第5話
その日もヴェインの下で荷物持ちだった。
ユリウスは連れの少年と目を見かわす。今朝、初対面の行きずりの日雇い荷物持ちだ。それでも立場が一緒だし、年も似たようなものだから親近感がある。
「すっげえな……」
と少年が言えば、
「なあ……、魔法も、剣技も」
とユリウスが返す。お互いにふふふっと笑いあった。
ダンジョンの階層三十一階。二十五階を過ぎるとこの塔の内部は一気に複雑になる。下階層は延々と続く石造りの迷宮だが、二十五階から上は迷宮そのものが変化するのだ。入るたびに入口が違い、曲がり角も床の角度のなにもかもが違う。そして二度と同じであることはない。不思議の力に触れるたび、ユリウスの背筋はぶるぶる震える。
「忘れてた。俺、カイン。よろしく」
「俺はユリウスだ。こっちこそ」
と、少年たちは場違いに挨拶を交わした。カインの砂色の短い髪と、ユリウスのやや伸びてきた銀髪が触れ合う距離で。
戦闘から少し離れた、倒れた柱の影である。迷宮の中は古い神殿のようにどこもかしこも大理石と石畳、石壁でできていた。等間隔に柱がそびえるさまは、まるでマーネセンの円形公園のよう。天井があるところだけが違っていた。
床や迷路の壁の石の色は灰色だったり青味がかった泥色だったりさまざまだが、基調となる柱と天井が白だから、どうしても虚無的な印象がただよう。
たまにこうして倒れ崩れた柱があるけれど、どういう理屈かわからない。ダンジョンに現れる魔物も魔石もアイテムも、そして異世界の摩訶不思議な道具のことも、どんな高名な魔法使いだって本当にはわからないのだった。
「それにしても、何やってんのかもわかんねえ」
「ああ。何食えばああなれるんだろうな」
少年たちの視線の先、パーティーメンバーが魔物と戦っている。巨大な豹のかたちをした魔物だった。非常に俊敏で、動きを捕らえるのに一苦労するだろうに、メンバーはそんな素振りを見せない。
固唾を飲んで見守る二人の前で、豹はメンバーたちに躍りかかる、様子を見せながら素早く身を引き、フェイントをかけた。
まず、動いたのは剣士のヴェインだった。あの喫茶店でのけだるい様子などみじんも見せない。腰に佩いた剣を抜き払い、豹に向かって突進した。ちょうど豹のフェイントのタイミングとかち合って、かわされたかに思ったのは少年たちが戦いを見慣れていないからである。ヴェインは斬撃の途中で素早く剣を引き返し、斬りつけた。それを機に、パーティーが攻勢に出た。
魔法使いのテレゼは、すでに魔法詠唱の最中である。前衛から少し離れた、けれど十分敵の牙が届く範囲だ。ローブ姿の女性がどうしてそんなに涼しい顔していられるのだろう。周囲に魔力が流れ込み、溜め込まれていくのを、魔力の素質があるカインは感じた。当然、それは豹にもわかることだ。
ヴェインをいなし、猛然とテレゼに向かおうとする豹。しかし勢いが突如として鈍り、やがて苦しそうにもがきはじめる――その首に、手足に、全身にまきつく糸があった。盗賊のルセが周辺を取り巻く柱に取りつき、豹の首に糸を投じたのである。絞め殺せるほどの強度はなく、本数も足りない絡新婦の糸。それでも十分だった。
テレゼの呪文が感性した。豹に向かって無数の炎の球体が放たれる。あとからあとから、何十発も。ダメージを受ける豹の絶叫、ぱらぱら天井から埃と小石が落ちてきた。
糸と炎をなんとかかいくぐった豹に、ヴェインの剣が打ちおろされた。すでに弱っていたところ、さすがの魔物といえど耐えきれず、豹はどうっと横だおしに倒れた。
少年たちは、つめていた息をはああっと吐き出した。――す、すごい。
豹が本当に絶命したのかを確かめたあと、ヴェインはひらりと手を振る。合図を受けて、ふたりは荷物を背負い駆け出した。
「お、お疲れ様です!」
「水です!」
と差し出された水筒を受け取り、パーティーの面々はやっと笑顔を見せた。
「おう、お疲れ。どうだあ、技、盗めたかあ?」
とヴェインは相変わらずべらんめえである。仲直りしたらしいテレゼが肩をすくめ、うっとうしげに肩に回されかけた男の手を払う。しゅたりと降りてきたルセはそんなさまを見、呆れたように首を振った。
「ダンジョンでイチャつくんじゃねえよ、お前ら」
カインから水筒を受け取り、
