第15話
父さんは家の前で死んでいた。ドラゴンの炎混じりの衝撃波が当たったのだと思う。下半身が上半身と泣き別れ、頭と手は母さんの方を向いていた。あと三歩、四歩で、彼は妻に巡り合えたのに。
涙も出なかった。マイヤは呆然と父母の遺体を前にして、ただ茫然としていた。生きる意味がなくなてしまった、という思いが胸を支配している。けれど瞼の裏にぱっとユリウスの笑顔が、六歳のときの、八歳のときの、十一歳の、十三歳の、去年の、今年の、ユリウスがちらつくので、
(――会いにいってあげなきゃ。伝えなきゃ、もう父さんも母さんもいないってことを……)
そう思えば顔が上を向く。目に景色の色がうつらない。
夜明けを迎え、コヤの街は慟哭に満ち満ちていた。
肉親を半狂乱で探し回る声。嘆きの声。どうして? と誰かの呟いた疑問が、延々とこだまのように増幅される。
「どうして、どうしてドラゴンが! 魔物がこの街に出てくることなんて、今までなかったじゃないの!」
叫ぶ声に目を向けると、リア夫人だった。あれほどいつも美しく、姿勢を正して凛としていた人だったのに、今はざんばら髪の寝間着姿、あちこちに煤がつきひどい有様だった。
マイヤはぎこちなく目をそらすしかなかった。助けてあげたくても、夫人の目にマイヤは入っていないようだった。
いつまでもここでこうしていても、助けはこないとマイヤがようやく悟るまでどれほどかかったのだろう。
マイヤは父母の遺体の元に戻ると、ふたりの頬にキスをして別れの言葉を囁いた。すでに異臭を立ち上らせているそれらを、ただの物体とはとてもじゃないが思えない。
母のこめかみのところの髪と、父の爪を自分の爪でなんとか身体から切り離して、袖口の布を裂いてくるんだ。それを胸元に押し込んで、もう一度ふたりにキスをした。
「カーレリンの埋葬の仕方、知らないから……ごめんね。土に埋めてあげることもできない。許してね」
そう何度も囁いた。やがて彼女はよろよろと立ち上がり、ゆっくりと、建物の残骸を伝いながら街の中心区に向かった。
駅に備え付けの水盆時計は夕方の六時を指していた。永遠に。朝の光の中を。
まだ真新しい石造りの乗合馬車駅も、代官の家もお役所も、兵士の駐在所も全部壊れて跡形もなかった。人の遺体があちこちにちらばっていた。動ける人間たちで手分けしてそれを並べるものの、かける布さえないのだった。
たった三匹のドラゴンがこの惨状を引き起こしたとは、とても思えなかった。それもあれほど小さな奴らが。
まだ燃え残りが燻っていて、とても悠長にしていられるものではない。人々は自分の家族を探し、今後を話し合い、それぞれの伝手を頼っていくべき場所を決めようとしている。屋根が無事な家は一軒もなく、いつドラゴンが戻ってくるかもわからないこの状況でコヤに留まるのは危険すぎた。
「イヤだね、あたしゃここから動かないよ!」
と泣きわめく老婆もいて、内心、みんなその意見に同意していただろうけれど、
「そんなわけにはいかないんだ!」
と彼女を無理やり助け起こして引きずっていった、息子さんらしいおじさんの方が正しい。
生き残ったのなら、生き残らねばならないのだった。
「マイヤ、これからどうするの?」
と声をかけてくれた人がいた。随分前に会ったきりの、幼馴染だった。
「村の方の、お花の農家さんに嫁いでいったんじゃなかったの?」
「ええ。そこからね、助けにきたのよ。ああ、かわいそうに……」
と彼女はマイヤを抱きしめてくれ、それでマイヤはぐっと涙味のかたまりを喉の奥に見つけたけれど、今泣いたら立ち直れなくなってしまうことはわかっていたから、それをぐっと飲み下した。
被害のなかった花畑や麦畑を耕す農夫たちが、それぞれの村から救援に駆けつけてくれたのだった。中には親戚のため、荷馬車だの食料だのを持ってきた者もいて、見ず知らずの街の人間にまで分けてくれた。
