第一章、世界  第三節、常盤 ②

 それにしても──、


 ボクは目の前の鳥をまじまじと見つめた。

 鳩じゃない。

 アヒルでも白鳥でもない。

 この鳥は……、何?


「私がどんな種類の鳥なのかを考えているんだね?」


 目の前の鳥は、愉快そうに笑った。

 ボクは恥ずかしさで顔を赤らめながら、小さくうなずいた。


「私は、カラスだ。」


 カ………、カラス?


 ボクの知ってるカラスは黒い鳥で、白じゃない。


「まあ、信じられないだろうな。」


 カラスだという目の前の白い鳥は、大きく息を吸うと、『カー』と一声鳴いた。さえぎるもののない空間は、その澄んだ声を、ただただ遠くまで運んだ。こだまのように返ってくることはない。


 カラスの声が空間の向こうへと飛んでいったのを見送って、ボクは視線をカラスに戻した。


「ところで、カラスさん。どうして白いの?」


「さあ、それは私にもよく分からない。ふと気づいたら、白いカラスだった。」


 『ふと気づいたら』って、どういうことだろう?

 『生まれつき』とも違う気がする。

 それってつまり、もしかして──、


「カラスさん。もしかしてカラスさんも自分が誰なのか分からないの?」


「君は実に面白いね!」


 そう言うと、白いカラスは心の底から愉快そうに大笑いした。その笑い顔は、とても幸せそうに見えた。


 ひとしきり笑うと、白いカラスはボクの目を見て言葉を続けた。


「君の言う通り、私は自分が誰なのかを知らない。」


「カラスさんも? ボクもね、自分が誰なのか分からないの。」


 心が踊った。自分だけじゃないという安心感がボクの中に生まれ、ずっと心の中にあった恐怖心は、白い空間のかなたへと消えてしまった。


「真っ白な空間を、たったひとりで飛び続けるのは、心細いものだ。この世界にいるのは、もしかしたら私だけなのかもしれないとも思っていた。」


 白いカラスは、広い空間を見渡しながら、雨だれのように言葉を紡いだ。


「……君の姿が見えたときは、本当に嬉しかった。」


 カラスの優しい言葉に、ボクはもっと嬉しくなった。


「ボクも、自分しかいないんだって思ってたの。自分の声もこの白い空間に吸い込まれてしまって、ぼやけた音にしか聞こえなかったし。だけど、カラスさんの声が聞こえてドキドキして、カラスさんの姿を見てびっくりして、カラスさんとお話しできて踊り出しそうになって──、」


 ボクはちょっと呼吸を整えてカラスをまっすぐ見た。


「ボク、カラスさんに会えてすっごく嬉しかった。」


 白いカラスは、照れくさそうに視線を遠くに移した。


「……君は、『常磐ときわ』という言葉を知っているかい?」


 ボクは、首をかしげた。


「ううん、知らない。どんな意味の言葉?」


「常磐は私が好きな言葉でね。いつもそのようでありたいと思っていた。そして君と出会って話をして、常磐のような人だと感じた。常磐はだ。」


 白いカラスは、フッと風のように笑った。


「私のことは『トキワ』と呼んでくれ。これからは、名前が必要になるだろう?」


 ボクは顔中を笑顔にして大きくうなずいた。これからは、ひとりじゃない。


「よし、次はボクだ。素敵な名前にするぞ。」


 知っている言葉をあれこれ並べて考えてみたけれど、どうしても、これだというものが思い浮かばない。


「無理に考え出す必要はない。君は君でいい。」


「ボクは、ボク……?」


「そう、君は君だ。」


 トキワは、ぐっと翼を伸ばして、ゆっくり畳んだ。


「さて、出発するか。」


 しばらく休んで、身も心もリフレッシュできたからなのか、また歩こうという気持ちがムクムクわきあがってきた。いや、トキワと出会ったからかもしれない。


「そうだね。行こう!」


 必ず、トキワと一緒にこの世界を出るんだ。


 ボクは、こっそりと誓った。

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