【2/8コミカライズ発売】婚約者様があざやかに破滅していきました

山田露子 ☆6/10ヴェール漫画2巻発売

短編小説/一話完結


 一度始めてしまうと、歯止めがきかなくなり、もうどうにも止まらなくなることってありませんか?


 私の婚約者様が今まさにそのゾーンに入ってしまったようです。


 只今私は容赦のない悪口を浴びせられております。すごいわ、まるで洪水のよう。


 ……これ、一体いつ終わるのでしょうか。


「空気が読めない女性には本当にうんざりさせられる。なんで君という人はそんなにかたくななんだろう。もっと朗らかに気を遣えないのか? さすがにもう我慢の限界だ」


 今の台詞は彼が毒づいてきたうちの、最後の部分です。


 私、しばらく前からずっと駄目出しをされておりまして、なかなかそれが終わらなくて。……あら、でも、もしかして終わった?


「あの」


 なんとかここで口を開いたところ、


「そうやって人の言葉を平気で遮るところも好きじゃない」


 あ、終わっていなかった……。


 彼、嫌悪のあまり顔を歪めています。


「ああ、今日はせっかくのパーティなのに、ものすごく不快な気分だ。君との口論のせいで!」


 そうなのです、今はパーティの真っ最中。


 伯爵令息である彼は、見た目だけはよろしいので、夜会服が良く似合っていらっしゃいます。……ただ、中身がまったく尊敬できないと、外見が良いぶん、不思議と哀れを誘いますわね。残念極まりないことです。


 彼が「ものすごく不快な気分」とおっしゃるので、


「奇遇ですね、私も同じ気分ですわ」


 反射神経で隙間に言葉を差し込んでみました。ちょっと達成感を覚えます。


 けれどほんの少しやり返したら、彼の顔がもっと恐ろしくなりました。


 ああ……憎しみは憎しみしか生み出さない……私はパーティ会場で、大きな学びを得ました。


「まったく、ああ言えばこう言う……! なんて女だ!」


「あの、つまり……あなたはどうなさりたいのですか?」


「とにかく心から君が嫌いなんだ」


 私はふたたび「奇遇ですね、私もです」と言いたくなったのですが、必死で自制しました。


 ……なんだか周囲の人がジロジロ見ています。この状況を恥ずかしいと感じているのは、私だけなのでしょうか。


 彼、「空気が読めない女性には本当にうんざりさせられる」と先ほどおっしゃっていましたけれど、公衆の面前で婚約者を罵る行為は、『空気が読めている』とは言えないと思うのですが。


 ……これはもう、修復は無理ですわよね。


 彼の家も私の家も、伯爵位で同格です。ただ、お恥ずかしい話なのですが、当家は経済的に困窮しておりまして、この婚約関係はこちらのほうが弱い立場ですの。


 だから婚約破棄はあちらから宣言してほしいですわ。こちらは違約金を払えるような懐具合ではございませんので。


 ここから燃料を投下したら、行き着くところまで行くでしょうか……私はちょっとした好奇心を覚えました。


 それから、彼が私の『どういった点』に嫌悪を覚えたのか、それにも興味があったのです。


 ですからストレートに訊いてみることにしました。


 ――その結果、上手くいけばですよ――彼は語っているうちに嫌悪感がさらに湧き上がってきて、うっかり「婚約破棄だ!」と叫ぶかもしれません。


「そもそもあなたは私のどこが気に入らないのですか? 具体的に、『あの時のあの行動だ』と教えていただけません?」


 尋ねると、彼は「いいとも」とすぐに話し始めました。


「三カ月前、僕がリッチーの喋り方が変だと親切で指摘していたら、君が横から出しゃばって、『私はリッチー様の見識の高さに憧れていますけれど』と馬鹿げたことを言ったじゃないか!」