「ついでに天井付近を調べてきたが、どうも次の入り口は上にあるってわけでもねえみたいだぞ」
「そうか。ならもう潮時だな」
「ええ、そうみたいね」
と、パーティーメンバーは頷きあう。
ダンジョンの次の階層への階段、あるいは入り口となるべき扉。彼らはそれをなかなか見つけられないでいた。たまに行き会う別のパーティーもそのようだった。入るたびに迷路が変化するから、彼らの歩んできた道のりはこちらのパーティーの地図に照らし合わせても意味がなく、また先方も同様である。そもそも地図をつける意味さえなかった。
「じゃ、素材を剥ぎ取ったら戻ろう。おうい、仕事だぞ」
と、リーダーであるヴェインの掛け声でユリウスとカインは動き出した。
魔物を解体し、換金できる素材を手に入れる。冒険者たちにとって、目下の収入源とはこれである。
そりゃあ宝箱に隠された財宝や、ひとつの階層ごとにあるという最奥の間で入手できる素晴らしい剣や防具は魅力的だが、いかんせん手に入れる労力と釣り合わない。ハズレもあれば、今となっては時代遅れなこともある。
たとえば先月にテレゼの友人が宝箱を見つけ、喜び勇んでこじ開けてみれば中にあったのは一抱えもあるパスタの山だったという。その何者かがダンジョンにパスタを隠したときは、きっと小麦の生産がとんでもなく難しい時代だったのに違いない。
そのご友人が泣きながら古い古いパスタを全部茹でてひき肉ソースであえて食べ、みごとに腹を下して寝込んだ話を聞いたとき、ユリウスはもはや笑えなかった。そんな不合理は日常茶飯事なのだと、身に染みてわかった頃だったから。
ダンジョンは過酷で冷酷、冒険者たちはそれに文句を言うこともできないのだった――ぜんぶ覚悟の上で、いつか手に入るかもしれない一攫千金の夢は甘美なのだ!
こと切れた豹の口を釘抜きでこじあけ、歯や喉奥を確認する。白目を剥いて死んだおぞましい顔は見ようによっては残酷絵図だったが、ユリウスもカインもすっかり慣れっこだった。
そりゃあ最初の頃は魔物の巨大さ、命をものとして扱うことに吐いたり具合を悪くしたこともあった。けれどそんなものはひと月もすれば慣れる。なにせ魔物の死体は、金になる素材の山なのだから。
残念ながら、この豹の歯はダイヤモンドでも白銀でもなく、ただの歯である。動物の歯だ。幸運は今日はおあずけらしい。
魔物には十体に一体くらいの確立で、身体じゅうの骨が金銀だったり歯が宝石の個体がいるのだった。その一体に当たることができれば、そのあと数か月は遊んで暮らせる。ダンジョンの未知数の不思議のひとつ。ユリウスはまだそのアタリに出会ったことはないし、カインだってきっとそうだろう。でなければ荷物持ちなんてやってるはずがないのだ。
腹をさばき、骨を確認し、内蔵をえりわけ、心臓だけがエメラルドだったりしないか期待する。それにしても、宝石が詰まった個体はいったいどうやって生きているのだろう。それを解明するのは魔法使いや学者の役目、冒険者はただ自分の仕事をするばかり。
喉から腹までを一文字に切り裂いても、めぼしいものは見つからなかった。少年たちは目を合わせて首を振り、毛皮を剥ぎにかかる。
「手際いいじゃん。いつからやってんの?」
とカインはユリウスの小刀さばきに声を上げた。
「半年……ちょっと前くらいから」
「まじかよ。猟師の子とかじゃなく?」
「いや、全然。性に合ってたみたいだ」
「へえー」
こら、と大人の怒り声。
「ガキども、無駄口叩いてねえでとっとと手を動かせ! 毛皮が取れ次第ここを離れるぞ」
盗賊のルセだった。基本的に見習いが働いている間、パーティーメンバーは退路の確保や魔力の補充、武器の手入れに時間を使う。それがもっとも効率的だからだ。
ルセは愛用の絡新婦の糸を丹念に畳んで腰の鞄にしまい込みつつ、周囲を警戒している。ピリピリした雰囲気は口答えできるものではない。
「ヴェインが退路を確保できたらすぐ戻るんだ。売れるモンを置いてったら承知しねえぞ」
「うす」
「はい」
怒られたユリウスたちが慌てて手を速めると、迷路の角からヴェインが帰ってくるのが見えた。
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