この神社は、山の中腹にあり、その森は、山の頂上に続いている。

 この山はそれほど高い山ではないが、神社までくる人はいても、その上まで行く人は、まずいないだろう。

 境内の裏から山の頂上に続く道があるが、それを知っているのはごく少数なのかも知れない。探求好きの子供か、代々この神社を守ってきた神主さんや神社の関係者くらいではないだろうか。そう思うと、子供の頃に遊んだ記憶が今さらのように思い出され、新鮮な気がした。

――そういえば、あの時もお参りをしていた私たち子供の横で、どこから現れたのか、人の気配がすると思ったら、そこにはお姉さんがいたのを思い出したわ――

 そのお姉さんは、なつみがお参りを終えて頭を上げると、すでにいなかった。

「ねえ、今ここにいたお姉さんは?」

 とまわりに聞くと、

「お姉さん? 何言っているの、ここにいたのは私たちだけじゃない。夢でも見てたんじゃないの?」

 と言われて、キツネにつままれた気がしたのを思い出していた。

 なつみは、鳥居をくぐるまでは分からなかったが、鳥居をくぐった瞬間、賽銭箱の前で手を合わせてお参りをしている一人の女性を見つけた。

――おかしいわ、目を切ったわけでもないのに――

 石段を上り終わってから、鳥居をくぐるまで、瞬きをした程度で、目を切った意識はない。それなのに、いきなり現れたその女性は、どこからか湧いて出たのだろうか?

 今度こそ、目を切らずに境内まで歩いて行こうと思いながら、次の一歩を踏み出すと、今まで見えていた女性が今度は消えてしまっていた。

――まるでデジャブだわ――

 状況は違ったが、心に残った感覚は同じものだった。デジャブを感じたのも無理もないことだろう。

 ゆっくりと歩いていき、境内まで辿り着いて、賽銭箱を見下ろすと、やはり子供の頃に感じたものよりも小さく感じられた。子供の頃には、

――何て大きな箱なのかしら――

 と感じていたが、背の高さがちょうど賽銭箱を目の前に覗き込むほどだったので、かなり大きく感じられたのだろう。

 お賽銭を箱に投げ入れ、鈴を鳴らした。柏手を打ってお参りの体勢に入ると、今度は、背中に熱いモノを感じた。

――誰かに見つめられている――

 まるで後ろに目があるかのように、背中に当たる熱い視線を想像すると、その誰かが分かってくるような気がした。

 それは自分だった。

 そう感じると、さっきここでお参りをしていた女性は、今の自分なのかも知れないと思った。

――しかし――

 今、背中に熱い視線を浴びせている自分は、先ほどの自分ではない。ここまで相手を凝視したわけではないという思いがあるからだ。

 さらに頭に違った発想が浮かんできた。

――後ろから痛いほどの視線を浴びせている自分は、ここが二番目の神社だと思っているのではないか?

 何を根拠にそう思ったのか、すぐには分からなかったが、すでに最初の神社にお参りを済ませていて、藤原の言っていた

「二番目の神社」

 特別な思いで見ているに違いない。

――後ろから見ている私は、境内で今にもお参りの体勢に入っている自分が見えていないのかも知れない――

 と感じた。

 もう一人の自分が凝視しているのは、あくまでも境内であり、そこに誰かいてもいなくても関係のないように思える。

――今、ここで今にもお参りをしようとしている自分と、後ろから凝視している自分、どちらが本当の自分なのだろうか?

 と、なつみは考えていたが、

――どちらも本当の自分ではないのかも知れない――

 と感じた。

――ということは、今考えている自分は、境内の自分とも、後ろから覗いている自分とも違う傍観者ではないだろうか?

 そう思うと、目の前の二人を足して二で割ると、ちょうど今の自分ではないかと思えてならない。つまりは、

――一番目の自分に願いが叶ったとすれば、二番目の自分は、元の自分に戻そうとする「自分への反動」だと言える――

 漠然としてではあるが、藤原が言っていた。

「二番目の神社が重要な意味を持っている」

 と言っていたことが、なつみの中で現実味を帯びてきた。

 まだ漠然とはしているが、藤原が言いたいことは、

「奇数であるがゆえ」

 ということではないかと考えられる。

 そしてなつみが今頭に描いているのは、

――二番目の神社が自分にとって必要なものなのかどうかが重要なのかも知れない――

 という思いだったのだ……。

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