 え……。


 私、これには心から驚きました。リッチー様というのは、子爵家の方です。


 あ――婚約者様の左斜め後ろに、今まさにリッチー様が現れました。人垣のあいだから現れたので、『話を聞いていますよ』のアピールですわね。


 リッチー様の隣には、彼とこれから婚約する予定の王女殿下が並んでいらっしゃいます。


 ああ……婚約者様、あなた、たった今、とんでもないことをなさいましたよ。


 婚約者様は今崖っぷちに立っているも同然なのですが、本人だけがそのことに気づいておらず、得意気に続けます。


「リッチーは滑らかに喋れないし、みっともないじゃないか。痩せ細っていて、見栄えも悪い。あんな男をかばうなんて、君は頭がおかしい!」


 リッチー様は長いあいだ海外にお住まいでしたので、この国の言葉が少し不自由です。だけどそれがなんだというのでしょうか。彼は大変頭が良く、人格者で、立派な方です。第一王子殿下に能力を買われている、前途有望な御方です。


 私は冷や汗をかきながら、話題を変えることにしました。


「あの……ほかには何かありますか」


 私が青褪めているので、彼は「ダメージを与えられた」と得意気になっているご様子。


「二カ月前、ミス・ホワイトがガーデンパーティでお菓子をよく食べていた。彼女は太りすぎだから、僕が親切心で『あなたはダイエットをしたほうがいい』と言ったら、関係ない君が『発言を取り消して』とヒステリーを起こした」


 え……。


 これまた驚きです。私はヒステリーを起こしていません。彼の物言いがあまりに無礼だったので、「発言を取り消して、ミス・ホワイトに謝ってください」とは言いましたけれど。


 他者の容姿をつべこべ言うのは最低の行為だと思います。


 大体、ミス・ホワイトは健康的でお可愛らしいですし。


 あ――婚約者様の右斜め後ろに、ミス・ホワイトが現れました。リッチー様の時と同じですわ。人垣のあいだから現れたので、『話を聞いていますよ』のアピールですわね。


 ミス・ホワイトの隣には、これから婚約が調うと噂の王弟殿下がいらっしゃいます。王弟殿下はミス・ホワイトに寄り添い、仲睦まじいのが伝わってきますわ。


 ああもう……婚約者様、あなた、ふたたび、とんでもないことをなさいましたよ。


 私は気が遠くなりかけていましたが、また話題を変えることにしました。


「あの……ほかにもご不満があれば伺いますが」


 もう私、おうちに帰りたいですわ。巻き添えで私の人生も終わるんじゃありませんこと?


「ついさっきだ!」


「ついさっき、なんでしょう?」


「ここにいるグレッタに、君は意地悪を言った!」


 ああ、そうそう……彼のお隣には、子爵令嬢のグレッタさんがいらっしゃいます。


 彼女は私と顔の系統が違って、童顔です。


「グレッタは僕と踊りたいのに、君がそれは駄目だと!」


「こういったパーティでは通常、婚約者とファーストダンスを踊ります。あなたは私と踊っていないのに、グレッタさんと踊るのはおかしいです。そうなさりたいなら、『婚約破棄した上で』おっしゃってくださいませんか」


 言えました。言えましたよ、私……ドキドキします。乗ってくるでしょうか。


 私があれこれ冷静に返すもので、彼は我慢の限界だったみたいです。


「ああ、ああ、婚約破棄してやるとも! こちらから婚約破棄してやる!」


 で、出ましたー! ありがとうございます!


 私、周囲を感慨深い気持ちで眺めてしまいましたわ。


 ……皆さん、聞きましたわよね? 聞きましたわよね? 証人ゲットですわ!


「承知いたしました。婚約破棄の申し出、承ります」


 私が頷きながらそう告げると、彼が『ん?』という顔になりました。


 なんでしょう……捨てるとなったら、惜しくなった、みたいな顔に見えますが、まさかですよね。だってこれだけ罵っておいて、未練もないでしょうし。


「……僕は君の外見が嫌いだった」


 彼がポツリとそんなことをおっしゃる。


 え、まだ罵り足りないということですか? なかなか困った人ですわね。


「さようでございますか」


 私は凪いだ瞳で彼を見つめる。今なら私、どんな無礼でも許せますわ。海のように広い心で。


「君は野暮ったいメガネをかけていて、見ていてずっと気が滅入っていた。パーティ会場くらい、メガネを取れないのか!」


「あら」


 そんなことですの? 彼、メガネが嫌いだったのですね。


 私は近視・遠視、どちらでもないのですが、なんとなく婚約者様(あ、今ではもう『元』婚約者様ですわね)が苦手で、彼の前ではずっと度の入っていないメガネをかけておりました。なんだかこれをつけるだけで、少し護られる気がするもので。


