第18話
昼日中の円形公園はすし詰め状態だった。まるで夜の混乱の再現のようだ。血を流す怪我人とそれに付き添う者、子供、大人、動けない人動ける人……。
ユリウスは焦って周りを見渡したが、そんなことで家族を見つけられるはずもない。
「あのっ、コヤから来た人間を知りませんか? 俺の故郷なんです」
と、手近な人間を捕まえて聞いてみるが、相手の顔にあるのは茫漠とした怯えの表情ばかり、恐縮して引き下がらざるをえないのだった。
むわりと熱気が、汗と血と体臭が混ざったにおいが円形の広場に満ちていた。
「ここに留まってはだめです! まだ街中に魔物がいます! 密集すると襲われる危険があります!」
と声を枯らして叫ぶ衛兵がいるが、ではどこへ行けばいいというのか。みんなせめて栄えるマーネセンであればなんとかなるかもしれないと、か細い伝手を辿ってここまできたというのに。
なんの手がかりもないなりに、徐々に秩序が生まれ、率先して声をかける者たちが出身地の街ごとに避難民を並ばせる。ユリウスは歯噛みしながらその列に向かったが、途中で腕を取られ、あやうくつんのめりそうになった。
「ユリウス?」
とその人は言った。見知らぬ、目を見張るほどつんと取り澄ました令嬢である。
「そうです。何か?」
「マイヤ・リニムの弟で、アルフォンソ・リニムの息子?」
灰色がかった青い目が不思議な瞬き方をしている、と思った。
「はい。俺がリニムです。あなたは?」
「来て。マイヤのところに案内するわ」
ユリウスははっと息を呑み、歩き出した彼女のあとを追った。雲でも踏んでいるかのような、けれど頭も肩もまったく上下しない歩き方をする令嬢だった。
「あの! あなたは!?」
「わたくしはアマルベルガ。マイヤをここまで連れてきたの」
「それはありがとうございます……あの、姉は、と言いましたね。父と母は? アルフォンソとフランチェスカはどこに? 一緒ではないのですか?」
彼女はちらりと肩越しにユリウスを見つめる。周りは人、人、人、亜人も人間もごったまぜに思い思いの声を上げ、足の踏み場もない。気を抜けば置いて行かれそうだった。
「わたくしはそこまで知らなくってよ。本人にお聞きなさいな。――話せるといいけど」
「え?」
それ以上をアマルベルガは喋らなかった。ただ足早に先を目指す。ユリウスは必死にその背中を追う。
群青色の帽子が灯台の光のように見え、それをたよりに行きついた先はある治療院の一画だった。姉はそこの寝台に横たわっていた。
彼女は痣まみれだった。顔が腫れ上がり、唇が切れて血が滲む。左足首に包帯が巻かれていた。服のあちことが裂けている。手の爪が一枚、なかった。右手の薬指。
「姉さん」
とユリウスは呼びかける。答えはない。手を握ってみるものの、冷たいばかりで握り返してはもらえない。
「すまないけど、行く宛があるならそっちにうつってもらえないかね」
とせかせか話しかけてきたのは、この治療院の主である。背中の曲がった小男の姿をしているが、エルフの血が入っているらしく顔が奇妙に若々しかった。
「怪我人が多すぎて。重傷者もいる。その人はね、診察したけどただの脳震盪だから。傷自体も軽傷だから。落ち着ける家があるならここよりそっちの方が」
そしてユリウスの目を見て、ぴょこんっと飛び上がった。
「……姉を診てくださってありがとうございます。ただ、今のところそういう宛がありません。なるべく早く手配いたしますので、それまで置いてやってください」
「あ、ああうん。わかったよ。何、私もオークじゃないからね。そんな。行くとこがない若い人を追い出したりしないよ」
ユリウスは慇懃無礼に一礼した。治療師の背中を眺めながら、もし今剣を持っていたら刺していたかもしれないと思う。
心の中に嵐が吹き荒れていた。――両親は? コヤの街は? 姉はどうしてこうなった? あれは殴られたときにできる痣だった、誰が、どうして、なんのために?
