第26話 悪役令嬢ヴェルベーヌ・シャルマン

 ----広く、浅く、そして誰とも深く関わらずに生きよ。


 それが、ヴェルベーヌ・シャルマンが、実の父親と交わした最後の言葉であった。



 ヴェルベーヌ・シャルマンが、世に言う【傾城傾国ファム・ファタル】という魔法を発現させたのは、11歳の事だ。


 ごく普通に、父と母、そして2つ下の妹ともに仲睦まじく朝食を取ろうとしたヴェルベーヌの近くを通ったメイドが、「愛しています、ヴェルベーヌ様!」と言って、10以上も離れた彼女に敬愛のキスをしようとしてきたのがきっかけだった。

 後にそれが、ヴェルベーヌが初めて【傾城傾国ファム・ファタル】を使った時だと明らかになった。


 ちょっとした彼女への敵意などを、彼女への愛という形に変換させて、愛させる。

 ヴェルベーヌに敬愛のキスをしようとしたメイドは、その時、『ヴェルベーヌ嬢の食べ方は、少し汚いかも』くらいにしか思ってなかったのに、それすらも塗りつぶして、ヴェルベーヌへの愛へと変えたのだ。



 それが、【傾城傾国ファム・ファタル】。

 ヴェルベーヌが有した、強力なる洗脳魔法。



 ヴェルベーヌが、自分達シャルマン家のご先祖様の魔法と同じ力を宿していると分かった時、父親は先の言葉を口にした。


 『広く、浅く、そして誰とも深く関わらずに生きよ』。

 つまりは、もう今までの生活を望むべきではない、と。


 ----お前は全ての人間を、自分に愛させる。そんな洗脳紛いの力、我が家はいま必要としていない。


 それがシャルマン公爵の見解である。

 全ての人間を自分に愛させて尽くさせる力は、権力者に狙われるような危険な力であり、この平和な世には不必要であると考えた。


 そして、ヴェルベーヌを遠ざけた。

 代わりに、ヴェルベーヌを蔑ろにした訳ではなかった。

 

 1日3食の豪華な食事は、全て父親である彼が魔法を用いて、運ばせて。

 彼女が将来困らないように、授業などの学習は、全てプリントという名の自習で学ばせ。

 お小遣いもまた、ヴェルベーヌが使えきれないほどに、毎月十分すぎるほどに与えている。


 しかし、ヴェルベーヌは不満であった。


 確かに不自由さや不便さは感じない、だがしかし人の温もりは一切感じられない。


 ひとりきりの食事。

 孤独な勉強。

 多くあるだけの、空しいお金。


 ヴェルベーヌが幾度、思った事か。

 この【傾城傾国ファム・ファタル】の力がなければ、みんなと平和に、家族として暮らせたのにと、何度思った事か。




 【傾城傾国ファム・ファタル】の力は、ヴェルベーヌ・・・・・・自身・・にも向けられた。



 自分から家族の時間を奪ったこの魔法を持つ自分が嫌いという、そんなヴェルベーヌ自身の気持ちすら、【傾城傾国ファム・ファタル】は塗りつぶす。

 愛という形で、自分は愛されると、ヴェルベーヌに思い込ませる。


 こうなってくると、ヴェルベーヌの意思など関係ない。

 なにせヴェルベーヌが少しでも今の環境を不満に思っても、魔法の効果によって自分に相応しい良い物であると、誤認識させられるのだから。

 ヴェルベーヌがどんなに嫌っていようとも、そんな嫌な思いをさせるくらいならと、その気持ちすらなかったこととして、書き換えて来るのだ。


 なにが好きで、なにが嫌いだったのか。

 今のヴェルベーヌには、思い出せなかった。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「ふわぁ~……」


 ヴェルベーヌは大きく伸びをして、布団から起き上がる。


 素っ裸である。


 以前はパジャマを着ていたと思うのだが、寝苦しいという時があった影響からか、それ以降ヴェルベーヌは寝る時は真っ裸である。


 そして、窓の外を見て、驚いた。



「----うん?」



 校舎が・・・溶けていた・・・・・


 紫色の糸のようなモノが校舎の上に降りかかっており、それに触れた部分がもれなくドロドロに溶解していた。


『『アァ! ヨウヤク・オ・メザメデスネ、ワレラガア・ル・ジ!』』


 と、そこでヴェルベーヌは自分を見つめる4対の瞳、大きな蜘蛛に気付いた。


「あなたは……」

『『ワタク・シ・デスヨ、"シャルマン"・サ・マ! アナタサ・マ・ノイチノコブン、"アトラク・ナクア"デゴ・ザ・イマス!』』


 アトラク・ナクアという名に、ヴェルベーヌは覚えはあった。

 確か初代シャルマン、つまりはヴェルベーヌと同じ【傾城傾国ファム・ファタル】を持った勇者様と契約した巨大蜘蛛の名。

 その蜘蛛がどのような事をしたかは伝わっていないが、これだけは伝わっている。



 ----世界を滅ぼそうとしたその蜘蛛を止めるのに、16人もの勇者達が命を落としたという事を。



『『コノヨハ・ス・ベテ、"シャルマン"サマノモノデ・ア・ルベキデス! テハジ・メ・ニ、コノガクエンヲショ・ウ・アクシ、コノセカイ・ヲ・テニイレマショウ!』』


 巨大蜘蛛、アトラク・ナクアはルンルン気分でそう言う。


 ヴェルベーヌは思った。

 そんな残虐な事を、一度も望んだことはないと。

 ただ、平和に、自分は暮らしたいだけなのだと。


 しかし、アトラク・ナクアは、そんなヴェルベーヌの想いを、【傾城傾国ファム・ファタル】でも変わらなかった。


「(多分、これがこの蜘蛛さんにとっての、私への愛の示し方なのでしょう。

 ……いえ、"シャルマン"様と言っているから、【傾城傾国ファム・ファタル】の初代シャルマンと、私を同じ人としてみなしている?)」


 愛を示す方法が人それぞれならば、世界を滅ぼしかけた伝説の蜘蛛にとっての、ヴェルベーヌへの愛の示し方がこれなのだ。


 学園を破壊して、その残骸の上にヴェルベーヌを王として載せる。

 それが、この蜘蛛の、ヴェルベーヌに対する……いや、初代シャルマンに対する愛。


 ヴェルベーヌは否定しようとした。

 

 自分は初代シャルマンとは、違う人である。

 こんな学園の破壊など、望んでいないと。


 しかし、そういう事は叶わなかった。

 ヴェルベーヌがストレスを感じていると感じた【傾城傾国ファム・ファタル】が彼女を洗脳して、そして----



「えぇ、そうね。世界なんか、ぶっ壊すに限るわね」



 その日、世界の破滅を願う、『悪役令嬢』。

 ヴェルベーヌ・シャルマンが、産まれたのであった。




(※)【傾城傾国ファム・ファタル】の防衛機能

 体臭を利用し、魔法の持ち主を『愛させる』力を持つ【傾城傾国ファム・ファタル】。この魔法は持ち主に対する敵意の他に、持ち主当人がストレスを感じた際にも効果を発揮する

 そしてストレス解消のために嫌いだという気持ちを上書きするため、【傾城傾国ファム・ファタル】が勝手に発動される。それにより、持ち主当人ですら、何が本当は好きで、何が本当は嫌いだったのかすら、分からなくなってしまう

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