彼らに同情してきた村の治療師兼占い師が、ありがたいことに足の傷や火傷を診てくれた。お金は払えなかったが、いつか必ず返すと伝えた。その間じゅう、幼馴染が付き添ってくれたのに本当に泣きそうだった。
「マーネセンに行くわ。弟のところに。それしかないと思う」
幼馴染は気づかわし気にマイヤの顔をのぞき込む。
「弟さん、まだ若いじゃないの。あなたを受け入れて、養ってゆける子なの? そのままマーネセンで、ふたりで物乞いになるんじゃないかと心配なのよ」
「大丈夫よ、なんとなかるわ」
マイヤは繰り返し頷いた。
「きっとなんとかなるわ」
そうして彼女と別れ、マイヤは杖がわりの細い木材を片手にマーネセンを徒歩で目指すことにした。差し入れてもらったパンとチーズをくるんだ包みを、大事にもう片手に抱えて。
のろのろ進む隊列の中、周りとぽつりぽつり、会話にならない会話が始まり、広がる。
リア夫人の旦那さんはお店の中で死んでいたという。アンも一緒だったそうだ。……なんですって? 二人一緒に、焼き殺された?……なんてこと。
ナナは避難する途中で、飛んできた石が頭に当たって死んでしまった。
そそっかしいターニャは行方知らずだ。恐怖のあまり【大森林】の中に逃げ込んでしまったのではないかと、噂が流れてくる。そうなってしまった者は、平時でさえ戻らない。あの森は女神を敬うためでなければ、入ってはならない場所だから。
「ドラゴンが来たのが早すぎる」
という人がいる。知らない人だったがマイヤはそっちに首を傾けた。
「ダンジョンが光って、音がして、そしたらすぐにドラゴンが来た。おかしすぎる。奴らは最初からコヤを狙ってたんだ。おかしい。おかしすぎる……」
錯乱した人間の言うことだが、妙に印象に残った。その人がぐるぐる巻きの包帯で片目と頭を覆っていなければ、もっと詳しく聞きたかったほどだった。
鳥が飛び立つ音でびくびくし、傷の痛みにいらいらし、化膿に怯え。マイヤたちはそれでもじりじりとマーネセンに近づきつつある。それほど遠くの街じゃないのだ、大丈夫、ぜったい今日中にたどり着ける。
道は舗装されていないから、土埃がひどい。二頭立ての馬車がなんとかすれ違える程度の広さ、凹凸である。ときにつまずきながらもなんとか進む。
行きかう人の群れはますます数を増し、その被害の大きさを知らしめた。まさにマーネセンから逃げ出してきた商人から、そのマーネセンも襲撃を受けたのを聞いた。それでマーネセンを目指すのをやめ、都や他の大きな都市に向かう人間もいた。
「いつか自分たちが狩られる番になるんだぞ!」
という声を、マイヤは聞いた。きっと幻聴ではなかったはずだ。見れば小道にそれた先、一本の木が生えるばかりの小高い丘のところで何かが起きていた。血の色が見えた。
「やめろ、やめろォ!!」
と、悲鳴。誰かの嘔吐する音。におい。
立ち止まった彼女を避けて人々は先に進んでいった。足を止めず、目の端にその惨劇を留めていたに違いないのに。
叫んでいるのはオークだった。あるいはトロールか。いずれにせよ岩山の民だ。
コヤの街は人間だけの街だった。種族ごとに街や村をつくるのが生き物の習性だった、少なくともこの大陸においては。【小さな大陸】の国々では、王は厳格な一神教の規律でもって国を統治するという。そしてそれぞれの国が宗教の教義の解釈で争うのだと。
こちらの大陸に住む者たちはそれを見てこう笑う――なんて些細なことで戦争を起こすんだろうね、私たちはどんな種族も仲良く生きているというのに。緩やかに神々を信仰して、それぞれの教えを尊重して、誰に言われるまでもなく正しいことは正しいと知っている……。
だがマイヤの目の前で、あの丘で起きていることはなんだろう? あれが正しいことだろうか。複数人の人間の男が旅装姿のオークかトロールを取り囲んで殴っているのだった。
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