第7話
マーネセンに戻り、パーティーと別れ、安宿に戻ったユリウスはとりあえず女将に宿の代金を支払った。
「ユリウス、あんたはいい子だねえ。ちゃあんと払ってくれる」
と、でっぷり太った女将もこんなときばかりはにこにこするのだった。
「追い出されたくないからね」
「そうだとも。払ってくれるうちは追い出したりしないよ」
「慈悲深い女将に感謝を」
「上手だねえ! あははははっ」
などとやり合って、ゴブリン金庫にささやかな報酬を預けたり公衆浴場に通ったりしていれば、あっという間に夜が近い。
さすがに円形公園に人気はなかった上、あまり素性のよろしくないのがたむろしている。公衆浴場から宿に戻るには公園を突っ切るのが早いのだが、ユリウスは仕方なく、外周を回るようにして大人しく道を進んだ。
たむろしているのは、普段なら夜のダンジョンに登っているはずのリザードマンや影人族の連中だった。横目に見ることもせずその横を通りすぎざま、
「また今夜もダンジョン封鎖だと? 毎回じゃないか」
とくだを巻く声が聞こえ、思わぬ情報にユリウスは口を開けた。
「この前も国だかご領主様だかが封鎖して、一日手持ち無沙汰だったってのに」
「なぜ夜ばかり封鎖するんだ。いったい中で何をしてやがる?」
「今日昇って行ったのは、ありゃあ魔法使いのやつらだったな。あの紋章は中央の貴族じゃねえか?」
「いいや、ありゃあ賢者の島の賢者どもに違いねえ。奴らめ、俺たちの街のダンジョンに妙な事したらただじゃおかねえ……おう、なんだ坊主!」
ユリウスは慌てて駆けだした。気づいたら足が止まっていたのだった。姉に比べればいくらか世慣れしたとはいえ、しょせんは田舎街の十六の少年である。
リザードマンの鋭い爪や頑丈な鱗は恐ろしいし、影人族の暗殺稼業の噂だってなかば信じている。人間は亜人種族に比べて力が弱く、誇れるところと言えばにんにくを食べられるくらいだ。ドラゴンのしっぽを踏むのは避けた方がいいに決まっている。
さて、縁とはそういうものであるが、大通りから入った酒場の通りでカインと再会したのは、森の女神のお導きだったのだろう。
「お、」
「あっ」
と顔を見るなりふたりは固まった。ぽつぽつと灯り始めた魔法灯に照らされて、ユリウスもカインも頬が赤かった。
「なんだよ、ユリウスもこれからメシか?」
「ああ。カインもか?」
それじゃ、とお互い言いかけて、気恥ずかしく誘い合った。
「じゃあ、一緒に――」
そうして連れ立って歩き出す。見習いの荷物持ちが入れる店は限られているから、裏通りの小さな食堂にしようと話もすぐに決まった。
カインは山奥の小さすぎるほどの村から出てきたのだと言った。
「地元にはなんにもなくてさ。つまらない仕事で永遠に奴隷みたいになるよりは、と思って出てきたんだ。思い切って」
思わぬ共通項に、ユリウスは胸が詰まった。
「俺もだ。父さんの……あー、親父の跡を継げって言われてたんだけどさ、どうしても無理だったんだ」
カインは目を瞬かせる。
「そんで冒険者で一旗揚げようと思ったのか?」
「まあ、そんなところ」
少年たちは連れ立って歩く。細い路地の道は足場が悪く、石畳が剥がれて泥水の水たまりでパズルになる。周りには石づくりの古い建物、かつて錬金術工房だったのだろう珍妙な色合いの家などが立ち並ぶ、静かな通りだった。
カインは泥を避けて器用に片足で進みながら、
「正直、カーレリンが滅んだことも信じてなかった。旅商人のホラ話だと思ってた」
と、しごく大真面目に言う。
「フェサレア王国カーレリン地方って言い方、すげえ違和感がある」
「俺はその頃のこと覚えてないなあ」
この地方は今のところ属領扱いである。十年前に滅んだカーレリン王国だった地方。
滅ぼした側が、この土地の実効支配権を握っている。名前をフェサレア王国連邦という。
多数の小国、市民国、自治都市を配下に組み込んだこの連邦制の王国は、極端な拡大政策を取りながら発展してきた。フェサレアが台頭して以降、大陸地図から小国が消えたともいわれる。十年前に最大の敵国だったカーレリン王国を下してのち、今や敵なしの国家である。
当然、【大森林】のへりにへばりつくように広がるこのマーネセンの街も、ついでに言えばコヤの街だって名目上はフェサレアの属領である。
「だよな⁉ 王の都なんか一度も見たことなくても、なんとなく俺はカーレリン王家のものなんだと思って生きてた」
と、カインはため息をついた。
「フェサレア、フェサレアねえ。何度聞いても聞き慣れない」
ユリウスだってカーレリン王国のことをそんなによく知っているわけではない、むしろフェサレアの制度や法律に詳しいくらいだった。十年前、カーレリンが滅んだとき彼はまだ六歳にもなっておらず、従って記憶もない。
「……っ、」
途端に頭が鈍く痛んだ。歩みを止めたユリウスに気づき、カインは振り返る。
「どうした、ユリウス?」
「あ、あぁ……なんでもない」
「頭痛持ちなのか?」
「そうなんだ。時々、こうなる」
へえ、とカインは同情する素振りである。
「生まれ持ったものはしょうがない。汝、持てるもので戦えってやつだ」
「なんだそれ。ことわざか?」
「まさか知らないのか? いいかあ、いにしえの天の神様がだな、」
あたりはすでに夕闇が迫り、ほの暗い。家々の軒下には松明、あるいは魔法灯が吊るされてささやかに道を照らしていた。マーネセンにとっての灯りは、コヤの街にとっての花なのだ、とユリウスは唐突に思った。何かで自分と誰かの間を隔てなければ、世界はあまりに恐ろしい……。
ダンジョンは街を見下ろす位置に、【大森林】の真ん中に天を突き破るように建っていた。巨大で不思議な白亜の塔。
突然の轟音と閃光が、一瞬で世界を白く染め上げた。まともに対処できた者などいなかったに違いない、騎士団や賢者たちのうち一人か二人しか。
「なん……っ!」
だ、まで言い終わることがユリウスはできなかった。彼は吹き飛ばされ、石畳に叩きつけられ、そうして目ではないところでそれを見た。
ダンジョンが白い巨大な、あまりに巨大な光の帯に姿を変えるところを。光は生きていた。明らかに意志を持っていた。天に上ろうとしていた、ダンジョンを踏破しようとする冒険者のように。けれどそれは叶わない、と直感した。
叫んだのだ、と思う。けれど自分の声は聞こえなかった。
混乱したのだ、おそらくは。けれど自覚もできないまま、ユリウスは昏倒した。
眠った彼の知らないうちに、事態は最悪の流転をみせる。かといって彼が起きていたところで、何ができたというわけでもなかったわけだけど。
ユリウスは少年だった。何の力も持たない、無力な十六歳だった。
今はまだ。
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