 ……ただ……自分で言うのも恥ずかしいのですが、人からは「メガネあり、なし、どちらも綺麗ですね」と言われていたのです。


 確かに私、どちらも似合うと思います。


 私は『最後ですものね』と思いながら、メガネを外しました。


 そうしたら彼があんぐり口を開けていらっしゃいます。


 え……メガネを外したら、美人……なんてことはありえませんからね。


 単にあなたの目が節穴(ふしあな)だっただけですわよ。というかメガネが嫌いすぎて、ちゃんと顔を見ていなかったのかしら。


「ねぇ、ダンスしましょうよ~」


 元婚約者様の脇腹をグリグリ人差し指で押しながら、グレッタさんが下品に甘えて促したので、彼はとりあえずダンスをせざるをえない空気になりました。


 元婚約者様はこちらをチラチラと未練がましく振り返りながら、ダンスをしに行こうと振り返り、やっと気づいたみたいです。


 すぐ後ろに、先ほど悪口を言った相手と、それに寄りそう高貴な人――『リッチー様、そして(婚約予定の)王女殿下』『ミス・ホワイト、そして(婚約予定の)王弟殿下』が冷ややかに自分を眺めていることに。


 ……彼、ダンスを始めましたが、彼女の足を踏んだり、よろけたり、散々ですわね。


 ああ、それにしても、綺麗にお別れできてよかったわ!


 晴れ晴れした気持ちでいると、目の前にスッとジュリアン第一王子殿下が現れました。


「私の身内になる者たちをかばってくださって、ありがとう、レディ・ハンナ」


 金色の髪にシャンデリアの灯りが反射して、宝石よりも輝いています。美しい顔立ちですが、緑の瞳が物柔らかなので、近寄りがたい感じはしません。ジュリアン殿下確か私よりふたつ上の二十二歳なので、年も近いのです。


「とんでもないことでございます」


 私は大変気まずい思いをしました。「かばう」というほど立派なことはしていなかったからです。


「ダンスはお好きですか?」


 尋ねられ、


「……はい、好きです」


 小さく息を吸ったあと、短く答えるのがやっと。たぶん私今、顔が赤くなっていると思います。


 ジュリアン殿下とは週に二回くらいお会いするのですが、こういうパーティ会場で対面すると、やはりオーラがすごいです。……普段はあんなに気さくですのに。


「踊っていただけますか?」


 手を差し出され、私は「喜んで」と答えて、そっと自分の手を重ねました。


 そうしたらジュリアン殿下がこんなことをおっしゃいました。


「――今日が人生で一番ツイている」


「なぜですか?」


「あなたが私の腕の中にいるからです。――少しお話をしてから、私はある質問をあなたにする予定です。その問いに、あなたが『YES』と答えてくだされば、私はもっと幸せになれると思います」


 ジュリアン殿下のリードでダンスが始まりました。


 すごく踊りやすいです。彼はスマートで、私を気遣ってくださいます。


 踊りながらジュリアン殿下は、私との思い出話を語っていきました。


 語ることはなかなか尽きませんでした。


 というのも、私は週二回ほど、ジュリアン殿下のお仕事をお手伝いしていたからです。


 実家が困窮している関係で、もともとは王宮で事務方のお仕事をしていました。そこでまずリッチー様(先ほど婚約者様がけなしていたお相手です)と顔見知りになりました。リッチー様は私の仕事ぶりを見て、「何事も正確で信用できそうなので、特別に頼みたい仕事があるのですが」とジュリアン殿下に紹介くださいました。


