第4話
さてさて、家族が一人欠けようとも生活は続く。
コヤの街には花屋が多い。とくにお昼時、そこで働く者たちはたいへん忙しい。
コヤの街の人たちは、お昼休みに花を買いに来る。午後は職場にその花束や鉢植えを置いておいて、そこにはもちろん前から飾られている花たちもいて、みんなでその姿や香りを愛でるのだ。魔法使いが生み出す小さな水魔法の呪符、あるいは小さなクリスタルの魔法具をくっつけておけば、例え藁できつく縛った上にリボンをかけたぎちぎちの花束だって数日はもつ。
仕事が終われば彼らはそれぞれの花を携えて、家や酒場や思い思いの場所に散っていく。人と会うときはまず花を。花は愛情と友好の証だから。この街の人たちはそういうふうに物事を考えている。
「マイヤ? 注文の花束、できた?」
「はあい、リアさん。今リボンかけしてます」
「ありがとう。すぐ出せるようにしておいて」
「はい!」
マイヤは元気よく返事した。どんなときでも元気で愛想がいいに越したことはない。女主人のリア夫人はその声に満足気であるから、なおさら。
花屋の名前をリアの花束という。店内は少女たちの体臭と生花の香りでむせ返るようだった。板を張っていない天井の剥き出しの梁にはところ狭しとバスケットやブリキバケツが下げられて、そこに植えられた、あるいは生けられた花々がぶわりと咲き誇っている。強い香りも弱い香りもそれぞれに独特で、私を見て、見てと叫ぶ花たちの嬌声だ。
常に開けられた天窓からは日差しがぱあっと入って、狭くはない花屋の店内を明るく照らした。
マイヤたちが立つ作業台は、女の背丈に合わせて低めに造り付けられている。隣のアンと肘が触れそうになりながら、マイヤは出来上がった花束を点検した。淡いピンクの透ける薄さの紙でコーティングされた、バラを中心とする艶やかな一品。アクセントのニューテルの小花の黄色が目にもかわいい。
お客様に出す用バスケットに慎重に花束を詰め込んでいると、表の店から売り子のナナが入ってきて、
「マイヤさあん、魔法使い協会の退職の花束のお客様ァ、早めに来ちゃってー」
と言いざま走り抜けていった。裏の倉庫で在庫を確認するのだろう。
「そっちはもうできてるわ。注文品置き場に置いてあるからっ」
「それがないんですよーう。どこ置いたんですう?」
ナナは両手に溢れんばかりの銀紙を持って、再び作業場を通り抜けていく。ちょこまかと、ネズミの子供みたいだった。
「いつものとこに置いたわよ、ないの!? うそっ、どこいった?」
「どうせまたターニャがどっかにやっちゃったんじゃないの。そそっかしいんだから」
と、アンの横槍。ついでに細い骨ばった肘がマイヤの横腹に突き刺さる。
マイヤは花の真ん中から首を伸ばし、
「ナナ! これ終わったらそっちに行って一緒に探すから! なんとかお客様にお待ちいただいて!」
「わかりましたああ!」
――とまあこんな具合である。
忙しさが一息ついて、結局やっぱり花束をどっかに移動させちゃってたターニャがリア夫人に怒られるのを聞きながら、マイヤたちは作業場の片づけをする。リボン、レース、ラッピング用の紙、化粧箱の在庫、それから気を付けていても落ちる土、葉っぱのきれっぱし、千切れた根っこ、それから花びら、花芯、花粉!
窓ガラスを拭きながらアンは歌うように、
「きょーうのおやつはなっにかーしらー」
モップでもくもくと床をこすりつつマイヤは、
「きーっと昨日とおーんなっじよっ」
二人は顔をあげて見つめ合い、揃ってけらけら笑い出した。
「これっ。真面目にやんないとおやつ抜きですよ」
とパンパン手を叩きつつ、リア夫人が入室した。後ろにしょぼくれたターニャを従えている。夫人のパリッと糊の効いた黄色の肩のところが膨らんだドレスと、ターニャの水色のエプロンドレスの対比が目にも綺麗だった。
くすくす笑って仕事に戻りながら、マイヤの心に浮かぶのは弟のことである。
(今ごろ、ダンジョンでもおやつかしら……)
と思うのも気が重い。もちろんダンジョン攻略におやつ休憩なんてない、そんなことして魔物に襲われたらどうする? けれどマイヤはそんなこと知らない。
さっきまで家族の心配なんてしてる場合じゃない戦争具合だったから、どこか遠くにいってた悩みだったけど。
マイヤは自分の家族のことが好きである。大好きといって過言ではない。子供というものは大抵そうであるが、熱を出そうが反抗しようが迷惑かけようが最後には受け入れてくれると信じているし、実際にそういう家族だった。
コヤの街のことも大好きだった。一家がここに住みついたのは十年ほど前だったが、快く受け入れてくれた街の人たちのことも、花が溢れる街並みも何もかも全部好きだ。
だからそれを捨てていってしまったユリウスのことが、どうにも理解できないでいる。帰ってくると信じているけれど、それとこれとは別問題。