子供じみた理由で家を飛び出した日のことが、ありありと蘇る。あのときはすぐに会えると思っていて、どうせ新年祭のときは家に帰るのだろうと思っていた。姉がこんな状態なのに父母が傍にいないのは、最悪の状況を考えるしかない。
「ちょっと、よろしくて?」
トントンと肩を叩かれ、ユリウスは振り返った。アマルベルガはしんと整った、感情の見えないたたずまいである。治療院の中は込み合った人いきれで息苦しいほどだ。姉に寝台をもらえたのが奇跡だったのだろう。今もカーテンの向こうで横たわる見知らぬ他人の息と、付き添いの人の静かな泣き声が聞こえる。
ユリウスはアマルベルガについて外に出た。建物の裏に回ると、古くなった木箱などが放置される小さな庭があった。行き場のないらしい小さなゴブリンたちが黙って輪になり、水タバコをくゆらせている。
足元の小さな亜人たちをまるで見えないもののように堂々と無視して、アマルベルガはもう片方の行き止まりで蹲るトロールに声をかけた。
「グリーグさん。起きてちょうだいな。あの子の弟さんが来てるわよ」
と、声が存外に優しいのにユリウスは意外に思った。つんとした表情からは想像もつかないほど繊細に、アマルベルガはグリーグと呼ばれたトロールに触れる。
トロールはすでに死期が近いらしく、身体のあちこちが岩になっていた。こんな姿でよくも歩けたものだ。
ううううん、と呻いてトロールが目を開けると、ノームたちはますます静かになる。
ユリウスは彼の前に身をかがめ、紫色の目と目を合わせた。
「この人は?」
「グリーグさんよ。わたくしが見つけたとき、マイヤと一緒にいた方」
「どうして、姉が?」
マイヤは亜人を嫌っているのに、コヤ人らしく……と、ユリウスは思ったことを飲み込んだ。亜人嫌いはコヤの街だけに限らず、人間だけで構成された街にたまに起きる現象だった。そういえば、コヤのそれは他に比べて顕著だったかもしれない。旅芸人だの流れ坊主だの行商人だのが来て、それが亜人であると、コヤの者は何も買わないのだった。向こうもそれを心得て、人間の同業者との縄張りの住み分けにしている部分があったように思う。
さあ、とアマルベルガは首を横に振る。
「わたくしも、詳しくは知らないのよ。ぜひ、今聞かせていただきたいわ。グリーグさん」
トロールは目をしょぼしょぼさせた。深い森の土の匂いがふわっと漂い、その中に死にかけた獣特有の内蔵の腐臭が隠れる。髪の毛のない頭はまるきり岩を丸くしたように、ざらざらして苔が生えていた。
グリーグが座りなおすと、背中を預けた塀がぎしっと鳴った。
「私はもう死ぬから、最期に娘に会いたいと思った」
から、話ははじまった。トロールや森のエルフなど、自然とともに生きる亜人の話は全然関係ないようなところから始まることが多い。ユリウスとアマルベルガはちらりと顔を見合わせたが、ここで遮ってもグリーグは混乱するだけである。
「昔、死に別れた妻との間に娘がいた。娘は人間の若者についていって、山を離れた」
「まあ。ラブロマンスね」
「そんないいものではないがね……。死ぬ前に一目、あの子に会いたかったのだ。このあたりにいると聞いていたものだから」
「訪ねていらしたのね」
「あああ、人間の街は大きく、複雑だった。聞いても聞いても娘には辿り着けない」
「人里に紛れたトロールは目立つはずだ」
耐えきれず、ユリウスは口を挟む。
「それでも見つからなかったの?」
年老いたトロールの澄んだ目が、じぃっとユリウスを見つめる。
「見つからなかったよ、お若いの。トロールは目立つ、だがそれを上回って君たちは増えすぎている」
面食らったユリウスを横目に、アマルベルガは拝聴の姿勢である。
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