第2話


 ダンジョンはそれから多くの秘宝にアイテム、魔石を生み出し続けている。大理石でも漆喰でもない、不思議な白い白い塔。その頂は雲に隠れて見えず、最高層に到達した者はいないとされる。そこにはなんでも願いを叶えてくれる某国の国宝だった魔石があるのだとか、ないのだとか。


 他の多くの冒険者と同じように、ユリウスは塔を見上げるたび身体が震える。芯から喜びが溢れてくる。それこそが、俺が冒険者にふさわしい理由だと信じている。


 そこに何があるとか、金になるとかだけじゃない。ただただ、あのわけのわからない塔に登りたいのだ。それが冒険者なのだ。そこから全部、始まるのだ。


「私たちは家族だから、お互いを認めなければならないわ。あなたの夢も含めて」


 と、唐突にマイヤが話し始めたので、ユリウスは現実に引き戻された。思わず背中を直して姉を見やると、最初に座ったときと寸分たがわずピンと背筋を伸ばして前を見ている。


「あなたはこのままここにいるというのね?……」


「姉さんは何も分かっていないんだよ。父さんの家業を継ぐって、そんなのは自分の人生を棒に振ることだってわからないのか?」


 ユリウスはびしっと塔を指さした。


「ロマンだよ姉さん! あれはロマンそのものだ。わかる? 迷宮の罠を潜り抜け、魔物を倒し素材をいただく。隠された宝物を手に入れて、もっと奥へと探索する。不可解な謎解き。魔法使いの呪文に杖、魔法陣。ハーフリングやドワーフの秘密の言葉。エルフの遺産。それから何より、異世界の魔法の道具!」


「そして致死率は統計を取れないくらい高く、行方不明者は毎日十人以上。あなたのように夢に憧れてフラフラやってきた若者が騙されて身ぐるみ剝がされる事件、毎日三十件ね」


「だーもうっ!」


 弟は地団太を踏んだ。思わずマイヤは横を向く。大き目の帽子の影に隠れてくれるといいのだが――怒ったりふてくされているユリウスは、まったくなんてかわいいのだろう!


 正直言ってマイヤは父ほどユリウスに怒っているわけでも、母ほど心配しているわけでもない。家族との対話を踏み倒して、逃げるように大きな街に出たことについては怒っているけれど……それだけだ。


 ユリウスは自分が家族に愛されているのを知っているはずだ。だから死ぬような無茶はしないと信じている。そりゃ、心配は心配だ。毎晩寝る前に森の女神に祈っている、弟が死にませんように、怪我をしませんように、病気や呪いをもらいませんように、無事に帰ってきますように。


 マイヤにできるのは、それだけなのだ。自分が無力であることを彼女は十分知っていた。それを受け入れていた。


 ユリウスが自分のやりたいことを思う存分できるなら、やらせてやればいいじゃないの。まるで母親のようにそう思うのだった。


 それに、本格的に心配したり連れ戻すのは、本当に命の危険も生じるという五十階以上の階層に進んだときに考えればいい。言っては悪いが、今のユリウスはただの荷物持ちの少年である。さっきのヴェインのかけ声ではじめて知ったけれど。


「想像してくれよ、姉さん? 父さんに従って、本意じゃない人生を歩み始めてからやっぱりこうじゃなかったって後悔して。そんなのいやなんだ。俺は自分の人生を自分で切り拓くんだ」


 と、ユリウスの声ばかりは威勢がいい。


「木工職人の何がそんなに嫌なんだか」


「俺は木工職人が嫌なんじゃないよ。父さんのやり方が嫌なんだよ!」


 半分、支離滅裂である。


 マイヤは苦笑を噛み殺しながら、ハンドバッグから小袋を取り出した。出発前に母が持たせてくれたものだ。


「一人でやっていくのもいいけど、孤独は辛いわよ。友達をつくりなさいね」


「え? うん」


「はいこれ。母さんから。ナイショよ」


 と、手に乗せられた小袋の金属の重み。ユリウスは目を見開き、項垂れた。


「……ありがとう」


「しょぼくれないの。モテないよ。たまには手紙を寄越してね。また私が来ることになっちゃっうわよ」


 ユリウスは昼のことを思い出した。冒険者たち、もといまだ職業が定まっていない彼のような若者たちが定宿にしている貧乏酒場の二階に、突如として姉が現れたのだった。少年たちにはからかわれるし、少女たちもにやにやするしでさんざんだった。おまけに彼は今日がダンジョン封鎖日だと思って昼まで寝ていたのである。それから、逃げるように姉を連れ出してあちこち回って、今に至る。


「じゃ、私は帰るわね。父さんたちにはうまく言っとくから」


「……わかった。よろしく、姉さん」


「コヤまで行く乗合馬車、本数少ないのよねえ」


「あ、じゃあ駅まで送るよ」


 マイヤは今日はじめて、満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう。お願いするわ」


 それで姉弟は連れ立って、円形公園のはずれに向かった。そこに馬車駅がある。乗合馬車はマーネセンの領主が新しく始めた政策の一つで、【大森林】の裾に散らばる小さな街や村を結ぶことを目的としている。確かにダンジョンは、マーネセンとその近郊の街を潤しているのだった。


 ちょうど来ていた乗合馬車にマイヤが乗り込むと、ユリウスは小袋を握りしめ、低い声で言った。


「俺、ぜったい金持ちになるからさ。ダンジョンで強くなって、本当の騎士様にも並べるくらい強くなるんだ。そしたら家だって建て直して、母さんの足だって治してやる」


 御者がハイッと声を上げた。もう乗る人はいませんかあ。もう出ますよお。


 他人の迷惑になるのはいけない。小袋をしまい込みながら、ユリウスは脇によけた。やがて馬車ががたごと動き出し、窓から顔を出す姉の顔が遠ざかる。


「とにかく、身体に気を付けてね。怪我しないようにして。パーティー? の人たちの言うことをよく聞いて……」


「わかった、わかったから! 手紙も出すよ」


「うん。待ってるわ。――じゃあね、ユリウス!」


 馬車とユリウスの間に誰かの剣が入った。彼が慌てて飛びのくなり、乗合馬車は石畳をごとごと進み、徐々に速さが増してもう彼には追いつけない。


 ユリウスは定宿に帰るべき歩き出した。おごったお茶代よりはるかに多い金額の入った小袋を、万が一にもスられないよう気を付けながら。

 

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