(こんなにいいところなのに。故郷なのに。花に溢れて。花に溺れて。いいところなのに)
物思いするうちにも身体は勝手に動き、みんなの働きでいつの間にか作業場はピカピカである。仕上げの雑巾がけで作業台を綺麗にし、あれをやりこれをやり。
掃除が終わればお待ちかねのおやつの時間だった。
おやつは今日も、花の形のクッキー。こういうところまで徹底している。
「そういえばさ、ユリウスくんはどうだったんです?」
とナナが興味津々に聞いてきた。
「戻るのイヤだって」
「ううーん、なんでですかねえ。うちの隣の子も行っちゃいましたけど。ダンジョンってそんなにいいもんでしょうか」
「なんでだろうねえ? 私さっぱりわからないわ」
私も、私も、と声があがった。
「確かにマーネセンは大きな街だけどねえ」
「一回行ったらもういいかなってなるのよねえ」
「あんまり大きすぎて、めまいがしたもの」
「えっ私は行きたい、マーネセンに」
と声を上げたのはターニャだった。赤毛のちりちりの髪の毛と、さっきまで怒られていたからか紅潮した頬でりんごのようだ。
「ダンジョンに登って、お宝を手に入れるのよ。それで家族にお金を持って帰るの!」
少女たちは互いに顔を見合わせた。――お金、確かに、お金は大事だ。
コヤの街は全体的に貧しくて、領主様だってめったに立ち寄らない。たとえば王都だとか、この世界にもう一つあるという【小さな大陸】の話なんかだと、遠すぎて実感が湧かないが、
「マーネセンだったら、いけそうな気がする……」
と誰かがぽつりと言って、
「そう、近すぎるのよ、ダンジョンが出た場所が!」
「それでみんな夢見ちゃうのよねえ!」
と笑いが起きた。
それから話題は少女たちの一番の関心ごと、つまり誰と誰が婚約間近だとか、結婚するなら誰がいい? ということに移っていき、マイヤもそれを楽しんだ。
一方、頭の片隅で考えている――そう、ダンジョンがこの世に出現したのが、たまたま隣町だったのがいけないのだ。だからユリウスだって、夢を見ちゃったの。
ダンジョンという迷宮は、神話によれば太古の昔にはあったものだという。まだ神様が幼子の頃からこの世界にあって、富を生む金塊や装身具を隠していたのだと。
十年前にダンジョンは出現した。ちょうどその頃滅亡したカーレリン王国という国があって、まるで入れ替わるかのような出現にはちょっとした流言飛語が飛び交かった。
その前の記録は二百年前、カーレリンが建国されたときのものだそうだ。初代カーレリン王はただの農夫だったが、ダンジョンに潜り(当時のダンジョンは地下迷宮だったので、その言い方をするのだそう)、伝説の剣を抜いて王になった。
だから二百年ぶりに出現したダンジョンのてっぺんには初代王の伝説の剣があるだとか、それを抜けば王になれるだとかの噂が、まことしやかに囁かれている。あるいは、いやいやそこにあるのは伝説の魔法使いアルダリオンの遺した宝玉で、それさえあれば世界中の魔物を操ることができ、初代カーレリン王のように世界征服できるのだとか。
やっぱりマイヤには、理解の及ばない遠い世界の出来事だ。
いつの間にか音もなく、リア夫人が後ろに立っていた。
「さあさ、お嬢さんたち! あとひと踏ん張りよ。夕方の営業も頑張って。誰もハサミで手を切ることなく、おうちに帰りましょうね!」
はあい、はあいと少女たちの返事がこだまする。
そうしてあっという間に一日が終わり、
「じゃあね」
「また明日ね」
「ばいばい」
と互いに挨拶をして店の裏口から外に出る。すっかり風が冷たくなっていた。季節は春だが、まだ夏は遠いのだ。
マイヤは胸にもらった売れ残りの花を抱え込む。紫色のスミレの鉢だった。ちょっと弱ってしんなりしているが、きっと甦らせてみせる。
マイヤも例に漏れず花が好きだった。花壇で育てられる華やかな花も好きだし、休日に野原に出て摘む野花の野性味も好きだ。香り、かたち、花びらの柔らかさや茎のちいさな棘の感触、葉っぱにつく青虫の駆除さえ気にならない。
そうして丹精込めて育てた花を父や弟の胸ポケットに飾ったり、花腕輪や花冠にして母とおそろいでかぶったり。ほかの街ではどうか知らないが、これがコヤの街のささやかなお洒落なのだった。
この街の少女たちは結婚式で頭に何重にも花冠をかぶり、花嫁衣裳に花を散らす。男たちは事あるごとに妻に花束を贈り、妻たちはベランダで花を育て手入れの腕を誇る。少年たちがお近づきになりたい少女に最初に贈るのは、ドレスの胸元を飾るささやかな小花のコサージュ。小さくとも店を持つ一人前の魔法使いには、まず花を延命させるための水の魔法を頼み、腕前をはかる。路地裏の怪しい占い師は花びら占いをする。
コヤの街は、花の街だった。
花にまみれて人々は生きていた。
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