第2話 動き出したら

 守梨はもうすぐ、「春日守梨かすがまもり」から「原口はらぐち守梨」になる。


 ゆうちゃんの両親に結婚を報告すると、ふたりは諸手を挙げて喜んでくれた。


「守梨ちゃんがうちにお嫁に来てくれるなんて、ほんまに嬉しい〜」


 おばちゃんは胸元で両手を組んで、踊る様に喜んでくれた。おじちゃんも嬉しげに「うんうん」頷いていた。


「いや母さん、お嫁っちゅうかさ、守梨ちゃんには「テリア」があるんやから、祐樹ゆうきを春日の家に婿養子にやってもええんちゃう? 祐樹が料理人になるんやし」


「あ、そやね。うちには家柄やらなんやら継ぐもんも大して無いサラリーマン家庭やもんね。それもありやね」


 祐ちゃんの両親にそう言われた時にはさすがに驚いたが、守梨と祐ちゃんは真剣に話をした。原口の家には確かに肩書きなどがあるわけでは無い。それでもおじちゃんの弟である弥勒みろくさんは独身とのことだし、もうひとりの兄弟は女性で、もうとうに他家に嫁いでいる。


 どちらにしても、どちらかが途絶えることになるのである。しかし男児がふたり産まれた原口家はともかく、子どもが守梨ひとりだった春日家は、遠からず絶える運命だったのだ。


 それに祐ちゃんの血を継ぐ子どもが産まれたとして、霊的に何かあった時、どうしても原口家を頼ることになる。それを思うと、やはり守梨が原口家に嫁ぐ方が良いのでは、となったのだ。


 お父さんとお母さんが名乗っていた苗字は無くなってしまうわけだが、家にも「テリア」にもふたりが遺してくれたものがたくさんある。それで充分だった。




 祐ちゃんのプロポーズから、半年が経っていた。春である。桜はふっくらとしたつぼみをたくさんたくわえ、ほろりと開き始めるものもあった。厳しい寒さを乗り越えて、花開くのである。


 あれから守梨のセミナーも無事終わり、とりあえず知識だけはさずかった。お父さんのレシピとお母さんのワインノートでのお勉強も怠らず、ビストロ「サトル」でのアルバイト、修行も順調だった。かなり力が付いて来たのでは無いだろうか。


 そうなると、「テリア」再開の目処も立つのではと思うのだ。春の新生活のシーズンに、「テリア」も再出発する。それは守梨の理想ではあるのだが。


 祐ちゃんは渋面を作る。


「今の俺の力で、再開して大丈夫なんやろか」


 お父さんとお母さんの魂の消滅は、祐ちゃんにとっての師匠がいなくなることでもあった。そこで祐ちゃんは勤めている会社を辞め、「マルチニール」でみっちり修行をするのはどうかと松村まつむらさんに相談したのだが。


「止めた方がええ。せっかく春日さんの味が祐樹くんに馴染んで来てんのに、下手におかしな癖付けさしたく無い」


 そうはっきりと断り、そして。


「料理人はな、確かにそうした研鑽けんさんも大事やけど、お客さんに育ててもらうんや。ある程度力を付けとったらその方が絶対にええ。祐樹くん、最初から完璧に巧くやろうとしとるやろ」


 そう言われてしまったそうだ。祐ちゃんは「図星突かれたわ」と苦笑を浮かべていた。


 そう、結局は実地なのだ。そこでしか鍛えられないものがある。飲食店経営をしたいから、飲食店で修行をする、それは理にかなっている。それは確かに、守梨も「サトル」で修行をさせてもらって感じたことだ。


 「テリア」でフロアに立っていた時は、どうしても「お手伝い」という気分が抜けなかった。そして「サトル」でも、自分は下っ端だからと少しの甘えは出てしまう。


 だがこれからの「テリア」は違う。自分が表に立って、自分の采配でお客さまの気分が変わる。楽しんでいただけるか、美味しいと感じてもらえるか、自分の腕ひとつに掛かって来るのだ。


 祐ちゃんも同じである。これから料理人として「テリア」の厨房に立つ。そうして成長して行くのである。


 かつてお父さんも、そして松村さんも言っていた。料理人に天井は無いのだと。なら表に出られる力が付いたのなら、その扉を開くべきなのだ。そうしてさらに自分の腕を磨くのだ。


「……そうやな。やろか」


 そうして祐ちゃんは、ようやく重い腰を上げてくれた。そして実際動き出してみたら、それまでは一体何だったのかと思うほど、軽快に動いてくれた。腹が決まると揺るがないのは祐ちゃんの良いところである。


 そして「テリア」の再開日、そして守梨と祐ちゃんの入籍日は、5月5日の金曜日に決まったのだった。

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