 ジュリアン殿下は見た目が大変ハンサムなため、女性の事務官を雇うのに苦労していたようです。……不思議ですね。女性に人気がありすぎて、かえって雇えない。


 そうはいっても側近が男性ばかりだと不便なこともあります。たとえば女性のお客様と会う際に、秘書として部下の女性が部屋にいたほうが、おかしな醜聞に発展しないよう予防できるとか、そういうことですね。


 私は婚約者もおりましたし、性格的に落ち着いていたので、適任と思われたようです。


 それでジュリアン殿下のおそばで、事務仕事を色々こなすようになりました。


 ――ダンスをしながら、ジュリアン殿下は私の普段の仕事ぶりを褒めてくださいました。


 そしてメガネも。


 メガネをかけていても、かけていなくても、どちらも好きだとおっしゃってくれました。


 私は踊りながら、何度もクスクス笑ってしまいました。ジュリアン殿下とは会話をしていて、いつも楽しいです。彼に思い遣りがあるからでしょうか。


 そして最後に、


「――私と結婚してくださいませんか?」


 そう尋ねられました。


 いつの間にかダンスの音楽が終わっています。


 私は――……


 ――お返事の数秒後、ジュリアン殿下にギュッと抱きしめられましたので、私がなんとお答えしたか、あえて言うまでもないですかね。




   * * *




 ――そうそう。


 パーティが終わり、帰ろうとしたら、馬車乗り場の暗がりに元婚約者様が隠れていらして、飛び出して来たんですの。


 やっぱりやり直そう、とか、僕といる時はメガネさえ外してくれていたら、とか、訳の分からないことをおっしゃっていましたわ。


 すぐに衛兵に捕まえられ、どこかへ連れて行かれました。


 だって私の隣にはジュリアン殿下がいらしたものですから。


 パーティ会場を出る際、私は「ひとりで帰れます」と申し出たのですが、ジュリアン殿下が「心配だから送ります」とおっしゃって。


 お言葉に甘えてよかったわ。


「あなたがいてくださって、本当によかったです」


 ホッとしてお礼をお伝えすると、ジュリアン殿下はとても綺麗な笑顔で私を眺めおろしました。


 これにはもう……ドキッとしましたよ。




   * * *




 婚約してからも、私はジュリアン殿下のお仕事を手伝っております。


 お天気が良いので、窓辺に寄り、窓を開け放ちます。


 ああ……気持ちの良い風。


 毎日楽しいです。


 そういえば、先ほど処理した書類に、元婚約者様が貴族籍を抜けるというものがございました。


 ……どうかお達者で。


 ちなみにパーティ会場で仲良くしていらしたグレッタさんのほうは、三十歳上の、なかなかに気性の激しい男性のもとに嫁ぐようです。


 つまりおふたりは悲恋でしたのね。


 元婚約者様、これからの暮らしで、メガネをかけていない理想の女性が見つかるとよろしいですわね。


「――ハンナ。僕以外の誰かのことを考えている?」


 ふと気づけば、ジュリアン殿下の腕に包み込まれていました。


 執務デスクに着いていらしたのに、いつの間に。


 そういえば……あとで聞いたのですけれど、ジュリアン殿下はずっと私のことを心配してくださっていたようで、あの運命の日――パーティ会場で、私の元婚約者に苦言を呈すつもりでいらしたのだとか。


 その上で私の気持ちを確認し、婚約破棄を望んでいるのなら、力になろうとしてくださっていた。……元婚約者様のことを密(ひそ)かに調べていたらしく、色々とマズイ情報を押さえていたようですわ。


 でも、元婚約者様が見事に自爆(?)なさって、醜態を晒した上で、「婚約破棄だ!」と叫んだもので、「準備していたものがすべて無駄になったよ」とジュリアン殿下はおっしゃっていました。


 ……全然無駄じゃないですよ。私のために動いてくださっていた、そのお気持ちがとても嬉しいですから。


 彼が甘やかすように、私の髪を撫でます。


「――僕のハンナ」


 私は幸福を感じて、彼の腕の中でそっと目を閉じました。



   * * *



 婚約者様があざやかに破滅していきました(終)


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